「夕顔」巻の構成に諸々の問題があることは従来から指摘されている。
まず第一に「夕顔」の巻の書き出し「六條わたりの御忍ありきの頃、内裏より罷で給ふ中宿に、大弐の乳母にいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五條なる家尋ねておはしたり。御車入るべき門は鎖したりければ……」(夕顔〔一〕)(注1)には、冒頭としての役割が少なく、それ以後に発展する展開部を暗示していないという説である。冒頭の位置付けとして、時枝誠記氏は、「文章表現においては、表現の展開の根元となる冒頭文が、重要な意味を持って」おり、「冒頭と、その展開である表現との間には、相互制約の機能的関係が存在」し、「冒頭によってその表現がどのように展開するかの大体の方向と輪郭とを予想することが出来る」ものであるとする。甲斐氏は、夕顔の「冒頭に示される主題は必ずしも巻全体に一貫するものではない」と論じている。しかし、夕顔〔一〕は書き出しには違いない。必ず役割があるはずである。それは何か。
第二に、この巻の中心人物である女性の性格が極端に内気であるのに対し、夕顔〔三〕で夕顔の花に添えて源氏に贈られた和歌から想像される夕顔の性格が、あまりにも積極的であり、同一視できないことである。松尾聡氏は「夕顔は極端に内気な女で、自分から進んで歌を詠みかけたりなどは、到底しそうもない」と述べている。この和歌の夕顔の花は、実は光源氏を意味している。『河海抄』では、「光源氏をいまたみしらされとも思あてにもしるきといへる也」と述べて「贈り主が源氏と知って歌を詠みかけた、と解してる」(甲斐氏訳)。このように、和歌中では夕顔の花こそ光源氏なのに、現行では夕顔はこの巻の中心人物である女性の名称となっている。また、夕顔の性格の分裂と名称の問題も未解決である。これらの点を充分に説明する説はまだない。
第三に、夕顔〔九前〕では、源氏が姿を変え、顔を隠し、まるで別人のように振る舞って素姓を語らないので、女方は相手が誰ともわからず苦しむことが物語られ、夕顔〔一〇〕〔一一〕では随身が夕顔にとって未知の如く扱っているが、すでに夕顔〔三〕で随身を介して源氏の素姓は推量されてしまったとも考えられ、辻褄が合わない。鈴木朗氏は「前の夕顔の歌とあはせ見るに、いたくしらせじとし給ふこのあたりのさまにては、此随身をめしつれ給ふ事いといぶかし、随身を見れば、怱源氏の君とはしるべきことなり」としている。玉上琢弥氏は「作者の不注意か。現代ではわからない事情が何かあるのだろうか」と論じているが、もっと合理的な説明がなされるべきであろう。
第四に、源氏のこのような恋の遍歴に対し惟光が様々の思いを述べているが、それが定まっていない。あるところでは「例のうるさき御心とは思へども……」(夕顔〔三〕)と源氏の行動に批判的であり、あるところでは「いささかの事も御心に違はじ」(夕顔〔八後〕)などと肯定的である。
第五に、惟光報告が夕顔〔三〕〔五前〕〔八前〕にあって多過ぎるし、また帚木〔一三〕といかなる関係になっているかがわからず、ほとんど無関係とさえ感じられることである。
このような疑問点は、これまで検討してきた如く、多重にわたる後期挿入のために生じてしまった不整合と考えられるので、同じ方法論を使うなかで夕顔の巻の執筆順序を明確にしてゆきたい。そうすれば、夕顔の巻にまつわる種々の疑問点はすべて氷解する。それにはまず、主人公の夕顔自体が下の品の女、常夏の女、女の怪死と三つの役割をもっていて、それらが上手にまとまって融合しあっているのではなく、分離、モザイク的に語られていると指摘した甲斐氏の論文に着目することから始めたい。(「U 夕顔の性格と役割の検討」参照)
夕顔像はいくつに分離すればよいのかは検討を要する問題であるが、夕顔の特徴からすれば少なくとも常夏の女、遊女性のある女、児めきて的性格の女(女の怪死で展開する部分)、更に追加すれば、恋の対象である漠然した下の品風の女の四つの側面があることは周知で、分類基準が一定ではないが、一応これらの特徴を持つものを独立の四型として分離する。下の品風の女は、特徴ある他の型にあてはまらないときに振り分けられる型で、性格面であまり積極的な意味は持たないが、他との重複も許される。
常夏の女は、帚木〔一三〕の頭中将の「癡者の物語」を受けて、はかなく、頼りない女の例として描かれている。親は亡く、二人の間には女の子が生まれていたという設定である。中の品か下の品かは途中はっきりせず、最後に三位の中将の娘であったとされる。この女の性格は、おおようで男の言うままに従い、内気で頼りない。正妻から嫌みの一つも言われると心細くなり、頭中将の前からあとかたもなく姿を消す女である。撫子と常夏という特徴的な愛称は、女からの「山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよなでしこの露」という和歌と、頭中将からの返歌「咲きまじる色は何れとわかねどもなほ常夏にしくものぞなき」(帚木〔一三〕)に拠っている。後にこの撫子は成長し、玉鬘系物語となっていく。
遊女的夕顔は、ものなれた宮仕人のようであり、和歌もたくみで、源氏と正体推測ゲームも楽しめる女である。
児めきて的性格の女は、まだ成熟していない少女のような女で、性格的に幼くおっとりしている。和歌のやりとりなどもまだまだ未熟で心もとない有り様である。この女は「あてはかに児めかしくて」(夕顔〔一〇〕)と描写されている。この女はなにがしの院での怪死事件の中心人物の役割を担っている。
下の品風の女は、夕顔の巻導入部など、源氏との関係や夕顔自信の身分がはっきりしない時期、読者の反応を見ながら筆を進めている時期の夕顔である。
空蝉では四期にわたって執筆時期が異なっている。夕顔の執筆回数も、同じ帚木グループであるから類推として同じ程度あろうと考えられるが、それ以上ともそれ以下とも、確定できる証拠はない。執筆、加筆の回数は主人公像が変化しない限り推定しようがないが、少なくとも主人公のモザイク的変遷の回数だけ執筆、加筆したことは確かである。空蝉像も執筆回数と同じであるから、夕顔像の数だけは確実に後期執筆されたと考えられる。仮にそれ以上の執筆、加筆回数があったとしても、この方法では解析不可能であり、あまり意味を持たない。つまり、夕顔像の検討だけが夕顔の巻の構成を明確にし、後期挿入の重層構造分析の基礎となるのである。
現行の物語では、夕顔が帚木〔一三〕の常夏、撫子の物語を受けて夕顔=常夏となり、撫子が玉鬘系物語として発展してゆくのであるから、まず常夏の君の検討を行い、いかにして夕顔が常夏の君になってゆくかを明確にし、順次夕顔の類型形成過程を明らかにしてゆくこととする(後術のV〜W参照。)
なお、節わけの数字は日本古典全書(朝日新聞社)により、また一つの節の中で前中後とわけてあるのは、私がその中の内容によって行った。
注1 夕顔の巻は日本古典文学体系本では十節、日本古典文学集本では二十一節、日本古典全書本では三十三節に段落わけされているが、微視的、分析的あるいは場面的把握をもって、源氏物語成立論へと進めてゆく関係上、日本古典全書本の分類に準拠した。その目次も参考のため示す。
日本古典全書 夕顔関係の巻目次 (著者細分追加)
帚 木
一三 頭中将の経験談−内気なる女の話
「『なにがしは、癡者の物語をせむ』………わびしかりぬべけれ』とて、皆笑ひぬ」
夕 顔
一 源氏、乳母の病めるを見舞ふ、夕顔さく隣家の女より扇をもらふ
「六條わたりの御忍ありきの頃………引き入れて下り給ふ」
二 源氏懇ろに乳母を慰む
「惟光が兄の阿闍梨、婿の参河の守………皆うちしほたれけり」
三 源氏扇に書きたる歌の主に返歌す
「修法など、またまたはじむべき事など掟て宣はせて………蛍よりけにほのかにあはれなり」
四 六條御息所の生活との対比
「御志の所には、木立前栽など………往来に御目とまり給ひけり」
五前 惟光「かしづく人侍るなめり」と源氏に報告す
「惟光、日頃ありて参れり………好しう覚ゆるものを、と思ひ居り」
五後 源氏「かの下が下の中にも、思の外に口惜しからぬを見つけたらば」と思ふ
「もし見給へ得る事もや侍ると………とめづらしく思ほすなりけり」
六 伊予介上京、源氏、空蝉・軒端の荻を思ふ
「さて、かの空蝉のあさましくつれなきを………御心も動かずぞありける」
七 源氏、六條御息所の邸に泊り、翌朝侍女と和歌を唱和す
「秋にもなりぬ………こころもとなきことに思ふべかめり」
八前 惟光探索の結果を報告す
「まことや、かの惟光があづかりのかいま見は………かいま見せさせよと宣ひけり」
八後 惟光、源氏を夕顔の家にしひておはしまさせそめてけり
「仮にても、宿れる住の程を思ふに………くだくだしければ、例の漏しつ」
九前 源氏素姓を隠して夕顔の宿へいとしばしばおはします
「女、さしてその人と尋ね出で給はねば………いとしばしばおはします」
九中 源氏、夕顔を二篠院に迎へてむと思ふ
「かかる筋は、まめ人の乱るる折もあるを………いかなる契にかはありけむ、など思ほし寄る」
九後 源氏、夕顔がかの中将の常夏かと疑ふ
「いざ、いと心安き所にて………あはれなるべけれ、とさへ思しけり」
一〇 仲秋月明の夜、源氏、夕顔の家に泊る
「八月十五夜、隈なき月影………さるは、こころもとなかめり」
一一 源氏、夕顔を伴ひ某の院に至りて契る
「いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを………息長川と契り給ふことより外のことなし」
一二 某の院の荒廃、鬼気自ら生ず
「日たくる程に起き給ひて………うらみかつはかたらひ暮し給ふ」
一三 惟光故意に近く侍はず
「惟光尋ね聞えて、御くだものなど参らす………めざましう思ひをる」
一四 夕方疾く格子を下して語らふ
「たとしへなく静かなる夕の空をながめ給ひて………隔残し給へるなむつらき』とうらみ給ふ」
一五 源氏、帝ならびに六條御息所を想ふ
「内裏にいかに求めさせ給ふらむを………思ひくらべられ給ひけり」
一六 夜半怪しき女枕上にあらはる、夕顔急死す
「宵過ぐる程すこし寝入り給へるに………あきれたる心地し給ふ」
一七前 惟光を求むれど在所分らず
「この男を召して………大方のむくむくしさ譬へむ方なし」
一七後 源氏恐怖と悲嘆の一夜を明かす
「夜中も過ぎにけむかし………をこがましき名をとるべきかな、と思しめぐらす」
一八 惟光参上し、夕顔の始末を協議す
「からうじて、惟光の朝臣参れり………われかの様にておはし著きたり」
一九 源氏、二篠院に帰り懊悩す
「人々『何処よりおはしますにか………われも徒になりぬるなめり、と思す」
二〇 帝、頭中将を御使にて源氏を見舞はしめらる
「日高くなれど、起き上り給はねば………御消息など聞え給ふ」
二一 惟光来りて葬送のことを源氏にはかる
「日暮れて惟光参れり………とほのぼのあやしがる」
二二 源氏、東山の尼寺に夕顔の屍を見に行く
「『更に事なくしなせ』と………涙の残なく思さる」
二三 源氏、夕顔の屍に向ひ涙ながらに決別す
「入り給へれば、火取りそむけて………胸もつと塞りて出で給ふ」
二四 源氏帰途につく、途中にてわづらふ
「路いと露けきに………いかでかくたどりありき給ふらむ』と、歎き合へり」
二五 源氏重く病み、人々惑ふ、二十日余りして快方に向ひ、参内す
「まことに臥し給ひぬるままに………しばしは覚え給ふ」
二六 右近、夕顔の素姓を源氏に語る、頭中将の常夏の女なること判明す
「九月二十日の程にぞ………つかふ人なしとて、かしこになむ』と聞ゆ」
二七 源氏、右近を近く召し、亡き夕顔の事をしのぶ
「夕暮の静かなるに………うち誦じて臥し給へり」
二八 空蝉、夫の任国に下らんとし、源氏と和歌の贈答をなす
「かの、伊予の家の小君参る折あれど………見え奉りてやみなむ、と思ふなりけり」
二九 源氏、軒端の荻に消息す
「かの片つ方は、蔵人の少将をなむ道はす………御心のすさびなめり」
三〇 夕顔四十九日、源氏懇ろに供養す
「かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて………かごとに懼ぢてうち出で給はず」
三一 夕顔の宿の人々、主人の失踪を悲しむ
「かの夕顔の宿には………と思し出づるにもゆゆしくなむ」
三二 空蝉、伊予に下る、源氏小袿をかへし様々のものをおくる
「伊予の介、十月の朔日頃に下る………と思し知りぬらむかし」
三三 源氏の密事についての作者の評、帚木巻頭の文に応ず
「かやうのくだくだしき事は………あまり物言さがなき罪、さりどころなく」
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