X 児めきて的夕顔−−−初期夕顔物語からの変遷

 下の品風の女は、児めきて的夕顔、遊女的夕顔、常夏的夕顔以外の分類であった。この章では下の品風の女が児めきて的夕顔に変遷してゆく過程をみてゆく。検討する筋は夕顔〔一〕〔二〕〔五前〕〔九前〕〔九中〕〔一〇〕〔一一〕〔一四〕〔一六〕〔一七〕〔一八〕〔二〇〕〔二一〕〔二五〕である。

1 夕顔〔一〕〔二〕〔四〕−−−初期夕顔物語

「六條わたりの御忍ありきの頃」で始まる冒頭部分は、現行の夕顔の巻の展開を予想させるものではないと批判されているが、現行の夕顔の巻から常夏=夕顔、遊女的夕顔の部分を除いて検討すると、それは、夕顔〔一〕〔二〕〔四〕にあわせた冒頭部分であることがわかる。つまり、「六條わたりの御忍ありきの頃」という夕顔の巻の冒頭は、「いかなる人の住処ならむとは、従来に御目とまり給ひけり」という夕顔〔四〕の終わりが結びとなっているのである。ここではほんのちょっと下の品の女に目が向いたことをにおわせている。乳母のところにも「御車もいたくやつし給へり、前駆もおはせ給はず、誰とか知らむとうちとけ給ひて」という状態である。たわむれ心であり、〔三〕と違って身分がわからない状態でのことだからこそ、気になる程度のこととしてすませるのである。
 紫式部がここでいったん物語を終わらせたのは、その時点でまだ源氏という高貴な人が下の品の女を相手としたときの読者の反応が読みきれなかったからであろう。しかし、「くちをしの花の契や。一ふさ折りて参れ」の源氏の言葉に乗せて、夕顔と契りを結びますよと、上手に前触れして読者の反応をみたと推定される。
〔四〕の「はかなき一ふしに御心とまりて」の一ふしは、わざわざ〔三〕の歌を前提としなくてもよい。夕顔の花を扇にのせ、さし上げたことだけで充分に解釈できる。更に夕顔を花ではなく女性の呼称とするにしても、〔一〕の場面なら夕顔=女性として納得できる。夕顔の宿、その宿の女としての夕顔である。巻名の由来について帚木、空蝉のところで、また葵の巻のところで論じた如く、愛称となってしまったものはなかなか消えない。
 この部分に限れば巻名は「夕顔」として当然であるが、夕顔=常夏と初めから決まっていたとしたら、巻名も夕顔ではなく「常夏」となってもよかったはずである。この意味からも、当初の物語では「夕顔」は道端に咲く女性の物語であったと考えるのが当を得ている。この冒頭部分は、帚木〔二〕の「しのぶのみだれや」と疑われることはあっても、そんなことは「好ましからぬ御本性」ではあるが、「まれにはあながちに引き違へ、心つくしなる事を、御心に思しとどむる癖なむ、あやにくにて、さるまじき御ふるまひもうち交りける」を導いて、夕顔〔四〕の「ただはかなき一ふしに御心とまりて、いかなる人の住処ならむとは、従来に御目とまり給ひけり」と、ちょっとした「御心に思しとどむる癖」(帚木〔二〕)なのですよと綿密に筋を運んでいる。

2 夕顔〔八後〕−−−しひておはしまさせそめてけり

 夕顔〔一〕〔二〕〔四〕の次は夕顔〔八後〕である。
〔四〕のあと、すぐ〔五前〕では惟光報告が宙に浮いてしまう。源氏は惟光に「何人の住むぞ、問ひ聞きたりや」とは言っていないのであるから。〔五後〕は遊女的な夕顔であり、〔六〕はかの空蝉、〔七〕も全く違う内容で、なくても差し支えない。〔八前〕は惟光の垣間見であり、話が飛んでしまう。夕顔=常夏挿入部分である。
〔八後〕は〔四〕の「いかなる人の住処ならむ」を受けて、「仮にても、宿れる住の程を思ふに」と対応が良い。そして「しひておはしまさせそめてけり」という表現の意味は、源氏はせいぜい「その中に、思の外にをかしき事もあらば」程度に「思す」のであるが、惟光がそのような源氏の思いを先取りして「いささかの事も御心に違はじ」とお膳立てする。源氏は積極的ではないけれど、惟光が「しひて」夕顔をご一緒にさせたのですよと、ここでも読者から何らかの非難がきても、惟光が強いたことであり源氏は意志もなく交わったのだとかわせる用意をしているのである。たぶん〔四〕のあとに〔八後〕を付け加えるのにも多少の時間をみていたであろう。「くちをしの花の契や。一ふさ折りて参れ」に対する読者の反応をかみしめ、作者は不安を抱きながらも「思しとどむる癖」→「花の契」→「御心とまりて」→「しひておはしまさせそめてけり」と小出しにして読者の興味を下の品へと誘い、反応をみる。この「おはしまさせそめてけり」ですら、本当に契ったときの言葉かどうかわからない。「夕顔の家に無理やりお連れして、高貴な源氏を賤しい家屋敷の汚れに染めてしまった」ともとれる。そのような賤しい女性に染めたのか、家屋敷の汚れに染めたのか、どちらが本来の解釈であろうか。意味は深い。
 作者は読者の反応をみたかった。読者はどちらの意味にとるであろうか。それによっては下の品風の物語を書き続けられる。だが今はそれ以上は書けない。だから「この程の事、くだくだしければ、例の漏しつ」と紫式部は書いたのである。心にくい技法である。

3 夕顔〔一〕−−−物語冒頭の役割

〔一〕に物語の冒頭部分、つまりこれから展開する物語の根元が示されていることを、言葉の消去法によって更に明らかにする。
「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ、咲き侍りける」「くちをしの花の契や。一ふさ折りて参れ」と「枝もなさけなげなめる花を」は、それ以後の展開部をすべて暗示しているのである。〔一〕には単に白き花を夕顔というのだという意味しかないならば、それは「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。かうあやしき垣根になむ、咲き侍りける」だけで充分ではないだろうか。
「夕顔」の花の向こうに女性の夕顔がいるからこそ、「花の名は人めきて」という言葉が必要になってくるのである。そしてその女性と契る方向にすすむからこそ「くちをしの花の契や。一ふさ折りて参れ」となるのであって、契るという物語展開の方向を示さないとすれば、ここは「くちをしの花や。一ふさ折りて参れ」で充分だったはずである。そしてその女性には支える幹(親や身内)もたいしたものはないし、不明な点もあればこそ「枝もなさけなげなめる」花と表現されるのであって、単に夕顔の花であれば「花をこれに置きて参らせよ」だけでこれまた充分であったであろう。
 更に、身分についても「あやしき垣根になむ、咲き侍りける」で見事に暗示しているではないか。「児めきて」にしろ「遊女性ある人」にしろ「常夏」にしろ、決して上の品の女性ではない。それらの女性と「くちをしの花の契」であると表現し、しかも「一ふさ折りて参れ」の命令形であるから、誰か家来が何とかして源氏に契らせるように努力するはずである。
 簡単に「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る」「くちをしの花や」「花をこれに置きて参らせよ」と述べてあるのでなはい。「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ、咲き侍りける」「くちをしの花の契りや。一ふさ折りて参れ」「これに置きて参らせよ。枝もなさけなげなめる花を」と述べてあるのだから、表現の持つ意味は全く異なるのである。

4 夕顔〔九中〕−−−前期夕顔物語への拡大構想

 次の時期は夕顔〔九中〕である。
「かかる筋は、まめ人の乱るる折もあるを、いとめやすくしづめ給ひて、人のとがめ聞ゆべきふるまひはし給はざりつるを」と、〔九中〕の初めで、源氏は恋に乱れることはあってもなんとか平静になり、人がとがめるような振る舞いは行わないのだが……と物語を拡張する際にも言い訳をしている。この「何処にいとかうしもとまる心ぞ」(〔九中〕)という恋は、帚木〔二〕の「御心に思しとどむる癖」と同じで、また「しのぶのみだれ」とも同じであった(表25)。このように夕顔〔九中〕は帚木〔二〕、夕顔〔四〕〔八後〕と同一線上にある。
 身分の点でも「これこそ、かの人の定めあなづりし下の品ならめ」(〔八後〕)と、下の品と考えられるが、それでも断定しているわけではない。「いかなる人の住処ならむ」(〔四〕)とか、「かしづく人侍る」(〔五前〕)、「ざれたる遺戸口に」(〔一〕)、「いとやむごとなきにはあるまじ」(〔九中〕)と、やや中の品に近いような書き方がされている。下の品の女に「かりそめの隠処」などは無理であろう。なんともはや、すっきりしない下の品の女である。光源氏の相手を下の品におとすための紫式部の言い訳的表現とせざるをえない。遠慮がちの恋であり、正面から攻めず、惟光を使い、顔を見せずに、身なりをおとして「狩の御衣」で通う。少なくとも初めは読者への言い訳的執筆であった。紫式

表25 源氏の思しとどむる癖

帚木〔二〕うちつけのすきずきしさなどは、好
ましからぬ御本性にて
御心に思しとどむる癖なむ しのぶのみだれ
夕顔〔四〕ただはかなき一ふしに御心とまりて
往来に御目とまり給ひけり
いかなる人の住居ならむ 
夕顔〔八後〕思の外にをかしき事もあらば、など
思すなりけり
しひておはしまさせそめてけり
  
夕顔〔九中〕かかる筋は、まめ人の乱るる折もあ
るを、いとめやすくしづめ給ひて、
人のとがめ聞ゆべきふるまひはし給
はざりつるを
何処にいとかうしもとまる
心ぞ
人をしづめて出
入などし給へば

部の慎重さ、冷静さがよく理解されるのである。それでも上の品の世界の人にとっては、光源氏を含めて未知の世界であったはずである。読者の知的好奇心を更にゆり動かそうとしたのである。
 更に〔九中〕で紫式部は、将来に向けた構想を読者に示すことも行った。すなわち夕顔を二條院に迎えることである。この構想が「聞えありて便なかるべき事」であることは百も承知で、「さるべきにこそは」と実行の意志を示している。迎える理由は「はひ隠れなば、何処をはかりとか、われも尋ねむ」の気持ちからであるとする。
 しかし、前期夕顔物語を読む限りではこの構想は挫折した。夕顔を連れ出した先は「そのわたり近きなにがしの院」〔一一〕である。帚木〔二〕、夕顔〔一〕〔二〕〔四〕から〔八後〕、そして〔九中〕と、紫式部の用意周到さをもってすべてが運んだが、今回は、〔九中〕の構想の事前公表どおりにはゆかなかった。
 何故か。源氏と夕顔の身分の違いに対して読者の反応があったからであろう。ではどうしてこの構想が出たのか。紫式部は高貴な源氏の恋の相手を自分と同じ品の女にまで広げたかったのではないか。作者みずから物語の世界に入りたかったのではないか。明石の姫君がその成功例なら夕顔は失敗例であろう。だが、それは彼女の潜在的な意志だったのである。それ故彼女は更に書き加えて行った。しかし、読者の反応は「夕顔を迎えるといったって、夕顔の氏素姓がわからないでしょう」と否定的だったのではないか。

5 前期挿入夕顔物語

(1)夕顔〔五前〕
 紫式部は〔五前〕で、惟光のお見舞い御礼の訪問にかこつけて、なんとか夕顔が「かしづく人侍る」程度の身分であることを明示し、「顔こそいとよく侍りしか」とも持ち上げた。更に〔九中〕の「はひ隠れなば」を補強すべく「物思へるけはひ」や「うち泣く様」などを入れ、そうなれば夕顔はただ五月頃から忍んで来ているだけだからまたどこかに忍んで行ってしまうかもしれないことも書き入れた。しかし読者は許容しなかった。それよりも〔九中〕の「狩の御衣」や「ものの変化めきて」に関心が向けられていたのである。
(2)夕顔〔九前〕〔一〇〕〔一一〕〔一四〕〔一六〕〔一七後〕〔一八〕〔二〇〕〔二一〕〔二五〕〔九前〕で、夕顔と源氏はお互いに氏素姓がわからぬ間と確定し、それ故「いとあやしく心得ぬ心地」などと物の怪のつきやすい雰囲気にした。〔一〇〕で読者の反応がわかると紫式部は以後の物語を一瀉千里に書き綴った。
 下の品の住まいを描写し、源氏がいたたまれず夕顔を連れ出す情景を作りだし、「二條の院」(〔九中〕)を「このわたり近き所」(〔一〇〕)「そのわたり近きなにがしの院」(〔一一〕)におきかえて連れ出した。「かしづく人」(〔五前〕)は「右近」(〔一〇〕)となり、物語は〔九中〕にある「昔ありけむものの変化めきて」に表されている方向に発展した。なにがしの院に連れてゆき、狐などが出そうな雰囲気を出す。〔一〇〕〔一一〕〔一四〕〔一六〕〔一七後〕〔一八〕〔二〇〕〔二一〕と筆はとぎれない。〔一七後〕では「忍ぶとも、世にあること隠なくて」と帚木〔二〕の「しのぶのみだれ」の流れもくんでいる。また〔一七後〕では、二條院に連れて行けなかった紫式部の気持ちとして、「などて、かくはかなき宿は取りつるぞ」という線も〔九中〕と結びついている。そして〔二五〕で体の回復も行われ、「われにもあらず、あらぬ世によみがへりたるやうに、しばしは覚え給ふ」で物語は終わる(表26)。

表26 Xまでの執筆順序の結論   (表13、16、18、24参照)

     
夕顔〔一〕  
  〔二〕 
  〔四〕 
E        
E’       
E        
     畏敬 
 畏敬 
    
     
  〔八後〕 E         肯定  畏敬 

  〔九中〕  E C       肯定     
  
  〔五前〕 E C       中間     
     
  〔九前〕 E C?→B   中間  畏敬 
  〔一〇〕 
  〔一一〕 
  〔一四〕 
  〔一六〕 
  〔一七後〕
  〔一八〕 
  〔二〇〕 
  〔二一〕 
  〔二五〕 
  C      
  C      
  C      
  C      
  C’     
  C      
  C’     
  C’     
 
 
 
 
 中間 

 中間 



 
 
 
 

 中間 

 中間 

夕顔〔三〕  
  〔五後〕 
  〔一二〕 
  〔一三〕 
  〔一七前〕
  〔一九〕 
  〔二二〕 
  〔二三〕 
  〔二四〕 
  〔二七〕 
E    B   
 D   B   
     B   
     B’  
 
  C’     
 
  C      
 
  C?     
 否定 


 否定 









 不遜 


 不遜 
 不遜 
 不遜 

夕顔〔八前〕 
  〔九後〕 
  〔二六〕 
  〔三〇〕 
  〔三一〕 
  C    A?
  C    A?
       A 
       A 
       A 
         
(〔六〕〔七〕、〔一五〕、〔二八〕〔二九〕、〔三二〕〔三三〕を除く)