31巻 真木柱
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こひしさも悲しきことも知らぬなり真
木の柱にならまほしけれ (晶子)
「帝のお耳にはいって、御不快に思召すようなことがあってもおそれおおい。当分世間へ知 らせないようにしたい」
と源氏からの注意はあっても、右大将は、恋の勝利者である誇りをいつまでも蔭のことには しておかれないふうであった。時日がたっても新しい夫人には打ち解けたところが見いだせな いで、自身の運命はこれほどつまらないものであったかと、気をめいらせてばかりいる玉鬘を、 大将は恨めしく思いながらも、この人と夫婦になれた前生の因縁が非常にありがたかった。予 想したにも過ぎた佳麗な人を見ては、自分が得なかった場合にはこのすぐれた人は他人の妻に なっているのであると、こんなことを想像する瞬間でさえ胸がとどろいた。石山寺の観世音菩 薩も、女房の弁も並べて拝みたいほどに大将は感激していたが、玉鬘からは最初の夜の彼を導 き入れた女として憎まれていて、弁は新夫人の居間へ出て行くことを得しないで、部屋に引き 込んでいた。仏の御心にもその祈願は取り上げずにいられまいと思われた風流男たちの恋には 効験がなくて、荒削りな大将に石山観音の霊験が現われた結果になった。源氏も快心のことと はこの問題を見られなかったが、もう成立したことであって、当人はもとより実父も許容した 婿を自分だけが認めない態度をとることは、自分の愛している玉鬘のためにもかわいそうであ
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ると思って、新婦の家としてする儀式を華麗に行なって、婿かしずきも重々しくした。早くそ のうちに自邸へ新夫人を引き取って行きたいと大将は思っているのであるが、源氏は簡単に 良人の家へ移るとしても、そこにはうれしく思っては迎えぬはずの第一夫人もいるのが、玉鬘 のために気の毒であるということを理由にしてとめていた。
「何もかも穏やかに行くようにして、双方とも譏られたり、恨んだりすることを避けなけれ ばならない」
と源氏は言うのである。実父の大臣は、この結婚がかえってあなたのために幸福だと思う。 忠実な支持者がなくて派手な宮仕えに出ては苦しいことであろうと自分は心配でならなかった。 助けたい志は十分にあるが、もう後宮には女御が出ているのであるから、私としてはどうして あげようもないのだからと、こんな意味の手紙を玉鬘へ送った。それは真理である。相手が帝 でおありになっても、第一の寵はなくて、ただ御愛人であるにとめられて、あやふやな後宮の 地位を与えられているようなことは、女として幸福なことではないのである。三日の夜の式に 源氏が右大将と応酬した歌のことなどを聞いた時に、内大臣は非常に源氏の好意を喜んだ。皆 ともかくも人に知らすまいとした結婚であったが、まもなくおもしろい新事実として世間はこ のことを話題にし出した。帝もお聞きになった。
「残念だが、しかしそうした因縁だった人も、一度自分の決めたことだから後宮にはいるこ ととは違った尚侍の職は辞める必要がない」
という仰せを源氏へ下された。
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十月になった。神事が多くて内侍所が繁忙をきわめる時節で、内侍以下の女官なども長官の 尚侍の意見を自邸へ聞きに来たりすることで、派手に人の出入りの多くなった所に、大将が昼 も帰らずに暮らしていたりすることで尚侍は困っていた。失恋の悲しみをした人のたくさんあ る中にも兵部卿の宮などはことに残念がっておいでになる一人であった。左兵衛督は姉の大将 夫人のこともいっしょにして世間体を悪く思ったが、恨みを言っても今さら何にもならぬのを 知って沈黙していた。大将は以前からまじめで通った人で、過去においては何らの恋愛問題も 起こさずに来たことなどは忘れたように、生まれ変わったような恋の奴の役に満足して、風流 男らしく宵暁に新夫人の六条院へ出入りする様子をおもしろく人々は見ていた。玉鬘ははなや かな心も引き込めて思い悩んでいた。自発的にできた結果でないことは第三者にもわかること であるが、源氏がどう思っているであろうということが玉鬘にはやる瀬なく苦しく思われるの であった。兵部卿の宮のお志が最も深く思われたことなどを思い出すと恥ずかしくくやしい気 ばかりがされて、大将を愛することがまだできない。源氏は幾十度となく一歩をそこへまで進 めようとした自身を引きとめ、世間も疑った関係が美しく清いもので終わったことを思って、 自身ながらも正しくないことはできない性質であることを知った。紫夫人にも、
「あなたは疑ってもいたではありませんか」
と言ったのであった。しかし常識的には考えられないこともする物好きがあるのであるから、 この先はどうなることかと源氏はみずから危うく思いながらも、恋しくてならなかった人であ った玉鬘の所へ、大将のいない昼ごろに行ってみた。玉鬘はずっと病気のようになっていて、
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朗らかでいる時間もなくしおれてばかりいるのであったが、源氏が来たので、少し起き上がっ て、几帳に隠れるようにしてすわった。源氏も以前と違った父の威厳というようなものを少し 見せて、普通の話をいろいろした。平凡な大将の姿ばかりを見ているこのごろの玉鬘の目に、 源氏の高雅さがつくづく映るについても、意外な運命に従っている自分がきまり悪く恥ずかし くて涙がこぼれるのであった。繊細な人情の扱われる話になってから、玉鬘は脇息によりかか りながら、几帳の外の源氏のほうをのぞくようにして返辞を言っていた。少し痩せて可憐さの 添った顔を見ながら源氏は、それを他人に譲るとは、自身ながらもあまりに善人過ぎたことで あると残念に思われた。
「下り立ちて汲みは見ねども渡り川人のせとはた契らざりしを
意外なことになりましたね」
涙をのみながらこう言う源氏がなつかしく思われた。女は顔を隠しながら言う。
みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙のみをの泡と消えなん
源氏は微笑を見せて、
「悪い場所で消えようというのですね。しかし三途の川はどうしても渡らなければならない そうですから、その時は手の先だけを私に引かせてくださいますか」
と言った。また、
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「あなたはお心の中でわかっていてくださるでしょう。類のないお人よしの、そして信頼の できる者は私で、他の男性のすることはそんなものでないことを経験なすったでしょう。と思 うと私はみずから慰めることもできます」
こんなことも言われて、苦しそうに見える玉鬘に同情して、源氏は話を言い紛らせてしまっ た。
「陛下は御同情のされるもったいない仰せを下さいましたから、形式的にだけでもあなたを 参内させようと思っています。家庭の妻になってしまっては、そうした務めのために御所へ出 るようなことは困難らしい。単なる尚侍であることは最初の私の精神とは違っても、三条の大 臣はかえって満足しておいでになることですから安心です」
などと源氏は情味のこもった話をしていた。身にしむとも思い、恥ずかしいとも聞かれるこ とは多いが、玉鬘はただ涙にとらわれていた。こんなに悲観的になっているのが哀れで、源氏 は恋をささやくこともできなかった。ただ今後の大将と、その一家に対する態度などをよく教 えていた。ただそのほうへ行ってしまうことは急に許そうとしないふうが見えた。
御所へ尚侍を出すことで大将は不安をさらに多く感じるのであるが、それを機会に御所から 自邸へ尚侍を退出させようと考えるようになってからは、短時日の間だけを宮廷へ出ることを 許すようになった。こんなふうに婿として通って来る様式などは馴れないことで大将には苦し いことであったから、自邸を修繕させ、いっさいを完全に設けて一日も早く玉鬘を迎えようと ばかり思っていた。今日までは邸の中も荒れてゆくに任せてあったのである。夫人の悲しむ心
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も知らず、愛していた子供たちも大将の眼中にはもうなかった。好色な風流男というものは、 ただ一人の人だけを愛するのでなしに、だれのため、彼のためも考えて思いやりのある処置を とるものであるが、生一本な人のこうした場合の態度には一方の夫人としてはたまるまいと憐 まれるものがあった。夫人は人に劣った女性でもなかった。身分は尊貴な式部卿の宮の最も大 切にされた長女であって、世の中から敬われてもいた。美人でもあったが、ひどい物怪がつい て、この何年来は尋常人のようでもないのである。狂っている時が多くて、夫婦の中も遠くな っていたが、なお唯一の妻として尊重していた大将に新しい夫人ができ、それがすぐれた美し い人である点ではなくて、世間も疑っていた源氏との関係もないことであった清い処女であっ た点に大将の愛は強く惹かれてしまった。それで第一夫人はそれだけの愛を損しているわけで ある。式部卿の宮はこの事情をお聞きになって、
「今後そうした若い夫人を入れて派手に暮らさせようとしている邸の片すみに小さくなって 住んでいるようなことをしては、世間体もよろしくない。私の生きている間はそんな屈辱的な 待遇を受けて良人の家にいる必要はない」
と御意見をお言いになった。御自邸の東の対を掃除させて、大将夫人の移って来る場所に決 めておいでになるのであった。親の家ではあっても、良人の愛を失った女になって帰って行く ことは、夫人の決心のできかねることであった。性質の静かな善良な人で、子供らしいおおよ うさもある人でいながら、時々人からうとまれるような病的な発作があるのである。住居など も始終だらしなくなっていて、きれいなことは何一つ残っていない家にいる夫人を、玉鬘の六
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条院にいるのとは比べようもないのであるが、青年時代から持ち続けた大将の愛は根を張って いて、一朝一夕に変わるものでも、変えられるものでもないから、今も心では非常に妻を哀れ に思っていた。
「ただ昨日今日にできた夫婦でも、貴族の人たちは気に入らないことも、気に入らないふう を見せずに済ますものなのだ。全然人を捨ててしまうようなことをわれわれの階級の者はしな いものなのだ。あなたには病苦というものがつきまとっていて、それを見るだけでも気の毒で、 私の恋愛問題などを話しておこうとしても話す時がなかったのだよ。以前からあなたと約束し ていることでしょう、あなたに病気はあっても私は一生あなたといるつもりだって、私はどん な辛抱も続けてするつもりなのに、あなたはほかのことを考え出したのですね。別れてしまう ようなことは考えずに私を愛してください。子供もあるのだから、その点から言っても私は一 生あなたを大事にすると言っているのに、女の人には困った嫉妬というものがあって、私を恨 んでばかりあなたはいる。、現在だけを見ておれば、あるいはそのほうが道理かもしれないが、 私を信用してしばらく冷静に見ていてくれたなら、私のあなたを思う志はどんなものかが理解 できる日があるだろうと思う。宮様が不快にお思いになって、今すぐにお邸へあなたをつれて 帰ろうとお言いになるのは、かえってそのほうが軽率なことでないだろうか。実際別れさせて しまおうと思っておいでになるのだろうか。しばらく懲らしめてやろうとお思いになるのだろ うか」
と笑いながら言う大将の様子には、だれからも反感を持たれるのに十分な利己主義者らしい
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ところがあった。
大将の妾のようにもなっていた木工の君や中将の君なども、それ相応に大将を恨めしく思っ ていたが、夫人は普通な精神状態になっている時で、なつかしいふうを見せて泣いていた。
「私を老いぼけた、病的な女だと侮辱なさいますのはごもっともなことですが、そんなお言 葉の中に宮様のことをお混ぜになるのを聞きますと、私のような者と親子でおありになるばか りにと思われて宮様がお気の毒でなりません。私はあなたのお噂を聞くことが近ごろ始まった ことでも何でもないのですから、悲しみはいたしません」
と言って横向く顔が可憐であった。小柄な人が持病のために痩せ衰えて、弱々しくなり、き れいに長い髪が分け取られたかと思うほど薄くなって、しかもその髪はよく梳くこともされな いで、涙に固まっているのが哀れであった。一つ一つの顔の道具が美しいのではなくて、式部 卿の宮によく似て、全体に艶なところのある顔を、構わないままにしてあっては、はなやかな、 若々しいというような点はこの人に全然見られない。
「宮様のことを軽々しくなど私が言うものですか。人に聞かれても恐ろしいようなことを言 うものでない」
などと大将はなだめて、
「私の通って行く所はいわゆる玉の台なのだからね。そんな場所へ不風流な私が出入りする ことは、よけいに人目を引くことだろうと片腹痛くてね、自分の邸へ早くつれて来ようと私は 思うのだ。太政大臣が今日の時代にどれだけ勢力のある方だというようなことは今さらなこと
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だが、あのりっぱな人格者の所へ、ここの嫉妬騒ぎが聞こえて行くようではあの方に済まない。 穏やかに仲よく暮らすように心がけなければならないよ。宮のお邸へあなたが行ってしまった からといっても、私はやはりあなたを愛するだろう。夫婦の形はどうなっても今さら愛のなく なることはないのだが、世間があなたを軽率なように言うだろうし、私のためにも軽々しいこ とになる。長い間愛し合ってきた二人なのだから、これからも私のためになることをあなたも 考えて、世話をし合おうじゃありませんか」
とも言った。
「あなたの冷酷なことがいいことか悪いことか私はもう考えません。何とも思いません。た だ私が健全な女でないことを悲しんでいます。宮様がお案じになって、娘の私の名誉などをた いそうにお考えになったり、御煩悶をなすったりするのがお気の毒で、私は邸へ帰りたくない と思っています。六条の大臣の奥様は私のために他人ではありません。よそで育ったその人が 大人になって、養女のために姉の私の良人を婿に取ったりするということで宮様などは恨んで いらっしゃるのですが、私はそんなことも思いませんよ。あちらでしていらっしゃることをな がめているだけ」
「こんなにあなたはよく筋道の立つ話ができるのだがね。病気の起こることがあって、取り 返しもつかないようなことがこれからも起こるだろうと気の毒だね。この問題に六条院の女王 は関係していられないのだよ。今でもたいせつなお嬢様のように大臣から扱われていらっしゃ る方などが、よそから来た娘のことなどに関心を持たれるわけもないのだからね。まあまった
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く親らしくない継母様だともいえるね。それだのに恨んだりしていることがお耳にはいっては 済まないよ」
などと、終日夫人のそばにいて大将は語っていた。
日が暮れると大将の心はもう静めようもなく浮き立って、どうかして自邸から一刻も早く出 たいとばかり願うのであったが、大降りに雪が降っていた。こんな天候の時に家を出て行くこ とは人目に不人情なことに映ることであろうし、妻が見さかいなしの嫉妬でもするのでもあれ ば自分のほうからも十分に抗争して家を出て行く機会も作れるのであるが、おおように静かに していられては、ただ気の毒になるばかりであると、大将は煩悶して格子も下ろさせずに、縁 側へ近い所で庭をながめているのを、夫人が見て、
「あやにくな雪はだんだん深くなるようですよ。時間だってもうおそいでしょう」
と外出を促して、もう自分といることに全然良人は興味を失っているのであるから、とめて もむだであると考えているらしいのが哀れに見られた。
「こんな夜にどうして」
と大将は言ったのであるが、そのあとではまた反対な意味のことを、
「当分はこちらの心持ちを知らずに、そばにいる女房などからいろんなことを言われたりし て疑ったりすることもあるだろうし、また両方で大臣がこちらの態度を監視していられもする のだから、間を置かないで行く必要がある。あなたは落ち着いて、気長に私を見ていてくださ い。邸へつれて来れば、それからはその人だけを偏愛するように見えることもしないで済むで
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しょう。今日のように病気が起こらないでいる時には、少し外へ向いているような心もなくな って、あなたばかりが好きになる」
こんなに言っていた。
「家においでになっても、お心だけは外へ行っていては私も苦しゅうございます。よそにい らっしってもこちらのことを思いやっていてさえくだされば私の氷った涙も解けるでしょう」
夫人は柔らかに言っていた。火入れを持って来させて夫人は良人の外出の衣服に香を焚きし めさせていた。夫人自身は構わない着ふるした衣服を着て、ほっそりとした弱々しい姿で、気 のめいるふうにすわっているのをながめて、大将は心苦しく思った。目の泣きはらされている のだけは醜いのを、愛している良人の心にはそれも悪いとは思えないのである。長い年月の間 二人だけが愛し合ってきたのであると思うと、新しい妻に傾倒してしまった自分は軽薄な男で あると、大将は反省をしながらも、行って逢おうとする新しい妻を思う興奮はどうすることも できない。心にもない歎息をしながら、着がえをして、なお小さい火入れを袖の中へ入れて香 をしめていた。ちょうどよいほどに着なれた衣服に身を装うた大将は、源氏の美貌の前にこそ 光はないが、くっきりとした男性的な顔は、平凡な階級の男の顔ではなかった。貴族らしい風 采である。侍所に集っている人たちが、
「ちょっと雪もやんだようだ。もうおそかろう」
などと言って、さすがに真正面から促すのでなく、主人の注意を引こうとするようなことを 言う声か聞こえた。中将の君や木工などは、
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「悲しいことになってしまいましたね」
などと話して、歎きながら皆床にはいっていたが、夫人は静かにしていて、可憐なふうに 身体を横たえたかと見るうちに、起き上がって、大きな衣服のあぶり籠の下に置かれてあった 火入れを手につかんで、良人の後ろに寄り、それを投げかけた。人が見とがめる間も何もない ほどの瞬間のことであった。大将はこうした目にあってただあきれていた。細かな灰が目にも 鼻にもはいって何もわからなくなっていた。やがて払い捨てたが、部屋じゅうにもうもうと灰 が立っていたから大将は衣服も脱いでしまった。正気でこんなことをする夫人であったら、だ れも顧みる者はないであろうが、いつもの物怪が夫人を憎ませようとしていることであるから、 夫人は気の毒であると女房らも見ていた。皆が大騒ぎをして大将に着がえをさせたりしたが、 灰が髪などにもたくさん降りかかって、どこもかしこも灰になった気がするので、きれいな六 条院へこのままで行けるわけのものではなかった。大将は爪弾きがされて、妻に対する憎悪の 念ばかりが心につのった。先刻愛を感じていた気持ちなどは跡かたもなくなったが、現在は荒 だてるのに都合のよろしくない時である。どんな悪い影響が自分の新しい幸福の上に現われて くるかもしれないと、大将は夫人に腹をたてながらも、もう夜中であったが僧などを招いて加 持をさせたりしていた。夫人が上げるあさましい叫び声などを聞いては、大将がうとむのも道 理であると思われた。夜通し夫人は僧から打たれたり、引きずられたりしていたあとで、少し 眠ったのを見て、大将はその間に玉鬘へ手紙を書いた。
昨夜から容体のよろしくない病人ができまして、おりから降る雪もひどく、こんな時に出て
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行くことはどうかと、そちらへ行くのをやむなく断念することにしましたが、外界の雪のた
めでもなく、私の身の内は凍ってしまうほど寂しく思われました。あなたは信じていてくだ
さるでしょうが、そばの者が何とかいいかげんなことを忖度して申し上げなかったであろう
かと心配です。
という文学的でない文章であった。
心さへそらに乱れし雪もよに一人さえつる片敷の袖
堪えがたいことです。
ともあった。白い薄様に重苦しい字で書かれてあった。字は能書であった。大将は学問のあ る人でもあった。尚侍は大将の来ないことで何の痛痒も感じていないのに、一方は一所懸命な 言いわけがしてあるこの手紙も、玉鬘は無関心なふうに見てしまっただけであるから、返事は 来なかった。大将は自宅で憂鬱な一日を暮らした。夫人はなお今日も苦しんでいたから、大将 は修法などを始めさせた。大将自身の心の中でも、ここしばらくは夫人に発作のないようにと 祈っていた。物怪につかれないほんとうの妻は愛すべき性質であるのを自分は知っているから 我慢ができるのであるが、そうでもなかったら捨てて惜しくない気もすることであろうと大将 は思っていた。大将は日が暮れるとすぐに出かける用意にかかったのである。大将の服装など についても、夫人は行き届いた妻らしい世話の十分できない人なのである。自分の着せられる ものは流行おくれの調子のそろわないものだと大将は不足を言っていたが、きれいな直衣など
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がすぐまにあわないで見苦しかった。昨夜のは焼け通って焦げ臭いにおいがした。小袖類にも その臭気は移っていたから、妻の嫉妬にあったことを標榜しているようで、先方の反感を買う ことになるであろうと思って、一度着た衣服を脱いで、風呂を立てさせて入浴したりなどして 大将は苦心した。木工の君は主人のために薫物をしながら言う、
「一人ゐて焦るる胸の苦しきに思ひ余れる焔とぞ見し
あまりに露骨な態度をおとりになりますから、拝見する私たちまでもお気の毒になってなり ません」
袖で口をおおうて言っている木工の君の目つきは大将を十分にとがめているのであったが、 主人のほうでは、どうして自分はこんな女などと情人関係を作ったのであろうとだけ思ってい た。情けない話である。
「うきことを思ひ騒げばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ち添ふ
ああした醜態が噂になれば、あちらの人も私を悪く思うようになって、どちらつかずの不幸 な私になるだろうよ」
などと歎息を洩らしながら大将は出て行った。中一夜置いただけで美しさがまた加わったよ うに見える玉鬘であったから、大将の愛はいっそうこの一人に集まる気がして、自邸へ帰るこ とができずにそのままずっと玉鬘のほうにいた。大騒ぎして修法などをしていても夫人の病気
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は相変わらず起こって大声を上げて人をののしるようなことのある報知を得ている大将は、妻 のためにもよくない、自分のためにも不名誉なことが必ず近くにいれば起こることを予想して、 怖ろしがって近づかないのである。邸へ帰る時にもほかの対に離れていて、子供たちを呼び寄 せて見るだけを楽しみにしていた。女の子が一人あって、それは十二、三になっていた。その あとに男の子が二人あった。近年はもう夫婦の間も隔たりがちに暮らしていたが、ただ一人の 夫人として尊重することは昔に変わらなかったのが、こんなふうになったのであるから、夫人 ももう最後の時が来たのだと思うし、女房たちもそう見て悲しむよりほかはなかった。
父宮がそのことをお聞きになって、
「そんな冷酷な扱いを受けてもまだ辛抱強くあなたはしているのですか。それは自尊心も名 誉心もない女のすることです。私の生きている間はまだあなたはそう奴隷的になっていないで もいいのです」
と言うお言葉をお伝えさせになって、にわかに迎えをお立てになった。夫人はやっと常態に なっていて、自身の不幸な境遇を悲しんでいる時に、このお言葉を聞いたのであったから、今 になってまだ父宮のお言葉に従わずここにいて、まったく良人から捨てられてしまう日を待つ ことは、現在以上の恥になることであろうなどと思って、実家へ行くことにしたのであった。 夫人の弟の公子たちは、左兵衛督は高官であるから人目を引くのを遠慮して、そのほかの中将、 侍従、民部大輔などで三つほどの車を用意して夫人を迎えに来たのであった。結局はこうなる ことを予想していたものの、いよいよ今日限りにこの家を離れなければならぬかと思うと、女
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房たちは皆悲しくなって泣き合った。
「これまでのようでないかかり人におなりになるのだから、お狭いところにおおぜいがお付 きしていることはできません。幾人かの人だけはお供してあとは自分たちの家へ下がることに して、とにかくお落ち着きになるのを待ちましょう」
などと女房たちは言って、それぞれの荷物を自宅へ運ばせ、別れ別れになるものらしい。夫 人の道具の運ばれる物は皆それぞれ荷作りされて行く所で、上下の人が皆声を立てて泣いてい る光景は悲しいものであった。姫君と二人の男の子が何も知らぬふうに無邪気に家の中を歩き まわっているのを呼んで、夫人は前へすわらせた。
「お母様は不幸な運命でお父様から捨てられてしまったのだから、どちらかへ行ってしまわ なければならない。あなたがたはまだ小さいのにお母様から離れてしまわなければならないの はかわいそうだね。姫君はどうなるかしれないお母様だけれど私といっしょにいることになさ い。男の子も私について来て、時々ここへ来るようなことだけにしてはお父様がかわいがって くださらないよ。大人になって出世もできないような不幸の原因にそれがなるかもしれないか らね。お祖父様の宮様のいらっしゃる間は、ともかくも役人の端にはしてもらえるにもせよね、 お父様が今度親類におなりになった二人の大臣次第の世の中なのだから、その方たちにきらわ れている私についていてはあなたがたは損で、出世などはできませんよ。そうかといってお坊 様になって山や林へはいってしまうことは悲しいことだからね。それに不自然な出家をしては 死んでからのちまで罪になります」
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と言って泣く母を見ては、深い意味はわからないままで子は皆悲しがって泣く。
「昔の小説の中でも普通にお子様を愛していらっしゃるお父様でも片親ではね、いろんなこ との影響を受けてだんだん子供に冷淡になっていくものですよ。そしてこちらの殿様は現在で さえもああしたふうをお見せになるじゃありませんか。お子様の将来を思ってくださるような ことはないと思います」
と乳母たちは乳母たちでいっしょに集まって、悲しんでいた。日も落ちたし雪も降り出しそ うな空になって来た心細い夕べであった。
「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」
と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が 非常にかわいがっている子であったから、父に逢わないままで行ってしまうことはできない、 今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれないと思ってうつ ぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、
「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」
などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が 暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。
姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のする のも悲しかった。姫君は檜皮色の紙を重ねて、小さい字で歌を書いたのを、笄の端で柱の破れ 目へ押し込んで置こうと思った。
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今はとて宿借れぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな
この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、
「そんなことを」
と言いながら、
馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ
と自身も歌ったのであった。女房たちの心もいろいろなことが悲しくした。心のない庭の草 や木と別れることも、あとに思い出して悲しいことであろうと心が動いた。木工の君は初めか らこの家の女房であとへ残る人であった。中将の君は夫人といっしょに行くのである。
「浅けれど石間の水はすみはてて宿守る君やかげはなるべき
思いも寄らなかったことですね、こうしてあなたとお別れするようになるなどと」
と中将の君が言うと、木工は、
「ともかくも石間の水の結ぼほれかげとむべくも思ほえぬ世を
何が何だかどうなるのだか」
と言って泣いていた。
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車が引き出されて人々は邸の木立ちのなお見える間は、自分らはまたもここを見る日はない であろうと悲しまれて、隠れてしまうまで顧みられた。住んでいる主人のために家と別れるの が惜しいのではなくて、家そのものに愛着のある心がそうさせるのである。
大将夫人をお迎えになって、宮は非常にお悲しみになった。母の夫人は泣き騒いだ。
「太政大臣のことをよい親戚を持ったようにあなたは喜んでいらっしゃいますが、私には前 生にどんな仇敵だった人かと思われます。女御などにも何かの場合に好意のない態度を露骨に お見せになりましたが、そのころは須磨時代の恨みが忘られないのだろうとあなたがお言いに なり、世間でもそう批評されたのでも私には腑に落ちなかったのです。それだのにまた今にな って、養女を取ったりなどして、自分が御寵愛なすって古くなすった代償にまじめな堅い男を 取り寄せて婿にするなどということをなさる。これが恨めしくなくて何ですか」
こう言い続けるのである。
「聞き苦しい。世間から何一つ批難をお受けにならない大巨を、出まかせな雑言で悪く言う のはおよしなさい。聡明な人はこちらの罪を目前でどうしようとはしないで、自然の罰にあう がいいと考えていられたのだろう。そう思われる私自身が不幸なのだ。冷静にしていられるよ うで、そしてあの時代の報いとして、ある時はよくしたり、ある時はきびしくしたりしようと 考えていられるのだろう。私一人は妻の親だとお思いになって、いつかも驚くべき派手な賀宴 を私のためにしてくだすった。まあそれだけを生きがいのあったこととして、そのほかのこと はあきらめなければならないのだろう」
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と宮がお言いになるのを聞いて、夫人はいよいよ猛り立つばかりで、源氏夫婦への詛いの言 葉を吐き散らした。この夫人だけは善良なところのない人であった。
大将は夫人が宮家へ帰ったことを聞いてほんとうらしくもなく、若夫婦の中ででもあるよう な争議を起こすものである、自分の妻はそうした愛情を無視するような態度のとれる性質では ないのであるが、宮が軽率な計らいをされるのであると思って、子供もあることであったし、 夫人のために世間体も考慮してやらねばならないと煩悶してのちに、こうした奇怪な出来事が 家のほうであったと話して、
「かえってさっぱりとした気もしないではありませんが、しかしそのままでおとなしく家の 一隅に暮らして行けるはずの善良さを私は妻に認めていたのですよ。にわかに無理解な宮が迎 えをおよこしになったのであろうと想像されます。世間へ聞こえても私を誤解させることだか ら、とにかく一応の交渉をしてみます」
とも言って出かけるのであった。よいできの袍を着て、柳の色の下襲を用い、青鈍色の支那 の錦の指貫を穿いて整えた姿は重々しい大官らしかった。決して不似合いな姫君の良人でない と女房たちは見ているのであったが、尚侍は家庭の悲劇の伝えられたことでも、自分の立場が つらくなって、大将の好意がうるさく思われて、あとを見送ろうともしなかった。
宮へ抗議をしに大将は出かけようとしているのであったが、先に邸のほうへ寄って見た。木 工の君などが出て来て、夫人の去った日の光景をいろいろと語った。姫君のことを聞いた時に、 どこまでも自制していた大将も堪えられないようにほろほろと涙をこぼすのが哀れであった。
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「どうしたことだろう。常人でない病気のある人を、長い間どんなにいたわって私が来たか がわかってもらえないのだね。軽薄な男なら今日までだって決して連れ添ってはいなかったろ う。でもしかたがない、あの人はどこにいても廃人なのだから同じだ。子供たちをどうしよう というのだろう」
大将は泣きながら真木柱の歌を読んでいた。字はまずいが優しい娘の感情はそのまま受け取 れることができて、途中も車の中で涙をふきふき宮邸へ向かった。夫人は逢おうとしなかった。
「逢う必要はない。新しい女に心の移っているという話は、今度始まったことでもない。あ の人が若い妻をほしがっている話を聞いてから長い月日もたっている。そんな良人の愛があな たへ帰ってくることなどは期待されないことだ。そして健全な女でないという点だけをいよい よ認めさせることになります」
と言う宮の御注意が大将夫人へあったのである。もっともなことである。
「何だか若い夫婦の仲で起こった事件のようで勝手の違った気がします。二人の中には愛す べき子もあるのだからと信頼を持ち過ぎてのんきであった私のあやまちは、どんな言葉ででも 許してもらえないだろうと思いますが、それはそれとして穏便にだけはしてくだすって、今後 私のほうによくないことがあれば世間も許さないでしょうから、その時に断然としたこういう 処置もとられたらいいでしょう」
などと大将は困りながら取り次がせていた。姫君にだけでも逢いたいと言ったのであるが出 しそうもない。男の子の十歳になっているのは童殿上をしていて、愛らしい子であった。人に
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もほめられていて、容貌などはよくもないが、貴族の子らしいところがあって、その子はもう 父母の争いに関心が持てるほどになっていた。二男は八つくらいである。かわいい顔で姫君に も似ていたから、大臣は髪をなでてやりながら、
「おまえだけを恋しい形見にこれからは見て行くのだねお父様は」
などと泣きながら言っていた。大将は宮へ御面会を願ったのであるが、
「風邪で引きこもっている時ですから」
と断わられて、きまりが悪くなって宮邸を出た。二人の男の子を車に乗せて話しながら来た のであったが、六条院へつれて行くことはできないので、自邸へ置いて、
「ここにおいで。お父様は始終来て見ることができるから」
と大将は言っていた。悲しそうに心細いふうで父を見送っていたのが哀れに思われて、大将 は予期しなかった物思いの加わった気がしたものの、美しい玉鬘と、廃人同様であった妻を比 べて思うと、やはり何があっても今の幸福は大きいと感ぜられた。それきり夫人のほうへ大将 は何とも言ってやらなかった。侮辱的なあの日の待遇がもたらした反動的な現象のように、冷 淡にしていると宮邸の人をくやしがらせていた。紫の女王もその情報を耳にした。
「私までも恨まれることになるのがつらい」
と歎いているのを源氏はかわいそうに思った。
「むつかしいものですよ。自分の思いどおりにもできない人なのだから、この問題で陛下も 御不快に思召すようだし、兵部卿の宮も恨んでおいでになると聞いたが、あの方は思いやりが
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あるから、事情をお聞きになって、もう了解されたようだ。恋愛問題というものは秘密にして いても真相が知れやすいものだから、結局は私が罪を負わないでもいいことになると思ってい る」
とも言っていた。
大将のもとの夫人とのそうしたいきさつはいっそう玉鬘を憂鬱にした。大将はそれを哀れに 思って慰めようとする心から、尚侍として宮中へ出ることをこれまでは反対をし続けたのであ るが、陛下がこの態度を無礼であると思召すふうもあるし、両大臣もいったん思い立ったこと であるから、自分らとしていえば公職を持つ女の良人である人も世間にあることであり、構わ ないことと考えて宮中へ出仕することに賛成すると言い出したので、春になっていよいよ尚侍 の出仕のことが実現された。男踏歌があったので、それを機会として玉鬘は御所へ参ったので ある。すべての儀式が派手に行なわれた。二人の大臣の勢力を背景にしている上に大将の勢い が添ったのであるかろ、はなばなしくなるのが道理である。源宰相中将は忠実に世話をしてい た。兄弟たちも玉鬘に接近するよい機会であると、誠意を見せようとして集まって来て、うら やましいほどにぎわしかった。承香殿の東のほう一帯が尚侍の曹司にあてられてあった。西の ほう一帯には式部卿の宮の王女御がいるのである。一つの中廊下だけが隔てになっていても、 二人の女性の気持ちははるかに遠く離れていたことであろうと思われる。後宮の人たちは競い 合って、ますます宮廷を洗練されたものにしていくようなはなやかな時代であった。あまりよ い身分でない更衣などは多くも出ていなかった。中宮、弘徽殿の女御、この王女御、左大臣の
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娘の女御などが後宮の女性である。そのほかに中納言の娘と宰相の娘とが二人の更衣で侍し いた。踏歌は女御がたの所へ実家の人がたくさん見物に来ていた。これは御所の行事のうちで もおもしろいにぎやかなものであったから、見物の人たちも服装などに華奢を競った。東宮の 母君の女御も人に負けぬ派手な方であった。東宮はまだ御幼年であったから、そのほうの中心 は母君の女御であった。御前、中宮、朱雀院へまわるのに夜が更けるために、今度は六条院へ 寄ることを源氏が辞退してあった。朱雀院から引き返して、東宮の御殿を二か所まわったころ に夜が明けた。ほのぼのと白む朝ぼらけに、酔い乱れて「竹河」を歌っている中に、内大臣の 子息たちが四、五人もいた。それはことに声がよく容貌がそろってすぐれていた。童形である 八郎君は正妻から生まれた子で、非常に大事がられているのであったが、愛らしかった。大将 の長男と並んでいるこの二人を尚侍も他人とは思えないで目がとどめられた。宮中の生活に馴 れた女御たちの曹司よりも、新しい尚侍の見物する御殿の様子のほうがはなやかで、同じよう な物ではあるが、女房の袖口の重ねの色目も、ここのがすぐれたように公達は思った。尚侍自 身も女房たちもこうした、悪いことが悪く見え、よいことはことによく見える御所の中の生活 をしばらくは続けてみたいと思っていた。どちらでも纏頭に出すのは定った真綿であるが、そ れらなどにも尚侍のほうのはおもしろい意匠が加えられてあった。こちらはちょっと寄るだけ の所なのであるが、はなやかな空気のうかがわれる曹司であったから、公達は晴れがましく思 い、緊張した踏歌をした。饗応の法則は越えないようにして、ことに手厚く演者はねぎらわれ たのであった。それは大将の計らいであった。大将は禁中の詰め所にいて、終日尚侍の所へ、
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退出を今夜のことにしたいと思います。出仕した以上はなおとどまっていたいと、あなたが
考えるであろう宮仕えというものは、私にとって苦痛です。
こんなことばかりを書いて送るのであったが、玉鬘は何とも返事を書かない。女房たちから、
源氏の大臣が、あまり短時日でなく、たまたま上がったのであるから、陛下がもう帰っても
よいと仰せになるまで上がっていて帰るようにとおっしゃいましたことですから。それに今
晩とはあまり御無愛想なことになりませんかと私たちは存じます。
と大将の所へ書いて来た。大将は尚侍を恨めしがって、
「あんなに言っておいたのに、自分の意志などは少しも尊重されない」
と歎息をしていた。
兵部卿の宮は御前の音楽の席に、その一員として列席しておいでになったのであるが、お心 持ちは平静でありえなかった。尚侍の曹司ばかりがお思われになってならないのであった。堪 えがたくなって宮は手紙をお書きになった。大将は自信の直廬のほうにいたのである。宮の御 消息であるといって使いから女房が渡されたものを、尚侍はしぶしぶ読んだ。
深山木に翅うち交はしゐる鳥のまたなく妬き春にもあるかな
さえずる声にも耳がとどめられてなりません。
とあった。気の毒なほど顔を赤めて、何と返事もできないように尚侍が思っている所へ帝が おいでになった。明るい月の光にお美しい竜顔がよく拝された。源氏の顔をただそのまま写し
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たようで、こうしたお顔がもう一つあったのかというような気が玉鬘にされるのであった。源 氏の愛は深かったがこの人が受け入れるのに障害になるものがあまりに多かった。帝との間に はそうしたものはないのである。帝はなつかしい御様子で、お志であったことが違ってしまっ たという恨みをお告げになるのであったが、尚侍は恥ずかしくて顔の置き場もない気がした。 顔を隠して、お返辞もできないでいると、
「たよりない方だね。好意を受けてもらおうと思ったことにも無関心でおいでになるのです ね。何にもそうなのですね。あなたの癖なのですね」
と仰せになって、
「などてかくはひ合ひがたき紫を心に深く思ひ初めけん
濃くはなれない運命だろうか」
若々しくておきれいな所は源氏と同じである。源氏と思ってお話を申し上げようと尚侍は思 った。陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、 三位に玉鬘を陞叙されたことである。紫は三位の男子の制服の色であった。
「いかならん色とも知らぬ紫を心してこそ人はそめけれ
ただ今から改めて御恩を思います」
と尚侍が言うと、帝は微笑をあそばして、
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「その今からということがだめになったのだからね。私に抗議する人があれば理論が聞きた い。私のほうが先にあなたを愛していたのだから」
と恨みをお告げになる。言葉の遊戯ではなく皆まじめに思召すらしいのであったから、尚侍 は困ったことであると思った。自分が陛下の愛に感激しているほんとうの気持ちなどはお見せ すべきでない。帝といえども男性に共通した弱点は持っておいでになるのであるからと考えて、 玉鬘はただきまじめなふうで黙って侍していた。帝はもう少し突込んだ恋の話もしたく思召し てここへおいでになったのであるが、それがお言い出せにならないで、そのうち馴れてくるで あろうからと見ておいでになった。大将は帝が曹司へおいでになったと聞いて危険がることが いよいよ急になって、退出を早くするようにとしきりに催促をしてきた。もっともらしい口実 も作って実父の大臣を上手に賛成させ、いろいろと策動した結果、ようやく今夜退出する勅許 を得た。
「今夜あなたの出て行くのを許さなければ、懲りてしまって、これきりあなたをよこしてく れない人があるからね。だれよりも先にあなたを愛した人が、人に負けて、勝った男の機嫌を とるというようなことをしている。昔の何とかいった男(時平に妻を奪われた平貞文の歌、昔 せしわがかねごとの悲しきはいかに契りし名残なるらん)のように、まったく悲観的な気持ち になりますよ」
と仰せになって、真底からくやしいふうをお見せになった。聞こし召したのに数倍した美貌 の持ち主であったから、初めにそうした思召しはなくっても、この人をご覧になっては公職の
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尚侍としてだけでお許しにならなかったであろうと思われるが、まして初めの事情がそうでも なかったのであったから、帝は妬ましくてならぬ御感情がおありになって、最初の求婚者の権 利を主張あそばしたくなるのを、あさはかな恋と思われたくないと御自制をあそばして、熱情 を認めさせようとしてのお言葉だけをいろいろに下された。こうしてなつけようとあそばす御 好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、良人にことごとく与えて いるものでないのにと玉鬘は思っていた。輦車が寄せられて、内大臣家、大将家のために尚侍 の退出に従って行こうとする人たちが、出立ちを待ち遠しがり、大将自身もむつかしい顔をし ながら、人々へ指図をするふうにしてその辺を歩きまわるまで帝は尚侍の曹司をお離れになる ことができなかった。
「近衛過ぎるね。これでは監視されているようではないか」
と帝はお憎みになった。
九重に霞隔てば梅の花ただかばかりも匂ひこじとや
何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように 尚侍には聞かれた。
「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情 がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」
と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。
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かばかりは風にもつてよ花の枝に立ち並ぶべき匂ひなくとも
と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに 帝はお立ち去りになった。
すぐに大将は自邸へ玉鬘を伴おうと思っているのであるが、初めから言っては源氏の同意が 得られないのを知って、この時までは言わずに、突然、
「にわかに風邪気味になりまして、自宅で養生をしたく存じますが、別々になりましては妻 も気がかりでございましょうから」
と穏やかに了解を求めて、大将はそのまま尚侍をつれて帰ったのであった。内大臣は婚家へ 娘のにわかな引き取られ方を、形式上不満にも思ったが、小さなことにこだわっていては婿の 大将の感情を害することになろうと思って、
「どちらでも私のほうの意志でどうすることもできない娘になっているのですから」
という返事を内大臣はした。源氏は思いがけないことになったと失望を感じたが、それは無 理なことのようである。玉鬘も心にない良人を持ったことは苦しいと思いながらも、盗んで行 かれたのであればあきらめるほかはないという気になって、大将家へ来たことではじめて心が 落ち着いてうれしかった。帝が曹司に長くおいでになったことで大将が非常に嫉妬していろい ろなことを言うのも、凡人らしく思われて、良人を愛することのできない玉鬘の機嫌はますま す悪かった。式部卿の宮もあのように強い態度をおとりになったものの、大将がそれきりにし
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ておくことで煩悶をしておいでになった。大将はもう交渉することを断念したふうである。一 方では理想が実現された気になって、明け暮れ玉鬘をかしずくことに心をつかっていた。
二月になった。源氏は大将を無情な男に思われてならなかった。これほどはっきりと玉鬘を 自分から引き放すこととは思わずに油断をさせられていたことが、人聞きも不体裁に思われ、 自身のためにも残念で、玉鬘が恋しくばかり思われた。宿縁は無視できないものであっても、 自身の思いやりのあり過ぎたことからこうした苦しみを買うことになったのであると、日夜面 影にその人を見ていた。風流気の少ない大将といることを思っては、手紙で、戯れのようにし て今日このごろの気持ちを玉鬘に伝えることも気が置かれて得しなかった。雨がよく降って静 かなころ、源氏はこうした退屈な時間も紛らすことが玉鬘の所でできたこと、その時分の様子 などが目に浮かんできて、非常に恋しくなって手紙を書いた。右近の所へそっとその手紙は送 られたのであるが、そうはしながらも右近が怪しく思わないかということも考えられて、思う ことはそのまま皆書き続けられなかった。ただ推察のできそうなことだけを書いたのであった。
かきたれてのどけきころの春雨にふるさと人をいかに忍ぶや
私も退屈なものですから、いろいろ恨めしくなったりすることがあるのですが、どうしてそ
れをお聞かせしてよいかわかりません。
などと書かれてあった。人が玉鬘のそばにいない時を見計らって右近はこの手紙を見せた。 玉鬘も泣いた。自身の心にも時がたつままに思い出されることの多い源氏は、感情そのままに、
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恋しい、どうかして逢いたいというのを遠慮しないではならない親であったから、実際問題と して考えてもいつ逢えることともわからないので悲しかった。時々源氏の不純な愛撫の手が伸 ばされようとして困った話などは、だれにも言ってないことであったが、右近は怪しく思って いた。ほんとうのことはまだわからないようにこの人は思っているのである。返事を、
「書くのが恥ずかしくてならないけれど、あげないでは失望をなさるだろうから」
と言って、玉鬘は書いた。
ながめする軒の雫に袖ぬれてうたかた人を忍ばざらめや
それが長い時間でございますから、憂鬱的退屈と申すようなものもつのってまいります。失
礼をいたしました。
とうやうやしく書かれてあった。それを前に拡げて、源氏はその雨だれが自分からこぼれ落 ちる気もするのであったが、人に悪い想像をさせてはならないと思って、しいておさえていた。 昔の尚侍を朱雀院の母后が厳重な監視をして、源氏に逢わせまいとされた時がちょうどこんな のであったと、その当時の苦しさと今を比較して考えてみたが、これは現在のことであるせい か、その時にもまさってやる瀬ないように思われた。好色な男はみずから求めて苦しみをする ものである、もうこんなことに似合わしくない自分でないかと源氏は思って、忘れようとする 心から琴を弾いてみたが、なつかしいふうに弾いた玉鬘の爪音がまた思い出されてならなかっ た。和琴を清掻きに弾いて、「玉藻はな刈りそ」と歌っているこのふうを、恋しい人に見せる
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ことができたなら、どんな心にも動揺の起こらないことはないであろうと思われた。
帝もほのかに御覧になった玉鬘の美貌をお忘れにならずに、「赤裳垂れ引きいにし姿を」(立 ちて思ひゐてもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き)という古歌は露骨に感情を言っただけのもの であるが、それを終始お口ずさみになって物思いをあそばされた。お手紙がそっと何通も尚侍 の手へ来た。玉鬘はもう自身の運命を悲観してしまって、こうした心の遊びも不似合いになっ たもののように思い、御好意に感激したようなお返事は差し上げないのであった。玉鬘は今に なって源氏が清い愛で一貫してくれた親切がありがたくてならなかった。
三月になって、六条院の庭の藤や山吹がきれいに夕映えの前に咲いているのを見ても、まず すぐれた玉鬘の容姿が忍ばれた。南の春の庭を捨てておいて、源氏は東の町の西の対に来て、 さらに玉鬘に似た山吹をながめようとした。竹のませ垣に、自然に咲きかかるようになった山 吹が感じよく思われた。「思ふとも恋ふとも言はじ山吹の色に衣を染めてこそ着め」この歌を 源氏は口ずさんでいた。
思はずも井手の中みち隔つとも言はでぞ恋ふる山吹の花
とも言っていた。「夕されば野辺に鳴くてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」などとも 口にしていたが、ここにはだれも聞く人がいなかった。こんなふうに徹底的に恋人として玉鬘 を思うことはこれが初めてであった。風変わりな源氏の君と言わねばならない。雁の卵がほか からたくさん贈られてあったのを源氏は見て、蜜柑や橘の実を贈り物にするようにして卵を籠
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へ入れて玉鬘へ贈った。手紙もたびたび送っては人目を引くであろうからと思って、内容を唯 事風に書いた。
お逢いできない月日が重なりました。あまりに同情がないというように恨んではいますが、
しかし御良人の御同意がなければ万事あなたの御意志だけではできないことを承知していま
すから、何かの場合でなければお許しの出ることはなかろうと残念に思っています。
などと親らしく言ってあるのである。
おなじ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらん
そんなにまでせずともとくやしがったりしています。
この手紙を大将も見て笑いながら、
「女というものは実父の所へだって理由がなくては行って逢うことをしないものになってい るのに、どうしてこの大臣が始終逢えない逢えないと恨んでばかしおよこしになるだろう」
こんな批評めいたことを言うのも、玉鬘には憎く思われた。返事を、
「私は書けない」
と玉鬘が渋っていると、
「今日は私がお返事をしよう」
大将が代わろうというのであるから、玉鬘が片腹痛く思ったのはもっともである。
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巣隠れて数にもあらぬ雁の子をいづ方にかはとりかくすべき
御機嫌をそこねておりますようですからこんなことを申し上げます。風流の真似をいたし過
ぎるかもしれません。
大将の書いたものはこうであった。
「この人が戯談風に書いた手紙というものは珍品だ」
と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。
もとの大将夫人は月日のたつにしたがって憂鬱になって、放心状態でいることも多かった。 生活費などはこまごまと行き届いた仕送りを大将はしていた。子供たちをも以前と同じように 大事がって育てていたから、前夫人の心は良人からまったく離れず唯一の頼みにもしていた。 大将は姫君を非常に恋しがって逢いたく思うのであったが、宮家のほうでは少しもそれを許さ ない。少女の心には自身の愛する父を祖父も祖母も皆口をそろえて悪く言い、ますます逢わせ てもらう可能性がなくなっていくのを心細がっていた。男の子たちは始終訪ねて来て、尚侍の 様子なども話して、
「私たちなどもかわいがってくださる。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃる」
などと言っているのを夫人は聞いて、うらやましくて、そんなふうな朗らかな心持ちで人生 を楽しく見るようなことをすればできたものを、できなかった自身の性格を悲しがっていた。 男にも女にも物思いをさせることの多い尚侍である。
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その十一月には美しい子供さえも玉鬘は生んだ。大将は何事も順調に行くと喜んで、愛妻か ら生まれた子供を大事にしていた。産屋の祝いの派手に行なわれた様子などは書かないでも読 者は想像するがよい。内大臣も玉鬘の幸福であることに満足していた。大将の大事にする長男、 二男にも今度の幼児の顔は劣っていなかった。頭中将も兄弟としてこの尚侍をことに愛してい たが、幸福であると無条件で喜んでいる大臣とは違って、少し尚侍のその境遇を物足りなく考 えていた。尚侍として君側に侍した場合を想像していて、生まれた大将の三男の美しい顔を見 ても、
「今まで皇子がいらっしゃらない所へ、こんな小皇子をお生み申し上げたら、どんなに家門 の名誉になることだろう」
となおこの上のことを言って残念がった。尚侍の公務を自宅で不都合なく執ることにして、 玉鬘はもう宮中へ出ることはないだろうと見られた。それでもよいことであった。
あの内大臣の令嬢で尚侍になりたがっていた近江の君は、そうした低能な人の常で、恋愛に 強い好奇心を持つようになって、周囲を不安がらせた。女御も一家の恥になるようなことを近 江の君が引き起こさないかと、そのことではっとさせられることが多く、神経を悩ませていた が、大臣かろ、
「もう女御の所へ行かないように」
と止められているのであったが、やはり出て来ることをやめない。どんな時であったか、女 御の所へ殿上役人などがおおぜい来ていて選りすぐったような人たちで音楽の遊びをしていた
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ことがあった。源宰相中将も来ていて、平生と違って気軽に女房などとも話しているのを、 ほかの女房たちが、
「やはり出抜けていらっしゃる方」
とも評していた時に、近江の君は女房たちの座の中を押し分けるようにして御簾の所へ出よ うとしていた。女房らは危険に思って、
「あさはかなことをお言い出しになるのじゃないかしら」
とひそかに肱で言い合ったが、近江の君はこのまれな品行方正な若公達を指さして、
「これでしょう、これでしょう」
と言って源中将のきれいであることをほめて騒ぐ声が外の男の座へもよく聞こえるのであっ た。女房たちが困って苦しんでいる時、高く声を張り上げて、近江の君が、
「おきつ船よるべ浪路にただよはば棹さしよらん泊まりをしへよ
『たななし小舟漕ぎかへり』(同じ人にや恋ひやわたらん)いけないわね」
と言った。源中将は異様なことであると思った。女御の所には洗練された女房たちがそろっ ているはずで、こうした露骨な戯れを言いかける人はないわけであると思って、考えてみると それは噂に聞いた令嬢であった。
よるべなみ風の騒がす船人も思はぬ方に磯づたひせず
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と源中将に言われた。
「そんなことをしては恥知らずです」
とも。