4 紀伊守と伊予の介の関係
空蝉が人妻でなかったとすると、伊予の介と紀伊守の親子関係も調べる必要がある。紀伊守の父が当初から伊予の介であるとすると、疑問が生じるのは、まず第一は、官位が子供の方が上であるということである。
第二に紀伊守が源氏の仰言をたまわったとき、「伊予の守の朝臣の家に慎むこと侍りて女房なん、まかり移れる」との歎き言葉である(帚木[一七後])伊予の介は守ではない。確かに、守が在京して任国に行かない時は、介を守と言う事もあるであろう。しかし、それは任国での敬称であって、在京で使われるとは思われない。何故なら、在京には本当の守が居るのであるから。万が一にも使うとしても、子供である紀伊守が、主人にあたる源氏に介を守と官位をいつわることは出来まい。しかも伊予の介は源氏の邸に帰京の挨拶に行くくらいの関係であるから(夕顔[六])介であるか守であるかは紀伊守にいわれなくとも源氏は充分知っていたのである。
第三に、伊予の介を朝臣と呼んでいることである。朝臣とは、(1)三位以上の女性につけて敬意を表わし、名を言わない。(2)四位の人の名の下に付ける敬称、
(3)三、四、五位などの人に対する敬称、(4)第二人称の敬称である。しかし、国司の介は、従六位である。この場合、朝臣と呼べるであろうか。しかも上司の源氏にこれみよがしに歎くとき子供である紀の守が、親の位、敬称を詐称するであろうか。また帚木[一七]では、伊予の介が紀伊守の父親であるとは明記されていない。ここで伊予の介も初登場であるから、桐壷、雨夜の品定めを順に読んだ読者には両者の関係は不明である。当時の読者は、実生活上、品位や官位は現在以上に重要な問題であったから、官位や、朝臣から考えて、「伊予の守の朝臣」と紀伊守が口にした時点で伊予の介が紀伊守の父親であるとは思わなかったであろう。
第四に、帚木[一九]の前半でも「主人の子どもをかしげにてあり。・・・十二三ばかりなるもあり」と子供たちが登場する際の羅列の仕方である。読者としては「主人」と「伊予の介」はせいぜい同列と考えるだけで、この文章からは親子関係は推測されない。そればかりでなく親であれば、「親の」伊予の介の子、と示すはずである。関係を示す語がなければ逆に親とは考えないのが普通であるから、伊予の介は官位が下であるから、家臣に近い間柄が想像され、決して親としての待遇はこの時点では与えられでいなかったと考えられるのである。ところが、帚木[一九後]では「伊予の介は、かしづくや」と空蝉を伊予の介の後妻とし、さらに「まうと達の・・・おろしたてむやは」と紀伊守の継母としている。また、帚木[二四中]でも、「紀伊守」「継母」である空蝉を先に見初めたのは「伊予の翁」より自分の方だと、空蝉、伊予の介、紀伊守の関係がみごとに定まっている。
つまり伊予の介は登場することはあっても紀伊守との関係が親子ではない部分の執筆が先になされ(帚木[一七後]、[一九前])、そのあとで親子関係として加筆された(帚木[一九後]、[二四中])と考えるのである。
以上の如く、伊予の介、紀伊守、空蝉、軒端の荻の親族関係には疑問な点が多い。空蝉には軒端の荻に対する母性的感情がなく、軒端の荻にしても空蝉を母親とは思っていない。空蝉も独身女性の心情であったり人妻の心情であったりする。紀伊守と伊予の介の親子関係もまたしかりである。どうしてこの様なことが生じてしまったのか。作者としての紫式部が駄作者であったとは考え得ない。源氏物語が成長してゆくときに生じた不整合とせざるを得ない。この点は、後期挿入という立場からするとすべてについて説明しやすい。
つまり、どの様な経過からか現在の関係になったと考えるのである。(後述)
現在決まっている、紀伊守の親が伊予の介であり空蝉は伊予の介の妻であり、軒端の荻は娘であるという親族関係は、はじめはできておらず、段階的に現在の関係へと発展したと考えられるのである。
それが故に、ある関係、例えば、人妻とする以前に書いた文章は、一部は人妻の態度と一致するところはあったとしても、人妻の態度と合わない部分が必ず生じてしまうはずである。又、人妻として書いた文章に比較すれば当然ながら曖昧さが多く、前後で種々の不整合が生じてしまうのである。
それでなければ、帚木の後半から空蝉の巻までの主たる筋立ては、奇をてらうということでは面白いが、設定に緻密な構想が欠けていたこととなってしまう。
親族関係が、後期挿入という手段で、段階的に形成されていったとすると、個々の関係が明確になる時点を中心として考察すれば、空蝉系物語の執筆の順序がある程度明確化されるであろうし、構想の変化にも言及できるはずである。その際、親族関係は、生じることはあっても、消滅することはない、ということと、原則として、支障のない限り執筆は、現行の巻順及び巻内の節順でされたと前提することである。