14巻 澪 標
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みをつくし逢はんと祈るみてぐらもわ
れのみ神にたてつるらん (晶子)
須磨の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた 源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提を早く弔いたいと仕度をしていた。そして十月 に法華経の八講が催されたのである。参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のと おりであった。今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおお せなかったことを口惜しく思召すのであったが、帝は院の御遺言をお思いになって、当時も報 いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ち がきわめて明るくおなりあそばされた。時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりにな ったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召し になった。政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意 見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。
帝は近く御遜位の思召しがあるのであるが、尚侍がたよりないふうに見えるのを憐れに思召 した。
「大臣は亡くなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしているのだ から、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。初めか
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らあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれよりもあ なたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。私よりも優越者がまた あなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、私はそん なことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
帝は泣いておいでになった。羞恥に頬を染めているためにいっそうはなやかに、愛矯がこぼ れるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように 思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。
「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはす ぐにまたその悦びをする日もあるだろうと思うとくやしい。それでも気の毒だね、親王を生む のでないから」
こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。 帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍 は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったという こともようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自 分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、そ れも皆自分が薄倖な女だからであるとも悲しんでいた。
翌年の二月に東宮の御元服があった。十二でおありになるのであるが、御年齢のわりには御 大人らしくて、おきれいで、ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。まぶ
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しいほどの美を備えておいでになるのを、世間ではおほめしているが、母宮はそれを人知れず 苦労にしておいでになった。帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして御 即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。
この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。
「ふがいなく思召すでしょうが、私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」
と帝にお慰めになったのであった。東宮には承香殿の女御のお生みした皇子がお立ちにな った。
すべてのことに新しい御代の光の見える日になった。見聞きする眼に耳にはなやかな気分の 味わわれることが多かった。源氏の大納言は内大臣になった。左右の大臣の席がふさがってい たからである。そして摂政にこの人がなることも当然のことと思われていたが、
「私はそんな忙しい職に堪えられない」
と言って、致仕の左大臣に摂政を譲った。
「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、今日はまして年も老いてし まったし、そうした重任に当たることなどはだめです」
と大臣は言って引き受けない。
「支那でも政界の混沌としている時代は退いて隠者になっている人も治世の君がお決まりに なれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。 御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴することはさしつかえがありません
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よ」
と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は 六十三であった。事実は先朝に権カをふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこも っていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見え た子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生ん だ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につ れられて来て高砂を歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた 子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。太政大臣家で育てら れていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童として出入りしてい るのである。源氏の葵夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしす べてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの 家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合 によく訪ねて行った。若君の乳母そのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚く酬 いてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。二条の院でもそのとお りに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務とかいう愛 人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫が分かたれねばならないの であったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。二条の院の東に隣った邸は院の御遺産 で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里などという恋人
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たちを住ませるための設計をして造られているのである。
源氏は明石の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事 の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであ ると思うと哀れな気がして使いをやった。
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
という報せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京 へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。源氏の運勢を占って、子は三人で、帝と后が生 まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいち ばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。また源氏が人臣として最高の位置を占め ることも言われてあったので、それは有名な相人たちの言葉が皆一致するところであったが、 逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたこ とは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座の栄誉を希わないことは少年の日と少しも異な っていなかった。あるまじいことと思っている。多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになっ た父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであ ると思う源氏であった。源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。 后が一人自分から生まれるということに明石の報せが符合することから、住吉の神の庇護によ ってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの 狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎で生まれさせたのはもったいない気の毒
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なことであると源氏は思って、しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせて いた。明石のような田舎に相当な乳母がありえようとは思われないので、父帝の女房をしてい た宣旨という女の娘で父は宮内卿宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をす るうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その噂を伝えた人を呼び出 して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ赴くことの交渉を始めさせた。この女はま だ若くて無邪気な性質から、寂しい荒ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いてい て、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこ れまでから焦れていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎下りをしてくれる宰相の娘を哀れに 思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったの であるが、なお女はどうしようかと煩悶していた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで 旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
「御意のとおりにいたします」
と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験 して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすれば馴れてしまうよ」
と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。母といっしょに父帝のおそばに来 ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌が衰えていた。家の様子
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などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど 木なども繁りほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどであ る。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談を言ったりするのにもおもしろい相手 であった。
「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることが できるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。
「かねてより隔てぬ中とならはねど別れは惜しきものにぞありける
いっしょに行こうかね」
と源氏が言うと、女は笑って、
うちつけの別れを惜しむかごとにて思はん方に慕ひやはせぬ
と冷やかしもした。
京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母は送られた のである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。 乳母にも十分の金品が支給されてあった。源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであ ろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられ
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た。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと 繰り返し繰り返し誡めてあった。
いつしかも袖うちかけんをとめ子が世をへて撫でん岩のおひさき
こんな歌も送ったのである。摂津の国境までは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着 いた。入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。そ していよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が 小さい姫君の美しい顔を見て、聡明な源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことは もっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛な どもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。 若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものと も思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もつい ていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待 遇に侍は困って、
「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませ んと」
とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、
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一人して撫づるは袖のほどなきに覆ふばかりの蔭をしぞ待つ
と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。 夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、 源氏は明石の君の出産の話をした。
「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな 所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃっ て置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せて あなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。 けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
と女王は怨んだ。
「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてく れない。私の思っていないことを忖度して恨んでいるから私としては悲しくなる」
と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代 のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思 い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せば
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また悪くあなたが取るから」
とその話を続けずに、
「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい 存在だと思いましたよ」
などと子の母について語った。別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った 言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌の批評、名手らしい琴の弾きようなどを忘られぬふう に源氏の語るのを聞いている女王は、その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていた ことであろう、仮にもせよ良人は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女の ために歎息をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
「どんなに私は悲しかったろう」
歎息しながら独言のようにこう言ってから、
思ふどち靡く方にはあらずとも我ぞ煙に先立ちなまし
「何ですって、情けないじゃありませんか、
たれにより世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思 うのも、ただ一つの私の願いのあなたと永く幸福でいたいためじゃないのですか」
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源氏は十三絃の掻き合わせをして、弾けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏 に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの 女性であるが、さすがに嫉妬はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な 美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
五月の五日が五十日の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いや られ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなに はなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎で父のい ぬ場所で生まれるとは憐れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実 に苦しまなかったであろうが、后の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが 堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。五十日のため に源氏は明石へ使いを出した。
「ぜひ当日着くようにして行け」
と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢な祝品の数々のほかには実用品 も多く添えて源氏は贈ったのである。
海松や時ぞともなきかげにゐて何のあやめもいかにわくらん
からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。
ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じ
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てない。
という手紙であった。入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは 違った泣き顔である。明石でも式の用意は派手にしてあった。見て報告をする使いが来なかっ たなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母も明石の君の優しい気 質に馴染んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に 近いほどの家の女もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうか といえば京の宮仕えに磨り尽くされたような年配の者が生活の苦から脱れるために田舎下りを したのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の 見た京を語り、宮廷を語り、縉紳の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。源 氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もし て始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生 んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになっ て思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、人間にはこんなに意外な幸 運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、乳母はどう しているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ること ができたので満足した。返事は、
数ならぬみ島がくれに鳴く鶴を今日もいかにと訪ふ人ぞなき
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いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私
でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。
というので、信頼した心持ちが現われていた。何度も同じ手紙を見返しながら、
「かわいそうだ」
と長く声を引いて独言を言っているのを、夫人は横目にながめて、「浦より遠に漕ぐ船の」 (我をば他に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはた だそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちにな ってね、つい歎息が口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女も 恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。
こんなふうに紫の女王の機嫌を取ることにばかり追われて、花散里を訪ねる夜も源氏の作ら れないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出 に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈さもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟も与 えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心の湧き立つこともないのであった。
五月雨のころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇であったので、思い立って その人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っ ていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命を
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歎く程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内はいよいよ荒れて、す ごいような広い住居であった。姉の女御の所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をた たいた。朧ろな月のさし込む戸口から艶な姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所 に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。こ の態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏が近くで鳴くのを聞いて、
水鶏だに驚かさずばいかにして荒れたる宿に月を入れまし
なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。どの人にも自身を惹 く力のあるのを知って源氏は苦しかった。
「おしなべてたたく水鶏に驚かばうはの空なる月もこそ入れ
私は安心していられない」
とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何 に動揺することもなく長く留守の間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っ ていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏 が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。
「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰っ て来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」
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と恨みともなしにおおように言っているのが可憐であった。例のように源氏は言葉を尽くし て女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。こんな機 会がまた作られたならば、大弐の五節に逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現が むずかしいと見なければならない。女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送 っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などは いらないと思っていた。源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築 をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧 問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。東の院はおもしろい 設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中の よい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。
源氏は今も尚侍を恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、また危いこともしかね ないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなってい て、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の 中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。
院は暢気におなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしてお いでになった。女御も更衣も御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以 前取り立てて御寵愛があったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかった が、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍し
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ているのである。源氏の現在の宿直所もやはり昔の桐壼であって、梨壼に東宮は住んでおいで になるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後 見もするようになった。
入道の宮をまた新たに御母后の位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女 院にあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっ ぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召して、 精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうで なく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、お出になりあそばすのであった。皇太后は人生 を恨んでおいでになった。何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表し ていた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。兵部卿親王は源氏の官 位剥奪時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対 してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、 もう昔のように親しい御交際はしていなかった。一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする 人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召 された。現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、 この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。権中納言の娘がその年の八 月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度であった。兵部卿 親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事にお傅ずきになる評判の
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あるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮 へ推薦しようとしているかそれはわからない。
この秋に源氏は住吉詣でをした。須磨、明石で立てた願を神へ果たすためであって、非常な 大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。ちょうどこの日であった、明石 の君が毎年の例で参詣するのを、去年もこの春も障りがあって果たすことのできなかった謝罪 も兼ねて、船で住吉へ来た。海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運 び続けて来るのが見えた。楽人、十列の者もきれいな男を選んであった。
「どなたの御参詣なのですか」
と船の者が陸へ聞くと、
「おや、内大臣様の御願はたしの御参詣を知らない人もあるね」
供男階級の者もこう得意そうに言う。何とした偶然であろう、ほかの月日もないようにと明 石の君は驚いたが、はるかに恋人のはなばなしさを見ては、あまりに懸隔のありすぎるわが身 の上であることを痛切に知って悲しんだ。さすがによそながら巡り合うだけの宿命につながれ ていることはわかるのであったが、笑って行った侍さえ幸福に輝いて見える日に、罪障の深い 自分は何も知らずに来て恥ずかしい思いをするのであろうと思い続けると悲しくばかりなった。 深い緑の松原の中に花紅葉が撤かれたように見えるのは袍のいろいろであった。赤袍は五位、 浅葱は六位であるが、同じ六位も蔵人は青色で目に立った。加茂の大神を恨んだ右近丞は靫負 になって、随身をつれた派手な蔵人になって来ていた。良清も同じ靫負佐になってはなやかな
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赤袍の一人であった。明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に 混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬 や鞍にまで華奢を尽くしている一行は、田舎の見物人の目を楽しませた。源氏の乗った車が来 た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原の左大臣の例で童 形の儀仗の人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの 輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。近 年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、 一班ずつを揃えの衣裳にした幾班かの馬添い童がつけられてある。最高の貴族の子供というも のはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、 明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社 に向いて子のために念じていた。
摂津守が出て来て一行を饗応した。普通の大臣の参詣を扱うのとはおのずから違ったことに なるのは言うまでもない。明石の君はますます自分がみじめに見えた。
こんな時に自分などが貧弱な御幣を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰っ てしまうこともできない、今日は浪速のほうへ船をまわして、そこで祓いでもするほうがよい と思って、明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。こんなことを源氏は夢にも知らないで いた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前に催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。 過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。惟光などという源氏と辛
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苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の 出て来た時に惟光が言った。
住吉の松こそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば
源氏もそう思っていた。
「荒かりし浪のまよひに住吉の神をばかけて忘れやはする
確かに私は霊験を見た人だ」
と言う様子も美しい。こちらの派手な参詣ぶりに畏縮して明石の船が浪速のほうへ行ってし まったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心で憐んでいた。初めの ことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰め てやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。住吉を立ってから源氏の一 行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。淀川の七瀬 に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、「今はた同じ浪速なる」(身をつくして も逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用 があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供 した。源氏は懐紙に書くのであった。
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みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひける縁は深しな
惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにし て明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖さばか りが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣い た。
数ならでなにはのこともかひなきに何みをつくし思ひ初めけん
田蓑島での祓いの木綿につけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっ ていた。夕方の満潮時で、海べにいる鶴も鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、 人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。
露けさの昔に似たる旅衣田蓑の島の名には隠れず
と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々 暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船を漕がせて集まって来る遊女 たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもし ろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛 というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思っ
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て、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑した。
明石の君は源氏の一行が浪速を立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣を奉った。 その人だけの願も果たしたのである。郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人にな って、人数でない身の上を歎き暮らしていた。もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから 間もなく源氏の使いが明石へ来た。近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。 頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、故郷を立って京へ出たのちに まで源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって女は苦しんでいた。 入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、そうかといってこのまま 田舎に置くことも悲惨な気がして源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって苦労は多く なったようであった。女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて出京 はできないという返事をした。
この御代になった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所は伊勢から帰って来た。そ れ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めし い所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の 交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはし ないのである。しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めし がらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通う ことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしい
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て訪ねて行くことはしなかった。斎宮がどんなにりっぱな貴女になっておいでになるであろう と、それを目に見たく思っていた。御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふう に暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶え ない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに 重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾 年かのことが恐ろしく思われて尼になった。源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯さ れる意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命が惜しまれて、驚きながら六条邸を見 舞った。源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏 の座があって、御息所は脇息に倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の 恋人のために源氏は泣いた。どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができない ままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらし くて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいま せ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人 生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、 ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任
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を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であ っても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列にな どお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせること だろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の 経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
御息所はこう言った。意外な忖度までもするものであると思ったが源氏はまた、
「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名 残をとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょう が」
と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影が病牀の几帳をとおしてさしていたから、 あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳の綻びからのぞくと、明るくはない光の中 に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、 脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄り の所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳の垂れ絹が乱れた間からじっ と目を向けていると、宮は頬杖をついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないので あるが美人らしく見えた。髪のかかりよう、頭の形などに気高い美が備わりながらまた近代的
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なはなやかな愛嬌のある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるから と思って、源氏は動く心をおさえた。
「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいま せ」
と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんな ふうに苦しいのですか」
と言いながら、源氏が牀をのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
「長くおいでくださいましては物怪の来ている所でございますからお危うございます。病気 のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれ しく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族 にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさ んいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院 が御自身の皇女の列に思召されましたとおりに私も思いまして、兄弟として睦まじくいたしま しょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足り なさを斎宮は補ってくださるでしょう」
などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々行っ
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た。そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏 は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図を下しなどしていた。前の斎 宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎな い六条邸であった。侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
と女別当を出してお言わせになった。
「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私を睦まじい者と思召してくだ さいましたら幸せです」
と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい 態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。 源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたの であった。
源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾を下ろしこめて精進の日を送り仏勤め をしていた。前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたこ ろからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、 乳母などから、
「もったいないことでございますから」
と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。雪が霙となり、また白く雪になる
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ような荒日和に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使 いを出した。
こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
降り乱れひまなき空に亡き人の天がけるらん宿ぞ悲しき
という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印 象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。宮は返 事を書きにくく思召したのであるが、
「われわれから御挨拶をいたしますのは失礼でございますから」
と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香のにおいを染ませた艶なのへ、目だたぬよう な書き方にして、
消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に
とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のある ものであった。斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていた のである。もう今は忌垣の中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいの であるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われ るのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。御息所がその点を気づか
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っていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清 い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に 入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思 いついた。親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすった ら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせ ることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮 のおとなしさを苦労にしていた。女別当、内侍、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付き しているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たち の中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、こんなことも思って いる源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明であったのであろう。自身の心もま だどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内させる希望などは人に言っておかぬほうが よいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は 感謝していた。
六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所の女房なども 次第に下がって行く者が多くなって、京もずっと下の六条で、東に寄った京極通りに近いので あるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであ
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った。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御 生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、し いてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお 思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。女房たちを仲介にして求婚をする男は各 皆及に多かったが、源氏は女房たちに、
「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおの おの思いもし諫め合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなこ とも皆はしなかった。院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿の儀式に、この 世の人とも思われぬ美貌を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは 院に寵姫が幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が 始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院 参を躊躇したものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどお はいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なお その仰せがある。源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮 中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐で、これを全然
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ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実 があって決断ができないということをお話しした。
「お母様の御息所はきわめて聡明な人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流 させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦 しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、 亡くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞 いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうござい まして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以 前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことを したいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大 人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の 女御が侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた 様がこうするようにと仰せになるのに随わせていただこうと思います」
と言うと、
「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お 気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということに して、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際 そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということ
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も聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」
「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したという ぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することの ないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」
などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内 は自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。夫人にその考えを言って、
「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」
と語ったので、女王も喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。入道の 宮は兵部卿の宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになる のであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろ うとするのであろうと心苦しく思召した。中納言の姫君は弘徽殿の女御と呼ばれていた。太政 大臣の猶子になっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。 陛下もよいお遊び相手のように思召された。
「兵部卿の宮の中姫君も弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりお雛様遊び の連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げるこ とはうれしいことですよ」
と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れに なったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、
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御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、永くはおとどまりに なることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になっ た女御はあるべきであった。