IV 結び

 源典侍論でみたごとき紫式部の強烈な個性は、今回の空蝉物語執筆では認められない。しかし文学性については、空蝉物語が入り組んで後期挿入されているために各所に散見する。
 後期挿入のための工夫としての
「紀伊守の妹もこなたにあるか(空蝉[三中])」
「かの紀伊守などいひし子ども(関屋[二])」
「この姉君や、まうとの後の親(帚木[一九前])」
「その姉君は、朝臣の弟やもたる(帚木[二三])」
等々があるが、それがかえって味のある特徴的な表現として生かされている。
また微妙な表現の違いを「しづまりぬなり」「しづまり寝にけり」「いとあまた寝たるべし」(空蝉[三])のごとく表現方法を工夫することで出している。「むべこそ親の世になくは思ふらめ(空蝉[二])」では「親」は一般的な意味の親から、親の伊予の介と意味がえを行い、「にはかにとわぶ(帚木[一八])」では突然のおもてなしができない意味の、源氏に申し訳ないという「詫ぶ」から、源氏が突然に訪れるなんて困ったものよという意味の「わぶ」に変えてしまっている。
「ふいにかくてものし侍るなり(帚木[一九])」も、空蝉の父親が死亡してこのように紀伊守邸に同居しているという意味から、ありし中納言の死後、伊予の介の妻となってしまった「かくてものす」の意味になっている。「いとかく憂き身の程の定まらぬ」も中納言が死亡してまだ浮いている身分で、どうとも決まっていない(未婚)から、いやな伊予の介の妻となった「憂き身」へとぎりぎりまでの言葉の意味の拡張、変更を加えた使い方がされている。  これ等がすべて源氏物語の難解性と幽玄性などに通じ、読めば読むほど作者たる紫式部の術中に陥る魅力となっている。
 パトグラフィーとしての解明も空蝉物語が四段階にわかれたことで序論より一歩論を進められるところまで来た。すなわち初期→前期→中期→後期空蝉物語の筋立てや登場人物の変遷を追ってゆけばすぐにでも可能であるが、空蝉物語だけでは論旨不充分となるので、本論では執筆の順序を解明したところで、空蝉物語変遷の概観を表示するにとどめる。(表10)

表10 空蝉物語の概観
  空   蝉 伊予の介 紀 伊 守 軒端の萩

 
聞きおき給へる女 −未婚
ありし中納言の女 −父親死亡
帚木       −和歌中
朝臣の弟やもたる
     −紀伊守邸に逗留
伊予の湯桁のみで
     未登場



「にはかに」とわぶ
かしこまりよろこぶ
     (源氏に)


西の御方





 
 
女房なむ
女房の下らむに
   −伊予の介邸在住
蝉の羽(=薄衣)
       −和歌中
伊予の守の朝臣
伊予の介で登場
 
 

下に歎く
    (源氏に)
 
 

 
かの帚木   −愛称
いざなはれにけり   
空蝉の世   −和歌中
伊予の家
伊予の介→常陸
 
   
衛門の督の末の子(の姉)
      −父親死亡
まうとの後の親 −既婚
不意にかくてものし侍る
なり  −夫の生死不明
空蝉の羽   −和歌中
伊予の介の子




主人の子




西の君





 
伊予の介は、かしづくや
     −伊予の介の後妻
思ひあなづる
       −結婚に不満
かの紀伊守などいひ
       し子
伊予の介に劣りける
      身こそ
女などの御方違こそ
    (源氏に)
すき心に、この継母
    (空蝉に)
 

 
北の方      −後妻
かの空蝉     −愛称
尼        −未亡人



老のつもりにや亡せ
ぬ     −死亡




すき心ありて
    (空蝉に)




片つ方
軒端の萩(和歌中)
女をば
  (伊予の介の)
紀伊守の妹
蔵人の少将の(妻)
萩の葉   −愛称