19巻 薄 雲 


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             さくら散る春の夕のうすぐもの涙とな
             りて落つる心地に     (晶子)
 冬になって来て川沿いの家にいる人は心細い思いをすることが多く、気の落ち着くこともな い日の続くのを、源氏も見かねて、
 「これではたまらないだろう、私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」
 と勧めるのであったが、「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな という歌のように、恋人の冷淡に思われることも地理的に斟酌をしなければならないと、しい て解釈してみずから慰めることなどもできなくなって、男の心を顕わに見なければならないこ とは苦痛であろうと明石は躊躇をしていた。
 「あなたがいやなら姫君だけでもそうさせてはどう。こうしておくことは将来のためにどう かと思う。私はこの子の運命に予期していることがあるのだから、その暁を思うともったいな い。西の対の人が姫君のことを知っていて、非常に見たがっているのです。しばらく、あの人 に預けて、袴着の式なども公然二条の院でさせたいと私は思う」
 源氏はねんごろにこう言うのであったが、源氏がそう計らおうとするのでないかとは、明石 が以前から想像していたことであったから、この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。
 「よいお母様の子にしていただきましても、ほんとうのことは世間が知っていまして、何か
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と噂が立ちましては、ただ今の御親切がかえって悪い結果にならないでしょうか」
 手放しがたいように女は思うふうである。
 「あなたが賛成しないのはもっともだけれど、継母の点で不安がったりはしないでおおきな さい。あの人は私の所へ来てずいぶん長くなるのだが、こんなかわいい者のできないのを寂し がってね、前斎宮などは幾つも年が違っていない方だけれど、娘として世話をすることに楽し みを見いだしているようなわけだから、ましてこんな無邪気な人にはどれほど深い愛を持つか しれない、と私が思うことのできる人ですよ」
 源氏は紫の女王の善良さを語った。それはほんとうであるに違いない、昔はどこへ源氏の愛 は落ち着くものか想像もできないという噂が田舎にまで聞こえたものであった源氏の多情な、 恋愛生活が清算されて、皆過去のことになったのは今の夫人を源氏が得たためであるから、だ れよりもすぐれた女性に違いないと、こんなことを明石は考えて、何の価値もない自分は決し てそうした夫人の競争者ではないが、京へ源氏に迎えられて自分が行けば、夫人に不快な存在 と見られることがあるかもしれない。自分はどうなるもこうなるも同じことであるが、長い未 来を持つ子は結局夫人の世話になることであろうから、それならば無心でいる今のうちに夫人 の手へ譲ってしまおうかという考えが起こってきた。しかしまた気がかりでならないことであ ろうし、つれづれを慰めるものを失っては、自分は何によって日を送ろう、姫君がいるために たまさかに訪ねてくれる源氏が、立ち寄ってくれることもなくなるのではないかとも煩悶され て、結局は自身の薄倖を悲しむ明石であった。尼君は思慮のある女であったから、
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 「あなたが姫君を手放すまいとするのはまちがっている。ここにおいでにならなくなること は、どんなに苦しいことかはしれないけれど、あなたは母として姫君の最も幸福になることを 考えなければならない。姫君を愛しないでおっしゃることでこれはありませんよ。あちらの奥 様を信頼してお渡しなさいよ。母親次第で陛下のお子様だって階級ができるのだからね。源氏 の大臣がだれよりもすぐれた天分を持っていらっしゃりながら、御位にお即きにならずに一臣 下で仕えていらっしゃるのは、大納言さんがもう一段出世ができずにお亡くれになって、お嬢 さんが更衣にしかなれなかった、その方からお生まれになったことで御損をなすったのですよ。 まして私たちの身分は問題にならないほど恥ずかしいものなのですからね。また親王様だって、 大臣の家だって、良い奥様から生まれたお子さんと、劣った生母を持つお子さんとは人の尊敬 のしかたが違うし、親だって公平にはおできにならないものです。姫君の場合を考えれば、ま だ幾人もいらっしゃるりっぱな奥様方のどっちかで姫君がお生まれになれば、当然肩身の狭い ほうのお嬢さんにおなりになりますよ。一体女というものは親からたいせつにしてもらうこと で将来の運も招くことになるものよ。袴着の式だっても、どんなに精一杯のことをしても大井 の山荘ですることでははなやかなものになるわけはない。そんなこともあちらへおまかせして、 どれほど尊重されていらっしゃるか、どれほどりっぱな式をしてくだすったかと聞くだけで満 足をすることになさいね」
 と娘に訓えた。賢い人に聞いて見ても、占いをさせてみても、二条の院へ渡すほうに姫君の 幸運があるとばかり言われて、明石は子を放すまいと固執する力が弱って行った。源氏もそう
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したくは思いながらも、女の気持ちを尊重してしいて言うことはしなかった。手紙のついでに、 袴着の仕度にかかりましたかと書いた返事に、
 何事も無力な母のそばにおりましては気の毒でございます。先日のお言葉のように生い先が
 哀れに思われます。しかし、そちらへこの子が出ましてはまたどんなにお恥ずかしいことば
 かりでしょう。
 と言って来たのを源氏は哀れに思った。源氏はいよいよ二条の院ですることになった姫君の 袴着の吉日を選ばせて、式の用意を命じていた。
 式は式でも紫夫人の手へ姫君を渡しきりにすることは今でも堪えがたいことに明石は思いな がらも、何事も姫君の幸福を先にして考えねばならぬと悲痛な決心をしていた。乳母と別れて しまわねばならぬことでもあったから、
 「気がめいってならない時とか、つれづれな時とかに、どんなにあなたの友情が私を助けて くだすったかしれないのに、これから先を思うと、お嬢さんのいなくなることといっしょにま たそれがどんなに寂しいことでしょう」
 と乳母に言って明石は泣いた。
 「前生の因縁だったのでございましょうね、不意にお宅で御厄介になることになりましてか ら、長い間どんなに御親切にしていただいたことでしょう。私の心に御好意は彫りつけられて おりますから、これきり疎遠にいたしますようなことは決してないと思われますし、またごい っしょに暮らさせていただく日の参りますことも信じておりますが、しばらくでも別々になり
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まして、知らない方たちの中へはいってまいりますことは苦しゅうございます」
 と乳母も言うのであった。こんなことを毎日言っているうちに十二月にもなった。雪や霙の 降る日が多くて、心細い気のする明石は、いろいろな形でせねばならない苦労の多い自分であ ると悲しんで、平生よりもしみじみ姫君を愛撫していた。大雪になった朝、過去未来が思い続 けられて、平生は縁に近く出るようなこともあまりないのであるが、端のほうに来て明石は汀 の氷などにながめ入っていた。柔らかな白を幾枚か重ねたからだつき、頭つき、後ろ姿は最高 の貴女というものもこうした気高さのあるものであろうと見えた。こぼれてくる涙を払いなが ら、
 「こんな日にはまた特別にあなたが恋しいでしょう」
 と可憐に言って、また乳母に言った。
  雪深き深山のみちは晴れずともなほふみ通へ跡たえずして
 乳母も泣きながら、
  雪間なき吉野の山をたづねても心の通ふ跡絶えめやは
 と慰めるのであった。この雪が少し解けたころに源氏が来た。平生は待たれる人であったが、 今度は姫君をつれて行かれるかと思うことで、源氏の訪れに胸騒ぎのする明石であった。自分 の意志で決まることである、謝絶すればしいてとはお言いにならないはずである、自分がしっ
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かりとしていればよいのであると、こんな気も明石はしたが、約束を変更することなどは軽率 に思われることであると反省した。美しい顔をして前にすわっている子を見て源氏は、この子 が間に生まれた明石と自分の因縁は並み並みのものではないと思った。今年から伸ばした髪が もう肩先にかかるほどになっていて、ゆらゆらとみごとであった。顔つき、目つきのはなやか な美しさも類のない幼女である。これを手放すことでどんなに苦悶していることかと思うと哀 れで、一夜がかりで源氏は慰め明かした。
 「いいえ、それでいいと思っております。私の生みましたという傷も隠されてしまいますほ どにしてやっていただかれれば」
 と言いながらも、忍びきれずに泣く明石が哀れであった。姫君は無邪気に父君といっしょに 車へ早く乗りたがった。車の寄せられてある所へ明石は自身で姫君を抱いて出た。片言の美し い声で、袖をとらえて母に乗ることを勧めるのが悲しかった。
  末遠き二葉の松に引き分かれいつか木高きかげを見るべき
 とよくも言われないままで非常に明石は泣いた。こんなことも想像していたことである、心 苦しいことをすることになったと源氏は歎息した。
 「生ひ初めし根も深ければ武隈の松に小松の千代を並べん
 気を長くお待ちなさい」
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 と慰めるほかはないのである。道理はよくわかっていて抑制しようとしても明石の悲しさは どうしようもないのである。乳母と少将という若い女房だけが従って行くのである。守り刀、 天児などを持って少将は車に乗った。女房車に若い女房や童女などをおおぜい乗せて見送りに 出した。源氏は道々も明石の心を思って罪を作ることに知らず知らず自分はなったかとも思っ た。
 暗くなってから着いた二条の院のはなやかな空気はどこにもあふれるばかりに見えて、田舎 に馴れてきた自分らがこの中で暮らすことはきまりの悪い恥ずかしいことであると、二人の女 は車から下りるのに躊躇さえした。西向きの座敷が姫君の居間として設けられてあって、小さ い室内の装飾品、手道具がそろえられてあった。乳母の部屋は西の渡殿の北側の一室にできて いた。姫君は途中で眠ってしまったのである。抱きおろされて目がさめた時にも泣きなどはし なかった。夫人の居間で菓子を食べなどしていたが、そのうちあたりを見まわして母のいない ことに気がつくと、かわいいふうに不安な表情を見せた。源氏は乳母を呼んでなだめさせた。 残された母親はましてどんなに悲しがっていることであろうと、想像されることは、源氏に心 苦しいことであったが、こうして最愛の妻と二人でこのかわいい子をこれから育てていくこと は非常な幸福なことであるとも思った。どうしてあの人に生まれて、この人に生まれてこなか ったか、自分の娘として完全に瑕のない所へはなぜできてこなかったのかと、さすがに残念に も源氏は思うのであった。当座は母や祖母や、大井の家で見馴れた人たちの名を呼んで泣くこ ともあったが、大体が優しい、美しい気質の子であったから、よく夫人に親しんでしまった。
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女王は可憐なものを得たと満足しているのである。専心にこの子の世話をして、抱いたり、な がめたりすることが夫人のまたとない喜びになって、乳母も自然に夫人に接近するようになっ た。ほかにもう一人身分ある女の乳の出る人が乳母に添えられた。
 袴着はたいそうな用意がされたのでもなかったが世間並みなものではなかった。その席上の 飾りが雛遊びの物のようで美しかった。列席した高官たちなどはこんな日にだけ来るのでもな く、毎日のように出入りするのであったから目だたなかった。ただその式で姫君が袴の紐を互 いちがいに襷形に胸へ掛けて結んだ姿がいっそうかわいく見えたことを言っておかねばならな い。
 大井の山荘では毎日子を恋しがって明石が泣いていた。自身の愛が足らず、考えが足りなか ったようにも後悔していた。尼君も泣いてばかりいたが、姫君の大事がられている消息の伝わ ってくることはこの人にもうれしかった。十分にされていて袴着の贈り物などここから持たせ てやる必要は何もなさそうに思われたので、姫君づきの女房たちに、乳母をはじめ新しい一重 ねずつの華美な衣裳を寄贈るだけのことにした。子さえ取ればあとは無用視するように女が思 わないかと気がかりに思って年内にまた源氏は大井へ行った。寂しい山荘住まいをして、唯一 の慰めであった子供に離れた女に同情して源氏は絶え間なく手紙を送っていた。夫人ももうこ のごろではかわいい人に免じて恨むことが少なくなった。
 正月が来た。うららかな空の下に二条の院の源氏夫婦の幸福な春があった。出入りする顕官 たちは七日に新年の拝礼を行なった。若い殿上役人たちもはなやかに思い上がった顔のそろっ
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ている御代である。それ以下の人々も心の中には苦労もあるであろうが、表面はそれぞれの職 業に楽しんでついているふうに見えた。
 東の院の対の夫人も品位の添った暮らしをしていた。女房や童女の服装などにも洗練された よい趣味を見せていた。明石の君の山荘に比べて近いことは花散里の強味になって、源氏は閑 暇な時を見計らってよくここへ来ていた。夜をこちらで泊まっていくようなことはない。性格 がきわめて善良で、無邪気で、自分にはこれだけの運よりないのであるとあきらめることを知 っていた。源氏にとってはこの人ほど気安く思われる夫人はなかった。何かの場合にも紫夫人 とたいした差別のない扱い方を源氏はするのであったから、軽蔑する者もなく、その方へも敬 意を表しに行く人が絶えない。別当も家職も忠実に事務を取っていて整然とした一家をなして いた。
 山荘の人のことを絶えず思いやっている源氏は、公私の正月の用が片づいたころのある日、 大井へ出かけようとして、ときめく心に装いを凝らしていた。桜の色の直衣の下に美しい服を 幾枚か重ねて、ひととおり薫物が焚きしめられたあとで、夫人へ出かけの言葉を源氏はかけに 来た。明るい夕日の光に今日はいっそう美しく見えた。夫人は恨めしい心を抱きながら見送っ ているのであった。無邪気な姫君が源氏の裾にまつわってついて来る。御簾の外へも出そうに なったので、立ち止まって源氏は哀れにわが子をながめていたが、なだめながら、「明日かへ りこん」(桜人その船とどめ島つ田を十町作れる見て帰りこんや、そよや明日帰りこんや)と 口ずさんで縁側へ出て行くのを、女王は中から渡殿の口へ先まわりをさせて、中将という女房
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に言わせた。
  船とむる遠方人のなくばこそ明日帰りこん夫とまち見め
 物馴れた調子で歌いかけたのである。源氏ははなやかな笑顔をしながら、
  行きて見て明日もさねこんなかなかに遠方人は心おくとも
 と言う。父母が何を言っているとも知らぬ姫君が、うれしそうに走りまわるのを見て夫人の 「遠方人」を失敬だと思う心も緩和されていった。どんなにこの子のことばかり考えているで あろう、自分であれば恋しくてならないであろう、こんなかわいい子供なのだからと思って、 女王はじっと姫君の顔をながめていたが、懐へ抱きとって、美しい乳を飲ませると言って口へ くくめなどして戯れているのは、外から見ても非常に美しい場面であった。女房たちは、
 「なぜほんとうのお子様にお生まれにならなかったのでしょう。同じことならそれであれば なおよかったでしょうにね」
 などとささやいていた。
 大井の山荘は風流に住みなされていた。建物も普通の形式離れのした雅味のある家なのであ る。明石は源氏が見るたびに美が完成されていくと思う容姿を持っていて、この人は貴女に何 ほども劣るところがない。身分から常識的に想像すれば、ありうべくもないことと思うであろ うが、それも世間と相いれない偏狭な親の性格などが禍いしているだけで、家柄などは決して
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悪くはないのであるから、かくあるのが自然であるとも源氏は思っていた。逢っている時が短 くて、すぐに帰邸を思わねばならぬことを苦しがって、「夢のわたりの浮き橋か」(うち渡しつ つ物をこそ思へ)と源氏は歎かれて、十三絃の出ていたのを引き寄せ、明石の秋の深夜に聞い た上手な琵琶の音もおもい出されるので、自身はそれを弾きながら、女にもぜひ弾けと勧めた。 明石は少し合わせて弾いた。なぜこうまでりっぱなことばかりのできる女であろうと源氏は思 った。源氏は姫君の様子をくわしく語っていた。大井の山荘も源氏にとっては愛人の家にすぎ ないのであるが、こんなふうにして泊まり込んでいる時もあるので、ちょっとした菓子、強飯 というふうな物くらいを食べることもあった。自家の御堂とか、桂の院とかへ行って定まった 食事はして、貴人の体面はくずさないが、そうかといって並み並みの妾の家らしくはして見せ ず、ある点まではこの家と同化した生活をするような寛大さを示しているのは、明石に持つ愛 情の深さがしからしめるのである。明石も源氏のその気持ちを尊重して、出すぎたと思われる ことはせず、卑下もしすぎないのが、源氏には感じよく思われた。相当に身分のよい愛人の家 でもこれほど源氏が打ち解けて暮らすことはないという話も明石は知っていたから。近い東の 院などへ移って行っては源氏に珍しがられることもなくなり、飽かれた女になる時期を早くす るようなものである、地理的に不便で、特に思い立って来なければならぬ所にいるのが自分の 強味であると思っているのである。明石の入道も今後のいっさいのことは神仏に任せるという ようなことも言ったのであるが、源氏の愛情、娘や孫の扱われ方などを知りたがって始終使い を出していた。報せを得て胸のふさがるようなこともあったし、名誉を得た気のすることもあ
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った。
 この時分に太政大臣が薨去した。国家の柱石であった人であるから帝もお惜しみになった。 源氏も遺憾に思った。これまではすべてをその人に任せて閑暇のある地位にいられたわけであ るから、死別の悲しみのほかに責任の重くなることを痛感した。帝は御年齢の割に大人びた聡 明な方であって、御自身だけで政治をあそばすのに危げもないのであるが、だれか一人の御後 見の者は必要であった。だれにそのことを譲って静かな生活から、やがては出家の志望も遂げ えようと思われることで源氏は太政大臣の死によって打撃を受けた気がするのである。源氏は 大臣の息子や孫以上に至誠をもってあとの仏事や法要を営んだ。今年はだいたい静かでない年 であった。何かの前兆でないかと思われるようなことも頻々として起こる。日月星などの天象 の上にも不思議が多く現われて世間に不安な気がみなぎっていた。天文の専門家や学者が研究 して政府へ報告する文章の中にも、普通に見ては奇怪に思われることで、源氏の内大臣だけに は解釈のついて、そして疚しく苦しく思われることが混じっていた。
 女院は今年の春の初めからずっと病気をしておいでになって、三月には御重体にもおなりに なったので、行幸などもあった。陛下の院にお別れになったころは御幼年で、何事も深くはお 感じにならなかったのであるが、今度の御大病については非常にお悲しみになるふうであった から、女院もまたお悲しかった。
 「今年はきっと私の死ぬ年ということを知っていましたけれど、初めはたいした病気でもご ざいませんでしたから、賢明に死を予感して言うらしく他に見られるのもいかがと思いまして
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功徳のことのほうも例年以上なことは遠慮してしませんでした。参内いたしましてね、故院の お話などもお聞かせしようなどとも思っているのでしたが、普通の気分でいられる時が少のう ございましたから、お目にも長くかからないでおりました」
 と弱々しいふうで女院は帝へ申された。今年は三十七歳でおありになるのである。しかしお 年よりもずっとお若くお見えになってまだ盛りの御容姿をお持ちあそばれるのであるから、帝 は惜しく悲しく思召された。お厄年であることから、はっきりとされない御容体の幾月も続く のをすら帝は悲しんでおいでになりながら、そのころにもっとよく御養生をさせ、熱心に祈祷 をさせなかったかと帝は悔やんでおいでになった。近ごろになってお驚きになったように急に 御快癒の法などを行なわせておいでになるのである。これまではお弱い方にまた御持病が出た というように解釈して油断のあったことを源氏も深く歎いていた。尊貴な御身は御病母のもと にも長くはおとどまりになることができずに間もなくお帰りになるのであった。悲しい日であ った。女院は御病苦のためにはかばかしくものもお言われになれないのである。お心の中では すぐれた高貴の身に生まれて、人間の最上の光栄とする后の位にも自分は上った。不満足なこ との多いようにも思ったが、考えればだれの幸福よりも大きな幸福のあった自分であるとも思 召した。帝が夢にも源氏との重い関係をご存じでないことだけを女院はおいたわしくお思いに なって、これがこの世に心の残ることのような気があそばされた。
 源氏は一廷臣として太政大臣に続いてまた女院のすでに危篤状態になっておいでになること は歎かわしいとしていた。人知れぬ心の中では無限の悲しみをしていて、あらゆる神仏に頼ん
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で宮のお命をとどめようとしているのである。もう長い間禁制の言葉としておさえていた初恋 以来の心を告げることが、この際になるまで果たしえないことを源氏は非常に悲しいことであ ると思った。源氏は伺候して女院の御寝室の境に立った几帳の前で御容体などを女房たちに聞 いてみると、ごく親しくお仕えする人たちだけがそこにはいて、くわしく話してくれた。
 「もうずっと前からお悪いのを我慢あそばして仏様のお勤めを少しもお休みになりませんで したのが、積もり積もってどっとお悪くおなりあそばしたのでございます。このごろでは柑子 類すらもお口にお触れになりませんから、御衰弱が進むばかりで、御心配申し上げるような御 容体におなりあそばしました」
 と歎くのであった。
「院の御遺言をお守りくだすって、陛下の御後見をしてくださいますことで、今までどれほ ど感謝して参ったかしれませんが、あなたにお報いする機会がいつかあることと、のんきに思 っておりましたことが、今日になりましてはまことに残念でなりません」
 お言葉を源氏へお取り次がせになる女房へ仰せられるお声がほのかに聞こえてくるのである。 源氏はお言葉をいただいてもお返辞ができずに泣くばかりである。見ている女房たちにはそれ もまた悲しいことであった。どうしてこんなに泣かれるのか、気の弱さを顕わに見せることで はないかと人目が思われるのであるが、それにもかかわらず涙が流れる。女院のお若かった日 から今日までのことを思うと、恋は別にして考えても惜しいお命が人間の力でどうなることと も思われないことで限りもなく悲しかった。
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 「無力な私も陛下の御後見にできますだけの努力はしておりますが、太政大臣の薨去されま したことで大きな打撃を受けましたおりから、御重患におなりあそばしたので、頭はただ混乱 いたすばかりで、私も長く生きていられない気がいたします」
 こんなことを源氏が言っているうちに、あかりが消えていくように女院は崩御あそばされた。
 源氏は力を落として深い悲しみに浸っていた。尊貴な方でもすぐれた御人格の宮は、民衆の ためにも大きな愛を持っておいでになった。権勢があるために知らず知らず一部分の人をしい たげることもできてくるものであるが、女院にはそうしたお過ちもなかった。女院をお喜ばせ しようと当局者の考えることもそれだけ国民の負担がふえることであるとお認めになることは お受けにならなかった。宗教のほうのことも僧の言葉をお聞きになるだけで、派手な人目を驚 かすような仏事、法要などの行なわれた話は、昔の模範的な聖代にもあることであったが、女 院はそれを避けておいでになった。御両親の御遺産、官から年々定まって支給せられる物の中 から、実質的な慈善と僧家への寄付をあそばされた。であったから僧の片端にすぎないほどの 者までも御恩恵に浴していたことを思って崩御を悲しんだ。世の中の人は皆女院をお惜しみし て泣いた。殿上の人も皆真黒な喪服姿になって寂しい春であった。
 源氏は二条の院の庭の桜を見ても、故院の花の宴の日のことが思われ、当時の中宮が思われ た。「今年ばかりは」(墨染めに咲け)と口ずさまれるのであった。人が不審を起こすであろう ことをはばかって、念誦堂に引きこもって終日源氏は泣いていた。はなやかに春の夕日がさし て、はるかな山の頂の立ち木の姿もあざやかに見える下を、薄く流れて行く雲が鈍色であった。
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何一つも源氏の心を惹くものもないころであったが、これだけは身に沁んでながめられた。
  入り日さす峯にたなびく薄雲は物思ふ袖に色やまがへる
 これはだれも知らぬ源氏の歌である。御葬儀に付帯したことの皆終わったころになってかえ って帝はお心細く思召した。女院の御母后の時代から祈りの僧としてお仕えしていて、女院も 非常に御尊敬あそばされ、御信頼あそばされた人で、朝廷からも重い待遇を受けて、大きな御 祈願がこの人の手で多く行なわれたこともある僧都があった。年は七十くらいである。もう最 後の行をするといって山にこもっていたが僧都は女院の崩御によって京へ出て来た。宮中から 御召しがあって、しばしば御所へ出仕していたが、近ごろはまた以前のように君側のお勤めを するようにと源氏から勧められて、
 「もう夜居などはこの健康でお勤めする自信はありませんが、もったいない仰せでもござい ますし、お崩れになりました女院様への御奉公になることと思いますから」
 と言いながら夜居の僧として帝に侍していた。静かな夜明けにだれもおそばに人がいず、い た人は皆退出してしまった時であった。僧都は昔風に咳払いをしながら、世の中のお話を申し 上げていたが、その続きに、
 「まことに申し上げにくいことでございまして、かえってそのことが罪を作りますことにな るかもしれませんから、躊躇はいたされますが、陛下がご存じにならないでは相当な大きな罪 をお得になることでございますから、天の目の恐ろしさを思いまして、私は苦しみながら亡く
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なりますれば、やはり陛下のおためにはならないばかりでなく、仏様からも卑怯者としてお憎 しみを受けると思いまして」
 こんなことを言い出した。しかもすぐにはあとを言わずにいるのである。帝は何のことであ ろう、今日もまだ意志の通らぬことがあって、それの解決を見た上でなければ清い往生のでき ぬような不安があるのかもしれない。僧というものは俗を離れた世界に住みながら嫉妬排擠が 多くてうるさいものだそうであるからと思召して、 「私は子供の時から続いてあなたを最も親しい者として信用しているのであるが、あなたの ほうには私に言えないことを持っているような隔てがあったのかと思うと少し恨めしい」
 と仰せられた。
 「もったいない。私は仏様がお禁じになりました真言秘密の法も陛下には御伝授申し上げま した。私個人のことで申し上げにくいことが何ございましよう。この話は過去未来に広く関聯 したことでございましてお崩れになりました院、女院様、現在国務をお預かりになる内大臣の おためにもかえって悪い影響をお与えすることになるかもしれません。老いた僧の身の私はど んな難儀になりましても後悔などはいたしません。仏様からこの告白はお勧めを受けてするこ とでございます。陛下がお妊まれになりました時から、故宮はたいへんな御心配をなさいまし て、私に御委託あそばしたある祈祷がございました。くわしいことは世捨て人の私に想像がで きませんでございました。大臣が一時失脚をなさいまして難儀にお逢いになりましたころ宮の 御恐怖は非常なものでございまして、重ねてまたお祈りを私へ仰せつけになりました。大臣が
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それをお聞きになりますと、また御自身のほうからも同じ御祈祷をさらに増してするようにと 御下命がございまして、それは御位にお即きあそばすまで続けました祈祷でございました。そ のお祈りの主旨はこうでございました」
 と言って、くわしく僧都の奏上するところを聞こし召して、お驚きになった帝の御心は恥ず かしさと、恐しさと、悲しさとの入り乱れて名状しがたいものであった。何とも仰せがないの で、僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを御不快に思召すのかと恐懼して、そっと退 出しようとしたのを、帝はおとどめになった。
 「それを自分が知らないままで済んだなら後世までも罪を負って行かなければならなかった と思う。今まで言ってくれなかったことを私はむしろあなたに信用がなかったのかと恨めしく 思う。そのことをほかにも知った者があるだろうか」
 と仰せられる。
 「決してございません。私と王命婦以外にこの秘密をうかがい知った者はございません。そ の隠れた事実のために恐ろしい天の譴がしきりにあるのでございます。世間に何となく不安な 気分のございますのもこのためなのでございます。御幼年で何のお弁えもおありあそばさない ころは天もとがめないのでございますが、大人におなりあそばされた今日になって天が怒りを 示すのでございます。すべてのことは御両親の御代から始められなければなりません。何の罪 とも知し召さないことが恐ろしゅうございますから、いったん忘却の中へ追ったことを私はま た取り出して申し上げました」
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 泣く泣く僧都の語るうちに朝が来たので退出してしまった。
 帝は隠れた事実を夢のようにお聞きになって、いろいろと御煩悶をあそばされた。故院のた めにも済まないこととお思われになったし、源氏が父君でありながら自分の臣下となっている ということももったいなく思召された。お胸が苦しくて朝の時が進んでも御寝室をお離れにな らないのを、こうこうと報せがあって源氏の大臣が驚いて参内した。お出ましになって源氏の 顔を御覧になるといっそう忍びがたくおなりあそばされた。帝は御落涙になった。源氏は女院 をお慕いあそばされる御親子の情から、夜も昼もお悲しいのであろうと拝見した、その日に式 部卿親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったというように帝はお感じになっ たのであった。こんなころであったからこの日は源氏も自邸へ退出せずにずっとおそばに侍し ていた。しんみりとしたお話の中で、
 「もう世の終わりが来たのではないだろうか。私は心細くてならないし、天下の人心もこん なふうに不安になっている時だから私はこの地位に落ち着いていられない。女院がどう思召す かと御遠慮をしていて、位を退くことなどは言い出せなかったのであるが、私はもう位を譲っ て責任の軽い身の上になりたく思う」
 こんなことを帝は仰せられた。
 「それはあるまじいことでございます。死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますこと は、必ずしも政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。聖主の御代にも 天変と地上の乱のございますことは支那にもございました。ここにもあったのでございます。
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まして老人たちの天命が終わって亡くなってまいりますことは大御心におかけあそばすことで はございません」
 などと源氏は言って、譲位のことを仰せられた帝をお諌めしていた。問題が間題であるから むずかしい文字は省略する。
 じみな黒い喪服姿の源氏の顔と竜顔とは常よりもなおいっそうよく似てほとんど同じものの ように見えた。帝も以前から鏡にうつるお顔で源氏に似たことは知っておいでになるのである が、僧都の話をお聞きになった今はしみじみとその顔に御目が注がれて熱い御愛情のお心にわ くのをお覚えになる帝は、どうかして源氏にそのことを語りたいと思召すのであったが、さす がに御言葉にはあそばしにくいことであったから、お若い帝は差恥をお感じになってお言い出 しにならなかった。そんな間帝はただの話も常よりはなつかしいふうにお語りになり、敬意を お見せになったりもあそばして、以前とは変わった御様子がうかがわれるのを、聡明な源氏は、 不思議な現象であると思ったが、僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を帝がお知りになっ たとは想像しなかった。帝は王命婦にくわしいことを尋ねたく思召したが、今になって女院が 秘密を秘密とすることに苦心されたことを、自分が知ったことは命婦にも思われたくない、た だ大臣にだけほのめかして、歴史の上にこうした例があるということを聞きたいと思召される のであったが、そうしたお話をあそばす機会がお見つかりにならないためにいよいよ御学問に 没頭あそばされて、いろいろの書物を御覧になったが、支那にはそうした事実が公然認められ ている天子も、隠れた事実として伝記に書かれてある天子も多かったが、この国の書物からは
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さらにこれにあたる例を御発見あそばすことはできなかった。皇子の源氏になった人が納言に なり、大臣になり、さらに親王になり、即位される例は幾つもあった。りっぱな人格を尊敬す ることに託して、自分は源氏に位を譲ろうかとも思召すのであった。
 秋の除目に源氏を太政大臣に任じようとあそばして、内諾を得るためにお話をあそばした時 に、帝は源氏を天子にしたいかねての思召しをはじめてお洩らしになった。源氏はまぶしくも、 恐ろしくも思って、あるまじいことに思うと奏上した。
 「故院はおおぜいのお子様の中で特に私をお愛しになりながら、御位をお譲りになることは お考えにもならなかったのでございます。その御意志にそむいて、及びない地位に私がどうし てなれましょう。故院の思召しどおりに私は一臣下として政治に携わらせていただきまして、 今少し年を取りました時に、静かな出家の生活にもはいろうと存じます」
 と平生の源氏らしく御辞退するだけで、御心を解したふうのなかったことを帝は残念に思召 した。太政大臣に任命されることも今しばらくのちのことにしたいと辞退した源氏は、位階だ けが一級進められて、牛車で禁門を通過する御許可だけを得た。帝はそれも御不満足なことに 思召して、親王になることをしきりにお勧めあそばされたが、そうして帝の御後見をする政治 家がいなくなる、中納言が今度大納言になって右大将を兼任することになったが、この人がも う一段昇進したあとであったなら、親王になって閑散な位置へ退くのもよいと源氏は思ってい た。源氏はこんなふうな態度を帝がおとりあそばすことになったことで苦しんでいた。故中宮 のためにもおかわいそうなことで、また陛下には御煩悶をおさせする結果になっている秘密奏
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上をだれがしたかと怪しく思った。命婦は御厘殿がほかへ移ったあとの御殿に部屋をいただい て住んでいたから、源氏はそのほうへ訪ねて行った。
 「あのことをもし何かの機会に少しでも陛下のお耳へお入れになったのですか」
 と源氏は言ったが、
 「私がどういたしまして。宮様は陛下が秘密をお悟りになることを非常に恐れておいでにな りましたが、また一面では陛下へ絶対にお知らせしないことで陛下が御仏の咎をお受けになり はせぬかと御煩悶をあそばしたようでございました」
 命婦はこう答えていた。こんな話にも故宮の御感情のこまやかさが忍ばれて源氏は恋しく思 った。
 斎宮の女御は予想されたように源氏の後援があるために後宮のすばらしい地位を得ていた。 すべての点に源氏の理想にする貴女らしさの備わった人であったから、源氏はたいせつにかし ずいていた。この秋女御は御所から二条の院へ退出した。中央の寝殿を女御の住居に決めて、 輝くほどの装飾をして源氏は迎えたのであった。もう院への御遠慮も薄らいで、万事を養父の 心で世話をしているのである。秋の雨が静かに降って植え込みの草の花の濡れ乱れた庭をなが めて女院のことがまた悲しく思い出された源氏は、湿ったふうで女御の御殿へ行った。濃い鈍 色の直衣を着て、病死者などの多いために政治の局にあたる者は謹慎をしなければならないと いうのに託して、実は女院のために源氏は続いて精進をしているのであったから、手に掛けた 数珠を見せぬように袖に隠した様子などが艶であった。御簾の中へ源氏ははいって行った。几
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帳だけを隔てて王女御はお逢いになった。
 「庭の草花は残らず咲きましたよ。今年のような恐ろしい年でも、秋を忘れずに咲くのが哀 れです」
 こう言いながら柱によりかかっている源氏は美しかった。御息所のことを言い出して、野の 宮に行ってなかなか逢ってもらえなかった秋のことも話した。故人を切に恋しく思うふうが源 氏に見えた。宮も「いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖ぞ露けかりける」というよう に、少しお泣きになる様子が非常に可憐で、みじろぎの音も類のない柔らかさに聞こえた。艶 な人であるに相違ない、今日までまだよく顔を見ることのできないことが残念であると、ふと 源氏の胸が騒いだ。困った癖である。
 「私は過去の青年時代に、みずから求めて物思いの多い日を送りました。恋愛するのは苦し いものなのですよ。悪い結果を見ることもたくさんありましたが、とうとう終いまで自分の誠 意がわかってもらえなかった二つのことがあるのですが、その一つはあなたのお母様のことで す。お恨ませしたままお別れしてしまって、このことで未来までの煩いになることを私はして しまったかと悲しんでいましたが、こうしてあなたにお尽くしすることのできることで私はみ ずから慰んでいるもののなおそれでもおかくれになったあなたのお母様のことを考えますと、 私の心はいつも暗くなります」
 もう一つのほうの話はしなかった。
 「私の何もかもが途中で挫折してしまったころ、心苦しくてなりませんでしたことがどうや
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ら少しずつよくなっていくようです。今東の院に住んでおります妻は、寄るべの少ない点で絶 えず私の気がかりになったものですが、それも安心のできるようになりました。善良な女で、 私と双方でよく理解し合っていますから朗らかなものです。私がまた世の中へ帰って朝政に与 るような喜びは私にたいしたこととは思われないで、そうした恋愛問題のほうがたいせつに思 われる私なのですから、どんな抑制を心に加えてあなたの御後見だけに満足していることか、 それをご存じになっていますか、御同情でもしていただかなければかいがありません」
 と源氏は言った。面倒な話になって、宮は何ともお返辞をあそばさないのを見て、
 「そうですね、そんなことを言って私が悪い」
 と話をほかへ源氏は移した。
 「今の私の望みは閑散な身になって風流三昧に暮らしうることと、のちの世の勤めも十分に することのほかはありませんが、この世の思い出になることを一つでも残すことのできないの はさすがに残念に思われます。ただ二人の子供がございますが、老い先ははるかで待ち遠しい ものです。失礼ですがあなたの手でこの家の名誉をお上げくだすって、私の亡くなりましたの ちも私の子供らを護っておやりください」
などと言った。宮のお返事はおおようで、しかも一言をたいした努力でお言いになるほどの ものであるが、源氏の心はまったくそれに惹きつけられてしまって、日の暮れるまでとどまっ ていた。
 「人聞きのよい人生の望みなどはたいして持ちませんが、四季時々の美しい自然を生かせる
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ようなことで、私は満足を得たいと思っています。春の花の咲く林、秋の野のながめを昔から いろいろに優劣が論ぜられていますが、道理だと思って、どちらかに加担のできるほどのこと はまだだれにも言われておりません。支那では春の花の錦が最上のものに言われておりますし、 日本の歌では秋の哀れが大事に取り扱われています。どちらもその時その時に感情が変わって いって、どれが最もよいとは私らに決められないのです。狭い邸の中ででも、あるいは春の花 の木をもっぱら集めて植えたり、秋草の花を多く作らせて、野に鳴く虫を放しておいたりする 庭をこしらえてあなたがたにお見せしたく思いますが、あなたはどちらがお好きですか、春と 秋と」
 源氏にこうお言われになった宮は、返辞のしにくいことであるとはお思いになったが、何も 言わないことはよろしくないとお考えになって、
 「私などはまして何もわかりはいたしませんで、いつも皆よろしいように思われますけれど、 そのうちでも怪しいと申します夕べ(いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかり けり)は私のためにも亡くなりました母の思い出される時になっておりまして、特別な気がい たします」
 お言葉尻のしどけなくなってしまう様子などの可憐さに、源氏は思わず規を越した言葉を口 に出した。
  「君もさは哀れをかはせ人知れずわが身にしむる秋の夕風
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 忍びきれないおりおりがあるのです」
 宮のお返辞のあるわけもない。腑に落ちないとお思いになるふうである。いったんおさえた ものが外へあふれ出たあとは、その勢いで恋も恨みも源氏の口をついて出てきた。それ以上に も事を進ませる可能性はあったが、宮があまりにもあきれてお思いになる様子の見えるのも道 理に思われたし、自身の心もけしからぬことであると思い返されもして源氏はただ歎息をして いた。艶な姿ももう宮のお目にはうとましいものにばかり見えた。柔らかにみじろぎをして少 しずつあとへ引っ込んでお行きになるのを知って、
 「そんなに私が不愉快なものに思われますか、高尚な貴女はそんなにしてお見せになるもの ではありませんよ。ではもうあんなお話はよしましょうね。これから私をお憎みになってはい けませんよ」
 と言って源氏は立ち去った。しめやかな源氏の衣服の香の座敷に残っていることすらを宮は 情けなくお思いになった。女房たちが出て来て格子などを閉めたあとで、
 「このお敷き物の移り香の結構ですこと、どうしてあの方はこんなにすべてのよいものを備 えておいでになるのでしょう。柳の枝に桜を咲かせたというのはあの方ね。どんな前生をお持 ちになる方でしょう」
 などと言い合っていた。
 西の対に帰った源氏はすぐにも寝室へはいらずに物思わしいふうで庭をながめながら、端の 座敷にからだを横たえていた。燈籠を少し遠くへ掛けさせ、女房たちをそばに置いて話をさせ
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などしているのであった。思ってはならぬ人が恋しくなって、悲しみに胸のふさがるような癖 がまだ自分には残っているのでないかと、源氏は自身のことながらも思われた。これはまった く似合わしからぬ恋である、おそろしい罪であることはこれ以上であるかもしれぬが若き日の 過失は、思慮の足らないためと神仏もお許しになったのであろう、今もまたその罪を犯しては ならないと、源氏はみずから思われてきたことによって、年が行けば分別ができるものである とも悟った。
 王女御は身にしむ秋というものを理解したふうにお返辞をされたことすらお悔やみになった。 恥ずかしく苦しくて、無気味で病気のようになっておいでになるのを、源氏は素知らぬふうで 平生以上に親らしく世話などやいていた。
 源氏は夫人に、
 「女御の秋がよいとお言いになるのにも同情されるし、あなたの春が好きなことにも私は喜 びを感じる。季節季節の草木だけででも気に入った享楽をあなたがたにさせたい。いろいろの 仕事を多く持っていてはそんなことも望みどおりにはできないから、早く出家が遂げたいもの の、あなたの寂しくなることが思われてそれも実現難になりますよ」
 などと語っていた。
 大井の山荘の人もどうしているかと絶えず源氏は思いやっているが、ますます窮屈な位置に 押し上げられてしまった今では、通って行くことが困難にばかりなった。悲観的に人生を見る ようになった明石を、原氏はそうした寂しい思いをするのも心がらである、自分の勧めに従っ
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て町へ出て来ればよいのであるが、他の夫人たちといっしょに住むのがいやだと思うような思 い上がりすぎたところがあるからであると見ながらも、また哀れで、例の嵯峨の御堂の不断の 念仏に託して山荘を訪ねた。住み馴れるにしたがってますます凄い気のする山荘に待つ恋人な どというものは、この源氏ほどの深い愛情を持たない相手をも引きつける力があるであろうと 思われる。ましてたまさかに逢えたことで、恨めしい因縁のさすがに浅くないことも思って歎 く女はどう取り扱っていいかと、源氏は力限りの愛撫を試みて慰めるばかりであった。木の繁 った中からさす篝の光が流れの蛍と同じように見える庭もおもしろかった。
 「過去に寂しい生活の経験をしていなかったら、私もこの山荘で逢うことが心細くばかり思 われることだろう」
 と源氏が言うと、
 「いさりせしかげ忘られぬ篝火は身のうき船や慕ひ来にけん
 あちらの景色によく似ております。不幸な者につきもののような灯影でございます」
 と明石が言った。
 「浅からぬ下の思ひを知らねばやなほ篝火の影は騒げる
 だれが私の人生観を悲しいものにさせたのだろう」
 と源氏のほうからも恨みを言った。少し閑暇のできたころであったから、御堂の仏勤めにも
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没頭することができて、二、三日源氏が山荘にとどまっていることで女は少し慰められたはず である。


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