II 空蝉の親族関係の再検討

 1 源氏と軒端の荻の関係の結末と空蝉の責任

 源氏は、人違いと知りつつ軒端の荻と契った。そして、
「忘れで待ち給へよ」
「(消息は)このちひさき上人などに伝へて、聞えむ。」
と、約束していたにもかかわらず(空蝉[四])、二条院にもどって、小君を前にして空蝉への「よろづに怨みかつは語ひ給ふ」だけで、「かの人もいかに思ふらむといとほし」がりはするものの、色々考え直してしまい、軒端の荻には「御言づけ」もない。軒端の荻のほうでは、初体験で「ものはづかしき心地して」自室に帰るも、御消息がないので、「小君の渡りありくにつけても、胸のみ塞れ」る思いをしている(空蝉[六])。その後、伊予の介が赴任の挨拶で源氏の邸を訪れた時、「女をば、さるべき人にあづけて」と軒端の荻の縁談話を告げても、源氏は、「主つよくなるとも、かはらずうちとけぬべく見えし様なるを頼みて」御心を動かすこともなかった(夕顔六)。実際に、「蔵人の少将をなむ通はす」と聞くと蔵人の少将に、自分と軒端の荻と関係があったことが知られてしまうのを心わづらふだけで、「いかに思ふらむ」とは考えるが、発覚しても「罪ゆるしてむ」と思うのである。軒端の荻は、源氏からの消息を見て、「見すれば心憂しと思へど」と、返事を書いてしまうのである(夕顔[二九])。結論として、碁打ちの夜の軒端の荻との契りは源氏にとっては、思い上がりが、軒端の荻には、やるせない感情が残ったのであって決して契ることによって、二人の関係が発展したわけではない。
 さらにこの契りが偶然に起きたものではない。小君の誘導もさることながら、空蝉の小袿に誘われていることに問題がある。源氏が関係を持ちたかったのは空蝉であり、それへの加担者として小君が存在する。偶然のことで源氏と契ったのが軒端の荻であったことに対し、小君には、本懐をとげられなかった源氏を慰めはしても、軒端の荻には、偶然の災いが及んでしまったと思う程度で何等の反省心も生じていない。さらに小君は、源氏と軒端の荻が関係したことを知らない可能性もある。源氏を母屋に入れたあとは、「うしろめたう思ひつつ寝」ていたわけだから、母屋の几帳のなかの出来事は知らないとも考えられる(空蝉[五])。
 また、翌朝、源氏が小君に「有様宣ひて」も源氏は、自分をさけてしまった空蝉の心を恨み小君の舞台まわしの幼さをなじるだけで、軒端の荻と契ったことは言わなかった可能性が強い。そうであるからこそ、空蝉に源氏の消息を届けにゆくときも、小君の脳裏には、軒端の荻のことは浮かんでこないのであろう。
 しかし、空蝉のほうは、軒端の荻に偶然の結果として、男性関係を生じさせてしまったと思うことはできない。空蝉自身、同様な状態で源氏に抱かれてしまった経験があるから、軒端の荻も当然のこととして、性関係を強いられるであろうことは思い至るであろう。源氏からの誘いを拒否してきた空蝉にとっては、源氏が忍んできたことは不慮のこととしてよいであろうが、同室の軒端の荻を一人残して自分だけが源氏との性関係を嫌って身を隠した点に問題がある。
 何故ならば、空蝉は軒端の荻の継母とはいえ軒端の荻の母親であるからである。母親とすれば、娘に男性を通じさせるとすれば、娘の将来の幸せを望んで行うであろう。しかし、結果は望むべき方向にゆかなかったことだけは確かである。また、もしこれが母親としての行動であったとしたら、予想に反してしまったことに対し、娘には重大な責任が生じてくるはずである。それに対して、空蝉はどう思ったのであろうか。いや、それよりも一体、空蝉は娘の将来を考えて源氏を通わせたか否か、それが問題なのである。母親としての責任、もしくは情があれば、これ等の点は当然表明されてよい筈である。が不思議なことに現在の源氏物語にはその点はまったく描写されていないのである。そんな馬鹿なことが有り得ようか。たとえ空蝉が源氏の魅力にいかにおぼれようと、欠落するような性質のものではない。逆に娘の幸せも考えず、娘への詫びもなければ、母親としての情が一切表現されていない、という点で、源氏物語では空蝉が母親として設定されていない可能性が生じるのである。 現在の解釈では空蝉と軒端の荻は、母・娘の関係とされるが、空蝉物語のなかで、空蝉のことを、「軒端の荻の母」と明確に書かれている個所はどこにもなく、また軒端の荻を「空蝉の娘」と表現している個所もない。つまり、両者には直接的に親族関係を示す描写はないのである。廻り廻った表現から、母娘関係が成立するのであって、この点からも、母親の心情に深く立ち入って検討することが次に必要となる。

 2 空蝉の母親としての態度

 空蝉は、軒端の荻がまどろんでしまったあと、源氏が忍んで来たことを「いとかうばしくうちにほふに」知り、顔をあげてみると、几帳の隙間に源氏の寄るけはひがして、「あさましく」思って、単衣一つを着て、すべるように逃げ出したのであって、軒端の荻に全く知らせていない(空蝉[三後])。
 当然の結果として、源氏は「ただ一人臥した」軒端の荻と契ってしまう。つまり、空蝉は、闖入者の源氏から自らは守ったが、娘である軒端の荻は守ってやらなかったのである。そして、源氏からの消息を持ってきた小君に対し言った叱言は、「あさましかりしに。とかう紛はしても、人の思ひけん事さり所なきに、いとなむ理なき」であって軒端の荻のことは一言もない。心わづらふのは持ってゆかれた小
袿が「いせをの海士のしほなれ」て汗臭かったのではないかという心配である。そうなればなおさらあとに残した軒端の荻のことなど、どうでも良くなっていると推測される。一体これが母親としての態度であろうか。
 また「ありしながらの我が身ならば」と思うと忍び難く、遂には「しのびしのびに濡るる袖かな」と自らの感情を発露してしまう。ここには、恋に溺れる女の心情が基調で母親としての感情は全くない(空蝉[六])。
 その後、源氏へ「さるべきをりをりの御いらへなどなつかしく聞え」ることはあっても、その際、軒端の荻への詫びや自責の念など生じていない(夕顔[六])。
 又、伊予に下ることが間近になって、心細くなってしまって、「お忘れではございませんか、思い乱れる時もあります。」という恋歌を贈ってしまう。この時も軒端の荻への自責の念など生じていない。
 以上の如く、源氏から自らの危険を回避しただけであり、娘への危険も考慮せず、娘が源氏と契ることで幸せになるであろうという判断もない。源氏と契ったあとの軒端の荻の苦境に対しても同情もなければ、そのような結末に導いた自責の念もない。あるのはただただ恋する女の情念である。
 空蝉は、「ともかくも思ひわかれず」母屋から逃げ出したのであるから、源氏と軒端の荻が契ったことを知らなかったと仮定すれば、その態度はなんとか弁明されるであろう。しかしながら、空蝉の知る源氏とは、以前空蝉が紀伊守邸でされたように夜這いを堂々と行い、強引に関係を持たされてしまったごとく女性にとって危険な存在であったはずである。そして今回も、几帳のわずかな間に迫って来ていたのである。自らは逃げ出せとしても、そこに一人臥していた軒端の荻になんらかの危険が迫ったであろうことは、母屋から遠く逃げ、その場のことは直接知らなくとも、推測されるはずである。しかも、その危険の及ぶのが娘であったとしたら、心配でその夜は眠れなかったであろう。翌日とて、軒端の荻の様子などに注意が払われる筈である。にもかかわらず、そのような描写は全くない。
 それだけではない、軒端の荻と二人で寝ていれば源氏は何もできなかった筈である。抵抗しても源氏は再び、空蝉と初めての契りのときの如く抱き上げてゆくのであろうか。今回は、方違へでも何の訪問でもないのである。純然たる夜這いであるから、前回の様な態度は取り得ないはずである。空蝉が逃げださなかった方が、軒端の荻は安全であったことになる。軒端の荻を起こしさえすれば当然自分自身も安全なはずである。この様に空蝉が、「やをら起き出でて、生絹なる単衣一つを着て、すべり出で」たことは、空蝉と、軒端の荻が母娘であるとすると、ひどく不自然で納得がゆかない行動となるのである。
 軒端の荻にしても、母屋である継母のところで寝ていたら、男に犯されてしまい、しかもその継母は、はじめは一緒であったのにいなくなっていたことへの疑惑が生じてよいはずである。また、実父の後妻のところにしのび込む男がいたとしたら、なんらかの感情が走るはずである。それがなかったら軒端の荻は、空蝉を親と思っていたのであろうか。と考えたくなる。
 自分のところにしのんで来たと錯覚するには、犯されたのが自室の西の御方ならともかく、継母の寝室である母屋であったのだから無理がある。
 紫式部自身ですら、「たどらむ人は、心得つべけれど」(察しのよい人ならば、真相をきっと悟るに違いないのだけれども・・・)と述べているくらいなのだから、どこか不自然なのである。それを「いと若き心地に・・・えしも思ひわかず」と処理されているのである。
 軒端の荻が、こんなことにも気付かないとすれば、白痴としかいいようがない。「若き心地」なら、より一層、周囲の状況に敏感であろう。母屋での突然の性関係ならばなおさらのことである。継母に男がしのんで来ると直感するのが自然である。それすら気付かないとしたら、軒端の荻が白痴であるか、空蝉を母親と思っていないか、空蝉が母屋に住んでいる女性ではなくてたまたま逗留している女性であるかであろう。
 空蝉を「空蝉」として有名にしたこのくだりも強い不自然さが感じられるのである。
 軒端の荻の幸せも考えず、自分のところにしのんで来た源氏と契らせ、結果がうまくいったならともかく、悩んでいる軒端の荻に対して、良心の呵責も詫びもなく過ごす空蝉に、軒端の荻のまがりなりにも母親であることの情などどこにも感じられない。軒端の荻にしても、空蝉を母親と思っていないと結論されるのである。
 ということは、現在の解釈では、空蝉と軒端の荻は、母娘の関係になっているから、この点を説明するとすれば、源氏物語制作のある時期まで、空蝉と軒端の荻とは、母・娘関係ではなく、後期挿入の時点で肉親関係となった考える以外にはないのである。
その時期も、母親なり、娘なりの心情に立ち入るにはこみいりすぎて挿入し難く、又無理に挿入すれば、すでに書き流布してしまった先行の源氏物語に矛盾が生じるし、かといって直接的に肉親関係を表現すれば、物語の筋立てがこわれてしまう時期、つまり空蝉系物語最後の挿入であるとみるのである。

 3 空蝉の人妻としての態度

 前項で、空蝉と軒端の荻の関係が初期は親娘関係ではない、と結論されると空蝉が伊予の介の妻であったか否かも検討する必要が生ずる。
 帚木[二十一]で源氏がしのび入った時、空蝉は人妻であるから、それなりの拒否をするはずである。夫以外の男性との性関係の場にこそ人妻の立場が強調されてしかるべきなので、詳細に検討しよう。
 源氏の潜入に対して「はしたなく、『ここに、人』とも、えののしらず」であって、妻としての立場から拒絶すべきなのに、叫んで知らせる当然の振舞を「はしたない」とし声もたてずに相手の闖入を許してしまった。そして、「人違へにこそ侍るめれ」と源氏が人違いをしていることを強調するのである。「人妻です」とは言わず抱きかかえられて、奥なる御座に入っても「かやうなる際は、際とこそ侍るなれ」と、身分の違いを強調している。 しかし帚木[二十二]で契りが終って後朝になって初めて、「伊予の方のみ思ひやられて夢にや見ゆらんと、そら恐ろしく、つつまし。」と、ここで初めて人妻としての立場が強調されているのである。
 再度、源氏が方違へを口実に訪れても、消息をもらって「さて待ちつけ聞えさせん事の眩ければ・・・中将といひしが局したる、かくれに移ろひぬ」であって人妻の強い拒絶はない(帚木[二五])。
空蝉[一]で、源氏の「御消息も絶えてなし」のあとをうけて空蝉は、「やがてつれなくて止み給ひなましかば憂からまし」(そのまま、そしらぬふりで源氏との関係が絶えてしまったらつらいであろう)と述懐する。これも人妻の思いとはいいえない。
 以上のことから、契ってしまうまでの間は、人違い、身分違いなどが主であって、人妻であるが故の拒絶はない。独身女性としての一般的な拒否の言葉であって、しかも、強い口調で相手の男性に言わないかぎり、その様な言葉は拒絶する力は持ちえない。この様な言葉は、肉体関係に進んでもしかたがないと暗黙のうちに了承している時でさえ女性はよく発するのである。それがすでに契りが終ってしまってから、伊予の介のことが思われ空恐ろし、というのである。
 契ったあとで、夫のことが思いやられるのなら、夫以外の男(源氏)が自らの寝間に入った時から契るまでの間で強い拒絶が表されねばならない。契ってしまっては後の祭りであり、あとで空恐ろしくなる自分がわかっているからこそ契らぬように最大限の抵抗を試みるのである。それでもなおかつ男性の力に負け、契らされてしまっても、後朝ともなればひどく夫とのことが思われて空恐ろしさも増すのである。
 契る以前の激しい拒絶がなければ、契った後の空恐ろしさなど心底からの恐ろしさではなく、言い訳程度としか感じられない。はたまた、情欲のために理性が失われ契ってしまい、我に返ってこそ、不倫の重みが感じられ、空恐ろしさが根付くのであって、不倫感を越える情念の炎も感じられなかったとしたら、後悔の情など取るに足らないものであろう。なにしろ、源氏が闖入してから契るまでの間に、この様な激しい抵抗も、押し流される情念もないのでは、空恐ろしいと言っても何ともちぐはぐな言い訳、取って付けた申し訳なさとしかいいようがない。
 しかし、契るまでの拒絶の論理が人妻のそれでなかったことを、「常はいとすくずくしく心づきなしと思ひあなづる」夫であったからこそ当然であると述べている(帚木[二三])。確かに、物語のここの文章が読者を呪縛するし、もともと夫がいた筈であったと錯覚させられてしまうかも知れない。又、秋山氏は、「源氏との経験あって、日頃その人を支えとするわけでもない、従っていつも殆ど意識にのぼることすらまれであったであろう伊予の介の、自分が紛れもない妻であることに切実に気付かせられるこの機微を、すばやくとり押さえかたどっている文章の妙」とほめたたえているし(脚注1)なるほどと感心させられるのである。しかし、これこそが紫式部の力量なのである。どこか変だなとかすかに思っていることをみごとに言い訳し、確たる自らの意図的方向へと導いていくのであるから。
 しかし、一旦、妻であることに切実に気付かせられ、伊予の介のことが恐ろしければ、再度の方違への時には人妻であることのきっぱりした論理で拒絶するはずである。そのことが示されないとすれば、ここの文章の呪縛は力を持たないものとなる。
 帚木[二四後]のごとく、源氏よりの御文が常にあれば、「めでたきことも、わが身からこそ」であるから、馬鹿にしているだけなら伊予の介の目をしのんでも源氏に逢うであろう。紛れもない妻であることに切実に気付かせられたのなら、契りのことも源氏の御文も「めでたきこと」では絶対にない。だが人妻でないとすれば、単なる身分違いであるから、その原因は空蝉自身のこと(父親がすでに世にいないこと)であり、身分さえ合えばめでたきこととなり、この言葉も生き生きとする。
 伊予の介を嫌って別の男を望んでいたとするとしても、伊予の介の妻となっている場合でも妻は妻であるから、未婚の場合とは男性に対する関係拒絶の論理は異なるのである。 結論としては、源氏と契ったときは空蝉は人妻ではなかったとしたほうが自然で、あとの加筆で伊予の介の妻となったのである。人妻としての拒否の論理(夢にや見ゆらむと、そら恐ろしくつつまし)を、あとから新たに書き加え、新しい部分と古い部分とで比較するとそれ等がチグハグな拒絶となってしまったと考えられるのである。つまり空蝉は、当初未婚で設定された部分(帚木[二一]、[二四後]、[二五]、空蝉[一]など)と、伊予の介の妻として加筆された部分(帚木[二二]など)が混在している。空蝉と軒端の荻が母娘関係へと決定されていく挿入の時期とはまた異なり、ある部分は未婚、ある部分は伊予の介の妻となっているので、伊予の介の妻として設定されている部分の挿入は、母娘関係の決定よりもはやくおこなわれたと考えられる。すなわち、空蝉系物語は少なくとも三期にわたって加筆され、空蝉が未婚である時期、空蝉が伊予の介の妻の時期、軒端の荻が継娘となる時期があることとなる。

4 紀伊守と伊予の介の関係

 空蝉が人妻でなかったとすると、伊予の介と紀伊守の親子関係も調べる必要がある。紀伊守の父が当初から伊予の介であるとすると、疑問が生じるのは、まず第一は、官位が子供の方が上であるということである。
第二に紀伊守が源氏の仰言をたまわったとき、「伊予の守の朝臣の家に慎むこと侍りて女房なん、まかり移れる」との歎き言葉である(帚木[一七後])伊予の介は守ではない。確かに、守が在京して任国に行かない時は、介を守と言う事もあるであろう。しかし、それは任国での敬称であって、在京で使われるとは思われない。何故なら、在京には本当の守が居るのであるから。万が一にも使うとしても、子供である紀伊守が、主人にあたる源氏に介を守と官位をいつわることは出来まい。しかも伊予の介は源氏の邸に帰京の挨拶に行くくらいの関係であるから(夕顔[六])介であるか守であるかは紀伊守にいわれなくとも源氏は充分知っていたのである。
 第三に、伊予の介を朝臣と呼んでいることである。朝臣とは、(1)三位以上の女性につけて敬意を表わし、名を言わない。(2)四位の人の名の下に付ける敬称、
(3)三、四、五位などの人に対する敬称、(4)第二人称の敬称である。しかし、国司の介は、従六位である。この場合、朝臣と呼べるであろうか。しかも上司の源氏にこれみよがしに歎くとき子供である紀の守が、親の位、敬称を詐称するであろうか。また帚木[一七]では、伊予の介が紀伊守の父親であるとは明記されていない。ここで伊予の介も初登場であるから、桐壷、雨夜の品定めを順に読んだ読者には両者の関係は不明である。当時の読者は、実生活上、品位や官位は現在以上に重要な問題であったから、官位や、朝臣から考えて、「伊予の守の朝臣」と紀伊守が口にした時点で伊予の介が紀伊守の父親であるとは思わなかったであろう。
 第四に、帚木[一九]の前半でも「主人の子どもをかしげにてあり。・・・十二三ばかりなるもあり」と子供たちが登場する際の羅列の仕方である。読者としては「主人」と「伊予の介」はせいぜい同列と考えるだけで、この文章からは親子関係は推測されない。そればかりでなく親であれば、「親の」伊予の介の子、と示すはずである。関係を示す語がなければ逆に親とは考えないのが普通であるから、伊予の介は官位が下であるから、家臣に近い間柄が想像され、決して親としての待遇はこの時点では与えられでいなかったと考えられるのである。ところが、帚木[一九後]では「伊予の介は、かしづくや」と空蝉を伊予の介の後妻とし、さらに「まうと達の・・・おろしたてむやは」と紀伊守の継母としている。また、帚木[二四中]でも、「紀伊守」「継母」である空蝉を先に見初めたのは「伊予の翁」より自分の方だと、空蝉、伊予の介、紀伊守の関係がみごとに定まっている。
 つまり伊予の介は登場することはあっても紀伊守との関係が親子ではない部分の執筆が先になされ(帚木[一七後]、[一九前])、そのあとで親子関係として加筆された(帚木[一九後]、[二四中])と考えるのである。
 以上の如く、伊予の介、紀伊守、空蝉、軒端の荻の親族関係には疑問な点が多い。空蝉には軒端の荻に対する母性的感情がなく、軒端の荻にしても空蝉を母親とは思っていない。空蝉も独身女性の心情であったり人妻の心情であったりする。紀伊守と伊予の介の親子関係もまたしかりである。どうしてこの様なことが生じてしまったのか。作者としての紫式部が駄作者であったとは考え得ない。源氏物語が成長してゆくときに生じた不整合とせざるを得ない。この点は、後期挿入という立場からするとすべてについて説明しやすい。
 つまり、どの様な経過からか現在の関係になったと考えるのである。(後述)
 現在決まっている、紀伊守の親が伊予の介であり空蝉は伊予の介の妻であり、軒端の荻は娘であるという親族関係は、はじめはできておらず、段階的に現在の関係へと発展したと考えられるのである。
 それが故に、ある関係、例えば、人妻とする以前に書いた文章は、一部は人妻の態度と一致するところはあったとしても、人妻の態度と合わない部分が必ず生じてしまうはずである。又、人妻として書いた文章に比較すれば当然ながら曖昧さが多く、前後で種々の不整合が生じてしまうのである。
 それでなければ、帚木の後半から空蝉の巻までの主たる筋立ては、奇をてらうということでは面白いが、設定に緻密な構想が欠けていたこととなってしまう。
 親族関係が、後期挿入という手段で、段階的に形成されていったとすると、個々の関係が明確になる時点を中心として考察すれば、空蝉系物語の執筆の順序がある程度明確化されるであろうし、構想の変化にも言及できるはずである。その際、親族関係は、生じることはあっても、消滅することはない、ということと、原則として、支障のない限り執筆は、現行の巻順及び巻内の節順でされたと前提することである。