W.「帚木・空蝉・夕顔」三巻全体の執筆順序

   − 帚木[四][五]の位置 −

 帚木[四][五]は頭中将が御宿直所に源氏を訪れ、消息文を見ることから話が展開し、[五]で女性を選ぶそのむずかしさを述べている。無論、源氏や頭中将の語る女とは上の品の女であるから、その品にはなかなか居ないと言って話の方向を中や下の品の方へ移動させている。要点は、上の品はかしづかれているのだからあたりまえ、中の品はそれ相応のものがあること、下の品は「殊に耳たたずかし」、そして源氏の品の浮き沈みについての会話である。

 帚木[一六][一八][二三]にある雨夜の品定めと関係があると思われる箇所は、時間的関係から不自然さがあること、それに引用したとするとその部位が味もない表現となってしまう。若紫[五]「あはれなる人を見つるかな、かかれば、比(の)すきものどもはかかる、ありきをのみして、よく、さるまじき人をも見つくるなりけり」と同様、漠然とした過去の会話があったとして、そこの話を取ってきた如く表現していると考えたい。

 それに反し夕顔[八後]の「これこそ、かの、人の定めあなづりし、下の品ならめ」は帚木[五]の「『下のきざみ』といふ際になれば、殊に耳たたずかし」を受けていると考える。そして一端切り捨てられなければならない品、これこそ紫式部の階層である。一度否定して読者を安心させ、その上で「その中に、思ひのほかに、をかしき事もあらば」と源氏に思わせることで再浮上させた。それでこそ「おはしまさせそめてけり」がまた一段と光るのである。源氏は夕顔とどういう関係となったのであろうか。「おはしまさせそめてけり」とは一体どういう行為をしたのであろうか。夕顔論V2を再読してほしい。夕顔[一][二][四]→[八後]と読むだけでも味わいがあるのに、[八後]以前に帚木[四][五]があると、この切られた階層に再び目を向け、さらに漠然とした「おはしまさせそめてけり」の表現で読者をさらに下の品に興味を誘導する言葉の使い方のみではなく、構想の良さには驚嘆せざるを得ない。

 この様に源氏の恋の対象を下の品へと引きずり込むからこそ、紫式部はより慎重に物語を進めるのである。夕顔に「誰ばかりにかはあらむ」などと源氏の正体不明にしておくことも、読者への弁明のための安全弁として働いているのである。そしてそれすら「物の変化めきて」と読者の興味をひいてゆく手法として活用しつくす紫式部の筆力・構成力は、計り知れないものが感じられる。
 以上のことから   夕顔[一][二][四]
  夕顔[一][二][四]→ 帚木[二]
  夕顔[一][二][四]→ 帚木[二]→[四][五] 
  夕顔[一][二][四]→ 帚木[二]→[四][五]→ 夕顔[八後]
  夕顔[一][二][四]→ 帚木[二]→[四][五]→ 夕顔[八後]→[九中]

へと加筆挿入していったとされるのである。
これで帚木・空蝉・夕顔三巻のほとんど全ての執筆順序が定まった。まだ未解決の部分を整理しさえすれば完成する。(表7)

 表7 「帚木・空蝉・夕顔」三巻の執筆順序
帚 木[三] 
初 期 空蝉物語 帚木[一六][一七前]→[一八]ネ[二〇][二一]ネ[二三][二四前]
[二四後][二五]ネ 空蝉[一][二][三前]ネ[三後][四][五]
前期1空蝉挿入帚木[一七後] 夕顔[三二]
前期2空蝉挿入夕顔[二八] 関屋[一]
前期3空蝉挿入帚木[一九前] 空蝉[六後]
中 期 空蝉挿入帚木[一九後][二二][二四中] 空蝉[六前] 関屋[二]
初 期 夕顔物語夕顔[一][二][四]
帚 木 [二] 
雨夜の品定め前帚木[四][五]
初期2夕顔挿入[八後]
初期3夕顔挿入[九中]
前期1夕顔挿入[五前]
前期2夕顔挿入[九前][一〇][二][一四][一六][一七後][一八][二〇][二一]
[二五]
雨夜の品定め後[六][七][八][九][一〇][一一][一二][一三][一四][一五]
中期夕顔挿入[三][五後][七][一二][一三][一七前][一九][二二][二三]
[二四][二七]
後期夕顔挿入 [八前][九後][二六][三〇][三一]
玉鬘物語行幸[一四]
後期空蝉挿入空蝉[三中] 夕顔[六][二九] 末摘花[一][一五] 関屋[三][四]
玉鬘[四一] 初音[一二]

 この三巻の始まりは、帚木[三]で始まった。次に初期空蝉物語が続く。このあと空蝉前期・中期と加筆挿入されたとしてよい。これらには「忍ぶのみだれ」もなく「御心におぼしとどむる癖」帚木[二]を象徴するものがなく、帚木[五]の「下のきざみ」も出てこない。まったく関係していない。かえって、帚木[二][四][五]が先にあるとこれ等のことが空蝉前期・中期に入っていてよいはずである。「忍ぶのみだれ」の流である夕顔物語はまだ書かれていないと考えた方がよい。執筆順序は、

   帚木[三]・初期空蝉物語 → 前期空蝉挿入 → 中期空蝉挿入

 ここまでで巻名は、帚木・空蝉の両巻が命名された。
 夕顔[一][二][四]書き出しも終わりもよくまとまっているから、如何なる時期でも執筆可能なのであるが、源氏の相手が空蝉の中の品から夕顔の下の品へ移っている。中の品でもかなり努力がいったと思われるし、それが読者に浸透しなければ下の品へは移れなかったと予想される。ここではこの点を考慮し、一応中期空蝉期の後に書き始められたと考える。 以降は、帚木[二]→[四][五]→ 夕顔[八後]→[九中]→[五前]へと加筆された。前期夕顔挿入でその後で夕顔の巻名が決まった。 次に問題としなければならないのは、中期夕顔挿入部分である夕顔[五後]である。ここは「かの、『下が下』と、思ひおとししすまひなれど」の文がある。夕顔論ツ・3で検討した如く、この部分は帚木[七]や[一四]を受けた方がよいから、これ以前に雨夜の品定め論が具体的に語られたことになる。そしてその後に中期夕顔挿入がされる。そして後期夕顔挿入で雨夜の品定めの頭中将の常夏を受けて、現在の夕顔物語となった。

 あとは行幸[一四]、後期空蝉挿入となる。
全てを表示すると表7のごとくなる。玉鬘物語に多少の乱れがあるのは、未だ空蝉・夕顔・雨夜の品定めで考察しているからであり、玉鬘論のとき詳細する。


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