22巻 玉   鬘


畳語、繰り返し文字は文字に直してあります。



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年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を露忘れ給はず、心心なる人のあり
さまどもを見給ひ重ぬるにつけても、あらましかばと、あはれにくちおしくの
みおぼし出づ。
右近は、何の人数ならねど、なをその形見と見給て、らうたきものにおぼ
したれば、古人の数に仕ふまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上
の御方にみな人人聞こえわたし給しほどより、そなたにさぶらふ。心よくか
いひそめたる物に、女君もおぼしたれど、心の中には、故君ものし給はましか
ば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし、さしも深き御心ざし
なかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたため給ふ御心長さなりければ、
まいて、や事なき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数の中にはまじらひ
給なまし、と思ふに、飽かずかなしくなむ思ひける。
かの西の京にとまりし若君をだに、行くゑも知らず、ひとへにものを思つつ
み、また、「いまさらにかひなき事によりて、我名漏らすな」と口固め給しを、

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憚りきこえて、尋ねてもをとづれきこえざりしほどに、その御乳母のおとこ、
少弐になりて行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは
行きける。
母君の御行くゑを知らむと、よろづの神仏に申て、夜昼泣き恋ひて、さる
べき所所を尋ねきこえけれど、つゐに聞き出でず。さらばいかがはせむ、若
君をだにこそは御形見に見たてまつらめ、あやしき道に添へたてまつりて、遥
かなるほどにおはせむ事のかなしきこと、なを父君にほのめかさむ、と思けれ
ど、さるべきたよりもなきうちに、「母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひ
給はばいかが聞こえむ。まだよくも見馴れ給はぬに、おさなき人をとどめたて
まつり給はむも、うしろめたかるべし。知りながら、はたいて下りねとゆるし
給べきにもあらず」など、をのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、
ただいまからけ高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟に乗せて漕
ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。
おさなき心ちに母君を忘れず、おりおりに、「母の御もとへ行くか」と問ひ
給につけて、涙絶ゆる時なく、むすめどもも思こがるるを、「舟路ゆゆし」

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と、かつは諫めけり。
おもしろき所所を見つつ、心わかうおはせし物を、かかる道をも見せたて
まつる物にもがな、おはせましかばわれらは下らざらまし、と京の方を思やら
るるに、返る波もうらやましく心ぼそきに、舟子どもの荒荒しき声にて、
「うらがなしくもとをく来にけるかな」とうたふを聞くままに、二人さし向か
ひて泣きけり。
舟人もたれを恋ふとか大島のうらがなしげに声の聞こゆる
来しかたも行くゑも知らぬ沖に出でてあはれいづくに君を恋ふらん
鄙の別れに、をのがじし心をやりて言ひける。
金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに
至り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかし
づきものにて明かし暮らす。夢などに、いとたまさかに見え給ときなどもあり。
おなじさまなる女など添ひ給ふて見え給へば、なごり心ちあしく悩みなどしけ
れば、猶世に亡くなり給にけるなめり、と思ひなるもいみじくのみなむ。
少弐、任はてて上りなどするに、遥けきほどに、ことなるいきをいなき人は

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たゆたいつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、をもき病して死なむとする
心ちにも、この君の十ばかりにもなり給へるさまの、ゆゆしきまでおかしげ
なるを見たてまつりて、「我さへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふ
れ給はむとすらん。あやしき所に生ひ出で給も、かたじけなく思きこゆれど、
いつしかも京にいてたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御宿
世にまかせて見たてまつらむにも、みやこは広き所なれば、いと心やすかるべ
しと思急ぎつるを、ここながら命耐へずなりぬる事」とうしろめたがる。お
のこ子三人あるに、「ただこの姫君、京にいてたてまつるべき事を思へ。我身
のけふをばな思ひそ」となむ言ひをきける。
その人の御子とは、館の人にも知らせず、ただ孫のかしづくべきゆへあると
ぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、俄に亡せ
ぬれば、あはれに心ぼそくて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の中あし
かりける国の人多くなどして、とさまかうざまにおぢ憚りて、我にもあらで年
を過ぐすに、この君ねびととのひ給ままに、母君よりもまさりてきよらに、父
おとどの筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあら

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まほしうものし給。
聞きついつつ、すいたるゐ中人ども心かけ、消息がるいと多かり。ゆゆしく
めざましくおぼゆれば、たれもたれも聞き入れず、「かたちなどはさてもありぬ
べけれど、いみじきかたわのあれば、人にも見せで尼になして、我世の限りは
持たらむ」と言ひ散らしたれば、「故少弐の孫はかたわなむあんなる。あたら
ものを」と、言ふなるを聞くもゆゆしく、「いかさまにして、宮こにいてたて
まつりて、父おとどに知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたし
と思きこえ給へりしかば、さりともおろかには思捨てきこえ給はじ」など言
ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。
むすめどももおのこどもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきに
たり。心の中にこそ急ぎ思へど、京の事はいやとをざかるやうに隔たりゆく。
ものおぼし知るままに、世をいとうきものにおぼして、年三などし給。廿ばか
りになり給ままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。この住む所
は肥前の国とぞいひける。そのわたりにもいささかよしある人は、まづこの少
弐の孫のありさまを聞き伝へて、猶絶えずをとづれ来るも、いといみじう耳

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かしましきまでなむ。
大夫監とて、肥後の国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、いきをひ
いかめしき兵ありけり。むくつけき心の中に、いささかすきたる心まじりて、
かたちある女を集めて見むと思ける。この姫君を聞つけて、「いみじきかたわ
ありとも、我は見隠して持たらむ」といとねむごろに言ひかかるを、いとむく
つけく思ひて、「いかで、かかる事を聞かで、尼になりなむとす」と言はせた
りければ、いよいよあやうがりて、をしてこの国を越え来ぬ。
この男どもを呼び取りて語らふ事は、「思ふさまになりなば、おなじ心にい
きをひかはすべき事」など語らふに、二人はおもむきにけり。「しばしこそ
似げなくあはれと思ひきこえけれ、をのをの我身のよるべと頼まむに、いと頼
もしき人なり。これにあしくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや。
よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、世に知らでは、何の
かひかはあらむ。この人のかくねむごろに思きこえ給へるこそ、いまは御幸
ゐなれ。さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしけめ。逃げ隠れ給とも、
何のたけき事かはあらむ。負けじだましゐに怒りなば、せぬ事どもしてん」と

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言ひをどせば、いといみじと聞きて、中のこのかみなる豊後の介なむ、「猶い
とたいだいしく、あたらしき事なり。故少弐のの給し事もあり。とかく構へて
京に上げたてまつりてん」と言ふ。
むすめどもも泣きまどひて、「母君のかひなくて、さすらへ給ひて、行くゑ
をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思に、さる物の
中にまじり給なむ事」と思ひ嘆くをも知らで、我はいとおぼえ高き身と思て、
文など書きておこす。手など、きたなげなう書きて、唐の色紙かうばしき香に
入れしめつつ、おかしく書きたりと思たる、言葉ぞいとたみたりける。
みづからも、このいゑの二郎を語らひ取りて、うち連れて来たり。三十ばか
りなる男の、丈高くものものしくふとりて、きたなげなけれど、思なしうとま
しく、荒らかなるふるまひなど見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心ちよげに、声
いたうかれてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそよばひとは言ひけ
れ、さま変へたる春の夕暮なり。秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ。心を
破らじとて、をばおとど出であふ。
「故少弐のいとなさけび、きらぎらしくものし給しを、いかでかあひ語らひ

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申さむと思給しかども、さる心ざしをも見せ聞こえず侍りしほどに、いとか
なしくて隠れ給にしを、その代はりに一向に仕ふまつるべくなむ、心ざしを励
まして、けふは、いとひたふるにしゐてさぶらひつる。このおはしますらむ女
君、筋ことにうけ給ればいとかたじけなし。ただなにがしらがわたくしの君と
思申て、頂になむささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなる
事は、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを、聞こしめしうとなむなり。
さりとも、すやつばらを人なみにはし侍なむや。我君をば、后の位におとした
てまつらじものをや」など、いとよげに言ひ続く。
「いかがは。かくの給を、いとさいわひありと思給ふるを、宿世つたなき
人にや侍らむ、思はばかる事侍て、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず
嘆き侍めれば、心ぐるしう見給へわづらひぬる」と言ふ。「さらになおぼし憚
りそ。天下に目つぶれ、足おれ給へりとも、なにがしは仕ふまつりやめてむ。
国の中の仏神は、をのれになむなびき給へる」など、誇りゐたり。その日ばか
りと言ふに、「この月は季の果てなり」など、ゐ中びたる事を言ひ逃る。
おりて行く際に、歌よままほしかりければ、やや久しう思めぐらして、

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「君にもし心たがはば松浦なる鏡の神をかけて誓はむ
この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひ給る」とうち笑みたるも、世づかずう
ゐうゐしや。
我にもあらねば、返しすべくも思はねど、むすめどもによますれど、「まろ
は、ましてものもおぼえず」とてゐたれば、いと久しきに思わびて、うち思け
るままに、
年を経て祈る心のたがひなば鏡の神をつらしとや見む
とわななかし出でたるを、「まてや。こはいかに仰せらるる」と、ゆくりかに
寄り来たるけはひにおびへて、おとど色もなくなりぬ。
むすめたち、さは言へど、心づよく笑ひて、「この人のさま異にものし給を、
ひきたがへはべらば、思はれむを猶ほけほけしき人の、神かけて聞こえひがめ
給なめりや」と説き聞かす。「をい、然り然り」とうなづきて、「おかしき御
口つきかな。なにがしら、ゐ中びたりといふ名こそ侍れ、くちおしき民には侍
らず。宮この人とても何ばかりかあらむ。みな知りて侍り。なおぼし侮りそ」
とて、またよまむと思へれども、たへずやありけむ、去ぬめり。

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二郎が語らひ取られたるも、いとおそろしく心うくて、この豊後の介をせむ
れば、いかがは仕まつるべからむ、語らひ合はすべき人もなし、まれまれのは
らからは、この監におなじ心ならずとて中違ひにたり、この監にあたまれて
は、いささかの身じろぎせむも所せくなむあるべき、中中なる目をや見む、
と思ひわづらひにたれど、姫君の人知れずおぼいたるさまのいと心ぐるしくて、
生きたらじと思しづみ給へる、ことはりにおぼゆれば、いみじき事を思構へ
て出で立つ。いもうとたちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で
立つ。あてきといひしは、いまは兵部の君といふぞ、添ひて夜逃げ出でて舟に
乗りける。
大夫の監は、肥後にかへり行きて、四月廿日のほどに、日取りて来むとする
ほどに、かくて逃ぐるなりけり。
姉のおもとは、類広くなりてえ出で立たず。かたみに別れおしみて、あひ見
む事のかたきを思に、年経つる古里とて、ことに見捨てがたき事もなし。ただ
松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむかへり見せられて、かなし
かりける。

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浮嶋を漕ぎ離れても行く方やいづくとまりと知らずもあるかな
行く先も見えぬ浪路に舟出して風にまかする身こそうきたれ
いとあとはかなき心ちして、うつぶし臥し給へり。
かく逃げぬるよし、をのづから言ひ出で伝へば、負けじだましゐにてをひ来
なむと思に、心もまどひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、
思方の風さへ進みて、あやうきまで走り上りぬ。響の灘もなだらかに過ぎぬ。
「海賊の舟にやあらん、ちひさき舟の飛ぶやうにて来る」など言ふ者あり。海
賊のひたふらならむよりも、かのおそろしき人のをひ来るにやと思ふに、せむ
方なし。
うきことに胸のみさはぐひびきにはひびきの灘もさはらざりけり
「川尻といふ所近づきぬ」と言ふにぞ、すこし生き出る心ちする。例の舟子
ども、「唐泊より川尻をすほどは」とうたふ声のなさけなきも、あはれに聞こゆ。
豊後の介、あはれになつかしううたひすさみて、「いとかなしき妻子も忘れ
ぬ」とて、思ば、げにぞみなうち捨ててける、いかがなりぬらん、はかばかし
く身の助けと思郎等どもは、みないて来にけり、我をあしと思ひてをひまど

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はして、いかがしなすらん、と思に、心をさなくもかへり見せで出でにけるか
な、とすこし心のどまりてぞあさましき事を思つづくるに、心よはくうち泣か
れぬ。
「胡の地の妻児をば虚しく棄て棄てつ」と誦ずるを、兵部の君聞きて、げに
あやしのわざや、年ごろ従ひ来つる人の心にも、俄にたがひて逃げ出でにしを、
いかに思らん、とさまざま思つづけらるる。帰る方とても、そこ所と行き着く
べき古里もなし、知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず、ただ一所の
御ためにより、ここらの年月住み馴れつる世界を離れて、浮かべる浪風に漂ひ
て、思めぐらす方なし、この人をもいかにしたてまつらむとするぞ、とあきれ
ておぼゆれど、いかがはせむとて急ぎ入りぬ。
九条に、むかし知れりける人の残りたりけるをとぶらひ出でて、その宿りを
占めをきて、宮このうちと言へど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあら
ず、あやしき市女、商人の中にて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆ
くままに、来し方行く先かなしき事多かり。
豊後の介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸にまどへる心ちして、つれづれに

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ならはぬありさまのたづきなきを思に、帰らむにもはしたなく、心をさなく出
で立ちにけるを思ふに、したがひ来たりし物どもも、類に触れて逃げ去り、本
の国に帰り散りぬ。
住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとをしがれば、「何
か、この身はいとやすく侍り。人ひとりの御身にかへたてまつりて、いづちも
いづちもまかり失せなむに咎あるまじ。われらいみじきいきをひになりても、若君
をさる物の中にはふらしたてまつりては、何心ちかせまし」と語らひなぐさ
めて、「神仏こそは、さるべき方にも導きしらせたてまつり給はめ。近きほど
に、八幡の宮と申は、かしこにてもまいり祈り申給し松浦、筥崎同じ社なり。
かの国を離れ給とても、多くの願立て申給き。いま都に帰りて、かくなむ御
験を得てまかり上りたると、早く申給へ」とて、八幡にまうでさせたてまつ
る。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残
れるを呼び取りて、まうでさせたてまつる。
「うちつぎては、仏の御中には、初瀬なむ日本の中にはあらたなる験あらは
し給と、唐土にだに聞こえあむなり。ましてわが国の中にこそ、とをき国の境

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とても、年経給えれば、若君をばまして恵み給てん」とて、出だし立てたてま
つる。
殊更に徒歩よりと定めたり。ならはぬ心ちにいとわびしく苦しけれど、人の
言ふままにものもおぼえで歩み給。いかなる罪深き身にて、かかる世にさすら
ふらむ、わが親世に亡くなり給へりとも、我をあはれとおぼさば、おはすらむ
所にさそひ給へ、もし世におはせば御顔見せ給へ、と仏を念じつつ、ありけむ
さまをだにおぼえねば、ただ親おはせましかばとばかりのかなしさを、嘆きわ
たり給へるに、かくさしあたりて身のわりなきままに、とり返しいみじく覚つ
つ、からうして椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心ちもせ
で行き着き給へり。
歩むともなく、とかくつくろひたれど、足の裏動かれず、わびしければ、せ
ん方なくて休み給。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる
物、童など三四人、女ばらあるかぎり三人、壼装束して、樋洗めくもの、ふ
るき下種女二人ばかりとぞある。いとかすかに忍びたり。大御灯明のことなど、
ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。いゑあるじのほうし、「人宿したて

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まつらむとする所に、何人のものし給ぞ。あやしき女どもの心にまかせて」と
むつかるを、めざましく聞くほどに、げに人人来ぬ。
これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、おとこ女、数多かむ
める。馬四五ひかせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなるおとこども
などあり。ほうしは、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとお
しけれど、また宿りかへむもさまあしく、わづらはしければ、人人は奥に入り、
ほかに隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。ぜ上などひき隔てておはしま
す。この来る人もはづかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひ
したり。さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はし
たなきまじらひのつきなくなり行身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび
まうでける。
例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩み耐へがたくて、
寄り臥したるに、この豊後の介、隣のぜ上のもとに寄り来て、まいり物なるべ
し、おしき手づから取りて、「これは御前にまいらせ給へ。御台などうちあは
で、いとかたはらいたしや」と言ふを聞に、我なみの人にはあらじと思て、物

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のはさまよりのぞけば、このおとこの顔見し心ちす。
誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、ふとり黒みてやつれたれば、
多くの年隔てたる目には、ふとしも見わかぬなりけり。「三条、ここに召す」
と呼び寄する女をみれば、又見し人なり。故御方に、下人なれど、久しく仕ふ
まつり馴れて、かの隠れ給へりし御住みかまでありし物なりけり、と見なして、
いみじく夢のやうなり。
主とおぼしき人はいとゆかしけれど、見ゆべくも構わず。思わびて、この女
に問はむ、兵藤太と言ひし人もこれにこそあらめ、姫君のおはするにや、と
思寄るに、いと心もとなくてこの中隔てなる三条を呼ばすれど、食ひ物に心
入れて、とみにも来ぬ、いとにくしとおぼゆるもうちつけなりや。
からうして、「おぼえずこそ侍れ。筑紫の国に二十年ばかり経にける下種の
身を知らせ給べき京人よ。人違へにや侍らむ」とて寄り来たり。ゐ中びたる掻
練に衣など着て、いといたうふとりにけり。我が齢もいとどおぼえてはづかし
けれど、「なをさしのぞけ。われをば見知りたりや」とて顔さし出でたり。こ
の女の手を打ちて、「あがおもとにこそおはしましけれ。あなうれしともうれ

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し。いづくよりまいり給たるぞ。上はおはしますや」と、いとおどろおどろしく
泣く。若き物にて見馴れし世を思ひ出るに、隔て来にける年月数へられていと
あはれなり。「まづおとどはおはすや。若君はいかがなり給にし。あてきと聞
こえしは」とて、君の御事は言ひ出でず。「みなおはします。姫君もおとなに
なりておはします。まづおとどにかくなむと聞こえむ」とて入ぬ。
みなおどろきて、「夢の心ちもする哉。いとつらく、言はむ方なく思きこゆ
る人に、対面しぬべき事よ」とて、この隔てに寄り来たり。けどをく隔てつる
屏風だつもの、なごりなくをしあけて、まづ言ひやるべき方なく泣きかはす。
老ひ人は、ただ、「わが君はいかがなり給にし。ここらの年ごろ、夢にても
おはしまさむ所を見むと大願を立つれど、遥かなる世界にて、風のをとにても
え聞き伝へたてまつらぬを、いみじくかなしと思に、老ひの身の残りとどまり
たるもいと心うけれど、うち捨てたてまつり給へる若君の、らうたくあはれに
ておはしますを、よみぢの絆にもてわづらひきこえてなむ、瞬き侍」と言ひ
つづくれば、昔そのおり、言ふかひなかりし事よりも、いらへむ方なくわづら
はしと思へども、「いでや、聞こえてもかひなし。御方ははや亡せ給にき」と

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言ふままに、二三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。
日暮れぬと急ぎたちて、御灯明の事どもしたためはてて急がせば、中中い
と心あはたたしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人の
あやしと思べければ、この介にも事のさまだに言ひ知らせあへず。我も人もこ
とにはづかしくはあらで、みなをり立ちぬ。右近は人知れず目とどめて見るに、
中にうつくしげなるうしろ手の、いといたうやつれて、卯月の単衣めくものに
着こめ給へる髪の透影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心ぐるしうかなしと見
たてまつる。
すこし足馴れたる人はとく御堂に着きにけり。この君をもてわづらひきこえ
つつ、初夜をこなふほどにぞ上り給へる。いとさはがしく人まうでこみてのの
しる。右近が局は、仏の右の方に近き間にしたり。この御師は、まだ深からね
ばにや、西の間にとをかりけるを、「なをここにおはしませ」と、たづねかは
し言ひたれば、おとこどもをばとどめて、介にかうかうと言ひあはせて、こな
たに移したてまつる。「かくあやしき身なれど、ただいまの大殿になむさぶら
ひ侍れば、かくかすかなる道にても、らうがはしき事は侍らじと頼み侍。ゐ中

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びたる人をば、かやうの所には、よからぬなま者どもの、あなづらはしうする
も、かたじけなき事なり」とて物語りいとせまほしけれど、おどろおどろしきを
こなひの紛れ、さはがしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。
右近は、心の中に、「この人をいかで尋ねきこえむと申はたりつるに、かつ
がつかくて見たてまつれば、いまは思のごと、おとどの君の尋ねたてまつらむ
の御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、さいわひあらせたてまつり給
へ」など申けり。
国国より、ゐ中人多くまうでたりけり。この国の守の北の方もまうでたり
けり。いかめしく、いきをひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、「大悲
者には、異事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方ならずは、当国の受領の北の
方になしたてまつらむ。三条らも随分に栄へて、かへり申は仕うまつらむ」と、
ひたいに手を当てて念じ入りてをり。
右近、いとゆゆしくも言ふかな、と聞て、「いといたくこそゐ中びにけれな。
中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。ましていまは天の下を御心
にかけ給へる大臣にて、いかばかりいつかしき御中に、御方しも、受領の妻に

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て、品定まりておはしまさむよ」と言へば、「あなかま、たまへ。大臣たちも
しばし待て。大弐の御館の上の清水の御寺、観世音寺にまいり給しいきおひは、
みかどのみゆきにやは劣れる。あなむくつけ」とて、なをさらに手をひき放た
ずおがみ入てをり。
筑紫人は、三日籠らむと心ざし給へり。右近は、さしも思はざりけれど、
かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠るべきよし、大徳呼びて言ふ。
御あかし文など書きたる心ばへなど、さやうの人はくだくだしうわきまへけ
れば、常のごとにて、「例の藤原の瑠璃君といふが御ためにたてまつる。よく
祈り申給へ。その人、このごろなむ見たてまつり出でたる。その願もはたし
たてまつるべし」と言ふを、聞くもあはれなり。法師、「いとかしこき事かな。
たゆみなく祈り申侍る験にこそ侍れ」と言ふ。いとさはがしう夜一夜をこな
ふなり。
明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。もの語り心やすくとなるべし。姫君
の、いたくやつれ給へる、はづかしげにおぼしたるさま、いとめでたく見ゆ。
「おぼえぬ高きまじらひをして、多くの人をなむ見あつむれど、殿の上の御

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かたちに似る人おはせじとなむ、年ごろ見たてまつるを、また生ひ出で給姫
君の御さま、いとことはりにめでたくおはします。かしづきたてまつり給さま
も並びなかめるに、かうやつれ給へる御さまの、劣り給まじく見え給は、あり
がたうなむ。おとどの君、父みかどの御時より、そこらの女御、后、それより
下は残るなく見たてまつりあつめ給へる御目にも、当代の御母后と聞こえしと、
この姫君の御かたちをとなむ、よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる、
と聞こえ給。見たてまつり並ぶるに、かの后の宮をば知りきこえず、姫君はき
よらにおはしませど、まだかたなりにて、生ひ先ぞをしはかられ給。上の御か
たちは、なを誰か並び給はむとなむ見〔え〕給。殿も、すぐれたりとおぼした
めるを、言に出でては、何かは数への中には聞こえ給はむ。我に並び給へるこ
そ君はおほけなけれ、となむ戯れきこえ給。見たてまつるに、命延ぶる御あり
さまどもを、またさるたぐひおはしましなむやとなむ思侍に、いづくか劣り
給はむ。物は限りある物なれば、すぐれ給へりとて、頂をはなれたる光やはお
はする。ただこれをすぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」と、うち笑みて見
たてまつれば、老ひ人もうれしと思ふ。

P353

「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めたてまつりぬべかりしに、あ
たらしくかなしうて、いゑ竈をも捨て、おとこ女の頼むべき子どもにもひき別
れてなむ、かへりて知らぬ世の心ちする京にまうで来し。あがおもと、早くよ
きさまに導ききこえ給へ。高き宮仕へし給人は、をのづから行きまじりたる
たよりものし給らむ。父おとどに聞こしめされ、数まへられ給べきたばかりお
ぼし構へよ」と言ふ。はづかしうおぼいて、うしろ向き給へり。
「いでや、身こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひ給へば、もののおりご
とに、いかにならせ給にけん、と聞こえ出づるを、聞こしめしをきて、われい
かで尋ねきこえむと思を、聞き出でたてまつりたらば、となむの給はする」と
言へば、「おとどの君はめでたくおはしますとも、さるやむ事なき妻どもおは
しますなり、まづまことの親とおはするおとどにを知らせたてまつり給へ」な
ど言ふに、ありしさまなど語り出でて、「世に忘れがたくかなしき事になむお
ぼして、かの御かはりに見たてまつらむ、子も少なきがさうざうしきに、我子
を尋ね出でたると人には知らせて、とそのかみよりの給なり。心のおさなかり
ける事は、よろづにものつつましかりしほどにて、え尋ねてもきこえで過ごし

P354

しほどに、少弐になり給へるよしは、御名にて知りにき。まかり申しに、殿に
まいり給えりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえでやみにき。さりと
も姫君をば、かのありし夕顔の五条にぞとどめたてまつり給へらむとぞ思ひし。
あないみじや、ゐ中人にておはしまさましよ」などうち語らひつつ、日一い、
むかしもの語り、念誦などしつつ。
まいり集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行水をば初瀬川と
いふなりけり。右近、
「二もとの杉のたちどを尋ねずはふる河のべに君を見ましや
うれしき瀬にも」と聞こゆ。
初瀬河はやくの事は知らねどもけふのあふ瀬に身さへながれぬ
とうち泣きておはするさま、いとめやすし。かたちはいとかくめでたくきよげ
ながら、ゐ中び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉のきずならまし、
いであはれ、いかでかく生ひ出で給けむ、とおとどをうれしく思。母君は、た
だいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞたをやぎ給へりし、これはけ高く、
もてなしなどはづかしげに、よしめき給へり。筑紫を心にくく思なすに、みな

P355

見し人はさとびにたるに、心得がたくなむ。暮るれば、御堂に上りて、またの
日もをこなひ暮らし給。
秋風、谷より遥かに吹上りていと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもに
はよろづ思つづけられて、人なみなみならむ事もありがたきことと思ひ沈みつ
るを、この人のもの語りのつゐでに、父おとどの御ありさま、腹腹の何とも
あるまじき御子ども、みな物めかしなしたて給を聞けば、かかる下草頼もしく
ぞおぼしなりぬる。出づとても、かたみに宿る所も問ひかはして、もしまたを
ひまどはしたらむ時とあやうく思けり。右近が家は、六条の院近きわたりなり
ければ、ほど遠からで、言ひかはすもたづき出で来ぬる心ちしけり。
右近は大殿にまいりぬ。この事をかすめきこゆるついでもやとて急ぐなりけ
り。御門引き入るるより、けはひことに広広として、まかでまいりする車多
くまよふ。数ならで立ち出づるもまばゆき心ちする玉の台なり。その夜は御前
にもまいらで思ひ臥したり。
またの日、よべ里よりまいれる上臈、若人どもの中に、とりわきて右近を召
し出づれば、面立たしくおぼゆ。おとども御覧じて、「などか里居は久しくし

P356

つるぞ。例ならずやまめ人のひき違へ、こまがへるやうもありかし。おかしき
事などありつらむかし」など、例のむつかしうたはぶれ事などの給。「まかで
て、七日に過ぎ侍ぬれど、おかしき事は侍がたくなむ。山踏し侍て、あはれな
る人をなむ見給へつけたりし」、「何人ぞ」と問ひ給ふ。ふと聞こえ出でんも、
又上に聞かせたてまつらで、とりわき申たらんを、のちに聞給うては、隔て
きこえけりとやおぼさむ、など思乱れて、「いま聞こえさせ侍らむ」とて、人
人まいれば聞こえさしつ。
大殿油などまいりて、うちとけ並びおはします御ありさまども、いと見るか
ひ多かり。女君は廿七八にはなり給ぬらんかし、盛りにきよらにねびまさり給
へり。すこしほど経て見たてまつるは、またこのほどにこそにほひ加わり給に
けれと見え給。かの人をいとめでたし、劣らじと見たてまつりしかど、思なし
にや、猶こよなきに、さいわひのなきとあるとは隔てあるべきわざかな、と見
あはせらる。
大殿籠るとて、右近を御足まいりに召す。「若き人は苦しとてむつかるめり。
猶年経ぬるどちこそ、心かはしてむつびよかりけれ」との給へば、人人忍

P357

びて笑ふ。「さりや、たれかその使ひならひ給はむをばむつからん」、「うるさ
きたはぶれ事言ひかかり給を、わづらはしきに」など言ひあへり。「上も、年
経ぬるどちうちとけ過ぎ、はたむつかり給はんとや。さるまじき心と見ねば、
あやふし」など、右近に語らひて、笑ひ給。いとあひぎやうづき、おかしきけ
さへ添ひ給へり。いまはおほやけに仕へ、いそがしき御ありさまにもあらぬ御
身にて、世中のどやかにおぼさるるままに、ただはかなき御たはぶれ事をの
給、おかしく人の心を見給あまりに、かかる古人をさへぞたはぶれ給。
「かの尋ね出でたりけむや、何さまの人ぞ。たうとき修行者語らひて、いて
来たるか」と問ひ給へば、「あな見ぐるしや。はかなく消え給にし夕顔の露の
御ゆかりをなむ、見給へつけたりし」と聞こゆ。「げにあはれなりける事かな。
年ごろはいづくにか」との給へば、ありのままには聞こえにくくて、「あやし
き山里になむ。昔人もかたへは変はらで侍ければ、その世の物語りしゐで侍て、
耐へがたく思給へりし」など聞こえゐたり。「よし、心知り給はぬ御あたり
に」と、隠し聞こえ給へば、上、「あなわづらはし。ねぶたきに、聞入るべく
もあらぬ物を」とて御袖して御耳ふたぎ給つ。

P358

「かたちなどは、かのむかしの夕顔と劣らじや」などの給へば、「かならず
さしもいかでかものし給はん、と思給へりしを、こよなうこそ生ひまさりて
見え給しか」と聞こゆれば、「おかしの事や。たればかりとおぼゆ。この君と」
との給へば、「いかでか、さまでは」と聞こゆれば、「したり顔にこそ思べけれ。
我に似たらばしも、うしろやすしかし」と親めきての給。
かく聞きそめてのちは、召し放ちつつ、「さらばかの人、このわたりに渡い
たてまつらん。年ごろもののついでごとに、くちおしうまどはしつる事を思
出でつるに、いとうれしく聞出でながら、いままでおぼつかなきもかひなき
ことになむ。父おとどには何か知られん。いとあまたもてさはがるめるが、数
ならでいまはじめ立ちまじりたらんが、中中なる事こそあらめ。われはかう
さうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出だしたるとも言はんかし。すき者ども
の心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」など語らひ給へば、か
つがついとうれしく思つつ、「ただ御心になむ。おとどに知らせたてまつらむ
とも、たれかは伝へほのめかし給はむ。いたづらに過ぎものし給しかはりには、
ともかくも引き助けさせ給はむ事こそは、罪軽ませ給はめ」と聞こゆ。「いた

P359

うもかこちなすかな」と、ほほ笑みながら涙ぐみ給へり。
「あはれにはかなかりける契となむ年ごろ思わたる。かくて集へる方方の
中に、かのおりの心ざしばかり思とどむる人なかりしを、命ながくて、わが心
長さをも見侍るたぐひ多かめる中に、言ふかひなくて、右近ばかりを形見に見
るはくちおしくなむ。思ひ忘るる時なきに、さてものし給はば、いとこそ本意
かなう心ちすべけれ」とて、御消息たてまつれ給う。
かの末摘花の言ふかひなかりしをおぼし出づれば、さやうに沈みて生ひ出で
たらむ人のありさまうしろめたくて、まづ文のけしきゆかしくおぼさるるなり
けり。ものまめやかに、あるべかしく書き給て、端に、
かく聞こゆるを、
知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜の筋は絶えじを
となむありける。
御文、みづからまかでて、の給さまなど聞こゆ。御装束、人人の料などさ
まざまあり。上にも語らひ聞こえ給へるなるべし。御匣殿などにもまうけの物
召し集めて、色あひ、しざまなど、ことなるをと選らせ給へれば、ゐ中びたる

P360

目どもには、ましてめづらしきまでなむ思ける。
正身は、ただかことばかりにても、まことの親の御けはひならばこそうれし
からめ、いかでか知らぬ人の御あたりにはまじらはむ、とおもむけて、苦しげ
におぼしたれど、あるべきさまを右近聞こえ知らせ、人ひとも、「をのづから、
さて人だち給ひなば、おとどの君も尋ね知りきこえ給なむ。親子の御契りは絶
えてやまぬものなり。右近が、数にも侍らず、いかでか御覧じつけられむと
思給えしだに、仏神の御導き侍らざりけりや。まして誰も誰もたいらかにだ
におはしまさば」と、みな聞こえなぐさむ。
まづ御返をとせめて書かせたてまつる。いとこよなくゐ中びたらむものを
と、はづかしくおぼいたり。唐の紙のいとかうばしきを取り出でて書かせたて
まつる。
数ならぬ三稜やなにの筋なればうきにしもかく根をとどめけむ
とのみほのかなり。手は、はかなだち、よろぼはしけれど、あてはかにてくち
おしからねば、御心おちゐにけり。
住み給べき御方御覧ずるに、南の町には、いたづらなる対どもなどなし、い

P361

きをひことに住み満ち給へれば、顕証に人しげくもあるべし、中宮おはします
町は、かやうの人も住みぬべく、のどやかなれど、さてさぶらぶ人のつらにや
聞なさむとおぼして、すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、文殿にてある
を、異方に移して、とおぼす。あひ住みにも、忍びやかに心よくものし給御
方なれば、うち語らひてもありなむ、とおぼしおきつ。
上にも、いまぞ、かのありし昔の世の物語り聞こえ出で給ける。かく御心に
こめ給事ありけるを、うらみきこえ給。「わりなしや。世にある人の上とて
や、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことに
は思きこゆれ」とて、いとあはれげにおぼし出でたり。「人の上にてもあまた
見しに、いと思はぬ中も、女といふ物の心深きをあまた見聞しかば、さらにす
きずきしき心はつかはじとなむ思しを、をのづからさるまじきをもあまた見し
中に、あはれとひたふるにらふたき方は、またたぐひなくなむ思出でらるる。
世にあらましかば、北の町にものする人のなみにはなどか見ざらまし。人のあ
りさま、とりどりになむありける。かどかどしう、おかしき筋などはをくれた
りしかども、あてはかにらうたくもありしかな」などの給。

P362

「さりとも明石のなみには、立ち並べ給ざらまし」との給。なを北のおと
どをばめざましと心をき給へり。姫君のいとうつくしげにて、何心もなく聞
給がらうたければ、またことはりぞかしとおぼし返さる。
かくいふは九月の事なりけり。渡り給はむ事、すがすがしくもいかでかはあ
らむ。よろしき童、若人など求めさす。筑紫にては、くちおしからぬ人人も、
京より散りぼひ来たるなどをたよりにつけて呼び集めなどしてさぶらはせしも、
俄にまどひ出で給しさはぎにみなをくらしてければ、また人もなし。京はを
のづから広き所なれば、市女などやうのもの、いとよく求めつついて来。その
人の御子などは知らせざりけり。
右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人人選りととのへ、装束
ととのへなどして、十月にぞ渡り給。
おとど、東の御方に聞こえつけたてまつり給。「あはれと思し人のものうじ
して、はかなき山里に隠れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れ
ず尋ね侍しかども、え聞き出ででなむ、女になるまで過ぎにけるを、おぼえぬ
方よりなむ聞きつけたる時にだにとて、移ろはし侍なり」とて、「母も亡くな

P363

りにけり。中将を聞こえつけたるに、あしくやはある。おなじごと後見給へ。
山がつめきて生ひ出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべくことに触れて
教へ給へ」と、いとこまやかに聞こえ給。「げに、かかる人のおはしけるを、
知りきこえざりけるよ。姫君の一ところものし給がさうざうしきに、よき事か
な」とおひらかにの給。「かの親なりし人は、心なむありがたきまでよかりし。
御心もうしろやすく思きこゆれば」などの給。「つきづきしくうしろむ人など
も、こと多からでつれづれに侍るを、うれしかるべき事」になむの給。
殿のうちの人は、御むすめとも知らで、「何人、また尋ね出で給へるならむ。
むつかしき古物あつかひかな」と言ひけり。御車三ばかりして、人の姿どもな
ど、右近あれば、ゐ中びずしたてたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれ給
へる。
その夜、やがておとどの君渡り給へり。昔、光源氏などいふ御名は聞わたり
たてまつりしかど、年ごろのうゐうゐしさに、さしも思きこえざりけるを、ほ
のかなる大殿油に、御几帳のほころびよりはつかに見たてまつる、いとどおそ
ろしくさへぞおぼゆる。

P364

渡り給方の戸を、右近かい放てば、「この戸口に入るべき人は、心ことにこ
そ」と笑ひ給いて、廂なるをましについゐ給て、「灯こそいとけさうびたる心
ちすれ。親の顔はゆかしきものとこそきけ、さもおぼさぬか」とて、き丁すこ
しをしやり給。わりなくはづかしければ、そばみておはする様体など、いとめ
やすく見ゆれば、うれしくて、「いますこし光見せむや。あまり心にくし」と
の給へば、右近かかげてすこし寄す。「面なの人や」とすこし笑ひ給。げにと
おぼゆる御まみのはづかしげさなり。いささかもこと人と隔てあるさまにもの
給なさず、いみじく親めきて、「年ごろ御行くゑを知らで、心にかけぬ隙なく
嘆き侍を、かうて見たてまつるにつけても、夢の心ちして、過ぎにし方の事ど
も取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」とて、御目をしのご
ひ給。まことにかなしうおぼし出でらる。
御年のほど数へ給て、「親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじ物を、契つ
らくもありけるかな。いまはものうゐうゐしく若び給べき御ほどにもあらじを、
年ごろの御物語りなど聞こえまほしきに、などかおぼつかなくては」とうらみ
給に、聞こえむ事もなくはづかしければ、「足立たず、沈みそめ侍にけるのち、

P365

何事もあるかなきかになむ」と、ほのかに聞こえ給声ぞ、昔人にいとよくお
ぼえて若びたりける。ほほ笑みて、「沈み給けるを、あはれとも、いまはまた
誰かは」とて、心ばへ言ふかひなくはあらぬ御いらへとおぼす。右近にあるべ
き事の給はせて、渡り給ぬ。
めやすく物し給をうれしくおぼして、上にも語りきこえ給。「さる山がつの
中に年経たれば、いかにいとをしげならんと侮りしを、かへりて心はづかしき
までなむ見ゆる。かかるものありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、
このまがきのうち好ましうし給心、乱りにしかな。すき者どものいとうるは
しだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかるもののくさわひのなきほどなり。
いたうもてなしてしかな。猶うちあはぬ人の気色見集めむ」との給へば、「あ
やしの人の親や。まづ人の心はげまさむ事を先におぼすよ。けしからず」との
給。「まことに君をこそ、いまの心ならましかば、さやうにもてなして見つべ
かりけれ、いと無心にしなしてしわざぞかし」とて笑ひ給に、面赤みておはす
る、いと若くおかしげなり。
硯引き寄せ給うて、手習に、

P366

恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ
あはれ
と、やがてひとりごち給へば、げに深くおぼしける人のなごりなめりと見給。
中将の君にも、「かかる人を尋ね出でたるを、ようゐして、むつびとぶらへ」
との給ければ、こなたにまうで給て、「人数ならずとも、かかる者さぶらふと、
まづ召し寄すべくなむ侍ける。御わたりのほどにも、まいり仕うまつらざりけ
ること」と、いとまめまめしう聞こえ給へば、かたはらいたきまで心知れる人
は思ふ。心のかぎり尽くしたりし御住まゐなりしかど、あさましうゐ中びたり
しも、たとしへなくぞ思くらべらるるや。
御しつらひよりはじめ、いまめかしうけ高くて、親はらからとむつびきこえ
給御さまかたちよりはじめ、目もあやにおぼゆるに、いまぞ三条も大弐をあ
なづらはしく思ひける。まして監が息ざし、けはひ、思ひ出づるもゆゆしき事
限りなし。
豊後の介の心ばへを、ありがたきものに君もおぼし知り、右近も思言ふ。
おほぞうなるは事もをこたりぬべしとて、こなたの家司ども定め、あるべきこ

P367

とどもをきてさせ給。豊後の介もなりぬ。年比ゐ中び沈みたりし心ちに、俄
になごりもなく、いかでか、仮にても立ち出で、見るべきよすがなくおぼえし
大殿のうちを、朝夕に出で入ならし、人を従へ、事をこなふ身となれば、いみ
じき面目と思けり。おとどの君の御心をきての、こまかにありがたうおはしま
す事、いとかたじけなし。
年の暮れに、御しつらひのこと、人人の御装束など、やむ事なき御つらにお
ぼしをきてたる、かかりともゐ中びたることやと、山がつの方に侮りをしはか
りきこえ給て、調じたるも、たてまつり給ふついでに、をり物どもの、われも
われもと手を尽くしてをりつつ持てまいれる細長、小袿の、色いろさまざまなる
を御覧ずるに、「いと多かりける物どもかな。方がたにうらやみなくこそ物す
べかりけれ」と、上に聞え給へば、御匣殿に仕うまつれるも、比方にせさせ給
へるも、みな取う出させ給へり。かかる筋、はたいとすぐれて、世になき色あ
ひ、にほひを染つけ給へば、ありがたしと思ひ聞え給ふ。
ここかしこの擣殿よりまいらせたる擣物ども御覧じくらべて、濃き赤きなど、
さまざまを選らせ給つつ、御衣櫃、衣箱どもに入させ給ふて、おとなびたるじ

P368

やうらうどもさぶらひて、これはかれはと取り具しつつ入。上も見給て、「い
づれも劣りまさるけぢめも見えぬ物どもなめるを、着給はん人の御かたちに
思よそへつつたてまつれ給へかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしく
もありかし」との給へば、おとどうち笑ひて、「つれなくて、人の御かたちを
しはからむの御心なめりな。さてはいづれをとかおぼす」と聞こえ給へば、
「それも鏡にてはいかでか」と、さすがはぢらひておはす。
紅梅のいと紋浮きたるゑび染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとはかの御
料、桜の細長に、つややかなる掻練とり添へては姫君の御料なり。
浅縹の海賦のをり物、をりざまなまめきたれどにほひやかならぬに、いと濃
き掻練具して夏の御方に、くもりなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対
にたてまつれ給を、上は見ぬやうにておぼしあはす。内のおとどの、はなやか
にあなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるな
めりと、げにをしはからるるを、色には出だし給はねど、殿見やり給へるに、
ただならず。
「いで、このかたちのよそへは、人、腹立ちぬべき事なり。よきとても物の

P369

色は限りあり、人のかたちは、をくれたるも又なを底ひある物を」とて、かの
末摘花の御料に、柳のをり物の、よしある唐草を乱れをれるもいとなまめきた
れば、人知れずほほ笑まれ給。
梅のおり枝、てう、鳥飛び違ひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかな
るを重ねて、明石の御方に、思やりけ高きを、上はめざましと見給。
空蝉の尼君には青鈍のをりもの、いと心ばせあるを見つけ給て、御料にある
梔子の御衣、聴し色なる添へ給て、おなじ日着給べき御消息聞こえめぐらし
給。げに似ついたる見むの御心なりけり。
みな、御返どもただならず、御使の禄心心なるに、末摘、東の院におは
すれば、いますこしさし離れ、艶なるべきを、うるはしくものし給人にて、
あるべき事は違へ給はず、山吹の袿の袖口いとすすけたるを、うつほにてう
ちかけ給へり。御文には、いとかうばしき陸奥国紙のすこし年経、厚きが黄ば
みたるに、
いでや、給へるは、中中にこそ、
きてみればうらみられけり唐衣かへしやりてん袖をぬらして

P370

御手の筋、ことにあふよりにたり。いといたくほほ笑み給て、とみにもうちを
き給はねば、上、何事ならむと見おこせ給へり。御使にかづけたる物を、いと
わびしくかたはらいたしとおぼして、御気色あしければ、すべりまかでぬ。い
みじく、をのをのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたは
らいたき所のつき給へるさかしらに、もてわづらひぬべうおぼす。はづかしき
まみなり。
「古体の歌よみは、唐衣、袂濡るるかことこそ、離れねな。まろもそのつら
ぞかし、さらに一筋にまつはれて、いまめきたる言の葉にゆるぎ給はぬこそ、
ねたきことは、はたあれ。人の中なる事を、おりふし、御前などの、わざとあ
る歌よみの中にては、まとひ離れぬ三文字ぞかし。むかしの懸想のおかしきい
どみには、あだ人といふ五文字をやすめ所にうちをきて、言の葉のつづき、た
よりある心ちすべかめり」など笑ひ給。
「よろづの草子、歌枕、よくあなひ知り、見尽くして、その中の言葉を取り
出づるに、よみつきたる筋こそ強うは変はらざるべけれ。常陸の親王の書きを
き給へりける、紙屋紙の草子をこそ見よ、とておこせたりしか。和歌の髄脳い

P371

とところせう、病さるべき所多かりしかば、もとよりをくれたる方の、いとど
なかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしうて返してき。よくあなひ知
り給へる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」とて、おかしくおぼいたるさ
まぞいとをしきや。
上、いとまめやかにて、「などて返し給けむ。書きとどめて、姫君にも見せ
たてまつり給べかりける物を。ここにも、ものの中なりしも、虫みな損ひてけ
れば、見ぬ人はた心ことにこそはとをかりけれ」との給。「姫君の御学問に、
いと用なからん。すべて女は、たてて好める事まうけてしみぬるは、さまよか
らぬことなり。何事もいとつきなからむはくちおしからむ。ただ心の筋をただ
よはしからずもてしづめをきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかり
ける」などの給て、返しはおぼしもかけねば、「かへしやりてむとあめるに、
これよりをし返し給はざらむも、ひがひがしからむ」とそそのかしきこえ給。
なさけ捨てぬ御心にて、書き給。いと心やすげなり。
返さむといふにつけても片敷の夜の衣を思ひこそやれ
ことはりなりや。

P372
とぞあめる。


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