Y まとめ

 夕顔物語は、大きくは初期、前期、中期、現行(後期)と四段階に分かれるが(表27)、細かく読み返しを行った方が作者の構想の変化をより深く感知できるはずである。

P280 表27

Z 結び−−−下の品への執着

 夕顔〔七〕〔一五〕は六條わたりに関係した文章であり、〔一五〕は前後関係としてもなくてもよい節であり、内容的には六條御息所の怨霊と関係して執筆時期を考察するのが適当と考えられる。しかし〔七〕は詳細にみると、六條わたりにいる中将の君と源氏の戯れごとが主で、〔一〕〔四〕〔一五〕と異なる。
 中将の君は「羅の裳鮮かに引き結ひたる腰つき、たをやかになまめきたり」と好色性を持ち、遊女的な印象である。〔三〕の夕顔に近い。更に和歌で「折らで過ぎうきけさの朝顔」と「契り」を暗示しており、「朝顔」と「夕顔」の類似からも〔三〕と〔七〕は同一水平線上にあり、遊女的夕顔時期の挿入としてよい。
 さて、前期夕顔物語で児めきて的夕顔は「下の品ならめ」のまま怪死し、二條院へは迎え入れられなかった。読者の納得は得られたが、紫式部にとってこれで充分だったのであろうか。
〔三〕以降の遊女的夕顔の後期挿入の意図はかなり明確になってくる。〔三〕で夕顔の素姓は「揚名の介なる人」の兄弟が、あるいは「妻の兄弟で宮仕人」とされた。「揚名の介」とはいったいどういう人なのであろうか。名称だけで職務も俸禄もない、名誉職の官名に近いということは、紫式部の父、為時あたりの階層に近似しているのである。その宮仕人は、為時と紫式部の親子関係そのままとは言えないが、下の品であることは確かである。源氏の恋の相手はここで初めて紫式部の階層まで降ろされた。少なくともそれ以前は「かしづく人侍る」程度で、下の品でも上の方か中の品にあたる身分であったのが、はっきりと下の品となったのである。〔五後〕ではそれをもっと明確に「かの下が下と、人の思ひ棄てし住なれど」と身分を確定した。
 それまでの夕顔物語では「下の品」との推定で読者の反応をみていた。しかし、Vでみた如くそのような女性は二條院に迎えてはもらえない。ならば「なにがしの院」で怪死しているから身分を下の品と固定したとしても、あとに影響が残らない。そして〔七〕で源氏自身に、中将の君という下の品の女性と「折らで過ぎうきけさの朝顔」、つまり契りたいと意志表示させている。
 紫式部がここまで明確に意図したかどうかは確証がないが、少なくとも〔一〕から始まって遊女的夕顔の後期挿入を通読する限り、下の品への執念を感じ取ることができる。
〔一七前〕から始まる児めきて的夕顔の怪死後の挿入は、源氏が夕顔を置きざりにして二條院に帰ってしまったことに対する読者の反応を受けて行われた。〔一七前〕では「かかるありき」が源氏にとって批判されるものであるからあわただしく帰ったのであり、〔一九〕では体の状態が悪く、頭も痛く熱感があり、「かくはかなくて、われも徒になりぬるなめり」であったから二條院で休んだのだと言い訳を追加し、更に「生き返りたらむ時、いかなる心地せむ」を挿入して夕顔の死顔を見舞う動機付けを行い、〔二二〕〜〔二四〕の挿入を導いている。このように後期挿入には以前の物語に対しそれなりの意味付けが行われているのである。
 そして、〔二七〕で源氏の「しのぶのみだれ」にも身分が必要であることが読者から求められ、しかたなく「三位の君」を夕顔の父とせざるを得なかった。紫式部が明確に意図したか否かは不明だが、夕顔を「下が下」の品にとどめることはできなかった。
 夕顔=常夏となってからも夕顔〔二六〕で「(娘は)さて何処にぞ。人にさとは知らせで、われに得させよ」と源氏が意図し、右近も「さらばいとうれしくなむ侍るべき」と同意している筋からすれば、撫子を二條院で養育するのが紫式部の構想であったと推測されるが、これとても読者の反応により断念したと思われる。
〔二三〕で右近は、夕顔の宿に戻れば「人にいひ騒がれ侍らむが、いみじきこと」を理由に夕顔の宿へ帰らぬと言い、〔三一〕で「若君の上をだにえ聞かず、あさましく行方なくて過ぎ行く」としていっさい夕顔の宿へ知らせず、撫子には構わなかったと筋立ての変更を行っているのである。
 このように源氏物語の読みを徹底すると、紫式部は読者の反応を読みとりながら、それなりに筋立ての変更を逐一行っていったと考えられる。その過程があるいは後期挿入であり、あるいは〔二六〕から〔三一〕への変更と捉えることができるのである。紫式部の構想通りにすべてが進んだわけではない。しかし、読者の反応を受け入れて行ったからこそこれだけの長文の源氏物語が世に受け入れられたのである。そして構想と後期挿入が密に結ばれているからこそ、成立論として後期挿入を綿密に P284〜285 表28 検討することによって紫式部の構想およびその変遷が明確にされ、今回のように紫式部の潜在意識すらも明らかにされてゆくのである。
 更に付け加えれば、私どものこの作業過程のみが紫式部に接近する唯一の方法であり、この作業過程を通じて読みも深くなってゆくと確信している。なお、今回出版するにあたって旧来の原稿を再検討したが、大筋では旧稿の通りで、細部に多少の変更と再分割があったことを付記して結びの終わりとしたい(表28)。
 雨夜の品定め、空蝉物語、夕顔物語をすべて包括した帚木三帖については、第二巻で論じる予定である。

引 用 文 献

1) 時枝 誠記 「文章研究序説」 山田書院            昭和35年9月
2) 甲斐 睦朗 「源氏物語『夕顔』巻の構成」 兵庫国漢第一九   昭和48年3月
3) 松尾  聡 「全釈源氏物語」 巻一 筑摩書房         昭和33年
4) 玉上 琢弥 「紫明抄・河海抄」 角川書店           昭和43年
5) 鈴木  朗 「源氏物語玉小櫛補遺」(甲斐睦朗「翻刻玉小櫛補遺」2)より引用)
6) 玉上 琢弥 「源氏物語評釈」 第一巻 角川書店        昭和39年