源氏物語解体新書

〜視覚と嗅覚の深淵な世界から〜

上田 裕一・上田 英代

第1章 香りは誰のため もてもておばさん 女性版『薫大将』

(1)MMKおばさん

 宇治十帖の物語の主人公はご存知のとおり薫大将である。前半の光源氏と頭中将のコンビは薫大将と匂の宮がライバルコンビとして物語は展開する。源氏物語は前半が光、後半が匂いだから視覚・嗅覚の世界、つまり生理学的な特徴を持っている。光と違って、香りの世界は言葉にも文字にも絵にもしにくい世界である。  それ故、文学者の研究で主人公が嗅覚的に特徴のある人物であるとの視点からの考察は今のところされていない。前半は「光源氏の物語」、後半は「宇治十帖」という視点での分類では、両者共に生理学的な特徴というに点に着目して人物を描いているという重要な視点が抜けているので結びつきは弱い。作者が別であるとの説も出るのはうなずける。しかし、前半は光、後半は薫りの観点からみると、作者はその感覚の世界で突出した人物を選び出し、その性格的特徴を見分け、かぎ分けて主人公とした眼力は他の作者では持ちえない。第1部で超美男子のこころのありようを考察した。この部では心地よい体臭の持ち主という観点から考察しその心のあり様を明確にし、なぜそのような人物に着目したかを考察する。
 まず、「香りの百科事典(丸善)」で香りと関わりのある人物を調べると、14人の名前が上げられている。
 ソロモン王とシバの女王/クレオパトラ/カトリーヌ・ド・メディシス/マリー・アントワネット/アレクサンドロス大王/皇帝ネロ/ルイ14世/ルイ15世/ナポレオン/楊貴妃/香妃/鑑真和上/聖徳太子/空海/エカテリーナ2世である。

『心地よい』香りを自ら発散していると記載されているのは
 女性ではクレオパトラ、楊貴妃、香妃。
 男性では聖徳太子、空海である。(アレキサンダー大王もと思っていたが)。
 その香りの記載は明瞭ではない。
が巷でも時折、興味本位採りあげられる話題でもある。
 品のある週刊朝日でも過去(1979年3月9日)にMMKおばさんを『MMKの嵐』として特集している。
このごろはローマ字の短縮省略が多いのだが、MMKとは、もMoててもMoててこKoまるのことである。

『外国人悩殺光線』を発し既に結婚していたが、将校以下4人から求婚された。
引きつけられた相手は純情な青年ばかりではなく血走った目で迫ってきたものもいた。 さらにその人の母親も同様であった。
産気づいた時、産科のお医者さんでもない医者がお腹をさすって付き添ってくれた。 退院の際、一言お礼をと探したが何科の先生かわからずじまいで、門を出ようとすると 、あの先生が、守衛の恰好で立っているのではないか。
そで小声でいうには、『君の匂いが忘れられないよ』


との話を載せている。 わざわざ 「2月2日号より連載の『MMKおばさん』は各方面で反響を呼び、 『実は、私も・・・』という投書をたくさんいただきました。 今回は、その中より、本欄が『真正MMK』と認定した十五人を紹介(紙面の都合で一部ではイラストのみ)、うち三人は写真も掲載しました。
 MMK叔母さんについて、上野動物園の中川志郎飼育課長は「フェロモン介在の可能性」 を指摘し「動物的な機能が強く残存している人間がいたとしても、ちっとも不思議じゃ ない」
 とコメントしている。フェロモンには嗅いだ人に『君の匂いが忘れられないよ』と言わせてしまう力があるようだが、心地よい体臭レベルから考察を始めそのなかからフェロモンの作用を類推・集約していくこととする。

中村祥二『香りの世界をさぐる』(1989)でさらに香りの具体的な世界に入って行こう。
氏は東京大学を卒業し、資生堂に入社後30年にわたり香料の研究開発にかかわったパーヒューマである。先の「香りの百科事典(丸善)」の執筆者の一人である。かおりに対して並々ならぬ情熱を傾けている。特に「香妃と沙棗」P26の項では、
 東洋と西洋の歴史に登場する美女たちには、香りにまつわるエピソードが多い。中国 にも美女は 多いが私が選ぶとすれば、香りにまつわる逸話がある三美女の西施(春秋時代)、楊貴妃(唐)、香妃(清)である。そのー人香妃は、からだ全体から、まれにみるかぐわしい香りを発した女性として、また、皇帝に求愛されながら、若くしてその命を絶った 悲劇のヒロインとして知られている。  香妃の体臭になぞらえられた沙棗とは、どんな香りなのだろうか。

と、まれにみるかぐわしい香りに強い関心を示し
 『作家の井上靖氏もこの挙体芳香に興味をもたれていた。先年同氏はシルクロードを 追ってカシュガルの現地にいかれ、土地の故老に香妃の体臭について聞かれた由である。土地の故老いわく、
『それはかぐはしい棗の花の匂いがした』
諸江辰男『香りの歳時記』(東洋経済新報社)

をもとに、1985年、資生堂の研究者と高砂香料と共同で、香妃の香りの源を求めて、シルクロード沿いに調査隊を派遣する。調査隊は出発して数日足らずで、沙棗の花に出合え、持ち帰って香料を抽出し期待に胸を弾ませて、かいでみたその香りは、氏のまったく知ないものだった。氏には、仕事柄、花を見っけるとすぐ香りをかぐ習慣がある。
   数多くの香りを知っているつもりだが、その香りは初めてだった。花の香りには違いないが、エステル様の、強く甘い果実の香りを伴っている。それに、くせのある動物臭もある。その動物臭は、ビーパーの香から取るカストリウム(海狸香)の、鼻からのどに抜けるような、鋭くて、手につくとたやすくは離れない、持続性と重さのある香りだ。
 後で分析して分かったことだが、それは桂皮酸のエステルが五〇パーセントも含まれる、極めて珍しい組成であった。これが独特な香りに関係していた。
このような成分組成の花の香料は、これまでに見いだされてはいなかった。


沙棗のかおりに到達した彼は、古老の言う「かぐはし」さを香水に加える努力をする。

 香妃の香りを再現し、この魅力ある香りを香水に活かすことはできないだろうか。 新しい香水を創作するためには、これまでにない香りを持つ天然香料や合成香料、 あるいは新奇な組み合わせなどで、オリジナリティーと特徴を出さなければならない。 沙棗の素材は、香水の創作にはうってつけのものである。
 香妃の香りの創作に当たって私たちは、分析結果を応用しつつ、沙棗の香料を中国から 入手して使ってみた。また、人をひきつけるフェロモン作用を持つと報告のあるヒト体臭成分アンドロステノールを配合した。こうして出来上がった氏たちの香水「SASO」は、女らしい成熟した大人のイメージを表現したものである。上品なセクシーさを持つ個性的なこの香りは1988年に発売後、好評だった。


 氏は、香妃の香りを、沙棗+ヒト体臭成分、として「SASO」で表現した。
香妃の体臭は、本当に 沙棗のようであったかどうか。それは、乾隆帝に聞くしかない と。 また、からだのにおいの章P189で、

私は最近、良い本を見つけた。吉行淳之介の小説、『不意の出来事』(S40)の中で、それが (性感情の高まりに伴って表れる様子が)巧みに表現せれていたのだ。
 「いつもの匂いが、雪子の躯から立上ってこない。裸になったばかりの雪子の躯は、無臭 である。しかし、私の躯に密着している雪子の躯ぜんたいが僅かに湿りを帯ぴてくると 、その匂いが漂いはじめる。平素はにおいの無い躯が、興奮し汗ぱむと、かすかににおいを放ちはじめるのだと、私は考えていた。  しかし、あるとき私はその匂いに疑問を持った。その甘酸っぱいにおいには、奇妙な粉っぽさが混っている。粉っぽいにおい、と言っても理解され難いだろうが、たとえば橙色の大きな蛾の鱗粉にまみれた指先をもてあつかいかねているような感じが、そのにおいを嗅ぐと起ってくる。冷静なときならば、悪臭にちかくおもえるものに違いないが、そのにおいは私の官能を歪んだ形で引掻くようにそそり立てる。結局、私はそのにおいに奇妙な魅力を覚えるのだが、しかし、人間の躯から立上ってくるにおいとは異質なものが、感じられる。  その匂いを、私は体臭と化粧品との混り合ったものと考えていた。しかし、雪子の腕からも二つの乳房の間の窪みからも脇腹からもまったく同じ匂いを嗅ぎとった私は、雪子に訊ねてみた。『からだ中に、オーデココンを塗りつけている、なんてことがあるかね』 『まさか、映画に出てくるお金持の娘じゃあるまいし』」

と、そのフェロモンと思われる表現に感心している。 「冷静なときならば、悪臭に近くおもえるもの違いないが、その臭いは私の官能を歪んだ形で・・」 とあるごとく、匂いそのものの濃度が濃いと悪臭と感じるとう特徴を感じている。いったんは
「人間の躯から立ち上がってくるにおいとは異質」に感じても、実際に発散しているところが腕、乳房の間、わき腹とアポクリン腺の多い所場所を特定している。

小説であるからどこまでフィクションか判らぬが「実体験として香り」であると推測できる。作品が発表され出版されたのは1965、中村氏がつい最近というのだから彼の出版の1989年少し前で、吉行氏は1994年7月まで存命。さらにパーヒューマーとしての氏は、ある香りをつけている女性を、その香りだけを頼りに嗅覚でおいながら、探し当てることもできる能力もある。香妃の身体から発する香りの『沙棗』をその源にまで探検隊を派遣して見つけ、新たな香水「SASO」を作り上げた。が、香妃の発する香りは「沙棗」に近いものだが「沙棗」そのものズバリではない。しかも古老の『それはかぐはしい棗の花の匂いがした』と言っても香妃の香りを味わってのことでは無く、又聞きである。雪子さんの香りはまさにそのものずばりの香気と見定めたのだから、吉行氏の彼女の雪子さんの香りを氏が求めればまた新たな展開が開けたはずだ。その結末を知りたいが誠に残念であるが書かれていない。が  この後の物語の進展は、

雪子は息を大きく吸い込んで 「本当だわ。どうしたんでしょう、厭なにおいね」 「きみのにおいじゃないんだね」 「あたしの躯には、においは無い筈だわ」 「厭な、というものでもないが。きみの腹の中が甘く腐っているような・・・・」 ・・・・・・ 「ちょっと待って。覚えのあるにおいなの」 不意に、雪子の眼の奥が開き、光が覗いた。 「分かったわ。あたしのアパートの中に、ときどき這入ってくるにおいだわ。近くの大学の研究室が・・・においはそこから出てくるらしいのよ」 ・・・・・・ 「研究室の実験は終わったのか」 「どうして?」 「匂いが無くなった」・・「引っ越したのだな」

 とその香りの源を雪子の身体から外してしまった。そして、香りに導かれる衝動、行動、思考が全くない。では、中村氏の判断が甘かったと言えるのかと考えると、そうばかりとは言えない。書かれている内容はフェロモンそのものと言える。私の推量ではあるが、作家の吉行氏が素晴らしい香りの体験を性的な方面で活用・発展されることを控え、雪子と情夫との関係を慮る要素としてのみ活用したのであろう。ではその後、この素晴らしい性に纏わるテーマは深く熟成させていったのか、せざるを得なかったのか、せっかく中村氏が糸口を見つけてくれたのだから、吉行氏の動向を氏に代わって読み解こう。

(2)吉行淳之介の『「暗室」のなかで』

 この作品のあと吉行淳之介は、銀座のクラブ「ピノ」で、ある女性に出あった。
 彼女の表現では、初めて顔をあわせたとき、 (『「暗室」のなかで』 大塚英子 p31-32。作者が夏枝のモデルである。大塚は、28年間も「暗室」で吉行と時間を共にした。そして彼の死後、夏枝として語る)

 吉行が「ピノ」で初めて夏枝を見たときの様子は、一種劇的だった。吉行淳之介 ごー行の座った席の前を夏枝が歩いて行くと、彼はー瞬、時が止まったような表情 になった。一拍あってから、声を出した。 「ホーキミ、ここへ、おいで、ね、ここへ」 吉行の周りをかためていた女性たちに、敵意の籠った殺気のようなものが走った。 一瞬の間にそれを感じとった夏枝は、吉行に会釈だけ返して、近寄らなかった。 

前哨戦では、同業の女性たちの敵意の氷が張ったので吉行に会釈だけで無視した。

翌日、彼はー人でやって来て、夏枝を招んだ。夏枝はその時間、自分の顧客の接 待中だったため、ほんの四、五分程、彼の傍へ行ったと思う。吉行はそのとき、神 田駿河台の山の上ホテルで仕事をしていること、必ず訪ねて来てほしいという意味 のことを言って、山の上ホテルの電話番号をメモした紙を、夏枝に渡した。彼女は メモをもらって席を離れたが、電話をする気もなかったし、訪ねる気持もさらさら なかった。

そして、誘いも載らなかった。

吉行に「ピノ」であってから2カ月後の昭和41年3月末に、すでにクラフ「ピノ」を辞め浪人中だった夏枝は、久しぶりに自由な時間を過ごしていた。銀座七丁目並木通りの喫茶店でー人お茶を飲み、爛熟日夜の街の中へ歩き出してまもなく、夏枝は、旧電通前で、まったく偶然に吉行氏に出合わした。

彼は「アサヒ芸能」編集者F氏と、当時リライトを担当しておられた長部日出雄氏と 一緒だった。三氏とも、すでに大分酔っておられたようだった。昭和四十一年三月末の夜である。吉行は路上でいきなり夏枝の腕をしっかり掴むと、F氏と長部氏。ゲー足で蹴る真似をして・・・シッ、シッ、あっち行け・・・と言った。その仕種は、やんちゃな幼児のようであった。勿論、両氏とも苦笑しながら、その場を離れて行った。  二人きりになった吉行は、夏枝の運転する車の中で、言った。

「行こう・・・」 「・・・」 「お互い仲間うちみたいなものじゃないか。君も、相当修羅場を踏んでいるようだし」  夏枝は、黙って頷いた。ホテルの前で吉行は、少し笑いながら、しかしきっぱりと言った。 「ホレた、ハレたはなしだよ」  夏枝は、微笑みながら再び頷いたが、心の中で呟いていた。  ・・・・望むところだ・・・・。

深い関係になって一、二力月経ったて、ホテルの部屋で夏枝は、 七年位前にあたし、一度先生に会ってるのよ、銀座の・・・・」 「あっ」  吉行はそう叫び、人差指を夏枝の?の前につきつけて言った。 「黙れ、黙れ黙れっ、それ以上言うな、その先は俺が言う。夕方だ、「江安餐室」の前だ・・ そうだ、あのときの子だ、君は、あのときの子だよ、車が沢山あって ・・・誰か、背の高い女とー緒だった・・・そうか、・・・そうだよ」

覚えていたのだ。あの時の一瞬のキラメキを。名もない知らない女の子との出会いを。七年も前の通りすがりの。場所も、時間帯も、連れの女性のことも、道の様子まで。花道を歩く役者のような趣で、吉行はー人で歩いてきた。夏枝が、・・・あっ、吉行淳之介だ・・・と思った瞬間、吉行の眼と夏枝の眼、二人の視線が空中でぶっかり、ビカッと飛び交った。
一瞬のことであった。あの一瞬のキラメキを、彼は覚えていたのだ。

「こんな偶然ってあるかなあ。こんなこと、もし書いても誰も信じないだろうなあ。いい 加減にしろって言われるだけだよなあ。でも、あのときの君は、本当に凄かった・・・ まるで、土の中からふーっと湧きあがったような感じで、靄が集まって出来たみたいで・・・」 「ほんとに覚えていたのね、あんな短いー瞬のことだったのに」 「あれは強烈だったもの。どうして蹤いて来なかったんだ、惜しかったなあ、あのとき蹤いてきてくれればよかったのに」 「そんなこと出来ないわ、知り合いでもないのに。それに、その本人がここにいるんです もの、いいじゃありませんか」 「よくない、その間に、いろんな奴といっぱいヤッた」 「いっぱいなんてしません」 「惜しかったなあ、でも、まあいいや。あのときはこっちも大変だったから、あれ以上揩ヲたら困っちゃった」

この体験をもとに吉行淳之介は、『暗室』(S45)を仕上げている。最初の出合いは、作品中では

「あたし、あまりお金はかからないの。外へも出ないし、ほとんど食べないし・・・」  乾いて?いもの、たとえばチョコレートを小さく折って唇に差し込む夏枝と、コップの中の液体を含む夏枝しか、私は見たことがない。 「しかし、きみと最初に会ったのは、食料品店だったんだぞ」 「そうねぇ、食べ物を売っているお店で会ったのね」  回想が、私を捉えた。葡萄酒を買いに、私はその店に立寄った。そのとき、若い女と視線が合った。 「あ」  と、私は咽喉の奥で声を出した。滅多にないことだが、「この女とは?の関係をつくることができるな」と感じたのである。しかし、見知らぬ女に声をかけることのできる私の性質ではない。生れてから、一度もそういうことはできなかった(私は、自分の性質について述べているだけである。そういう形の誘い方ができない、ということである)。  すぐに視線をはずし、葡萄酒の包を持って店を出た。 半月ほど後の夕方、街角を曲ると、そこに女がいた。眼を俯せるようにして、私の前に立っていた。知り合いに偶然出会った心持で、 「やあ」  と、私は声をかけ、次の瞬間、あの大きな食料品店の中で眼が合っただけの女と分つ た。女は黙ったまま、唇のまわりに笑いを含んで、眼を上げた。地面の底から、突然せり上ってきたように、そのとき私は感じた。  女の全身が、誘っているようにみえた。私は片方の掌で女の肩をおさえ、「ともかく、行こう」  と、言った。  どんな解釈でもできる言葉なのだが、女は答えた。 「今日は駄目、今度・・・」 「今度だって、いつ今度があるんだ」 女の髮の毛は、私の顎のあたりにある。強い匂いが、刺戟してきた。 「行こう、仲間うちみたいなものじゃないか」  反射的に、そう言った。「仲間うち」とは、「お互に、ちょっと悪なんだから、気軽に遊ぼうじゃないか」というような意味である。半月ほど前に、 「あ」 とおもった気持と、その言葉とのあいだには距離があるが、女のにおいの種類がそう いう言葉を、私から誘い出したようにおもえる。  その女が、今では「夏枝」という固有名詞を持って、眼の前にいる。

  視線が合って、目が綺麗だとか、顔が素敵だとかの視覚的な情報のやり取りがない。それらをすっ飛ばして肉体関係に進むだろうと直観する。従来の性格からその場で声をかけることは抑制される。半月後、街角を曲がったときバッタリと彼女が目に入った時に、知り合いに偶然出会った心持で声を掛けてしまう。その感情、行動は一体どこから起るのだろうか彼も分からない。どうして、知り合いに出合った心持になったのだろうか?その気持ちを起こさせて、声を出させる行動に導いたのであろう。そして片方の掌は女の肩に向かい誘い出すために 「ともかく、行こう」と言ってしまう。考えての行動ではない。  そればかりではない、強い匂いが刺激してくると、「仲間うちみたいなもの」と一緒に行動して当たり前との言葉が出てしまう。この時は田中氏は、はっきりとその仲間は「性行為をする間柄」と意識に上る。会話することもなく、以心伝心のごとく、しかも性的雰囲気を伝へあったのだ。そして、それが「女のにおいの種類がそういう言葉を、私から誘い出したようにおもえる。」と婉曲に表現している。端的にいえば、女のにおいですべての気持ち、感情、行動が一貫して性行為へと誘ったのである。女の髮の毛は、私の顎のあたりにある。強い匂いが、刺戟してきた。これこそ、性フェロモンの作用であろう判断できる。  吉行氏は、主人公の中田が関係した女性3人の香りを雪子の場合よりももっと頻回に表現している。花の香りのエキスを抽出するがごとく、男女間で交わされる香り表現を多く集めることが大切である。「暗室」での表現を抽出すると

マキ:p34
私はマキのズボンの胴のところへ両手をかけ、力一杯引きおろした。下穿きもズボンと 一緒にずり落ち、マキの下半身が?き出しになった。
 布団の上に仰向けに倒れているマキの腰をかかえ、その?に体重をかけて下半身をおさ え付ける形になった。その裸の腹に、私は顔を強く押しつけていた。しかし、その瞬間から、マキの?が動かなくなった。マキの腹から、私は顔をすこし離した。
 眼の前に、裸の腹のひろがりがあり、私の顎のあたりにそのひろがりの下の黒い叢が ある。旺んな濃い叢である。私は青春期を過ぎてから、女の?についての好悪が烈しくな ってきた。私の好むのは、柔らかく煙るような陰毛である。
 躯を離そうとしたとき、ふと香水の匂いを感じた。マキの裸の腹に顔を寄せてみたが、そこには匂いはなかった。顔をマキの腹に沿って下げてゆくと、あきらかにその叢から香水の匂いは漂い出していた。
p83
マキの言葉をなぞってみた私の頭に、不意に閃くものがあった。
マキの躯の一部分から匂ってくる香水の事である。


多加子:p173
はじめて多加子が約束を破ったとき、私は待合せの場所の喫茶店の椅子に坐って、しば らくぼんやりしていた。多加子の体臭は、ほとんど無いといってよいくらい淡い。しか し、肌に付けた香水があたためちれると、独特の匂いを放つ。そういう多加子の体臭が、一人で坐っている私の鼻の先をなまなましく掠め、ほとんど多加子に恋着している心持が動いた。

夏枝:p196
一瞬、夏枝の躯が放っている強いにおいを、私は意識した。いろいろの男の混り合った 精液が、夏枝の肉を透してにおってくる。それを消すために、必要以上の分量の香水が のにおいと緒み合ってしまってる ・・・。夏枝のにおいを、そのように感じたことがあった。しかし、娼婦の持つ雰囲気は、夏枝には無いようだ。
p198
女の髮の毛は、私の顎のあたりにある。強い匂いが、刺戟してきた。
「行こう、仲間うちみたいなものじゃないか」
 反射的に、そう言った。「仲間うち」とは、「お互に、ちょっと悪なんだから、気軽に遊ぼうじゃないか」というような意味である。半月ほど前に、
「あ」
とおもった気持と、その言葉とのあいだには距離があるが、女のにおいの種類がそうい う言葉を、私から誘い出したようににおもえる。
 その女が、今では「夏枝」という固有名詞を持って、眼の前にいる。
p211
 夏枝の頭と私の頭とは、ベッドの上で並んでいる。顔を横に向けると、耳が私の眼のすぐ傍にある。手を伸ばして、夏枝の耳のうしろを撫でてみた。上へ向って楔形に開いて骨が指先に当ってくる。その骨を覆う皮膚の部分にだけ、まだ薄赤い色が残っている。以前から、その部分だけとくに赤が色濃く滲み出してきて、ときにはどぎつい感じを受た。いま、私の眼の前にある薄桃色の皮膚の部分は、可憐に見えてきた。耳のうしろに鼻を寄せてみる。以前の夏枝は、独特の濃厚なにおいを放っていた。強すぎる香水のにいを除いても、濃い体臭が残るとおもっていたのだが、香水をつけていない夏枝には、臭は無かった。しかし、水は無味といわれているが、天然の水にもー種の味がある。味ない水に、水の味があるように、無臭の夏枝の?からやさしい匂いを私は感じた。その体温が、あたたかく私の鼻腔に流れ込んでくるのであろうか。それは、私の心が夏枝に向って開いていく証拠のようにおもえた。
p265 
夏枝のいる建物の口をくぐると、空気の中に微かに夏枝のにおいを嗅ぎ取る。いまの夏枝の躯には、においは無いといえる。しかし、官能を唆ると同時に、物悲しい気分にさせるにおいが、微かに漂ってぃる。階段を昇り、長いコンクリートの廊下を歩いてゆく。においはしだいに濃くなってゆく。それは、私にしか分らないにおいに違いない。やがてそのにおいが、鼻腔の中で噎せるほどの濃さになる。
 そのとき、私は夏枝の部屋の前に立っている。扉のノブを握る。その向うには暗い部屋 がある。


さらに、相手の大塚英子は『「暗室」のなかで』では、吉行との間で複数回のエクスタシーを経験したと明かにした。

初めての夜、四谷のホテルの部屋で、夏枝の身体に思わぬことが起ったのである。それまでー度も経験したことのない強烈な快感が、二時間程の間に、七回も八回も夏枝の身体を襲ったのである。生まれて初めての体験だった。

と思ってもいなかった強烈な体験を赤裸々に語っている。そればかりではない

それは、その後吉行淳之介が、夏枝の身体を次々に開発してゆく第一歩であったのだが・・・・。

と潮吹きにも話が及んでいる。

あるとき岡山からの帰りの道中で、新大阪から小松左京氏が乗り込んで来られ、近寄って来られた氏は、・・・やあ「墓参りですか ・ ・・とおっしゃり、豪快にお笑いになった。そのあと大分経ってからだが、小松氏と対談をした折(昭和五十五年十二月一日・恐怖対談シリーズPART3「小説新潮」)、特殊な体質の女性との体験話が出て、その現象の全く同じことを確認し合い、握手を交わした。吉行は差し障りを恐れて、大昔の体験と言っているが、その本人があのときの夏枝だと知ったら、小松氏はもう一度びっくりされるかもしれない。夏枝は吉行にめぐりあって、自分に潜在していた、そういう特殊体質を開発された。もし、吉行に出わなかったら、夏枝自身、生涯知らずに終わったことだろ。恐怖対談のその部分だけ、少し引用してみる。

 小松 浣腸で思い出した。吉行さんは潮吹きって出会ったことありますか。
 吉行 潮吹きは、オシガネ博士の縄張りです。
 小松 押に鐘と書く・・・。
 吉行 さすがになんでも知ってますねえ。押鐘博士を知ってぃる人はきっと少ないと思う。
 小松 有名な方でしょう。
 吉行 一部ではね。その押鐘医学博士がー二十年前に実験してみたら、膣からドンドン出るひとがいる。採集してみると何十CCとか何百CC出たとか・・・。しかし噴水みたいにピュウピュウ出るというのはあったかな。
 小松 あれはゴボッゴボッと出て来るんですよ。実は昔、ぼくは出会ったことがある。びっくり仰天した。まずー番心配したのはシーツがびしょり濡れになっちゃって・・・
 吉行 しかし、サッとすぐ乾いたでしょう。
 小松 そーなの。シミが全然残らない。
 吉行 それを潮吹きというのなら、大昔に出会ったことがある。

ここで、大塚英子は自らの体験で

 (小松氏には申し訳ないが、シミが全然残らないというのは誤りで、そのときは、サッとすぐに乾いてしまうが、翌日、朝の陽光に透かして見ると、満月のように大きく丸く、魚の鱗のように薄い銀色に光るシミが残るのだ。吉行はその報告を聞き、強い興味を示し、何回もその痕跡を見に訪れた。・・・キレイなものだねえそして銀色だけのときと、薄い虹色に光るときとがあることを発見した。彼の意見だと、その色の違いは、多分に生理現象に関係があるということだった)

といわゆる”潮吹き”も経験し、吉行に「夏枝は、かなりの躊躇があったが、彼の指示に従って、全裸になった。言われたれた通り乳首と乳暈、腋の下、下腹部にうすく紅をさし、その上に黒いオーバーコートだけを羽織って、素足にハイヒールを履いた。その段階ですでに夏枝は十分上気していた。」p73ことも行いながらでも、大塚自身は香りについては自覚していないようである。
 だが、「暗室」日記 大塚英子 上巻 1984-1988では、まえがきでp5

 私は”虫干し”のときとか旅行のときとかの例外を除いて、吉行が私の部屋を訪れる日は、食物はおろか、水分もー切摂らない。身体の中に食物の詰まった状態で、彼に抱かれるのが厭だったのだ。また、うっかり水分を摂って、彼の滞在中に、ある個室へ行かなければならないような羽目になるのも、私の美意識が許さなかった。吉行の到着が深夜になろうと、私は長い歳月、それだけは守り抜いた。吉行はそんなことは知らない。常にそういう姿勢を貫いていたので彼も自然に、疑問すら抱かなくなっていた。しかし私は、徹底してそのことだけは、最後まで貫徹したという自負がある。

この状態では、自律神経系は動揺するであろう。

 吉行は、私が息も絶えだえになると、黙って冷蔵庫へ行き、特別に冷やしてあるグラスの水を口に含み戻ってきて、私に口移しで飲ませてくれる。何時間にも及ぶと、何回もそれを繰返さなければならなかった。

2時間に数回のエクスタシーに達すれば、発汗も極度でレギュラーに食事していても脱水なる。

 私は吉行を迎えるとき、いつも羽根のように柔らかい、様々なナイティーを着て待った。彼の手がそれに触れると、まるで魔法のように、あるいは生きもののようにするっと逃げて、瞬時に私を裸身にする。彼が私の裸身を抱き締めて、二、三分もすると、私の全身にじわーっと汗が滲む。それを確かめると、吉行は私にあることを促す。私が彼の要求に応えていると、私の無毛の腋下から、膝の裏から、大量の水分が湧き出し、流れ、吉行を満足させるのだ。変わらない愛に満ちあふれた、その同じ営みを、私たちは二十八年間少しも飽きることなく、それどころか、より深く互いを混交し、溶け合って、一つになっていった。

と述べている。
 吉行が本物の夏枝(大塚英子)に促したのはなにか?『私が彼の要求に応えていると、私の無毛の腋下から、膝の裏から、大量の水分が湧き出し、流れ、吉行を満足させるのだ。』これこそが、「暗室」のなかで吉行が求めていた香りを発散させる行為であろう。吉行は、香りという目に見えない蜘蛛の糸で暗室に引き込まれる。そこには、素敵な女郎蜘蛛との自覚していない夏枝が居る。そして、自ら巣に引きこもり、香りを出させてくれる養い主を引き寄せる。暗室では強烈な性の世界が長期間に渡って展開する。

 においはしだいに濃くなってゆく。それは、私にしか分らないにおいに違いない。やがてそのにおいが、鼻腔の中で噎せるほどの濃さになる。  そのとき、私は夏枝の部屋の前に立っている。扉のノブを握る。その向うには暗い部屋がある。

吉行きはその後、「裸の匂い」を書いている。タイトルから「匂い」の進化を期待したが、「暗室」ほど具体的な匂い表現はない。ただ一か所

 ユミは、安井のベッドでの実力を知っている。 この前のときには、その実力をわざと示さずに、一枚の紙片を裸の腹の上に落とされてからかわれてしまった。最初のときのことを、ユミはおもい出す。騙す気持がどこかへ行ってしまうほど翻弄されて、頭の中が白くなった。 いまは「もう騙そうという気持を捨てている。それに、多田三郎に内緒で、安井と密室にいる。 三郎を裏切っている気持が、ユミを燃え上がらせた。 「困るわ、困るわ」 と、ユミは口走った。 それが快感の表現であることは、そのウワ言のような口調で分かっているのに、 「なにが困るんだい」 安井はユミの顔を覗いて、平静な口調で訊ねてくる。 ^密室の中が、ユミの肌の匂いでーぱいになった。 やがて、ユミの四肢の力が抜けて、シーツの上に投げ出されたようになった。

頭の中が白くなった。ユミを燃え上がらせた。困るわと、ユミは口走った。四肢の力が抜けて、投げ出された。とあるから、完全なエクスタシーのときにである。密室の中が、ユミの肌の匂いでーぱいになったことは香りはフェロモンとして性的興奮時に発散される。この場合、肌(腋下を含めて)の匂いとあるが、女性性器の香りも加わっていると考えなければ片手おちである。

マスターズ・ジョンソンの性反応で最も疑問視された、快感を感じた時膣壁から汗をかいたように湧き出してくることを電子顕微鏡的に初めて明らかにした渡 仲三(名古屋市立大学名誉教授:解剖学)の「愛液の神秘」によるとフェロモンを発散していると考えられる身体の部分は、まさに吉行氏が確かめた場所と一致する。  「甘酸っぱいにおい、官能を歪んだ形で引掻くように、体臭と化粧品との混じり合った」においである。「甘酸っぱいにおい、官能を歪んだ形で引掻くように、体臭と化粧品との混じり合った」に「忘れられない」で「持てて言い寄られる」」においと推測される。視覚の世界の表現は事細かに記載できるが嗅覚の世界では経験しないと表現ができないし、香りの特徴は述べて伝えることはできるが、薄ぼんやりとしたイメージがせいぜいで具体的には嗅いで実体験しないと限り同定した納得はできない。またサイエンスの分野で使われている「フェロモン」という用語と、世間で飛び交う「フェロモン」という言葉の、意味や用法の違いやズレが生じている。ここではサイエンスの分野での「フェロモン」は動物で直接的な生殖行動として発現するのに、本能から逸脱した人類ではフェロモン作用がどのように修飾されているかを検討していく。

(3)「匂いのエロチシズム」鈴木 隆

その意味で「匂いのエロティシズム」の著者である鈴木 隆氏の体験した香りは人間におけるフェロモン作用と考えられる。その序章を引用する。 p8,9,10

 忘れられないにおいがある。  はるか昔、私が高校生のころの話である。男子校の生徒だった私は、ふだん同じ年ごろの異性というものに接する機会もなく、ただ学校と家とを往復する日々を送っていた。あるとき、クラスの友人の家に遊びに行くことがあった。東京の郊外の多摩川に近い住宅地である。油絵を嗜むその友人はどちらかというと寡黙なたちで、教室では自分の家のことなどあまり話さないのだが、駅まで迎えに来てくれた彼に連れられて行った家はかなり大きなもので、庭の芝生がまぶしかったのを覚えている。
 友人の部屋で画集を見たり、ドビュッシーのレコードをかけたり、昔の高校生らしいことをしばらくした後、たぶんお手洗いを借りに私が部屋を離れ、用をたして戻ろうとした途中のことである。
 突き当たりの友人の部屋に通ずる廊下の左側の扉が少しだけ開いているのに気がついた。同時に、友人には大学に通うお姉さんがいるということを思い出していた。まだ姿を見かけていないが、そこがお姉さんの部屋のような気がした。部屋にいるのだろうか。胸の鼓動が高まるのを感じながら、その前を通り過ぎるとき部屋の中をのぞいてみた。すぐに人の気配がないのがわかり、大胆にも、私は立ち止まって扉をもう少し広く開げようとしていた。
 ・・・カーテンが半分ほど開きかかった室内は薄暗く、それだけに一層何か悪いことをしているような気にさせたが、好奇心で一杯になった私は半身を扉の開いた部分から中に入れようとしていた。ベッドの上の乱れた布団やなにげなく置かれたパジャマが目に飛び込んでくるのと、そのにおいを感じたのはほとんど同時だった。いや、においを感じたというより、そのときの印象はにおいに包まれたという感じだった。
 それは、若い女のにおいと言ってしまえばそれまでだが、シーツの上に投げだされたしなやかな肢体のような掛け布団の姿と肌触りのよさそうなパジャマから漂う肌のようなにおいと、シャンプーの香りなのか化粧品なのか、髪の毛のにおいのようでもあるなんとも女っぽい香りがまざりあった、心地よい、からだから力の抜けていきそうなにおいであった。その快さに立ち尽くす格好になったが、人に見つかるのを恐れる気持ちが働き、あわてて友人の部屋に戻ったのだった。


なんとも女っぽい香りがまざりあった、心地よい、からだから力の抜けていきそうなにおい。その快さに立ち尽くす格好になってしまう香り。においを感じたというより、においに包まれたという感じ

 もう一度あのにおいを嗅ぎたいと心の底から願ってはいたが、あの部屋に入る理由が見つからない。次第に、あのにおいが失ってしまった大切なものに感じられてくる。その後はそわそわと落ち着かず、話も上の空になってじき暇乞いをすることになった。部屋を出て、ここでいいよと帰ろうとするが、もちろん友人は玄関まで送ると言うので廊下を一緒に歩くはめになる。通りしな、わずかでもあのにおいが嗅げたらと期待したものの、あっという間に通り過ぎてしまった。胸の中が苦しいような、切ないような気持になったまま、友人の家を後にした。

もう一度あのにおいを嗅ぎたいと心の底から願ってしまう香り。その後、そわそわと落ち着かず、話も上の空になってしまう。わずかでもあのにおいが嗅げたらと期待してしまう香り。また嗅げないと、胸の中が苦しいような、切ないような気持ちになってしまう香り

 友人のお姉さんは名を弥生さんと言った。その日から、私が弥生さんに恋をしたのは言うまでもない。しかし、当時二○歳くらいの、音大に通っていた弥生さんに思いを打ち明ける勇気などそのときの自分にはなかったし、だいいちまだ面識もないのだ。それに、私の想像の中の弥生さんは、あまりにも美しく大人びていて、とても手の届かない高嶺の花のようにしか思えなかった。切ない思いを胸にしまい込むより他はなかったのである。

においを嗅いだだけで恋をしてしまう。弥生さんは、あまりにも美しく大人びていて、とても手の届かない高嶺の花のようにしか思えず、切ない思いを胸にしまい込むより他ない。しかも、まだ面識もない、架空の弥生さんに恋をしてしまう。
友人には大学に通うお姉さんがいるということだけで香りの主を弥生さんと直観する。そこには不確かな状況証拠だということへの疑問もない。まさにこれこそフェロモンであろう。

 今でも、あのときのにおいを思い浮かべることができるし、そのにおいを嗅ぐことを想像するだけで、なんとも胸のうちがくすぐったくなるような切なさと同時に、今でははっきりとエロティックなものとわかるある種の心地よさを覚える。あのにおいは、そのとき引き起こした私の胸のうちのざわめきの記憶まで含めて、決して消え去ることはないのである。

今でも、あのときのにおいを思い浮かべることができ、そのにおいを嗅ぐことを想像するだけで、なんとも胸のうちがくすぐったくなるような切なさをおぼえあのにおいは、そのとき引き起こした私の胸のうちのざわめきの記憶まで含めて、決して消え去ることはない
そして、大人になってはっきりとエロティックなものとわかったのである。初恋の思い出と同じく彼の人生に色濃く影響するエロチックな香りである。

 ずっと後になって、その友人の結婚式に呼ばれたときに、私は初めて弥生さんと顔を合わせることになる。小さいお子さんを連れた美しい人妻がそこにはいた。けれど、その姿にはあのときの弥生さんのにおいと結びつくものが何もないような気がした。イメージと違った、という意味ではない。私がそのにおいを嗅いで自分の中に育ててしまったものと弥生さん本人とは、そもそもつながりのありようがなかったのだ。それが淋しいというわけではない。むしろ、ああそういうことだったのだな、という妙に納得したような思いがあるだけだった。

 友人の結婚式に呼ばれたときに、初めて顔を合わせた弥生さんにはあのにおいと結びつくものが何もないことを知る。そっとわずかに忍び込んだ部屋が弥生さんの部屋だったのか、ほかにお姉さんや同居の女のひとがいたとも確かめられていない。にもかかわらず恋を終わらしてしまう。一人相撲のごとくああそういうことだったのだと納得してしまう。少なくとも調香師なら体臭はわずか数年の内に消失してしまうことなど認めないはずである。にも関わらず無意識に無視してしまう。彼が包まれた香りは意識下に働きかけその素晴らしい体験を想起することに抑圧をかける。

 将来自分が香りやにおいの仕事に携わるなどとは夢にも思わずにいた時期に出会った、この異性のにおいの魅力。エロスの底知れぬ深さについてもほとんど何も知らなかったはずの、一七歳の私が初めて体験した、人生という闇の中でにおいとエロスがぶつかりあって閃光をきらめかせる瞬間である。結果的に、その後の私の人生がこのエロスとにおいをめぐって行き惑う営みに等しかったことに気づくと、我がことながら驚きでもあり、また不思議な気分にもなってくる。
 奥が深く謎めいていながら、一方で替えようもなく魅力的なこのふたつの世界が、目に見えないところで通底していることを知り始めたのは、実はそれほど古い話ではない。それぞれ別個に私の興味を引いていたのが、ある日その隠された血の近さを疑い始めてからは、夢中になって秘密を追いかけ、そうするうち突然、冒頭の出来事が鮮明によみがえってきたのである。 そして今、私は『匂いのエロティシズム』という本を書こうとしている。


 『匂いのエロティシズム』。想起することを抑圧しているだけではない。夢にも思っていなかった香りやにおいの仕事に携ったり結果的に、その後の彼の人生がこのエロスとにおいをめぐって行き惑う営みに等しかったことに気づいたり夢中になって秘密を追いかけ、そうするうち突然、17歳で初めて体験した出来事が鮮明によみがえってくるなど、彼の人生を無意識に決定していったとも言えるのである。
 彼が17歳のときに包まれた香りは、本当に弥生さんが発散したものであろうか。それともその部屋を他の女性が使っていたのかつまり誰の香りかを確かめるのが『匂いのエロティシズム』の本質に迫る最短距離であろう。
 弥生さんが張本人としても友人の結婚式ではまだ弥生さんは20代であろう、フェロモンは特徴ある体臭であるからそんな若い時に消失するのは不自然である。発散されるフェロモン量に日内的な増減があったりすることは考えられる。また種族保存が満たされたための減弱のこともあろう。その後の弥生さんとの接触がさらなるフェロモンの特徴をみつけることがでるはずだ。さらに友人は弥生さんの香りを知っているのか、弥生さんの御主人はどうなのか?
 このようにフェロモン解明の入口に居るのに何とも歯がゆい。このチャンスを逃すと痛恨の極みとなってしまう。人間におけるフェロモンの作用(彼の言うエロモン)を極めていく鈴木氏なのに何か意識下で行動抑制が働いているとも思える。それはフェロモンそのものの作用なのか、意識がフェロモンに動かされていることをマスクしているのか。彼が言うごとく「人間とフェロモンとの特殊な関係が隠されている」としか思えない。「人間の生殖行動が、フェロモンを介してコミュニケートしている多くの生物種とは隔絶した複雑さをもつ」のは何故かを示している。
女性の香りといえば、たとえば満員電車の中で向き合っている女性が、えもいわれぬいい香を放っています。香水なのか体臭なのか、思わずり性的な高ぶりを経験した人も少なくないでしよう 。
 このように人間の日常生活ではおとろえたといっても、匂いは性の面でかなり決定的な役割を果たしています、女性が男性をまどわす性フェロモンは、セックスのときに男性が好んで攻める女性の体の箇所から出ています。
 わきの下、乳首のまわり、へそのまわり、そして外陰部、肛門の周囲です。どれをとってもセックスのときに、知らず知らずポイントにしているところだというのがわかリます。男が本能的にそこの匂いを求めているといっていいのです。
 これらの箇所に共通しているのが、アポクリン汗腺が多く分布しているところです。人問の汗腺にはエックリン腺とアポクリン腺の二つがあり、暑いときにかく汗はエックリン腺で、これは性フェロモンではありません。男をまどわせる匂いを発するのがアポクリン腺で、上司に怒られたときにかく冷や汗、死ぬほど恥ずかしい思いをしたときにかく汗はこの腺から出ます。さらに性的に高ぶったときにかく汗もこの腺から出されるのです。
 エックリン腺の汗が、水分と塩分なのに対して、アポクリン腺の汗は、脂肪酸や細胞のー部などの有機物がたくさんふくまれているため、当然、匂いがきつくなります。”わきが”の匂いはアポクリン腺の汗が分解した匂いです。これが性的欲望をかリたてる匂いの元で、ネズミは全身にアポクリン腺があるし、同じようにアポクリン腺(肛門周囲腺)が多いミンクやジャコウネズミ、ジャコウジカなどは、独特な香水のような匂いを発散します。
 これが男性をまどわす匂いの正体ですが、もうひとつ、愛液も重要な役割を果たしています。愛液もタンパク質を含んでいて、膣中で分解されデーデルライン桿菌とあいまって強い匂いを発します。それがさらにアポクリン腺の汗とまじり、へそ周辺や乳首のあたりとはひと味ちがった、人によっては強烈な匂いとなります。1970年代前半フェロモン香水の第一幕は女性の膣の臭気成分を分析して再構成をした「コープリン」から始まっている。(卵巣を摘出したアカゲザルはこの膣臭がなくなるのでエストロゲン効果とされる)
 これが男性を強烈にひきつけて狂わせてしまうのですから、人問の嗅覚がおとろえたといっても、性フェロモンに関していえば,その重要性は昔とあまり変わっていないということになるのです。
 つまり、女性の香りは1.香水 2.体臭 3.愛液 の混ざったものです。
愛液であるが、アメリカの性学研究で第一人者のマスターズ博士とジョンソン博士が「愛液は膣の汗のようなもの」との仮説を発表したのは三〇年も前のことです。この説はむしろ医学界から否定されることが多かったのです。なぜならば、女性器の膣には汗腺のような分泌腺がなく、腺のない部分から液が分泌されることなど、医学常識ではありえないことだからです。ですが渡 仲三(元名古屋市立大学医学部解剖学教授)氏は子顕微鏡学の専門家で、細胞の写真を見て、この細胞は元気がいいか、眠っているか、あるいは病気になっているか、この組織はどうなっているか、といったことの”見る目”を持っていました。性的に興奮した状態の膣の粘膜を電子顕微鏡で見て、それを分析したのです。
 電子顕微鏡によると、膣壁にしみ出してくる液は、じつは膣粘膜下の毛細血管から漏れた液が、細胞と細胞のすき間を通り抜けて出てくることがわかったのです。しかも、その液は膣壁に出るばかりか、細胞内にもー時溜まっていることが発見できたのです。
 わかりやすくいえば、膣全体が水を含んだスポンジのような状態になっているわけであり、マスターズ博士たちが「膣壁から汗のように漏出してくる」といった説が裏付けられたのです。
 やや専門的にはなりますが、決め手となったのは、普通の細胞には見られない「液胞」が膝壁の細胞の中に多数見られたことです。栄養分を吸収するために、消化管の細胞にもこういう液胞はできます。膣の場合は、膣壁にある毛細血管からにじみ出た体液が、通常は細胞と細胞のあいだをしみ出してくるのです。
 ところがそればかりではなく、膣粘膜の細胞がその液を飲み込んで液胞として貯蔵し、吐き出していくのです。これがー般に「愛液」と呼ばれるものの大部分の正体なのです。このことを私たちの研究は、あらかた実証したといっていいでしょう。
 100パーセント実証するには、さらに多数例の検証も必要ですが、膣壁に伸びている毛細血管が、薄くなって穴があいている事実や、愛液が毛細血管からにじみ出した体液であることを裏付けるリンパ球や遊走細胞がたくさん見っかっている事実など、われわれの実証が今後くつがえされることはまず考えられません。
 厳密にはこれにバルトリン氏腺と子宮頸管粘液とが、加わったものを総称して「愛液」というわけです。女性の体の香りには、腋の下と膣からの香りが同時に生じてくる可能性がある。両方とも人為的にゼロとすることが出来ないのでアポクリン腺から出るフェロモンを女性の快い香りから探るのは愛液の上乗せがあるため断定するのに困難が生じる。その点、男性の場合は膣からの香りはないので、腋の下のよい香りの効果をフェロモン作用として追及しやすい。だがその作用がそのまま実行されると性行動・妊娠・出産へと導くものであるから、相手方の高等動物としての女性にとってはフェロモンの指令とおりの行動には慎重にならざるを得ない。まさにアクセルが踏みこまれているのに、ブレーキがかかっている状態となっているはずである。交わった男性との間に子供が出来たら喜ばれる環境にある時、交わることによってそれまで維持いた慣性的なレベルの幸が壊れてしまう恐れのある時、などなど女性の状況は千差万別である。また香りが誘発するであろう情動や行為に対して、それまでの性道徳的意識が許容するのかしないか、許容できる範囲はどれほどかなど、それまでの女性の性体験の広さと深さと質に左右されるはずである。さらに性に対しては社会的抑圧、交友環境からの抑圧、家族内抑圧などなど重層的に女性は縛られている。男性フェロモンを嗅いだからといって女性はしたくても即物的には行動出来ない。行為そのものも、動物的、不潔、汚い、いやらしい、怖い、恥ずかしい、痛い、出血などなどのイメージがある。保留項目でも純血、処女、結婚するまでは、好きな人と、生活力、相手の家族などなど。
 フェロモンによってアクセルが踏みこまれているのに、様々な要因でブレーキがかかっている状態となっていても、意識も言葉も行動もストレートに表現することは本能を抑圧し精神文化を形成して本能すら壊してきた人類にとってはあり得ない。「いやよ、イヤヨも好きなうち」ならまだよい。いや、イヤと言った自分の言葉を聞いて、自分の感情がわずかに拒絶感が生じることもある。そこに、相手が乱暴に厭らしいことを強要したらどうであろう。折角のフェロモンも仇となってしまう。人間の場合、動物のようには直接的なそして寸刻を争う作用として、本能むき出しとはならない。しかしフェロモンによる作用は否定されない。ただ様々なアクセルとブレーキのありようでその表現方法、作用時間など千差万別となる。
 女性はいまだ男子よりも性行為に結びつく行動をとりにくいので良い香りのする男性と接した場合のアクセルとブレーキを読み取りながら、男性フェロモンの女性に対する作用・影響を難しい作業であるが吟味していく。


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