20巻   朝 顔

畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。

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齋院は御ふくにて・おりゐたまひにしそかし。おととれいのおほしそめつることたえぬ御くせにて・御とふらひなと
いとしけうきこえ給も・わつらはしかりしことをおほせは・御返なともうちとけてきこえたまはす。いとくちをしと
おほしわたる。なかつきになりて・ももそのの宮にわたり給ぬるをききたまひて・女五の宮そこにおはすれは・そな
たの御とふらひにことつけてまうてたまふ。こ院の〈この〉みこたちをはこころことにやむことなくおもひきこえた
まふしかは・いまもしたしくつきつきにきこえかはしたまふめり。おなししんてむのにしひんかしにそすみ給ける。
(1オ)」ほともなくあれにけるここちして・あはれにけはひしめやかなり。宮たいめんし給て・御物かたりなときこえ
給。いとふるめきたる御けはひしはふきかちにおはす。このかみにおはすれと・こおほとのの宮は・あらまほしうふ
りかたき御ありさまなるを・もてはなれこゑふつつかに・こちこちしうおほえたまへるも・さるかたなり。院のうへ
かくれたまひてのち・よろつこころほそくおほえ侍つるに・としのつもるままにいとなみたかちにてすくし侍を・こ
のみやさへかくうちすてたまへれは・いよいよあるかなきかにとまり侍を・かくたちよりとはせたまふになん・もの
(1ウ)」わすれしぬへく侍ときこえたまふ。かしこくもふりたまへるかなとおもへと・うちかしこまりて・院かくれた
まひてのちは・さまさまにつけて・おなしよのやうにも侍へらす。おほえぬつみにあたり侍て・しらぬよにまとひは
へりしを・たまたまおほやけにかすまへられたてまつりて・はた・とりみたりいとまなくなとしつつ・としころもま
いりて・いにしへの御物かたりをたに・きこえうけたまはらぬを・いふせくおもふたまへわたりつつなんなときこえ
たまふ。いといとあさましう・いつかたにつけても・さためなきよを・おなしさまにて見たまへすくす・いのちなか
さのうらめしきことおほく(2オ)」はへれと・かくてよにたちかへりたまへる御よろこひになん・ありしとしころを見
たてまつりさしてましかは・くちをしからましと思給へられけると・うちわななき・ないたまひて・いときよらにね
ひまさり給にけるかな・わらはにものしたまへりしを・見たてまつりそめしとき・よにかかるひかりのいておはした

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ることと・おとろかれ侍しを・ときとき見たてまつることに・ゆゆしくおほえはへりてなん・うちのうへなんいとよ
くにたてまつらせたまへると・ひとひときこゆるを・さりともおとりたまへらんとこそをしはかり侍れと・なかなか
ときこえたまへは・ことにかくさしむかひて(2ウ)」ひとのほめぬわさかなとおかしうおほす。やまかつになりて・い
たうおもひくつをれ侍し・としころののち・こよなくおとろへにて侍ものを・内の御かたちは・いにしへのよにもな
らふ人なくやとこそ・ありかたく見たてまつりはへれ。あやしき御おしはかりになんときこえたまふ。ときとき見た
てまつらは・いととしきいのちやのひ侍らん・けふはおひもわすれ・うきよのなけきみなさりぬるここちなんとても
・又ないたまふ。三宮うらやましくさるへき御ゆかりそひて・したしく見たてまつりたまふを・うらやみ侍・このう
せ給ぬるもさやうにこそくひたまふおりおりありしかと(3オ)」のたまふにそ・すこし・御みみとまり給。さもさふら
ひなれましかは・いかにおもふさまに侍らまし・みなさしはなたせ給てと・うらめしけにうちけしきはみきこえ給。
あなたの御まへを見やりたまへは・かれかれなるせさいの心はへも・ことに見わたされて・のとやかになかめたまふ
らん御ありさま・かたちもいとゆかしく・あはれなるに・えねんしたまはて・かくさふらひたるついてをすくし侍ら
んは・心さしなきやうなるを・あなたの御とふらひきこゆへかりけりとて・やかてすのこよりわたりたまふ。くらう
なりたるほとなれと・にひいろのみすに・くろきみき丁(3ウ)」のすきかけ・あはれに見わたされて・おひかせなまめ
かしくふきとをしたる・けはひあらまほし。すのこはかたはらいたけれは・みなみのひさしにいれたてまつる。せん
したいめして・御せうそこはきこゆ。いまさらにわかわかしきここちするみすのまへかな・かみさひにけるとしつき
のらうかそへられ侍に・いまはないけゆるさせたまひてんとそ・たのみ侍けるとて・あかすおほしたり。ありしよは
みなゆめに見なして・いまなんさめてはかなきにやとおもひたまへさためかたく侍に・らうなとはしつかにやさため
きこえさすへう侍らんときこえいたしたまへり。けにこそさためかたきよなれと・(4オ)」はかなきことにつけてもお

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ほしつつけける
  『ひとしれすかみのゆるしをまちしまにここらつれなきよをすくすかな』。いまはなにのいさめにか・かこたせ給は
んとすらん・なへてよにわつらはしきことさへはへりしのち・さまさまにおもひたまへあつめしかな・いかて・かた
はしをたにと・あなかちにきこえたまふ。御よういなとは・むかしよりもいますこしなまめかしきけさへそひたまひ
にけり・さるはいといたうすくしたまへと・御くらゐのほとにはあはさめり
  『なへてよのあはれはかりをとふからにちかひし(4ウ)」ことと神やいさめん』と・あれはあな心う・その世のつみは
みなしなとのかせにたくへてきとのたまふ・あい行もこよなし。みそきを神はいかか侍けんなと・はかなきことをき
こゆるも・まめやにいとかたはらいたし。よつかぬ御ありさまは・としつきにそへて・ものふかくのみひきいりたまひ
て・えきこえたまはぬを・見たてまつりなやめり。すきすきしきやうになりぬるをとて・あさはかならすうちなけき
てたちたまふ。よはひのつもりにはおもなくこそなるわさなりけれ・よにしらぬやつれを・いまそとたにきこえさす
へくやはもてなしたまひけるとていてたまふ。なこり(5オ)」ところせきまてれいのきこえあへり。おほかたのそらも
おかしきほとに・このはのおとなひにつけても・すきにしもののあはれとりかへしつふ・そのおりおりおかしくあは
れにも・ふかく見え給し・御こころはへなともおもひいてきこえさす。こころやましくてたちかへりたまひぬるは・
ましてねさめかちにおほしつつけける。とくみかうしまいらせ給て・あさきりをなかめ給。かれたるはなとものなか
に・あさかほのこれかれにはひまつはれて・あるかなきかにさきて・にほひもことにかはれるをおらせたまひて・た
てまつれたまふ。けさやかなりし御もてなしに・ひとわろきここちし侍て・(5ウ)」うしろてもいとといかか御寛しけ
んとねたく・されと
  『見しおりのつゆわすられぬあさかほのはなのさかりはすきやしぬらん』。としつきのつもりも・あはれとはかりは

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・さりともおほししるらんやとなん。かつはなときこえたまへり。おとなひたる御ふみのこころはへに・おほつかな
からんもほとしらぬやうにやとおほし・人人も御すすりとりまかなひてきこゆれは
  『あきはててきりのまかきにむすほほれあるかなきかにうつるあさかほ』。につかはしき御よそへにつけても・つゆ
けくとのみあるは・なにのおかしきふしもなきを・いかなるにかあらん・をきかたく御覽すめり。(6オ)」あをにひの
かみのなよひかなるすみつきはしもおかしくみゆめり。人の御ほと・かきさまなとにつくろはれつつ・そのおりは・
つみなきこともつきつきしうまねひなすには・ほほゆかむこともあめれはこそ・さかしらにかきまきらはしつつ・お
ほつかなき事もおほかりけり・たちかへりいまさらに・わかわかしき御ふみかきなとも・にけなきこととおほせと・
なをかくむかしよりもてはなれぬ御けしきなから・くちおしくてすきぬるを・思つつえやむましくおほさるれは・さ
らかへりてまめやかにきこえ給。ひんかしのたいにはなれおはして・せんしをむかへつつかたらひ給。さふらふ人
人(6ウ)」のさしもあらぬきはのことたになひきやすなるなとは・あやまちもしつへくめてきこゆれと・みやはその
かみたに・こよなくおほしはなれたりしを・いまはましてたれもおもりかなるへき御よはひおほえにて・はかなきき
くさにつけたる御かへりなとのおりすくさぬも・かるかるしくやとりなさるらんなと・人のものいひをははかりたま
ひつつ・うちとけたまふへき御けしきもなけれは・ふりかたくおなしさまなる御こころはへを・よの人にかはり・めつ
らしくも・ねたくもおもひきこえたまふ。よのなかにもりきこえて・前齊院ねんころにきこえたまへは(7オ)」なん・
女五〈の〉宮なとも・よろしくおほしたなり・にけなからぬ御あはひならんなといひけるを・たいのうへはつたへきき
たまひて・しはしはさりとも・さやうならんこともあらは・へたててはよもおほしたたしとおほしけれと・うちつけ
にめとめきこえ給に・御けしきなとのれいならすあくかれたるも・こころうくまめまめしくおほしなるらん事を・つ
れなくたはふれにいひなしたまひけんよと・おほす。おなしすちにはものしたまへと・おほえことに・むかしよりや

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むことなくきこえたまふを・御こころなとうつりなは・はしたなくもあへいかな・としころの御もてなしなとは・た
ちならふかたなく・(7ウ)」さすかにならひて・人にをしけたれんことなと・人しれすおほしなけかる。かきたえなこ
りなきさまには・もてなしたまはすとも・いとものはかなきさまにて見なれたまへる・としころのむつひ・あなつら
はしきかたにこそはあらめなと・さまさまにおもひみたれ給に・よろしきことこそ・うちゑしなとにくからすきこえ
たまへ・まめやかにつらしとおほせは・いろにもいたしたまはす。はしちかうなかめかちに・うちすみしけくなりた 5
まて・やくとは御ふみをかき給へは・けに人のことはむなしかるましきなめり・けしきをたにかすめたまへかしと・
うとましくのみ思きこえたまふ。ゆふ(8オ)」つかたかんわさなともとまりて・さうさうしきに・つれつれとおほしあ
まりて・五の宮にれいのちかつきまいり給。ゆきうちちりてえんなるたそかれときに・なつかしきほとになれたる御
そともを・いよいよたきしめたまひて・こころことにけさうしくらしたまへれは・いととこころよはからん人はいか
かと見えたり。さすかにまかり申はたきこえ給。女五の宮のなやましくしたまふなるを・とふらひきこえになんとて 
・ついゐたまへれと見もやりたまはす。わかきみをもてあそひまきらはしおはする・そはめのたたならぬを・あやし
く御けしきのかはれるへきころかな・つみもなしや・しほ(8ウ)」やきころものあまりめなれ・見たてなくおほさるる
にやとて・とたえをくをまたいかかなときこえたまへは・なれゆくこそけにうきことおほかりけれとはかりにて・う
ちそむきてそひふしたまへる・見すてていて給みちもものうけれと・みやに御せうそこきこえたまひてけれは・いて
たまひぬ。かかりけることもありけるよを・うらなくてすくしけるよと思つつけてふしたまへり。にひたる御そとも
なれと・いろあひかさなり・このましく・なかなか見えて・ゆきのひかりにいみしくえんなる御すかたを・見いた
して・まことにかれまさりたまははと・しのひあへすおほさる。御せんなとしのひや(9オ)」かなるかきり〈して〉・
内よりほかのありきはものうきほとになりにけりや・ももそののみやのこころほそきさまにてものしたまふも・式部

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卿の宮に・としころはゆつりきこえつるを・いまはたのむなとおほしのたまふも・ことはりにいとおしけれはなと・人
人にものたまひなせと・いてや御すきこころのふりかたきそ・あたら御きすなめる・かるかるしき事もいてきなん
なと・つふやきあへり。みやにはきたおもての人しけきかたなるかとは・いりたまはんもかるかるしけれは・にしな
るか・ことことしきを・人いれさせ給て・宮の御かたに御せうそこあれは・けふしもわたりたまはしとおほしけるを
・おとろきてあけさせ給。みかと(9ウ)」もりさむけなるこゑにうすすきいてきて・とみにもえあけやらす・これより
ほかのをのこはたなきなるへし。こほこほとひきて・上のいといたくさひにけれは・あかすとうれふるを・あはれと
きこしめす。昨日今日とおほすほとに・みとせのあなたにもなりにけるよかな・かかるを見つつ・かりそめのやとり
を・えおもひすてす・きくさのいろにもこころをうつすよと・おほししらる。くちすさひに
  『いつのまによもきかかととむすほほれゆきふるさととあれしかきねそ』。ややひさしうひこしろひあけて・いり給。
みやの御かたにれいの御ものかたりきこえ(10オ)」たまふ。ふることとものそこはかとなきうちはしめきこえ〈つく
し〉たまへと・御みみもおとろかす・ねふたきにみやもあくひうちしたまひて・よひまとひをし侍れは・ものもえき
こえやらすとのたまふほともなく・いひきとかききしらぬをとすれは・よろこひなからたちいてたまはんとするに・
またいとふるめかしきしはふきうちして・まいりたる人あり。かしこけれと・きこしめしたらむとたのみきこえさす
るを・よにあるものとも・かすまへさせたまはぬになん。院のうへはおはおとととわらはせたまひしなとなのりいつ
るにそおほしいつる・源内侍のすけといひし人は・あまになりて・この宮の御てしにて〈なん〉おこ(10ウ)」なふとききし
かと・いままてあらんともたつねしりたまはさりつるを・あさましうなりぬ。・そのよのことはみな・むかしかたりに
なりゆくを・はるかにおもひいつるも・こころほそきに・うれしき御こゑかな・おやなしにふせるたひ人と・はくく
みたまへかしとて・よりゐたまへる・御けはひに・いととむかしおもひいてつつ・ふりかたくなまめかしきさまにも

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てなして・いたうすけみにたるくちつき・おもひやらるるこはつかひ・さすかにわかひしたつきにて・うちされんとは
なをおもへり。いひこしほとになときこえかかるまはゆさよ・いましもきたるおひのやうになと・ほをゑまれたまふ
ものから・ひきかへこれもあはれなり。(11オ)」このさかりにいとみたまひし・女御・更衣・あるはひたすらなくなり
たまひ・あるはかひなくて・はかなきよにさすらへたまふもあへかめり。入道のみやなとの・御よはひよ・あさまし
とのみおほさるるよに・としのほと・みののこりすくなけさに・こころはへなとも・ものはかなく見えし人のいきと
まりて・のとやかにおこなひをもうちしてすくしけるは・なをすへてさためなきよなりとおほすに・ものあはれなる
御けしきをこころときめきに・おもひてわかやく
  『としふれとこのちきりこそわすられねおやのおやとかいひしひとこと』と・きこゆれはうとましくて(11ウ)」
  『身をかへてのちもまち見よこのよにておやをわするるためしありやと』。たのもしきちきりそや・いまのとかにそ
きこえさすへきとてたちたまひぬ。にしおもてにはみかうしまいりたれと・いとひきこえかほならんもいかかとて・
ひとまふたまはおろさす。つきさしいててうすらかにつもれるゆきのひかりにあひて・なかなかいとおもしろきよの
さまなり。ありつるおいらくのこころけさうも・よからぬ物のよのたとひとかききしとおほしいてられて・おかしく
なん。こよひはいとまめやかにきこえたまひて・たたひとこと・にくしなと〈も〉人つてならてのたまはせんを・お
もひたゆるふしにもせむと・おりたちて(12オ)」せめきこえ給へと・むかしわれもひとも・わかやかにつみゆるされた
りしよにたに・こみやなとの・こころよせおほしたりしを・なをあるましく・はつかしとおもひきこえてやみにしを
・よのすゑに・さたすきつきなきほとにて・ひとこゑもいとまはゆからんとおほして・さらにうこきなき御こころな
れは・あさましうつらしとおもひきこえたまふ。さすかにはしたなく・さしはなちてなとはあらぬ・ひとつての御返
なとそこころやましきや。よもいたうふけゆくに・かせのけしきはけしくて・まことにいとこころほそくおほゆれは

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・さまよきほとにをしのこひ給て
  『つれなさをむかしにこりぬこころこそひとのつらきに(12ウ)」そヘてつらけれ』。こころつからのとのたまひすさふ
るを・けにかたはらいたしと・ひとひとれいのきこゆ
  『あらためてなにかは見えんひとのうへにかかりとききしこころかはりを』。むかしにかはることはならはすなとき
こえたまへり。いふかひなくて・いとまめやかにゑしきこえていてたまふも・いとわかわかしきここちしたまへは・
いとかくよのためしになりぬへきありさまをもらしたまふなよ・ゆめゆめいさらかはなともなれなれしやとて・せん
しにうちささめきかたらひたまへと・なにことにかあらん・人人もあなかたしけなや・いとあなかちになさけおく
れて・もてなしきこえたまふらん・かるらかにをしたちて(13オ)」なとは見えたまはぬ御けしきを・こころくるしうと
いふ。けに人のほとのおかしきをも・あはれをも・おほししらぬにはあらねと・ものおもひしるさまに見えたてまつ
らんとて・をしなへてのよの人のめてきこゆらんつらにやおもひなされん・かつはかるかるしきこころのほとも見し
りたまひぬへく・はつかしけなめる御ありさまをとおほせは・なつかしからんなさけもいとあいなし。よその御返な
とは・うちたえておほつかなかるましきほとにきこえ給。人つての御いらへ・はしたなからてすくしてんと・ふかく
おほす。としころしつみつるつみうしなふはかり御をこなひをとはおほしたてと・にはかにかかる御ことを(13ウ)」し
も・もてはなれかほならんも・なかなかいまめかしきやうに見えきこえて・人のとりなさしやはと・よのひとのくち
さかなさをおほししりにしかは・かつさふらふ人にもうちとけたまはす・いたう御こころつかひしたまひつつ・やう
やう御をこなひをのみしたまふ。御はらからのきんたちあまたものしたまへと・ひとつ御はらならねは・いとうとうと
しく・宮のうちいとかすかになりゆくままに・さはかりめてたき人の・ねんころに御心をつくしきこえたまへは・み
な人こころをよせきこゆるも・ひとつこころと見ゆ。おととはあなかちにおほしいらるるにしもあらねと・つれなき

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御けしきのうれたきに・まけてやみなんもくちおしく・(14オ)」けにはた人の御ありさま・よのおほえことにあらまほ
しく・ものをふかくおほししり・よのひとのとあるかかるけちめもききあつめたまて・むかしよりもあまたへまさり
ておほさるれは・いまさらの御あたけも・かつはよのもときをもおほしなから・むなしからんは・いよいよ人わらへ
なるへし・いかにせんと・御こころうこきて・二条の院によかれかさねたまふを・女きみたはふれにくくのみお〈も〉
ほす。しのひたまへと・いかかうちこほるるおりもなからん。あやしくれいならぬ御けしきこそ心えかたけれとて・
御くしをかきやりつつ・いとおしとおほしたるさまも・ゑにかかまほしき御あはひなり。宮うせたまてのち・うへ
のいとさうさう(14ウ)」しけにのみよをおほしたるも・こころくるしう見たてまつり・おほきおとともものしたまはて
・見ゆつる人なきことしけさになん・このほとのたえまなとを見ならはぬことにおほすらんも・ことはりにあはれな
れと・いまはさりとも・こころのとかにおほせ・おとなひ給ためれと・またいと思やりもなく・人のこころも見しら
ぬさまに・ものしたまふこそ・らうたけれなと・まろかれたる御ひたいかみひきつくろひたまへと・いよいよそむき
てものもきこえたまはす。いといたくわかひたまへるは・たかならはしきこえたるそとて・つねなきよに・かくまて
こころをかるるも・あちきなのわさやと・かつはうちなかめ給。この齋院に・はかなしこときこゆるや・(15オ)」もし
おほしひかむるかたある・それはいともてはなれたることそよ・をのつから見たまひてん・むかしよりこよなうけと
をき御心はへなるを・さうさうしきおりおりたたならすきこえなやますに・かしこもつれつれにものしたまふところ
なれは・たまさかのいらへなとしたまへと・まめまめしきさまにもあらぬを・かくなんあるとしもうれへきこゆへき
ことにやは・うしろめたうはあらしとを・思なほし給へなと・日ひとひなくさめきこえ給。ゆきのいたうふりつもり
たるうへに・いまもちりつつまつとたけとのけちめおかしう見ゆるゆふくれに・人の御かたちもひかりまさりて見ゆ。
ときときにつけても・人のこころをうつす(15ウ)」める・はなもみちのさかりよりも・ふゆの夜のすめる月に・ゆきの

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ひかりあひたるそらこそ・あやしういろなきもののみにしみて・このよのほかのことまておもひなかされ・おもしろ
さもあはれさものこらぬおりなれ。すさましきためしにいひをきけん人のこころあささよとて・みすまきあけさせ給。
つきくまなくさしいてて・ひとついろに見えわたされたるにはに・しほれたるせんさいのかけこころくるしう・やり
みつもいといたうむせひて・いけのこほりもえもいはすすこきに・わらはへおろしてゆきまろはしせさせ給。おかし
けなるすかたかしらつきとも・つきにはへておほきやかになれたるか・(16オ)」さまさまのあこめみたれき・おひしと
けなきとのゐすかた・なまめいたるに・こよなうあまれるかみのすゑ・しろきには・ましてもてはやしたるいとけさ
やかなり。ちゐさきともはわらはけて・よろこひはしるに・あふきなともおとして・うちとけたるいとおかしけなり。
いとおほくまろはさんとふくつけかれと・えもをしうこかさてわふめり。かたえはひんかしのつまなとにいてゐて・こ
ころもとなけにわらふ。ひととせ中宮のおまへにゆきのやまつくられたりし・よにふりたることなれと・なをめつら
しくも・はかなきことをしなしたまへりしかな・なにのおりおりにつけてもくちをしう・あかすもあるかな。いとけ
とをく(16ウ)」もてなしたまひて・くはしき御ありさまを・見ならしたてまつりし事はなかりしかと・御ましらひのほ
とに・うしろやすきものにはおほしたりきかし。うちたのみきこえて・とあることかかるおりにつけて・なにことも
きこえかよひしに・もていててらうらうしうおかしき事も見えたまはさりしかと・いふかひありおもふさまに・はか
なきことわさをもしなし給しはや・よに又さはかりのたくひありなんや。やはらかにおひたれるものから・ふかうよ
しつきたるところのならひなくものしたまひしを・きみこそは・さいへと・むらさきのゆへこよなからすものしたま
ふめれと・すこしわつらはしけそひて・かとかとしさの(17オ)」すすみたまへるやくるしからむ。前齋院の御こころは
へは・又さまことにそ見ゆる。さうさうしきになにとはなくとも・きこえあはせ・われもこころつかひせらるへき御
あたり・たたこのひとところやよにのこたまへらんとのたまふ。内侍のかみこそは・らうらうしくゆへゆへしきか

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たは・ひとにまさりたまへれ・あさはかなるすちなとはもてはなれたまへりける・人の御こころをあやしくもありけ
ることかなとのたまへは・さかし・なまめかしうかたちよき女のためしには・なをひきいてつへき人そかし。さも思
にいとおしく・くやしきことのおほかるかな。まいていたくうちあたけすきたる人の・としつもりゆくままに・いか
にくやし(17ウ)」きことおほからん。人よりはこよなきしつけさとおもひしたになとのたまひいてて・かんのきみの御
ことにもなみたすこしおとしたまひつ。このかすにもあらすおとしめたまふ・山さと人こそ・みのほとにはややうち
すき・もののこころなとえつへけれと・人よりことなるへきものなれは・思あかれるさまをも見けちて侍かな。いふ
かひなききはの人は・また見す。すくれたるはかたきよなりや。ひんかしの院になかむる人のこころはへこそ・ふり
かたくらうたけれ・さはた・さらにえあらぬものを・さるかたにつけての心はせ・人にとりつつ・見そめしより・や
かておなしやうによをつつましけにおもひてすきぬるよ・いまはたかたみにそむく(18オ)」へくもあらす・ふかうあは
れと思侍なと・むかしいまの御ものかたりに夜ふけゆく・つきいよいよすみて・しつかにおもしろし女きみ
  『こほりとちいしまのみつはゆきなやみそらすむ月のかけそなかるる』。とを見いたしてすこしかたふきたまへるほ
と・にるものなくうつくしけなり。かんさしおもやうなとのこひきこゆる人のおもかけにふとおほえて・めてたけれ
は・いささかわくる御こころもとりかさねつへし。をしのうちなきたるに
  『かきつめてむかしこひしきゆきもよにあはれをそふるをしのうきねか』。いりたまひても・みやの御ことをおもひ
(18ウ)」つつ・おほとのこもれるに・ゆめともなくほのかに見たてまつるを・いみしくうらみたまへる御けしきにて・ 
もらさしとのたまひしかと・うきなのかくれなかりけれは・はつかしうくるしきめを見るにつけても・つらくなんの
たまふ。御いらへきこゆとおほすに・おそはるるここちして・女きみのこはなとかくとのたまふにおとろきて・いみ
しくくちおしくむねのおきところかくさはけは・おさへてなみたもなかれいてにけり。いまもいみしくぬらしそへた

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まふ。女きみいかなることにかとおほすに・うちもみしろかてふしたまへり
  『とけてねぬねさめさひしきふゆのよにむすほほ(19オ)」れつるゆめのみしかさ』。なかなかあかすかなしとおほすに
・とくおきたまひて・さとはなくて・御す行なとところところにせさせたまふ。くるしきめ見せたまふとうらみたまふ
も・さそおほさるらんかし。おこなひをしたまふ。よろつにつみかろけなりし・御ありさまなから・このひとつこと
にてそ・このよのにこりをすくいたまはさらんと・こころふかくおほしたとるに・いみしくかなしけれは・なにわさ
をして・しる人なきせかいにおはすらんを・とふらひきこえにまうてて・つみにもかはりきこえはやなと・つくつく
とおほす。かの御ためととりたてて・なにわさをもしたまはんは・(19ウ)」人とかめきこえつへし・うちにも御心のを
ににおほすところやあらむとおほしつつむほとに・あみた佛を心にかけてねんしたてまつり給。おなしはちすにとこ
そは
  『なき人をしたふこころにまかせてもかけ見ぬみつのせきやまとはん』と・おほすそうかりける(20オ)」


尾州家  河内本 (武蔵野書院版) 目次へ戻る

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