III 空蝉親族関係の変遷と執筆順序

 空蝉関係の巻と節は、帚木[一六]〜[二五]、空蝉[一]〜[六]、夕顔[六][二八][二九][三二]、末摘花[一][一五]、関屋[一]〜[四]、玉鬘(四一)、初音[一二]である。
 空蝉、伊予の介、紀伊守、軒端の荻の関係がいか様に形成されたかを検討し、執筆の順序を明らかにしてゆく。

 1 紀伊守の妹−−−軒端の荻の変遷

 (一)夕顔[六]を中心として

 紀伊守(帚木[一六])、伊予の介(帚木[一七])、空蝉(帚木[一九])、小君(帚木[一九])は、物語のはじめから登場しているが、軒端の荻は、空蝉[二]で、はじめて登場する。それ以前に何の暗示も、親族関係を示す描写もないので、軒端の荻がいかなる親族関係として描写されているかを検討する。
 帚木の巻においては、彼女を思わす語は、現在では空蝉をさすとされている「思ひあがれる気色に聞きおき給へる女」が万が一にもあたるかも知れない。しかしながら確証はない。まして誰彼の親族関係など不明である。空蝉の巻になって、はじめて登場してくる軒端の荻は、呼ばれ方も紀伊守の「西の御方」(空蝉[二])であり、「むべこそ親の世になくは思ふらめ」で、親の存在はわかるが実際は誰とも言えない。「伊予の湯桁」を数えることがあっても、一義的に伊予の介の娘とはならない。 以後、軒端の萩の呼称されている部分を表5に示す。

表5軒端の萩の呼称                                                          
巻名  節  呼 称 使用者・地文
空 蝉〔二〕
 
西の御方
をかしげなる人
御達→小君
源氏
   〔三前〕 例ならぬ人 小君→源氏
   〔三中〕 紀伊守の妹? 源氏→小君
   〔三後〕
 
碁打ちつる君
若き人
地文
地文
   〔四〕 をかしかりつる火影 源氏
   〔六〕
 
かの人
西の君
地文
地文
夕 顔〔六〕
 
 
片つ方人

今一方
地文
伊予の介→源氏
地文
   〔二九〕
 
かの片つ方
軒端の萩
地文
和歌
末摘花〔一〕 萩の葉 地文

 次(空蝉[三])には、小君が源氏に「例ならぬ人」と述べるだけである。そして「紀伊守の妹もこなたにあるか」(空蝉[三中])と、源氏は小君に問うが、返事は垣間見についてであり曖昧である。すなわち「いかでか、さは侍らむ」であって、「例ならぬ人」が、「紀伊守の妹」であるかは言及していない。すなわち、空蝉の巻においては軒端の荻が登場するが一義的に伊予の介の娘とは決められない。(この節は、紀伊守と西の御方との関係を暗示するという点で重要であり、本節の後半で詳論する。)
 夕顔[六]は、伊予の介の娘と軒端の荻をはじめて結ぶ重要な段であるが、伊予の介が上京した際「女をばさるべき人にあづけて、・・・今一方は主つよくなるとも、かはらずうち解けぬべく見えしさま」によって伊予の介の娘と確定するのである。これ以後親族関係は少しの不自然さも曖昧性もあってはならない。
 夕顔[二八]と[二九]は、対になっているが、源氏と空蝉の消息ではやはり軒端の荻が継娘であるという確証もなければ、先に検討したごとく空蝉に自責の念がない。とすると、伊予の介の娘と確定した夕顔[六]のあとに、夕顔[二八][二九]が書かれたとすると、ひどく不自然となる。
 夕顔[三二]は、伊予の介がくだる際、空蝉に源氏が小袿を返すところであるが、これも空蝉に自責の念がない。したがって、[三二]も夕顔[六]以後に執筆されることは不自然である。
 末摘花[一]では、空蝉と荻の葉のことが並列されている。荻の葉という呼び名は、(表1)、夕顔[二九]がなければ使うこともできないので、夕顔[二九]は当然末摘花[一]の前に書かれていてよい。しかし、夕顔[二九]の和歌に使われた軒端の荻がすぐに人名として通称されていくとは思えないので夕顔[二九]から末摘花[一]までの間は時間が経っていると考えられる。末摘花[一]は夕顔[六]のあとに読むかぎりにおいては伊予の介のむすめであり、空蝉が後妻であると判断できるということであり、支障のない限り執筆は現行の巻順、及び巻内の節順でなされたと前提する原則に従えば、末摘花[一]は、帚木の巻、夕顔の巻すべてが執筆された後執筆されたとしてよい。
 末摘花[一五]には、かの空蝉、だけが登場するから特別問題なく、帚木、夕顔の巻以降に書かれていてよい。
 関屋では、伊予の介、かのはゝきぎ、紀伊守、小君、右近の丞と登場するのに、軒端の荻は語られない。夕顔[二九]で軒端の荻が蔵人の少将を通わせている時期には源氏の方から消息しているが、その頃から十年も経っているので、すべてのことが終焉しているとしてであろうか、軒端の荻が語られない理由ははっきりしない。関屋の執筆順序については、II.2で論ずる。
 軒端の荻のその後の登場はなく、玉鬘の巻や初音の巻に空蝉だけが登場しているが、二条院の東の院でのことであり、軒端の荻がその物語圏の外に居て当然であり、年月からみても忘却のかなたであろう。却って登場させれば不自然きわまりないものである。(表1)
 以上、帚木の巻には軒端の荻は登場していない。空蝉[二]で西の御方として紀伊守と関係がある娘として登場、夕顔[六]、末摘花[一]の巻では伊予の介のむすめで当然継母は空蝉である。
 関屋の巻は結論を保留する。
 玉鬘、初音の巻では軒端の荻は物語上で舞台を降りてしまっていると考えられる。夕顔[六]以降の執筆順序の一応の結論は、夕顔[二八][二九][三二]が先に書かれ(中期執筆挿入)時間をおいて、夕顔[六]末摘花[一][一五]関屋[三][四]玉鬘、初音、となる。(後期執筆挿入)

(二)空蝉[三中]について

 軒端の荻は、最終的には紀伊守の妹と考えられている。それは源氏が小君に「紀伊守の妹もこなたにあるか」と質問したことから導かれている。しかしながら小君は、源氏の質問にまともに答えていない。親族関係の基本構造が出来上っていれば、何故小君はその質問にまともに答えて、肯定しなかったのか疑問が生じる。そこで、空蝉[三]を中心に源氏と小君の会話した状況を考えながら詳細に検討しよう。
 まず空蝉[二]で、源氏は東の妻戸にたっている。小君は格子を叩いて中に入った。そこで小君は西の御方が来て碁を打っていることを知らされる。源氏は簾垂のはざまに入って垣間見る。空蝉と西の御方を観察し「ねぢげたる所なくをかしげなる人」と見え「むべこそ親の、世になくは思ふらめ」(これなら親であったなら、世になくかわいいと思うであろうよ)とをかしく見給ふのである。この親が特定の親を指すということは考えなくてよい。そして小君が出て来る様なので簾垂のはざまから出るのである。そのとき「ひさしう見給はまほしきに、やをら出で給ひぬ」であるから、見ていたかったが、小君に垣間見を知られるのが恥ずかしくて、すばやく簾垂のはざまから出たと解される。そしてこの垣間見の後ろめたさを理解すると空蝉[三]の筋の運びが宙に浮いたものとなってしまうのである。
 空蝉[三]で、母屋から出て来た小君は、「例ならぬ人」が居ることを知らせ、そして「例ならぬ人」が帰ったら、たばかって源氏を招じ入れましょうと源氏に話す。そして碁が終った様子で、女房が、「わか君はいづくにおはしますならむ。この御格子は鎖してむとて鳴らすなり」となるのである。この格子は、空蝉・例ならぬ人が居る母屋と源氏・小君を隔てる夜這いにとって重要な意味を持つ格子なのである。閉められてしまったら中に入れないし、再び格子なり妻戸を開けさすには、皆が寝てしまっていたら誰かを起こさなければならない。一旦起きたらすぐに源氏が闖入することは不可能で、再び寝入るまでは待たなければならない。夜這いの成就には、格子か妻戸が鍵のかからぬ状態であるか、又は、内部から助人(小君)が、あけられることが前提で、なおかつ、皆が寝静まっていることが必要なのである。だからこそ、碁打ちが終了して女房が退散した気配が伝わり、女房が「この御格子は鎖してむ」という声がし、格子の閉じられる音がすれば源氏は、「しづまりぬなり。入りて、さらばたばかれ」と小君をせきたてるのである。問題はこのあとである。今、「あなたに歸り侍りなば、たばかり侍りなむ」としゃべったと同じ意味の「人ずくなゝらん折にいれたてまつらん」をもう一度書き、源氏は「夜更くる事のこころもとなさを宣ふ」とあっては好色人としては失格な言動なのである。小君は気付かなくとも、闖入したいのは源氏である。その時点では寝静まることに注意を向けるよりも格子が開いているか否かにもっと関心がおよばなければならない。開放されていない状態で寝静まっても何の価値もないのである。また鍵がかかっていれば寝静まる前に小君を室内に入れておかなければならないのに、悠長に「夜更くる事のこころもとなさ」などの会話をしているとは! 以上「この子も、いもうとの御心は、・・・」から「皆人々しづまり寝にけり」までは、不自然きわまりない。
 この中で、「紀伊守の妹もこなたにあるか。われに垣間見せさせよ」と愚かしいことまで言うのである。何故なら「垣間見せさせよ」ということは、格子が閉じているにもかかわらず垣間見ることが出来るということであり、さっき小君が母屋に入ったとき垣間見ることが出来たことを暗に白状していることになってしまうであろう。「格子には几帳添へて侍る」だから見えないと答えているが、小君が母屋に入っていた時には「紛るべき几帳なども、暑ければにや、うち懸けて」あったことは小君も当然知っているはずである。とすれば垣間見えることである。当然、几帳が上がっていれば見えたということになる。とすれば、空蝉[二]の終りの源氏の動作からみた垣間見の後ろめたさと合い難い。更に、西の御方を見ていなければ、声だけしか聞いていないわけであるからそれが紀伊守の妹とも判断できないであろう。又源氏が西の位御方を見たとしても、紀伊守の妹と判断出来る様な間柄だったのであろうか。雨夜の品定めで、やっと中の品の女性に興味が湧いたばかりで、まだまだその階級については無知なはずであり、交遊関係すらない程薄いのであるから、容姿で紀の守いもうとと判断することは不可能であったと考えられる。それ故、例ならぬ人を「紀伊守の妹」と源氏が言うのは無理である。
 この不自然な範囲は、もう少し広いのかもしれない。二三四ページ一二行目「しづまりぬなり。入りて、さらばたばかれ」のあと、不自然な部分が続き、再び「人々しづまり寝にけり」なのに、小君が「この障子口にまろは寝たらむ」としゃべる。なぜ、わざわざ小君は、皆が寝てしまっているのにここに寝ると宣言するのか、である。「しづまりぬ」を寝ると解するとまさに説明のつかない部分である。女房が「『この御格子は鎖してむ』とて鳴らす」(二三四ページ一一行)からこそ小君が格子を閉じられないように「この障子口にまろは寝たらむ。風吹きとほせ」(二三五ページ四行目)といて臥すのである。この中段つまり、二三四ページ一二行から二三五ページ三行めまで、(以上、空蝉[三中]とする)までは、書かれていると筋の展開がギクシャクするのである。ない方が却って良いのであって、あれば不自然な部分である。
 更に詳細に見ると、「しづまりぬなり。・・・」(二三四ページ一二行)「しづまり寝にけり」(二三五ページ三行)「いとあまた寝たるべし」(二三五ページ五行)であるから、「しづまる」と「寝る」ということが別の動態であると考えたくもなる。しかし空蝉のところに初めて盗寝の際には、「大殿篭れば、人々もしづまりぬ」(二一六ページ三行)「しづまりぬ。」(二一七ページ七行)「とけても寝ねられ給はず、」(二一七ページ八行)「皆しづまりたるけはひなれば・・」(二一八ページ九行)とあり、「しづまる」にはただ単に静かになるというだけでなく眠りにおちいるまでの状態が含まれると考えられる。しかるに、空蝉[三]では「しづまる」から「しづまり寝にけり」「寝たるべし」と微妙に変化するのである。言葉たくみと言わざるを得ない。空蝉[三中]の内容的不自然さをことばのニュアンスの変化で解消すべく紫式部の工夫がこらされているとさえみえるのである。
 それでは、この部分がないと困るのは何かと考えると、「紀伊守の妹」という言葉である。この語がないと、例ならぬ人の正体が不明なのである。つまり、(表1)にみる如く、空蝉[四]〜[六]では、軒端の荻は、この人、かの人、にしの君であり、何らの親族関係もはっきりしめされていないのである。この空蝉[三中]の取って付けた部分がないかぎり、夕顔[六]の「女(むすめ)をばさるべき人にあづけて・・・」は生きてこない。つまり、軒端の荻が伊予の介のむすめとならないのである。しかし、空蝉[三]の時点で西の御方=紀伊守の妹、という関係にしたかったのなら、紫式部はいとも簡単にできたはずである。すなわち、「例ならぬ人」を「紀伊守の妹侍りて」と小君が源氏に紹介すればよいのであって、紫式部は当然してしかるべきである。それを行わなかったにもかかわらず、すぐ後ろに続く部分に、幾多の不自然さを生じさせても「紀伊守の妹も、こなたにあるか」などと書いたのは、夕顔[六]で軒端の荻を伊予の介の娘としたかった為であろう。つまり、空蝉[三前]執筆時は、軒端の荻が紀伊守の妹であるという構想はなく伊予の介の娘と構想する時点で、空蝉[三中]を夕顔[六]の踏み台とするべく、「例ならぬ人」を紀伊守の妹かもしれないと思わす為に加筆したと考えられるのである。すなわち、空蝉[三中](二三四ページ一二行目「『しづまりぬなり。・・・』と宣ふ。」から二三五ページ三行目「皆人々しづまり寝にけり」まで、前述の最も不自然な部分)は当初はなく、夕顔[六]を書く時点で挿入したのである。そして「むべこそ親の世になくは思ふらめ」(二三二ページ一五行)の一般的親を伊予の介という特定の親のごとく解釈させようとするのである。曖昧さがある場合にのみ可能であるという後期挿入の特徴をここにも見るのである。しかし、この後期挿入には無理があった。軒端の荻と紀伊守とが兄妹関係になれば、空蝉−伊予の介が夫婦であり、空蝉−紀伊守(継母)息子を介して、空蝉−軒端の荻は継母−娘の関係となってしまう。肉親関係は一度生じたら、それを挿入した部分のみでなく、空蝉系物語全体を規定してしまう。すでに論じたように、空蝉を空蝉をして有名にした小袿を脱ぎ捨てた(空蝉[三後])筋立てが母・娘の関係であったら、まったくの暴挙となってしまう。母・娘の間の感情表現など、描写してしまえば、筋立ての崩壊である。紫式部は、そのため空蝉[三中]で、「例ならぬ人」[三前]は、「紀伊守の妹」か、とは問わずに、「紀伊守の妹も、こなたにあるか」とわざわざ曖昧な表現をし、空蝉[四]の「たどらむ人は心得つべけれど・・・えしも思ひ分かず」に連動させて、辻褄をあわせている。後期挿入としても、これ以上は不可能であり、挿入すればするほど矛盾が生じでしまうので、I.IIで検討したごとき、母親・娘関係の不在として、記載不備となってしまったのである。
 それ故、後期執筆挿入は空蝉[三中]・夕顔[六]・末摘花[一][一五]・関屋[三][四]玉鬘・初音となる。(なお、関屋の執筆は次章で詳論する。)

 2 紀伊守などいひし子−−関屋の執筆時期

 (一)関屋[二]の執筆時期

 関屋[二]に「かの紀伊守などいひし子ども」なる文章がある。この文章を読むかかぎり、以前は伊予の介が中心として語られ、紀伊守がそのわきでそっと述べられていたことを予想させるのであり、紀伊守との親子関係も強くは表現されていなかったことを類推させるのである。しかしながら、実際は帚木の巻で紀伊守が主役であり、伊予の介は表面上しか登場しない。空蝉の巻でもしかりである。また紀伊守は、伊予の介の子であることは、現行の解釈からは、帚木[二四]、空蝉[三]、夕顔[六]などから明白であるとされる。とすると関屋[二]のこの文章表現はあまりにも拙劣といわざるをえない。現行通りの執筆とすれば、伊予の介も紀伊守もすでに以前に登場しており、源氏との交渉も深く、伊予の介の子であることも明白なのに何故「かの紀伊守などいひし子ども」と紫式部は表現したのか。現行通りとすればただ単独に「かの紀伊守」で充分であったのになぜ「などいひし子ども」と強調したのか疑問が生じる。
 IIの1.で検討した執筆順序で、空蝉[三中]夕顔[六]末摘花[一][一五]関屋[一]と読んで来たとするなら、なおさら、関屋[二]の「かの紀伊守などいひし子ども」の文章はあわない。この矛盾を説明するためには、関屋[二]を執筆するあたりで、伊予の介の子として紀伊守を位置付けるべく、この文章を使ったのではと考える。つまり、後期挿入によって生じた不自然さとみるのである。とすれば、親族関係は生じることはあっても消失することはないという原則からすれば、関屋[二]の執筆は、IIの1.で示した執筆時期から除外して考えなければならない。
 関屋以前の巻で、紀の守を伊予の介の子としている部分は、関屋[二]の執筆時の挿入と考えられるので、この時期を、空蝉中期執筆挿入として考察する。紀伊守と伊予の介の親子関係については、IIの4で疑問のあることを既に明らかにしている。とするとここでは、後期執筆部分以外で、紀伊守が伊予の介の子で、空蝉が伊予の介の妻であると考えられる所となり、帚木[一九][二二][二四]空蝉[六]がそれに該当する。
 帚木[一九]では、源氏は紀伊守と会話をしているのであるが、[一八]の終りが「大殿篭れば、人々しづまりぬ」であり[一九]の終りが「人々簀の子に臥しつつ、しづまりぬ。」なのである。つまり、人々は二回にわたり「しづまりぬ」なのである。この点は空蝉[三]の中段と同じ型であり、不自然である。それでは[一八]が挿入と考えると[一八]の終りの「しづまりぬ」は書き加えなくともよい。なんとなれば、まだ人々はしづまっていないし、[一九]の終りで「しづま」ってくれるからである。しかし、[一九]を挿入するときは、[一八]で一旦しづまってしまったのを起こしてしまうわけであるから、再び[一九]の終りで「しづまりぬ」としないと、それ以後は、皆起きてしまっていることになるのである。だから[一九]全体が挿入であると考えられるのである。
 また[一九]では、主人の子、伊予の介の子、故衛門の督の子が紹介される。そして衛門の督の子の姉は、紀伊守の後の親であることも明らかとなる。しかし、源氏が小君の境遇を「あはれの事や。・・・」と述べたのを受けて紀伊守が姉の境遇をも「・・・あはれに侍る」と述べている文章から、突然「伊予の介は、かしづくや。君と思ふらむな」で、後の親は、伊予の介の妻となり、紀伊守の親が伊予の介となってしまうのである。
 [一九]の始めに「主人の子どもをかしげにてあり。童なる、殿上の程に御覧じ馴れたるもあり。伊予の介の子もあり・・・」と全く並列的に紹介されているのであるから、IIの4で述べたごとく紀伊守伊予の介は最初は親子関係とは思えないのである。
 帚木[一九]は、前半は空蝉が、紀伊守の後の親(既婚)であるが、伊予の介とは親族関係が不明であり、後半は伊予の介が紀伊守の親とはっきりする部分である。
 [一九]の前半までに「伊予」の介は二回述べられているが、紀伊守の親であるとは一言もふれられていない。そして、[一九]の前半でも、主人(紀伊守)の子と伊予の介の子は並列して表現されているが、もしこの時点で、紀伊守の親が伊予の介なら、IIの4で考察した如く「親の」という形容が入るであろうし伊予の介のことに何等ふれずに「まうとの後の親」などと聞きはしないであろう。[一七]の後半で、伊予の介が紀の守の親であるとは考えられないから、[一九]の前半もまだ伊予の介が父親とならない時期であると結論される。
 とすると、[一九]の後半の「伊予の介かしずくや、君と思ふらむな」は、伊予の介が突然として紀伊守の親であることを、空蝉という継母を介して理解させようとする文章となる。あまりにも間接的表現に終始していて、まわりくどすぎるのである。初めて親子関係を明らかにするにはふさわしくない文章である。つまり、[一九]全体が初期の物語に対して後期挿入であり、しかも、一時期の挿入ではなく、[一九]前半を挿入し、しばらくあと、紀伊守、伊予の介、空蝉の関係ができ上った時点で、[一九]後半を挿入したと考えられるのである。
 つまり、帚木[一八]、帚木[一九]前、帚木[一九後]、が別々の時期に執筆されたと考える。

 すなわち、空蝉系物語の執筆は、

  初期空蝉期(・・・帚木[一八]・・・・)
  前期空蝉期(・・・帚木[一九前]・・・)
  中期空蝉期(・・・帚木[一九後]・・・)
  後期空蝉期(・・・夕顔[六]・・・・・)

の、四期が想定される。すると、空蝉の輪郭がはっきりしてくる。

  初期 純然たる独身女性で、父親が死亡している(帚木[一八])。
  前期 紀伊守の後の親であるが、彼女の夫の生死すら不明。
     この時点では伊予の介が紀伊守の親と確定できる要素はない
    (帚木[十九前])。
  中期 紀の守は伊予の介の子で、空蝉はその継母(帚木[十九後])。
  後期 軒端の荻は紀伊守の妹(空蝉[三中])。

このように親族関係が発展してゆくと考えられるのである。
 帚木[二二]は、不倫のため、伊予の介が思いやられ、かつすべての親族関係がはっきりしており、前述のごとく中期後期挿入である。
 帚木[二四]であるが、ここでも節内の不自然さがある。それは小君に「いもうとの君のことも、委しく問ひ給ふ。さるべきことは答へ聞えなどして、はづかしげにしづまりたれば、うち出でにくし」とあるのに、中段で「あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ」とある点である。つまり、さすがの源氏も男女関係に関わることをあからさまに聞くことはできないので小君にも空蝉のことは「うち出でにくし」だったのである。それなのに中段では直接、空蝉との関係を伊予の翁を出すことによって強く表明する。この間はたった一日二日のことである。また前段では、小君の心中は「かかる事こそは、とほの心うるも、思の外なれど、幼心地に深くしもたどらず」であり、姉が人妻であることを感じさせない。
 しかし、二二五ページ八行目で突然「紀伊守すき心に、この継母の有様を・・・」となり、ここでは空蝉は伊予の介の妻となって紀伊守の親となる。ここでも前段と中段で不自然さがめだつ。それ故親族関係が決定されている中段(二二五ページ八行目から二二六ページ二行目まで)は挿入部分と考えられる。
 「この子をまつはし給ひて、・・」から以後の後段では、源氏の小君に対する態度はやさしく、恋の無理じい的な使いはさせていない。またこの恋に対する表現も肯定的で、「めでたきこともわが身からこそ・・」「(源氏の)をかしき様を見え奉りても、何にかはなるべき、など思ひかへすなりけり」と、空蝉の心中も身分故に身をひく乙女の思いわずらいであって人妻だからこその逃避、拒絶では決してない。
 以上の如く、[二四]は前段と、「紀伊守、すき心に・・」に始まる中段と、「この子をまつはし給ひて・・・」に始まる後段と三部分にわかれ、中段のみが中期後期挿入と結論される。
 空蝉[六]も「伊予の介に劣りける身こそ」となっており、帚木[二四]の中段と同じ言い方である。しかしながら、空蝉[一]、[二]、[三前]、[三後]、[四][五]では伊予の介が紀伊守の親であるとは感じさせない。
 以上をまとめると、関屋[二]で紀伊守は伊予の介の子となり、帚木[一九後]、[二二][二四中]、空蝉[六]が同時期に執筆されたと考えられる。
 空蝉系物語の中期執筆順序は、それ故、

帚木[一九後]・帚木[二二]・帚木[二四中]・空蝉[六]・関屋[二]となる。

後期執筆挿入は、

空蝉[三中]・夕顔[六]・末摘花[一][一五]・関屋[三][四]・玉鬘[四一]・初音[一二]となる。

 関屋[一]については次節で、詳論する。

 (二)「空蝉」と「帚木」 (表2)

 空蝉の呼称は、空蝉[六]の和歌の中で、小袿を残して、源氏の再度の夜這いを逃れたことを、空蝉と表現したことに拠っている。
 この呼称は、その後では、夕顔[六]末摘花[一][一五]、玉鬘[四一]、初音[一二]と使われている。にもかかわらず、関屋[一]では「かのはゝきぎ」となっているのである。この愛称の使い方に注目すれば執筆の順序が明らかになる。
 この帚木という語は、二度目の方違へを口実にしての源氏の思わくを、空蝉が上手に逃げたあとの和歌の贈答、帚木[二五]の時に使われている。(表6)

表6 空蝉の愛称と執筆順序      
    執 筆 順 序    
空蝉の愛称 巻名  節 現行
巻順
当論文
V・1 (1)
当論文
V・2 (2)
結 論
◎帚木→→↓ 
 :  ◎空蝉
 :   ↓ 
 :   空蝉
 :   ↓ 
 :  ◎空蝉
 :   ↓ 
 :   空蝉
 :   ↓ 
 : ↓←空蝉
 ↓ ↓ : 
 帚 木 : 
   ↓ ↓ 
   →→空蝉
     ↓ 
     空蝉
帚 木〔二五〕
空 蝉〔六後〕
 
夕 顔〔六〕 
 
夕 顔〔二八〕
 
末摘花〔一〕 
 
末摘花〔一五〕
 
関 屋〔一〕 
 
玉 鬘〔四一〕
 
初 音〔一二〕


 

 
4…
 

 

 

 

 
  1  
  2……
 
  4  
 
…→B……
 
  5  
 
  6  
 
  7……
 
  8  
 
  9  
  1  
…→C  
 
  5  
 
…→A  
 
  6  
 
  7  
 
…→B  
 
  8  
 
  9  
初期
前期3
 
後期
 
前期2
 
後期
 
後期
 
前期2
 
後期
 
後期

◎は和歌、↓は現行の登場順序、:は執筆時期の接近を推定、…→○は執筆順序の逆転した節
               ↓

 「空蝉」なり「帚木」なりの語が、その当時の先行物語や、和歌などで周知であり、かつ、源氏物語に語られるのと同様の逸話を持っていて、その類似性があれば、読者としてはすぐ、「空蝉」なり「帚木」と同一だと想起され、これらを愛称名として使用したと推測することも可能であるが、「空蝉」「帚木」なりの名称の出所が源氏物語内で語られた話によるとしたほうが無理のない推測と考える。とすれば、この空蝉の名称が「帚木」であったり「空蝉」であったりすることが、関屋[一]の執筆順序を解く鍵となる。つまり紫式部自身が、「帚木」なり「空蝉」なりの名を、和歌以前に使用したとは考えられないから、「帚木」「空蝉」の名称が使われている節は、その和歌の部分を執筆したあとに書かれたこととなる。
 「空蝉」という名称は、現在でも使われている如く、言い得て妙なので、一旦使われると、それ以後は、他の名称は見劣りがして使い難いはずである。実際に「帚木」は一回、「空蝉」は五回使われている。現在の巻順で、空蝉の巻の次の夕顔の巻に「空蝉」が使われているのであるから、関屋[一]で「帚木」にもどってしまうことなど考えにくい。又、紫式部が、「空蝉」より「帚木」の方が良いとなって、関屋[一]で「帚木」という名称を使用したとすると、玉鬘、初音でも「帚木」を使用するはずである。にもかかわらず、再び「空蝉」にもどっている。この不自然さを説明するには、やはり関屋[一]の執筆が、帚木[二五]のあとで、夕顔[六前]までの間と考えるべきなのである。
 さて、和歌中で使用した語が、人物の愛称となるまでには時間が必要であり、その時間は、もし紫式部の命名なら、長いへだたりであろうと短かろうと随時であり、またそれだけ変更可能でもある。しかし読者の反応により命名されていったとすれば、流布するまである程度の時間的へだたりが必要であり、また一旦生じると変更しにくい筈である。
 「軒端の荻」の名称も、夕顔[二九]の和歌中に使われながら、末摘花[一]では、愛称として式部は「荻の葉」と書いている。しかし、現在では、愛称として「荻の葉」は一般的でなく、読者からすれば、「軒端の荻」の方が、源氏の思い入れからしても、物語の本流(母屋)からはずれたわきで語られているこの娘にふさわしい愛称名として定着している。
 「帚木」とは、信濃国園原にあり、帚を逆さにした形に似て、遠くからは見えるが、近づくと消えるといわれる伝説的存在の大樹である。近づいたら消えてしまった、源氏の目的とする女性の愛称にふさわしく、「空蝉」という語が使用されない限り、「帚木」も定着したであろう。帚木[二五]の和歌から、読者も「帚木」という愛称で満足し、執筆後ある時期をおいた関屋[一]で「かのはゝきぎ」と式部自身で、あるいはまた読者の命名を取り入れ使用したとしても納得のゆくところである。
 すると、「帚木」と「空蝉」なる愛称の持つ微妙な違いが浮き出て、何故、「帚木」が「空蝉」に変化したかのであろうか。「帚木」は前述の通り、遠くからは見えるが近付くと消える伝説上の大樹である。一回の夜這い(遠い経験、帚木[二一])で成就したかに見えたが、次ぎ(近くの経験、帚木[二五])では成就せず、消えてしまった。相手を指すのにまったくといってよいほど相応している。そこには消えてしまったというだけでなく、その相手の中身、芯は、漠然としながらも源氏との関係で存在していることを暗示している。「空蝉」の場合は、うちすてた小袿に主眼をおくとともに、源氏が相手をしたときはすでに、中身はからっぽで、ほかにとんでいってしまっていることをも暗示している。女の中身が空になってしまっているとはどういう状態かといえば、現行の解釈のように、空蝉が、すでに人妻であり、夫の伊予の介も健在の時であろう。「帚木」が「空蝉」に変化したのは物語上の人物設定が変遷したことに呼応しているのである。
 源氏と契った空蝉は、初期は独身として設定されていたから、愛称として「帚木」がまさに当を得ていた。それが中期以後になると伊予の介の人妻となったが故に、「帚木」のイメージより「空蝉」のイメージのほうがより適切となり、定着化したと考えられるのである。
 ちなみに「空蝉」という呼称は、後期執筆挿入の、夕顔[六]、末摘花[一][一五]、玉鬘[四一]、初音[一二]に使用されているだけである。玉鬘[四一]は、「末摘花」という愛称名と「空蝉の尼君」という語により末摘花[一][十五]や、空蝉が尼となった関屋[四]を前提としており、初音[一二]も同様である。関屋[四]は[三]前提としており、このままとする。

 それ故、明確となった空蝉物語の節は、

 後期執筆挿入は、 空蝉[三中]・夕顔[六]・末摘花[一]・末摘花[一五]→関屋[三][四]・玉鬘[四一]・初音[一二]

 中期執筆挿入は、 帚木[一九後]・帚木[二二]・帚木[二四中]・空蝉[六]・関屋[二]

 前期執筆挿入は、 帚木[一九前]・夕顔[二八]・関屋[一]

 初期執筆は、 帚木[一八]・帚木[二五]

 となる。