(一)関屋[二]の執筆時期
関屋[二]に「かの紀伊守などいひし子ども」なる文章がある。この文章を読むかかぎり、以前は伊予の介が中心として語られ、紀伊守がそのわきでそっと述べられていたことを予想させるのであり、紀伊守との親子関係も強くは表現されていなかったことを類推させるのである。しかしながら、実際は帚木の巻で紀伊守が主役であり、伊予の介は表面上しか登場しない。空蝉の巻でもしかりである。また紀伊守は、伊予の介の子であることは、現行の解釈からは、帚木[二四]、空蝉[三]、夕顔[六]などから明白であるとされる。とすると関屋[二]のこの文章表現はあまりにも拙劣といわざるをえない。現行通りの執筆とすれば、伊予の介も紀伊守もすでに以前に登場しており、源氏との交渉も深く、伊予の介の子であることも明白なのに何故「かの紀伊守などいひし子ども」と紫式部は表現したのか。現行通りとすればただ単独に「かの紀伊守」で充分であったのになぜ「などいひし子ども」と強調したのか疑問が生じる。
IIの1.で検討した執筆順序で、空蝉[三中]夕顔[六]末摘花[一][一五]関屋[一]と読んで来たとするなら、なおさら、関屋[二]の「かの紀伊守などいひし子ども」の文章はあわない。この矛盾を説明するためには、関屋[二]を執筆するあたりで、伊予の介の子として紀伊守を位置付けるべく、この文章を使ったのではと考える。つまり、後期挿入によって生じた不自然さとみるのである。とすれば、親族関係は生じることはあっても消失することはないという原則からすれば、関屋[二]の執筆は、IIの1.で示した執筆時期から除外して考えなければならない。
関屋以前の巻で、紀の守を伊予の介の子としている部分は、関屋[二]の執筆時の挿入と考えられるので、この時期を、空蝉中期執筆挿入として考察する。紀伊守と伊予の介の親子関係については、IIの4で疑問のあることを既に明らかにしている。とするとここでは、後期執筆部分以外で、紀伊守が伊予の介の子で、空蝉が伊予の介の妻であると考えられる所となり、帚木[一九][二二][二四]空蝉[六]がそれに該当する。
帚木[一九]では、源氏は紀伊守と会話をしているのであるが、[一八]の終りが「大殿篭れば、人々しづまりぬ」であり[一九]の終りが「人々簀の子に臥しつつ、しづまりぬ。」なのである。つまり、人々は二回にわたり「しづまりぬ」なのである。この点は空蝉[三]の中段と同じ型であり、不自然である。それでは[一八]が挿入と考えると[一八]の終りの「しづまりぬ」は書き加えなくともよい。なんとなれば、まだ人々はしづまっていないし、[一九]の終りで「しづま」ってくれるからである。しかし、[一九]を挿入するときは、[一八]で一旦しづまってしまったのを起こしてしまうわけであるから、再び[一九]の終りで「しづまりぬ」としないと、それ以後は、皆起きてしまっていることになるのである。だから[一九]全体が挿入であると考えられるのである。
また[一九]では、主人の子、伊予の介の子、故衛門の督の子が紹介される。そして衛門の督の子の姉は、紀伊守の後の親であることも明らかとなる。しかし、源氏が小君の境遇を「あはれの事や。・・・」と述べたのを受けて紀伊守が姉の境遇をも「・・・あはれに侍る」と述べている文章から、突然「伊予の介は、かしづくや。君と思ふらむな」で、後の親は、伊予の介の妻となり、紀伊守の親が伊予の介となってしまうのである。
[一九]の始めに「主人の子どもをかしげにてあり。童なる、殿上の程に御覧じ馴れたるもあり。伊予の介の子もあり・・・」と全く並列的に紹介されているのであるから、IIの4で述べたごとく紀伊守伊予の介は最初は親子関係とは思えないのである。
帚木[一九]は、前半は空蝉が、紀伊守の後の親(既婚)であるが、伊予の介とは親族関係が不明であり、後半は伊予の介が紀伊守の親とはっきりする部分である。
[一九]の前半までに「伊予」の介は二回述べられているが、紀伊守の親であるとは一言もふれられていない。そして、[一九]の前半でも、主人(紀伊守)の子と伊予の介の子は並列して表現されているが、もしこの時点で、紀伊守の親が伊予の介なら、IIの4で考察した如く「親の」という形容が入るであろうし伊予の介のことに何等ふれずに「まうとの後の親」などと聞きはしないであろう。[一七]の後半で、伊予の介が紀の守の親であるとは考えられないから、[一九]の前半もまだ伊予の介が父親とならない時期であると結論される。
とすると、[一九]の後半の「伊予の介かしずくや、君と思ふらむな」は、伊予の介が突然として紀伊守の親であることを、空蝉という継母を介して理解させようとする文章となる。あまりにも間接的表現に終始していて、まわりくどすぎるのである。初めて親子関係を明らかにするにはふさわしくない文章である。つまり、[一九]全体が初期の物語に対して後期挿入であり、しかも、一時期の挿入ではなく、[一九]前半を挿入し、しばらくあと、紀伊守、伊予の介、空蝉の関係ができ上った時点で、[一九]後半を挿入したと考えられるのである。
つまり、帚木[一八]、帚木[一九]前、帚木[一九後]、が別々の時期に執筆されたと考える。
すなわち、空蝉系物語の執筆は、
初期空蝉期(・・・帚木[一八]・・・・)
前期空蝉期(・・・帚木[一九前]・・・)
中期空蝉期(・・・帚木[一九後]・・・)
後期空蝉期(・・・夕顔[六]・・・・・)
の、四期が想定される。すると、空蝉の輪郭がはっきりしてくる。
初期 純然たる独身女性で、父親が死亡している(帚木[一八])。
前期 紀伊守の後の親であるが、彼女の夫の生死すら不明。
この時点では伊予の介が紀伊守の親と確定できる要素はない
(帚木[十九前])。
中期 紀の守は伊予の介の子で、空蝉はその継母(帚木[十九後])。
後期 軒端の荻は紀伊守の妹(空蝉[三中])。
このように親族関係が発展してゆくと考えられるのである。
帚木[二二]は、不倫のため、伊予の介が思いやられ、かつすべての親族関係がはっきりしており、前述のごとく中期後期挿入である。
帚木[二四]であるが、ここでも節内の不自然さがある。それは小君に「いもうとの君のことも、委しく問ひ給ふ。さるべきことは答へ聞えなどして、はづかしげにしづまりたれば、うち出でにくし」とあるのに、中段で「あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ」とある点である。つまり、さすがの源氏も男女関係に関わることをあからさまに聞くことはできないので小君にも空蝉のことは「うち出でにくし」だったのである。それなのに中段では直接、空蝉との関係を伊予の翁を出すことによって強く表明する。この間はたった一日二日のことである。また前段では、小君の心中は「かかる事こそは、とほの心うるも、思の外なれど、幼心地に深くしもたどらず」であり、姉が人妻であることを感じさせない。
しかし、二二五ページ八行目で突然「紀伊守すき心に、この継母の有様を・・・」となり、ここでは空蝉は伊予の介の妻となって紀伊守の親となる。ここでも前段と中段で不自然さがめだつ。それ故親族関係が決定されている中段(二二五ページ八行目から二二六ページ二行目まで)は挿入部分と考えられる。
「この子をまつはし給ひて、・・」から以後の後段では、源氏の小君に対する態度はやさしく、恋の無理じい的な使いはさせていない。またこの恋に対する表現も肯定的で、「めでたきこともわが身からこそ・・」「(源氏の)をかしき様を見え奉りても、何にかはなるべき、など思ひかへすなりけり」と、空蝉の心中も身分故に身をひく乙女の思いわずらいであって人妻だからこその逃避、拒絶では決してない。
以上の如く、[二四]は前段と、「紀伊守、すき心に・・」に始まる中段と、「この子をまつはし給ひて・・・」に始まる後段と三部分にわかれ、中段のみが中期後期挿入と結論される。
空蝉[六]も「伊予の介に劣りける身こそ」となっており、帚木[二四]の中段と同じ言い方である。しかしながら、空蝉[一]、[二]、[三前]、[三後]、[四][五]では伊予の介が紀伊守の親であるとは感じさせない。
以上をまとめると、関屋[二]で紀伊守は伊予の介の子となり、帚木[一九後]、[二二][二四中]、空蝉[六]が同時期に執筆されたと考えられる。
空蝉系物語の中期執筆順序は、それ故、
帚木[一九後]・帚木[二二]・帚木[二四中]・空蝉[六]・関屋[二]となる。
後期執筆挿入は、
空蝉[三中]・夕顔[六]・末摘花[一][一五]・関屋[三][四]・玉鬘[四一]・初音[一二]となる。
関屋[一]については次節で、詳論する。
(二)「空蝉」と「帚木」 (表2)
空蝉の呼称は、空蝉[六]の和歌の中で、小袿を残して、源氏の再度の夜這いを逃れたことを、空蝉と表現したことに拠っている。
この呼称は、その後では、夕顔[六]末摘花[一][一五]、玉鬘[四一]、初音[一二]と使われている。にもかかわらず、関屋[一]では「かのはゝきぎ」となっているのである。この愛称の使い方に注目すれば執筆の順序が明らかになる。
この帚木という語は、二度目の方違へを口実にしての源氏の思わくを、空蝉が上手に逃げたあとの和歌の贈答、帚木[二五]の時に使われている。(表6)
表6 空蝉の愛称と執筆順序
|
執 筆 順 序 |
空蝉の愛称 |
巻名 節 |
現行 巻順 |
当論文 V・1 (1) |
当論文 V・2 (2) |
結 論 |
◎帚木→→↓ : ◎空蝉 : ↓ : 空蝉 : ↓
: ◎空蝉 : ↓ : 空蝉 : ↓ : ↓←空蝉 ↓ ↓ :
帚 木 : ↓ ↓ →→空蝉 ↓ 空蝉 |
帚 木〔二五〕 空 蝉〔六後〕 夕 顔〔六〕 夕 顔〔二八〕 末摘花〔一〕
末摘花〔一五〕 関 屋〔一〕 玉 鬘〔四一〕 初 音〔一二〕 |
1 2 3 4… 5 6 7 8 9 |
1 2…… 4 …→B…… 5
6 7…… 8 9 |
1 …→C 5 …→A 6
7 …→B 8 9 |
初期 前期3 後期 前期2 後期
後期 前期2 後期 後期 |
◎は和歌、↓は現行の登場順序、:は執筆時期の接近を推定、…→○は執筆順序の逆転した節
↓
「空蝉」なり「帚木」なりの語が、その当時の先行物語や、和歌などで周知であり、かつ、源氏物語に語られるのと同様の逸話を持っていて、その類似性があれば、読者としてはすぐ、「空蝉」なり「帚木」と同一だと想起され、これらを愛称名として使用したと推測することも可能であるが、「空蝉」「帚木」なりの名称の出所が源氏物語内で語られた話によるとしたほうが無理のない推測と考える。とすれば、この空蝉の名称が「帚木」であったり「空蝉」であったりすることが、関屋[一]の執筆順序を解く鍵となる。つまり紫式部自身が、「帚木」なり「空蝉」なりの名を、和歌以前に使用したとは考えられないから、「帚木」「空蝉」の名称が使われている節は、その和歌の部分を執筆したあとに書かれたこととなる。
「空蝉」という名称は、現在でも使われている如く、言い得て妙なので、一旦使われると、それ以後は、他の名称は見劣りがして使い難いはずである。実際に「帚木」は一回、「空蝉」は五回使われている。現在の巻順で、空蝉の巻の次の夕顔の巻に「空蝉」が使われているのであるから、関屋[一]で「帚木」にもどってしまうことなど考えにくい。又、紫式部が、「空蝉」より「帚木」の方が良いとなって、関屋[一]で「帚木」という名称を使用したとすると、玉鬘、初音でも「帚木」を使用するはずである。にもかかわらず、再び「空蝉」にもどっている。この不自然さを説明するには、やはり関屋[一]の執筆が、帚木[二五]のあとで、夕顔[六前]までの間と考えるべきなのである。
さて、和歌中で使用した語が、人物の愛称となるまでには時間が必要であり、その時間は、もし紫式部の命名なら、長いへだたりであろうと短かろうと随時であり、またそれだけ変更可能でもある。しかし読者の反応により命名されていったとすれば、流布するまである程度の時間的へだたりが必要であり、また一旦生じると変更しにくい筈である。
「軒端の荻」の名称も、夕顔[二九]の和歌中に使われながら、末摘花[一]では、愛称として式部は「荻の葉」と書いている。しかし、現在では、愛称として「荻の葉」は一般的でなく、読者からすれば、「軒端の荻」の方が、源氏の思い入れからしても、物語の本流(母屋)からはずれたわきで語られているこの娘にふさわしい愛称名として定着している。
「帚木」とは、信濃国園原にあり、帚を逆さにした形に似て、遠くからは見えるが、近づくと消えるといわれる伝説的存在の大樹である。近づいたら消えてしまった、源氏の目的とする女性の愛称にふさわしく、「空蝉」という語が使用されない限り、「帚木」も定着したであろう。帚木[二五]の和歌から、読者も「帚木」という愛称で満足し、執筆後ある時期をおいた関屋[一]で「かのはゝきぎ」と式部自身で、あるいはまた読者の命名を取り入れ使用したとしても納得のゆくところである。
すると、「帚木」と「空蝉」なる愛称の持つ微妙な違いが浮き出て、何故、「帚木」が「空蝉」に変化したかのであろうか。「帚木」は前述の通り、遠くからは見えるが近付くと消える伝説上の大樹である。一回の夜這い(遠い経験、帚木[二一])で成就したかに見えたが、次ぎ(近くの経験、帚木[二五])では成就せず、消えてしまった。相手を指すのにまったくといってよいほど相応している。そこには消えてしまったというだけでなく、その相手の中身、芯は、漠然としながらも源氏との関係で存在していることを暗示している。「空蝉」の場合は、うちすてた小袿に主眼をおくとともに、源氏が相手をしたときはすでに、中身はからっぽで、ほかにとんでいってしまっていることをも暗示している。女の中身が空になってしまっているとはどういう状態かといえば、現行の解釈のように、空蝉が、すでに人妻であり、夫の伊予の介も健在の時であろう。「帚木」が「空蝉」に変化したのは物語上の人物設定が変遷したことに呼応しているのである。
源氏と契った空蝉は、初期は独身として設定されていたから、愛称として「帚木」がまさに当を得ていた。それが中期以後になると伊予の介の人妻となったが故に、「帚木」のイメージより「空蝉」のイメージのほうがより適切となり、定着化したと考えられるのである。
ちなみに「空蝉」という呼称は、後期執筆挿入の、夕顔[六]、末摘花[一][一五]、玉鬘[四一]、初音[一二]に使用されているだけである。玉鬘[四一]は、「末摘花」という愛称名と「空蝉の尼君」という語により末摘花[一][十五]や、空蝉が尼となった関屋[四]を前提としており、初音[一二]も同様である。関屋[四]は[三]前提としており、このままとする。
それ故、明確となった空蝉物語の節は、
後期執筆挿入は、 空蝉[三中]・夕顔[六]・末摘花[一]・末摘花[一五]→関屋[三][四]・玉鬘[四一]・初音[一二]
中期執筆挿入は、 帚木[一九後]・帚木[二二]・帚木[二四中]・空蝉[六]・関屋[二]
前期執筆挿入は、 帚木[一九前]・夕顔[二八]・関屋[一]
初期執筆は、 帚木[一八]・帚木[二五]
となる。