34巻 若菜(上) 


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      たちまちに知らぬ花さくおぼつかな天
      よりこしをうたがはねども   (晶子)
 あの六条院の行幸のあった直後から朱雀院の帝は御病気になっておいでになった。平生から 御病身な方ではあったが、今度の病におなりになってからは非常に心細く前途を思召すのであ った。
 「私はもうずっと以前から信仰生活にはいりたかったのだが、太后がおいでになる間は自身 の感情のおもむくままなことができないで今日に及んだのだが、これも仏の御催促なのか、も う余命のいくばくもないことばかりが思われてならない」
 などと仰せになって、御出家をあそばされる場合の用意をしておいでになった。皇子は東宮 のほかに女宮様がただけが四人おいでになった。その中で藤壺の女御と以前言われていたのは 三代前の帝の皇女で源姓を得た人であるが、院がまだ東宮でいらせられた時代から侍していて、 后の位にも上ってよい人であったが、たいした後援をする人たちもなく、母方といっても無勢 力で、更衣から生まれた人だったから、競争のはげしい後宮の生活もこの人には苦しそうであ って、一方では皇太后が尚侍をお入れになって、第一人者の位置をそれ以外の人に与えまいと いう強い援助をなされたのであったから、帝も御心の中では愍然に思召しながら后に擬してお 考えになることもなく、しかもお若くて御退位をあそばされたあとでは、藤壼の女御にもう光
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明の夢を作らせる日もなくて、女御は悲観をしたままで病気になり薨去したが、その人のお生 みした女三の宮を御子の中のだれよりも院はお愛しになった。このころは十三、四でいらせら れる。世の中を捨てて山寺へはいったあとに、残された内親王はだれをたよりに暮らすかと思 召されることが院の第一の御苦痛であった。西山に御堂の御建築ができて、お移りになる用意 をあそばしながらも、一方では女三の宮の裳着の挙式の仕度をさせておいでになった。貴重な 多くの御財産、美術の価値のあるお品々などはもとより、楽器や遊戯の具なども名品に近いよ うな物は皆この宮へお譲りになって、その他の御財産、お道具類を他の宮がたへ御分配あそば された。
 東宮は院の重い御病気と、御出家の御用意のあることをお聞きになって、お見舞いの行啓を あそばされた。母君の女御もお付き添いして行った。殊寵があったわけではないが、東宮の御 母となる宿縁のあった人を御尊重あそばされて、院はこの方にもこまやかにお話をあそばされ た。東宮にも帝王とおなりになる日のお心得事などをお教えあそばされるのであった。御年齢 よりも大人びておいでになったし、御後援をする人が母方のそばにも多くある方であったから、 院は御安心をしておいでになるのである。
 「私はもうこの世に遺憾だと心に残るようなこともない。ただ内親王たちが幾人もいること で将来どうなるかと案ぜられることは、今の場合だけでなくこの世を離れる際にも絆になるで あろうと思われる。今まで一般の世の中に見ていても、女というものは、その人の意志でもな しに、ほかから働きかける者のために悪名も立てられ、恥辱も受けるような運命になっていく
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のがかわいそうだ。どの姉妹にもあなたの御代が来た時にはあたたかい庇護を加えてやっても らいたい。その中でも後見をする母などのついている者は託して行く所があるような気もして まずいいが、女三の宮は年のゆかないのに母のない内親王なのだから、私だけをたよりにして 育ってきたことを思うと、私が寺へはいったあとではどんな心細い身の上になることかと気が かりでならない」
 と、涙をお拭いになりながら東宮へ後事をお頼みになるのであった。母君の女御にも信じ切 ったようにして院は女三の宮のことを仰せになった。とはいっても昔宮中にあった時代には、 内親王の御母の女御は格別な御寵愛を得ていて、この方にとっては強カな競争者だったのであ るから、その宮にまで憎悪を持つわけはないが真心からお世話をする気にはなれなかったであ ろうと想像される。
 院は明けても暮れても女三の宮の将来についてばかり御心配をあそばされるせいもあって、 年末が近づいてから御容態がいちじるしくお悪くなり、御簾の外へおいでになることもなくな った。これまでも妖気がもとでおりおりお煩いになることはあっても、こんなに続いて永く御 容態のすぐれぬようなことはなかったのであるから、御自身では御命数の尽きる世が来たとい うように解釈をあそばすのであった。御退位になってからも御在位時代に恩顧を受けた人たち は、今も優しく寛容な御性質をお慕い申し上げて、屈託なことのある時の慰安を賜わる所のよ うにして参候する慣いになっていて、その人たちは院の御悩の重いのを皆心から惜しみ悲しん でいた。六条院からもお見舞いの使いが常に来た。そのうち御自身でもおいでになりたいとい
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う御通知のあった時、院は非常にお喜びになった。六条院の御子の源中納言が参院した時に、 御病室の御簾の中へお招きになり、朱雀院はいろいろなお話をあそばされた。
 「お崩れになった陛下が御終焉の前に私へいろいろな御遺言をなされたのだが、その中で特 に六条院と今の陛下のことについては熱心に仰せられて私へお託しになったのだが、帝王とい うものになっては、自分の意志を単純に実行へ移すことのできない点があってね。個人として の愛は少しも変わらなかったが、しかも私の過失によって、あの方にとって私が恨めしかった だろうと思うこともしたのに、今日までそれに対する復讐的なことは何の端にもお見せになら ない。どんな賢人でも自身の問題になると恨むことも憎むことも凡人どおりにすることからい ろいろな事件の起こるのは歴史の上にあることだからね。機会があれば私への復讐が姿になっ て現われることであろうと、世人も言うことだったし、私自身も罰を受ける気でいたのだが、 あの方に見たのは絶対の愛だけだった。東宮などにも好意をお寄せになったり、また現在では 婿舅の関係までも作っていただいているのを私はどんなに感激しているかしれないが、愚か な上に盲目的な親の愛までも暴露してお目にかけることも恥ずかしくて、父である私が東宮に 対してかえって冷淡なふうをしている。陛下のことは院の御遺言どおりに万事計らって位をお 譲り申し上げたから、この聖天子を国民がいただきうることになり、私の不名誉まで取り返し ていただいている。これだけは意志を強くして遂行なしえた善事だと信じて満足している。六 条院にこの秋の行幸の節にお目にかかった時から、私の心にはしきりに青春時代の兄弟間の愛 が再燃してお目にかかりたくてならない。直接お目にかかってお話し申したいこともある。ぜ
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ひ御自身でおいでくださるようにあなたからもお勧めしてほしい」
 などとしおれたふうで院が仰せられたのである。
 「御過失でございましたか、正当な御処置でございましたか、昔のことは今になって御批評 の申し上げようもございません。私が大人になりまして一官吏の職を奉じますようになりまし てから、私のために院がいろいろの注意を実例によってお与えくださいます際などにも、自分 は冤罪によってどんなことが過去にあったというようなことを少しでも仰せになることはござ いません。一生を通じて陛下の御補佐をすべきであるのを、人生を静かに考えたい欲求から中 途で閑散な地位に移らせていただいたために、故院の御遺言もお守りできぬことになり、また あなた様に対しては御在位の節には若輩であり、力もなく、上のかたがたが多くおいでにもな って、御自身の至誠をお尽くしする機会がなかったと申されまして、静かな御環境においでに なります今日はせめてたびたび御訪問も申し上げてお話も承りたいのを、さすがに事の大仰に なるのに遠慮されて御無沙汰を申し上げているとこんなことをおりおり歎息しておいでになる のでございます」
 などと中納言は申し上げた。二十歳に少し足らぬのであるが、すべてが整って美しいこの人 に院の御目はとまって、じっと顔をおながめになりながら、どう処置すべきかと御煩悶あそば される姫宮を、この中納言に嫁がせたならと人知れず思召された。
 「太政大臣の家に行っているそうだね。長い間私なども大臣の態度を腑に落ちなく思ってい たところ、円満な結果を得てよいことと思っているが、またどうしたことか大臣がうらやまれ
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もしてね」
 との院の仰せを不思議に思って中納言は考えてみたが、それは女三の宮のお身の上をとやか くとお案じになって、相当な人があれば結婚をさせて安心して宗教の中へはいりたいという思 召しが院におありになるということがほかから耳にもはいっていたことであったから、その問 題に触れて仰せられることかと気がついたものの、呑み込み顔なお返辞はできないことであっ た。ただ、
 「つまらない者でございますから、配偶者を得ますこともとかく困難でございまして」
 と申し上げるのにとどめた。
 のぞき見をしていた若い女房たちが、
 「珍しい美男でいらっしゃる。御様子だってねえ、なんというごりっぱさでしょう」
 集まってこんなことを言っているのを、聞いていた老けたほうに属する女房らが、
 「それでも六条院様のあのお年ごろのおきれいさというものはそんなものではありませんで したよ。比較には、まあなりませんね、それはね、目もくらんでしまうほどお美しかったもの ですよ」
 と言っても、若い人たちは承知をしない。こうした争いのお耳にはいった院が、
 「そのとおりだよ。あの人の美は普通の美の標準にはあてはまらないものだった。近ごろは またいっそうりっぱになられて光彩そのもののような気がする。正しくしていられれば端麗で あるし、打ち解けて冗談でも言われる時には愛嬌があふれて、二人とないなつかしさが出てく
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る。何事にもどうした前生の大きな報いを得ておられる人かとすぐれた点から想像させられる 人だ。宮廷で育って、帝王の愛を一身に集めるような幸福さがあって、まったくだよ。故院は 御自身の命にも代えたいほど御大切にあそばしたものだが、それで慢心せず謙遜で、二十歳ま でには納言にもならなかった。二十一になって参議で大将を兼ねたかと思う。それに比べると 中納言の官等の上がり方は早い。子になり孫になりして威福の盛んになる家らしい。実際中納 言は秀才であり、確かな教養を受けている点で昔の光源氏にあまり劣るまい。父君の昔に越え て幸福な道を踏んでもそれが不当とも思えない偉さが彼にある」
 と御甥をほめておいでになった。可憐な姫宮の美しく無邪気な御様子を御覧になっては、
 「十分愛してくれて、足りない所は蔭で教育してくれるような、そして安心して託せるよう な人を婿に選びたい気がする」
 などと仰せられた。
 乳母の中でも上級な人たちをお呼び出しになって、裳着の式の用意についていろいろお命じ になることのあったついでに、院は、
 「六条院が式部卿の宮の女王を育て上げられたようにして、この宮の世話をする男はないの だろうか。普通人の中に私が選び出すような人格者はまずないらしい。宮中には中宮がおいで になる。その下の女御たちもよい後援者のついている人ばかりだからね。たいした後ろだてが なくて後宮の生活をするのは苦労の多いことに違いない。今日の権中納言が独身でいたころに 話をしてみるのだった。若いがりっぱな秀才で将来の頼もしい人らしいのに」
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 こんなこともお言いになった。
 「中納言は初めからまじめ一方な方でございますから、今までも初恋のあの奥様のことばか りを思いつめて、失恋時代にもほかの話に耳をかさなかった人でございました。そのお姫様と ごいっしょにおなりになったただ今では、第二の結婚のお話があの方を動かしうるものでもご ざいますまい。私どもはかえって六条院様にその可能性がおありになるように存じ上げます。 恋愛好きで女性に好奇心をお持ちになることは今も昔のままのようだと申すことでございます。 その中でも最高の貴女に趣味をお持ちあそばして、前斎院様などを今になっても思っておいで になるそうでございます」
 と女宮の乳母の一人が申し上げた。
 「その今でも恋愛好きである点はありがたくないことだね」
 院はこう仰せられたが、乳母が言うように六条院には多くの夫人や愛人があって、唯一の妻 と認めさせることはできないでも、やはりその人を親代わりの良人に選ぶのが最善のことであ るかもしれぬというお考えを院はあそばしたようである。
 「おまえの言うことはおもしろいよ。よい生き方をさせたいと思う女の子があって、配偶を 求めるなら、あの院に愛されることを願うのがほんとうのようだ。人生は短いのだから、生き がいのあることをだれも願うべきだよ。私が女であれば兄弟であっても兄弟以上の接近もする ことだろう。真実若い時に私はそう思ったのだ。そうなのだから女が誘惑にかかるのは道理で、 また自然なことなのだよ」
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 院は御心の中に尚侍の事件を思い出しておいでになった。
 この中の最も重立った一人の乳母の兄で、左中弁の某は六条院の恩顧を受けて、親しくお出 入りしていたが、一方ではこの姫宮を尊敬する伺候者の一人であった。この人の来た時に妹で ある乳母が朱雀院の御希望を語った。
 「この話をあなたから六条院様に機会がありましたら申し上げてみてください。内親王様は 一生御独身が原則のようですが、婿君としてどんな場合にもお力の借りられる方をお持ちにな るのは、御独身の宮様よりも頼もしく思われます。院のほかに誠意のあるお世話をお受けにな る方をお持ちあそばさない宮様ですからね。私がどんなにお愛し申し上げていましても、それ は限りのあることしかできないのですもの。それに私一人がお付きしているのでなくておおぜ いの人がいるのですから、だれがいつどんな不心得をして矢礼な媒介役を勤めるかもしれませ ん。そしてどんな御不幸なことになるかわかりません。院がおいでになりますうちにこの問題 が決まりますれば私は安心ができてどんなに楽だろうと思います。尊貴な方でも女の運命は予 想することができませんから不安で不安でなりません。幾人もおいでになる姫宮の中で特別に 御秘蔵にあそばすことで、また嫉妬をお受けになることにもなりますから、私は気が気でもあ りません」
 「お話はしますがよい結果が得られることかどうか。院は御恋愛の上で飽きやすいとか、気 がよく変わるとかいうことはない方で、珍しい篤実性を持っておられます。仮にも愛人になす った人は、お気に入った入らぬにかかわらず皆それ相応に居場所を作っておあげになって、幾
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人もの御夫人、愛姫というものを持っておいでになるというものの、煎じつめれば愛しておい でになる夫人はお一人だけということになる方がおいでになるのだから、そのために同じ院内 においでになるというだけで寂しい思いをして暮らしておられる方も多いようですからね。も し御縁があって姫宮があちらへお移りになった場合には、紫の女王様がどんなにすぐれた奥様 でも、これにお勝ちになることは不可能でしょうとは思いますが、あるいは必ずしもそういか ない場合も想像されます。しかしまた院が、自分はすべての幸福に恵まれているが、熱愛では 人の批難を受けもしているし、私自身にも不満足を感じる点もあると何かの場合にお洩らしに なるが、私らとしてもそう思われる節がないでもない。夫人がたといっても今までの方はただ の女性で、内親王がたが一人も混じっておいでになりませんからね。私らとしては院の御身分 として姫宮様級の御夫人があってしかるべきだと思われますからね。今度のことが実現された らどんなにすばらしい御夫妻だろう」
 と左中弁は言うのであった。乳母は何かのことを朱雀院へ申し上げたついでに、自分が試み に前日兄の左中弁へした話を申し上げて、
 「兄が申しますのには院は必ず御承諾あそばされることと思う。六条院は年来の御希望がか なうことと思召すに違いない御縁談であるから、こちらのお許しさえあればお伝えいたしまし ょうと申しました。どういたしたらよろしゅうございましょう。御愛人にはそれぞれの御身分 に応じた御待遇をあそばしまして、思いやりの深いお方様と承りますけれど、普通の女の方で もほかに愛妻のある方と結婚をすることを幸福とはいたさないのでございますから、御不快な
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思いをあそばすことがないとも思われません。姫宮様をいただきたいと望む人はほかにもたく さんあるのでございますから、よくお考えあそばしましてお決めなさいますのがよろしゅうご ざいましょう。宮様は最も尊貴な御身分でいらっしゃいますが、ただ今の世の中ではりりしく 独身生活をりっぱにしていく婦人がたもありますのに、三の宮様はどうもその点で御安心申し 上げられない強さが欠けておいであそばすのですから、私たち侍女どもは一所懸命の御奉仕を いたしましても、それはたいした宮様のお力になることでもございませんから、世間の女の例 によって、変則な独身でお立ちになろうとあそばさないで、御結婚をあそばすほうが御安心の おできになることと存じます。特別な御後見をなさいます方のないのはお心細いことでないか と存じ上げます」
 と、自身の意見も述べた。
 「私も宮のことをいろいろと考えて、内親王は神聖なものとしておきたくも思うし、また高 い身分の者も結婚したがために、内輪のことも世評に上るようになるし、しないでよいはずの 煩悶で自身を苦しめることにもなるのだからと否定に傾きもするのだが、また親兄弟にも別れ たあとで、女が独身でいては、昔の時代の人は神聖なものは神聖なものとしておいたが、近代 の男はそれを無視して強要的な結婚を行なうのに躊躇しない悪徳を平気でするようになったた めに、いろんな噂の種もまくのだがね。昨日までは尊貴な親の娘として尊敬されていた人が、 つまらぬ男にだまされて浮き名を立て、ある者は死んだ親の名誉をそこなうという類の話は幾 つもあるかろ、姫宮であっても女であれば同じことで、宿命などということはことにわからぬ
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ものだから、私が配偶者を選ばずに捨てておくことは不安だとも一方では考えられる。良くな っても悪くなっても、それは自発的に決めたことでなくて親や兄が選んだ結婚をしておれば、 悪いことがあとにあってもその人の責任にはならないで済むし、恋愛結婚のあとが良くなれば、 ああしたことの結果も良くなるものであるとは見えても、その初めに噂の広まったころには、 親の同意も得ず、家族も許さないのに恋愛をして良人を持ったということは女の第一の恥と聞 こえるからね。それは普通の家の娘の場合でも軽佻に思われることに違いない。また自分は自 分の身体の持ち主であるのに、それを暴力で蹂躪された結果、意外な男の妻になるようなこと も軽率で、その女を侮蔑したくなるが、姫宮も元来弱い、隙の見える性質ではないかと私は心 配しているのだから、侍女どもが勝手なことを宮に押しつけるようなことをさせてはならない よ。そんな噂が世間へ聞こえては恥ずかしいからね」
 などとお別れになったあとのことまでもお案じになって仰せられることで、乳母たち、女房 たちは責任の重さを苦労に思った。
 「もう少し大人になられるまで私がついていたいと、今まで念じ続けてきたものだが、この ごろの健康状態でそうしていては、信仰生活にはいることもできずに死んでしまうのではない かという気がされるので、やむをえず出家を断行することにした。六条院に託しておくのが、 なんといってもいちばん安心のできることだと思う。幾人も侍している夫人はあってもそれを いちいち念頭に置いてゆかねばならぬことでもなし、ただ主観的にこちらさえ寛大な心を持っ て臨めばよいことなのだ。はなやかな時代も過ぎて平淡な心境におられるあの院に三の宮の
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良人となっていただくことは最も安心なことだと私は認めている。そのほかに適当な候補者は ないよ。兵部卿の宮は風采も人物もひととおりはりっぱな人だがね、それに私としては兄弟の ことだから他人のようにひどい批評はできないものの、とにかくあの人はあまりに柔弱で、芸 術家に傾き過ぎて、世間の信望が少し薄いようだ。そんなふうな人は良人として頼もしくは思 われない。また大納言が臣礼をもって奉仕しようというのは親切な男というべきだが、さてそ れに許してやる気にはちょっとなれない。やはり普通の男の妻には与えにくい気がする。昔の 時代にも帝王の婿にはある一事の傑出した人物が選ばれたようだ。ただ都合のよいというよう なことで人選をするのは恥ずかしいことだ。右衛門督がやはりその希望を持っているというこ とを尚侍が言っていたが、あれだけはすぐれた人物だから、官位がもう少し進んでいたら私も 大いに考慮するが、まだ今のところでは地位が不十分だ。理想が高くてだれとも結婚をせずに まだ独身でいて思い上がった精神が実によい。学問も相当なものだし、廟堂に立って仕事ので きる点で将来も有望だが、私には愛女の婿はそれでもないという心がある。相当に濃厚にあ る」
 こんなふうに仰せられて院はお心を悩ませておいでになった。多い候補者の中の婿選びを困 難に思召す女三の宮以外の姉宮がたに求婚をする人はさてないのである。院がどんなにその一 方をお愛しになって、よい配偶をお決めになることに専心しておいでになるかということが、 院内から自然に外へ聞こえ、自身を候補に擬しているものが多いのである。太政大臣も長男の 右衛門督がまだ独身でいて、妻は内親王でなければ結婚はせぬと思うふうであるから、御降嫁
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が決定してだれもがお許しを願って出た時に、院の御婿に長男が選ばれたなら、どんなに自身 のためにも光栄であるかしれないと考え、院の御寵姫の尚侍の所へは、その人の姉である夫人 から言わせて運動もし、一方では直接お話も申し上げて懇請もしていた。兵部卿の宮は左大将 の夫人に失恋をあそばされたのであるから、その夫婦に対してもりっぱでない結婚はできない ようにお思いになって、夫人を選んでおいでになる場合であったから、お心の動かないわけは ない。非常に熱心な求婚者で宮はおありになった。藤大納言は長い間院の別当をしていて、親 しく奉仕して来た人であったから、院が御寺へおはいりになれば有力な保護者を失いたてまつ ることになるのを、内親王と結婚をして今後も地位の保証を得たいという功利的な考えからし きりにお許しを乞うているのであった。源中納言も院の御婿の候補者が続出するのを見ては、 この人には間接でなく、あれほどにも明瞭に御意のあるところをお見せになったのであるから、 中間によい人を得て姫宮をお望み申し上げた場合には冷淡な態度を院はおとりになるまいとい う自信もあって、心がときめきもするのであるが、自身を信頼している妻を見ては、過ぎ去っ たあの苦しい境地に置かれて、もう絶縁をしてもよかった時代にさえなお自分はこの人以外の 女を対象として考えようともせず通して来て、二度目の結婚を今さらすればにわかに妻は物思 いをすることになろうし、一方が尊貴な人であれば自分の行動は束縛されて、思っていてもこ ちらを同じに扱うことができずに、左にも右にも不平があれば自分は苦しいことであろうとい う気になって、元来が多情な人ではないのであるから、動く心をしいておさえて何とも表面へ は出さないのであるが、さすがに姫宮の婚約が他人と成り立つことは願われないで、この人の
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ためには一つの心を離れぬ問題にはなった。東宮もこの婿選びのことをお聞きになって、
 「目前のことよりも、そうしたことは後世への手本にもなることですから、よくお考えにな った上で人を選定あそばされるがよろしく思われます。どんなにりっぱな人物でも普通人は普 通人なのですから、結局は六条院へお託しになるのが最善のことと考えます」
 とこれは表だった使いで進言されたのではないが、ある人をもって申された。
 「もっともな意見だ。非常によい忠告だ」
 院はこうお言いになって、いよいよその心におなりになり、まず三の宮のお乳母の兄である 左中弁から六条院へあらましの話をおさせになった。女三の宮の結婚問題で院が御心痛をして おいでになることは以前から聞いておいでになったから、
 「御同情する。お気の毒に存じ上げている。しかし院が御生命の不安をお感じになったとす れば、私だって同じことなのだからね。どれだけあとへお残りする自信をもって御後事がお引 き受けできると思うかね。御兄が先で、弟があとというそれも決まっていもせぬことを仮にそ うとして私が何年かでも生き残っている間は、どの宮だって血縁のある方なのだから私はでき るだけの御保護はするつもりなのに、しかも特別お心がかりに思召す方にはまた特別のお世話 もするが、しかしそれだって無常の人生なのだから、自分の生命が受け合われない」
 とお言いになって、また、
 「まして私の妻にしておくことはどんなによくないことかしれない。私が院に続いて亡くな る時に、どんなにまたそれが私の気がかりになることか。私だけのことを考えても執着の残る
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ことで、なすべきことでないと思われる。私の子の中納言などは年も若くて軽い身分であって も、将来のある人物だからね。国家の柱石となる可能性を持っているのだから、中納言などへ 御降嫁になってもそれが調和のとれないこととは思われない。しかしあまりにまじめ過ぎる男 で、一人の妻と円満に家庭を持っているということで院は御遠慮になるだろうか」
 こうもお言いになって、御自身の結婚問題としてお取り上げにならないのを弁は見て、朱雀 院のほうでは堅い御決意で申し入れをさせておいでになるのであるがと残念にも思い、朱雀院 をお気の毒にも思って、あちらの院がこのことの成り立つのを熱望しておいでになる事情をく わしく申し上げると、さすがに院は微笑をされて、
 「非常な御愛子なのだろうから、いろいろと将来を御心配になってのお考えだろう。宮中へ お上げになればいいではないか。りっぱな後宮のかたがたがすでにおられるからといって、望 みのないもののように思われるのは誤りだよ。故院の時に皇太后が東宮時代からの最初の女御 で、たいした勢力を持っておいでになったが、それがずっとのちにお上がりになった入道の宮 様にその当時はけおとされておしまいになった例もあるのだからね。その宮の母君の女御は入 道の宮のお妹さんだった。御容貌なども入道の宮に続いてお美しいという評判のあった方だか ら、御両親のどちらに似てもこの宮は平凡な美人ではおありになるまい」
 などと言っておいでになった。好奇心は持っておいでになるらしいのである。
 歳暮に近くなった。朱雀院では院の御病気がそのまま続いてお悪いために、姫宮の裳着の式 をお急ぎになり、準備をいろいろとさせておいでになったが、過去にも未来にもないような華
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美なお儀式になる模様で、だれもだれも騒ぎ立っていた。式場は院の栢殿の西向きのお座敷で 御帳、几帳その他に用いられた物も日本の織物はいっさいお使いにならず唐の后の居室の飾り を模して、派手で、りっぱで、輝くようにでき上がっていた。御腰結いの役を太政大臣へ前か ら依頼しておありになったが、もったいぶったこの人は気は進まないままで、院のお言葉には 昔からそむくことのなかったほど好意をお示しする用意は常に持って、御辞退ができずに参列 したのであった。そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座 に加わったものである。親王様はお八方来ておいでになった。いうまでもなく殿上人の数は多 かった。宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まったのであって、盛大 なお儀式と見えた。やがて出家をあそばされようとする院の最後のお催し事と見ておいでにな って、帝も東宮も御同情になり宮中の納殿の支那渡来の物を多く御寄贈になったのであった。 六条院からも多くの御贈り物があった。それは来会者へ纏頭に出される衣服類、主賓の大臣へ の贈り物の品々等である。中宮からも姫宮のお装束、櫛の箱などを特に華麗に調製おさせにな って贈られた。院が昔このお后の入内の時お贈りになった髪上げの用具に新しく加工され、し かももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。中宮権亮は院の殿上へも出仕する人で あったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、 次のようなお歌が中にあった。
  さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛ぞ神さびにける
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 これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである。縁起が悪くもないであろ うと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出 にはお触れにならず、お悦びの意味だけをお返事にあそばされて、
  さしつぎに見るものにもが万代をつげの小櫛も神さぶるまで
 とお書きになった。
 御病気は決して御軽快になっていなかったのを、無理あそばして御挙行になった姫宮のお裳 着の式から三日目に院は御髪をお下ろしになったのであった。普通の家でも主人がいよいよ出 家をするという時の家族の悲しみは大きなものであるのに、院の御ためには悲しみ歎く多くの 後宮の人があった。尚侍はじっとおそばを離れずに歎きに沈んでいるのを、院はなだめかねて おいでになった。
 「子に対する愛は限度のあるものだが、あなたのこんなに悲しむのを見ては私はもう堪えら れなく苦しい心になる」
 と仰せになって、御心は冷静でありえなくおなりになるのであろうが、じっと堪えて脇息に よりかかっておいでになった。延暦寺の座主のほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服 に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことで あった。すでに恩愛の感情から超越している僧たちでさえとどめがたい涙が流れたのであるか ら、まして姫宮たち、女御、更衣、その他院内のあらゆる男女は上から下まで鳴咽の声をたて
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ないでいられるものはない、こうした人間の声は聞いていずに、出家をすればすぐに寺へお移 りになるはずの、以前の御計画をお変えになったことを院は残念に思召して、皆女三の宮へ引 かれる心がこうさせたのであるとかたわらの者へ仰せられた。宮中をはじめとしてお見舞いの 使いの多く参ったことは言うまでもない。
 六条院は未雀院の御病気が少しおよろしい報せをお得になって御自身で訪問あそばされた。 宮廷から封地をはじめとして太上天皇と少しも変わりのない御待遇は受けておいでになるので あるが、正式の太上天皇として六条院は少しもおふるまいにならないのである。世人のささげ ている尊敬の意も信頼の心も並み並みではないのであるが、外出の儀式なども簡単にあそばし て、たいそうでない車に召され、お供の高官などは車で従って参った。朱雀院法皇はこの御訪 問を非常にお喜びになって、御病苦も忍ぶようにあそばされて御面会になった。形式にはかか わらずに御病室へ六条院の今一つの座をお設けになって招ぜられたのである。御髪をお剃り捨 てになった御兄の院を御覧になった時、すべての世界が暗くなったように思召されて、悲歎の とめようもない。ためらうことなくすぐにお言葉が出た。
 「故院がお崩れになりましたころから、人生の無常が深く私にも思われまして、出家の願い を起こしながらも心弱く何かのことに次々引きとめられておりまして、ついにあなた様が先に この姿をあそばすまでになってしまいました。自分はなんというふがいなさであろうと恥ずか しくてなりません。一身だけでは何でもなく出離の決心はつくのでございますが、周囲を顧慮 いたします点で実行はなかなかできないことでございます」
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 と、お言いになって、慰めえないお悲しみを覚えておいでになるふうであった。朱雀院も御 病気であって心細いお気持ちもあそばされる時であったから、冷静なふうなどはお作りになる ことができずにしおしおとした御様子をお見せになり、昔の話、今の話を弱々しい声であそば すのであったが、
 「今日か、明日かと思われるような重態でいて、しかも生き続けていることに油断をして、 希望の出家も遂げないで亡くなるようなことがあってはと奮発をして実行したのですよ。こう なっても生命がなければしたい仏勤めもできないでしょうが、まず仮にも一つの線を出ておい て、はげしいお勤めはできないでも念仏だけでもしておきたいと思います。私のような者が今 日生きているということはこの志だけは遂げたいという望みに燃えていたのを仏が憐んでくだ すったのだと自分でもわかっているのに、まだお勤めらしいこともしていないのを仏に相済ま なく思います」
 御出家についての感想をこうお述べあそばしたのに続いて、
 「女の子を幾人も残して行くことが気がかりです。その中で母も添っていない子で、だれに 託しておけばよいかわからぬような子のために最も私は苦悶しています」
 と、仰せになった。正面からその問題をお出しにもならない御様子をお気の毒に六条院は思 召された。お心の中でもその宮についていささかの好奇心も動いているのであるから、冷やや かにこのお話を聞き流しておしまいになることができないのであった。
 「ごもっともです。普通の家の娘以上に内親王のお後ろだてのないのは心細いものでござい
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ます。ごりっぱな儲君として天下の輿望を負うておいでになる東宮もおいでになるのでござい ますから、あなた様から特にお心がかりに思召す方のことをお話にさえあそばされておけば、 一事でもおろそかにあそばさないはずで、何も将来のことをそう御心配になることはなかろう と申しますものの、即位をなさいました場合にも天子は公の君ですから政はお心のままにな りましても、個人として女の御兄弟に親身のお世話をなされ、内親王が特別な御庇護をお受け になることはむずかしいでしょう。女の方のためにはやはり御結婚をなすって、離れることの できない関係による男の助力をお得になるのが安全な道と思われますが、御信仰にもさわるほ どの御心配が残るのでございましたら、ひそかに婿君を御選定しておかれましてはと存じま す」
 「私もそうは思うのですが、それもまたなかなか困難なことですよ。昔の例を思ってもその 時の天子の内親王がたにも配偶者をお選びになって結婚をおさせになることも多かったのです から、まして私のように出家までもする凋落に傾いた者の子の配偶者はむずかしい。資格をし いて言いませんが、またどうでもよいとすべてを言ってしまうこともできなくて煩悶ばかりを 多くして、病気はいよいよ重るばかりだし、取り返せぬ月日もどんどんたっていくのですから 気が気でもない。お気の毒な頼みですが、幼い内親王を一人、特別な御好意で預かってくだす って、だれでもあなたの鑑識にかなった人と縁組みをさせていただきたいと私はそのことをお 話ししたかったのです。権中納言などの独身時代にその話を持ち出せばよかったなどと思うの です。太政大臣に先を越されてうらやましく思われます」
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 と朱雀院は仰せられた。
 「中納言はまじめで忠良な良人になりうるでしょうが、まだ位なども足りない若さですから、 広く思いやりのある姫宮の御補佐としては役だちませんでしょう。失礼でございますが、私が 深く愛してお世話を申し上げますれば、あなた様のお手もとにおられますのとたいした変化も なく平和なお気持ちでお暮らしになることができるであろうと存じますが、ただそれはこの年 齢の私でございますから、中途でお別れすることになろうという懸念が大きいのでございま す」
 こうお言いになって、六条院は女三の宮との御結婚をお引き受けになったのであった。
 夜になったので御主人の院付きの高官も六条院に供奉して参った高官たちにも御饗応の膳が 出た。正式なものでなくお料理は精進物の風流な趣のあるもので、席にはお居間が用いられた。 朱雀院のは塗り物でない浅香の懸盤の上で、鉢へ御飯を盛る仏家の式のものであった。こうし た昔に変わる光景に列席者は涙をこぼした。身にしむ気分の出た歌も人々によって詠まれたの であったが省略しておく。夜がふけてから六条院はお帰りになったのである。それぞれ等差の ある纏頭を供奉の人々はいただいた。別当大納言はお送りをして六条院へまで来た。
 朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、また風邪をお引き添えにな ったのであるが、女三の宮の婚約が成り立ったことで御安心をあそばされた。
 六条院も新しい御婚約についての責任感と、紫夫人との夫婦生活の形式が改められねばなら ぬことをお思いになる苦痛とがお心でいっしょになって煩悶をしておいでになった。朱雀院が
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そうした考えを持っておいでになるということは女王の耳にもはいっていたのであるが、そん なことにもなるまい、前斎院にあれほど恋はしておられたがしいて結婚も院はなさらなかった のであるからなどと思って、そうした問題のありなしも問わずにいて、疑っていないのを御覧 になると、院は心苦しくて、何と思うであろう、自分のこの人に対する愛は少しも変わらない ばかりでなく、そういうことになればいよいよ深くなるであろうが、その見きわめがつくまで に、この人は疑って自分自身を苦しめることであろうとお思いになると、お心が静かでありえ ない。今日になってはもう二人の間に隔てというものは何一つ残さないことに馴れた御夫妻で あったから、この話をすぐに話さずにおいでになるのも院は苦痛にされながらその夜はお寝み になった。
 翌日はなお雪が降って空も身にしむ色をしていた。六条院は紫の女王と来し方のこと、未来 のことをしみじみと話しておいでになった。
 「院の御病気がお悪くて衰弱しておいでになるのをお見舞いに上がって、いろいろと身にし むことが多かった。女三の宮のことでいまだに御心配をしておられて、私へこんなことを仰せ られた」
 院はその方を託したいと朱雀院の仰せられた話をくわしくあそばされた。
 「あまりにお気の毒なので御辞退ができなかったのだが、これをまた世間は大仰に吹聴をす るだろうね、私はもう今はそうした若い人と新しく結婚するような興味はなくなっているのだ から、最初人を介してのお話の時は口実を設けてお断わり申していたのだが、直接お目にかか
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った際に、御親心というものがあまりに濃厚に見えて、冷淡に辞退をしてしまうことができな かったのですよ。郊外の寺へいよいよ院がおはいりになる時になってここへ迎えようと思う。 味気ないこととあなたは思うでしょう。そのためにどんな苦しいことが一方に起こっても、私 があなたを思うことは現在と少しも変わらないだろうから不快に思ってはいけませんよ。宮の ためにはかえって不幸なことだと私は知っているが、それも体面は作ってあげることを上手に しますよ。そして双方平和な心でいてもらえれば私はうれしいだろう」
 などと言われるのであった。ちょっとした恋愛問題を起こしても自身が侮辱されたように思 う女王であったから、どんな気がするだろうとあやぶみながら話されたのであったが、夫人は 非常に冷静なふうでいて、
 「親としての御愛情から出ましたお頼みでございましょうね。私が不快になど思うわけはご ざいません。あちらで私を失礼な女だとも、なぜ遠慮をしてどこへでも行ってしまわないかと もおとがめにならなければ、私は安心しております。お母様の女御は私の叔母様でいらっしゃ るわけですから、その続き合いで私を大目に見てくださるでしょうか」
 と卑下した。
 「あなたのそれほど寛大過ぎるのもなぜだろうとかえって私に不安の念が起こる。それはま あ冗談だが。まあそんなふうにも見てあなたが許していてくれて、一方にもその心得でいても らって、平和が得られれば私はいよいよあなたを尊敬するだろう。中傷する者があって何を言 おうともほんとうと思ってはいけませんよ。すべて噂というものは、だれがためにするところ
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があって言い出すというのでもなく、良いことは言わずに、悪いことを言うのがおもしろくて 言いふらさせるものだが、そんなことから意外な悲劇がかもされもするのだから、人の言葉に 動揺を受けないで、ただなるがままになっているのがいいのです。まだ実現されもせぬうちか ら物思いをして私をむやみに恨むようなことをしないでくださいね」
 こう院はおさとしになった。女王は言葉だけでなく心の中でも、こんなふうに天から降って きたような話で、院としては御辞退のなされようもない問題に対して嫉妬はすまい、言えばと てそのとおりになるものでもなく、成り立った話をお破りになることはないであろう、院のお 心から発した恋でもないから、やめようもないのに、無益な物思いをしているような噂は立て られたくないと思った。継母である式部卿の宮の夫人が始終自分を詛うようなことを言ってお いでになって、左大将の結婚についても自分のせいでもあるように、曲がった恨みをかけてお いでになるのであるから、この話を聞いた時に、詛いが成就したように思うことであろうなど と、穏やかな性質の夫人もこれくらいのことは心の蔭では思われたのであった。今になっては もう幸福であることを疑わなかった自分であった。思い上がって暮らした自分が今後はどんな 屈辱に甘んじる女にならねばならぬかしれぬと紫の女王は愁いながらもおおようにしていた。
 春になった。朱雀院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者 たちの失望したことは言うまでもない。帝も後宮にお入れになりたい思召しを伝えようとして おいでになったが、いよいよ今度のお話の決定したことを聞こし召されておやめになった。六 条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの賀宴を挙行させるべきであ
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ると、帝も春の初めから御心にかけさせられ、世間でも御賀を盛んにしたいと望む人の多いの を、院はお聞きになって、昔から御自身のことでたいそうな式などをすることのおきらいな方 だったから話を片端から断わっておいでになった。
 正月の二十三日は子の日であったが、左大将の夫人から若菜の賀をささげたいという申し出 があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそば される間がなかったのであった。目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってするこ とであったから、玉鬘夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。南 の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである。屏風も壁代の幕も皆 新しい物で装らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に椅子は立てなかった。地敷きの織物 が四十枚敷かれ、褥、脇息など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣 味のよさできれいに整えられてあった。螺鈿の置き棚二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置い て、夏冬の装束、香壼、薬の箱、お硯、洗髪器、櫛の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選 んであった。御挿頭の台は沈や紫檀の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使 い分けてある上品な、そして派手なものであった。玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸 品を院のために新しく作りそろえたすぐれたものである。そのほかのことはきわだたせず質素 に見せて実質のある賀宴をしたのであった。参列者を引見されるために客座敷へお出しになる 時に玉鬘夫人と面会された。いろいろの過去の光景がお心に浮かんだことと思われる。院のお 顔は若々しくおきれいで、四十の賀などは数え違いでないかと思われるほど艶で、賀を奉る夫
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人の養父でおありになるとも思われないのを見て、何年かを中に置いてお目にかかる玉鬘の尚 侍は恥ずかしく思いながらも以前どおりに親しいお話をした。尚侍の幼児がかわいい顔をして いた。玉鬘夫人は続いて生まれた子供などをお目にかけるのをはばかっていたが、良人の左大 将はこんな機会にでもお見せ申し上げておかねばお逢わせすることもできないからと言って、 兄弟はほとんど同じほどの大きさで振り分け髪に直衣を着せられて来ていたのである。
 「過ぎた年月のことというものは、自身の心には長い気などはしないもので、やはり昔のま まの若々しい心が改められないのですが、こうした孫たちを見せてもらうことでにわかに恥ず かしいまでに年齢を考えさせられます。中納言にも子供ができているはずなのだが、うとい者 に私をしているのかまだ見せませんよ。あなたがだれよりも先に数えてくだすって年齢の祝い をしてくださる子の日も、少し恨めしくないことはない。もう少し老いは忘れていたいのです がね」
 と、院は仰せられた。玉鬘もますますきれいになって、重味というようなものも添ってきて りっぱな貴婦人と見えた。
  若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな
 こう大人びた御挨拶をした。沈の木の四つの折敷に若菜を形式的にだけ少し盛って出した。 院は杯をお取りになって、
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  小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき
 などとお歌いになった。高官たちは南の外座敷の席に着いた。式部卿の宮は参りにくく思召 したのであるが、院から御招待をお受けになって、御舅でいらせられながら賀宴に出ないこ とは含むことでもあるようであるからとお思いになり、ずっと時間をおくらせておいでになっ た。以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを 御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫 夫人の甥としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。籠詰めの料理 の付けられた枝が四十、折櫃に入れられた物が四十、それらを中納言をはじめとして御親戚の 若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た。院の御前には沈の懸盤が四つ、優美な杯の台な どがささげられた。朱雀院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ば れなかった。楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集め られてあった。
 「この世で六条院の賀宴のほかに、高尚なものの集まってよい席というものはない筈なの だ」
 と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだ。それらで静かな音楽の合奏があった。和琴 はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に弾いた楽器は諸人がかき立てにくく 思うようであったから、かたく辞退していた右衛門督にぜひにと弾くことを院がお求めになっ
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たが、予想以上に巧みに名手の長男は弾いた。どう遺伝があるものとしても、こうまで父の芸 を継ぐことは困難なものであるがとだれも感動を隠せずにいた。支那から伝わった弾き方をす る楽器はかえって学びやすいが、和琴はただ清掻きだけで他の楽器を統制していくものである からむずかしい芸で、そしてまたおもしろいものなのである。右衛門督の爪音はよく響いた。 一つのほうの和琴は父の大臣が絃もゆるく、柱も低くおろして、余韻を重くして、弾いていた。 子息のははなやかに音がたって、甘美な愛嬌があると聞こえた。これほど上手であるという評 判はなかったのであるがと親王がたも驚いておいでになった。琴は兵部卿の宮があそばされた。 この琴は宮中の宜陽殿に納めておかれた御物であって、どの時代にも第一の名のあった楽器で あったが、故院の御代の末ごろに御長皇女の一品の宮が琴を好んでお弾きになったので御下賜 あそばされたのを、今日の賀宴のために太政大臣が拝借してきたのである。この楽器によって 御父帝の御時のこと、また御姉宮に賜わった時のことが思召されて六条院はことさら身に沁ん で音色に間き入っておいでになった。兵部卿の宮も酔い泣きがとめられない御様子であった。 そして院の御意をお伺いになった上琴を御前へ移された。今夜の御気分からお辞みになること はできずに院は珍しい曲を一つだけお弾きになった。そんなこともあって大がかりな演奏では ないがおもしろい音楽の夜になったのである。階段の所に声のよい若い殿上人たちの集められ たのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう塒に帰っていた鶯も驚くほ ど派手なものになった。主催する人は別にあった宴会ではあるが、院のほうでも纏頭の御用意 があって出された。
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 夜明けに尚侍は自邸へ帰るのであった。院からのお贈り物があった。
 「私はもう世の中から離れた気にもなって、勝手な生活をしていますから、たって行く月日 もわからないのだが、こんなに年を数えてきてくだすったことで、老いが急に来たような心細 さが感ぜられます。おりおりはどんな老人になったかとその時その時を見比べに来てください。 老人でいながら自由に行動のできない窮屈な身の上ということにともかくもなっているのです から、自分の思うとおりに御訪問などができず、お目にかかる機会の少ないのを残念に思いま す」
 などと院はお言いになって、身にしむことも、恋しい日のこともお思いにならないのではな いのに、玉鬘がたまたま来ても早く去って行こうとするのを物足らず思召すようであった。玉 鬘の尚侍も実父には肉親としての愛は持っているが、院のこまやかだった御愛情に対しては、 年月に添って感謝の心が深くなるばかりであった。今日の境遇の得られたのも院の恩恵である と思っていた。
 二月の十幾日に朱雀院の女三の宮は六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準 備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した二一の対の屋、 渡殿へかけて女房の部屋も割り当てた華麗な設けができていた。宮中へはいる人の形式が取ら れて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。 供奉者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗 した恨みの涙を飲みながらお付きして来た。お車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになっ
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て、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。天子でおいでになるのではないから 入内の式とも違い、親王夫人の入輿とも違ったものである。
 三日の間は御舅の院のほうからも、また主人の院からも派手な伺候者へのおもてなしがあ った。紫の女王もこうした雰囲気の中にいては寂しい気のすることであろうと思われた。夫人 は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だ れよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて将来の長い内親王が 競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでも ない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の仕度なども院とごいっしょに なってしたような可憐な態度に院は感激しておいでになった。女三の宮はかねて話のあったよ うにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである。紫の女王 を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、その時の女王は才気が見え て、相手にしていておもしろい少女であったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方 であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心 であると、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であると お歎かれになった。
 三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことに馴れぬ女王であった から、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりが湧いてきた。新婚時代の新郎の衣服として 宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて薫香をたきしめさせながら、自身は物思
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いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた。何事があっても自分はもう一人の妻を持 つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け入れた自分の 弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、院は御自身の心が恨めしくばかりおなり になって、涙ぐんで、
 「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください。 今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自 身を軽蔑するでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」
 と、お言いになりながら煩悶をされる様子がお気の毒であった。夫人は少し微笑をして、
 「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょう。ですもの、道 理のあるのが強味ともいっておられませんわ」
 絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、頬杖を突きながら うっとりと横になっておいでになった。紫の女王は硯を引き寄せて無駄書きを始めていた。
  目に近くうつれば変はる世の中を行く末遠く頼みけるかな
 と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫 人の気持ちをお憐みになった。
  命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬ中の契りを
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 こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、
 「おそくなっては済みませんことですよ」
 と催促したのを機会に、柔らかな直衣の、艶に薫香の香をしませたものに着かえて院が出て お行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。これまでにさらに新婦を 得ようとされるらしい気ぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまい になる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じて いた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことが湧いてきた。永久に不変な ものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思 うようになった。表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、
 「意外なことになるものですね。ほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者 などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こん なふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなるこ とでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょう。そし てまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは 言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」
 などと語って歎いているのであったが、少しも気にせぬふうで、機嫌よく夫人は皆と話をし て夜がふけるまで座敷に出ていたが、女房たちの中にあるそうした空気が外へ知れては醜いよ うに思って言った。
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 「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなや かな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がお いでになってこれで完全になったのよ。私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、 いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを忖度して面倒な 関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人 が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あち らは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われ したくないと私は努めているのよ」
 中将とか中務とかいう女房は目を見合わせて、
 「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」
 ともひそかに言っていた。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨へおいでに なった留守中かろ夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。他の夫人の中には、どんなお 気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っ ておいでになったのであるからという意味の慰問をする人もあるので、女王はそんな同情をさ れることがかえって自分には苦痛になる。無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分 でもないものと思っていた。あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心に とがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた。人から憐まれているとおりに確 かに自分は寂しい、自分の嘗めているものは苦いほかの味のあるものではないと夫人は思った
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が、須磨へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きてお いでになることで心を慰めようとそのころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題 にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源 氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福は享けられなかった のであるともまた思い直されもするのであった。外には風の吹いている夜の冷えで急には眠れ ない。近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、 床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番鶏の声も身に沁んで聞かれ た。恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じた のか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞い ておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮で あるために乳母たちが近くにやすんでいて、その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのを お見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお 姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っている のに乳母たちは気づいて「春の夜の闇はあやなし梅の花」などとも古歌が思わず口に上りもし た。院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ 向いてお歩きになりながらなお「残れる雪」と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたた きになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはく やしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。
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 「長く外に待たされて、身体が冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐 れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」
 と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙で濡れている 下の単衣の袖を隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬもの が夫人の心にあって品よく艶な趣なのである。最高の貴女といっても完全にもののととのわぬ 憾みがあるのにと院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。二人が来た道を振 り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れず においでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りにな った。
 今暁の雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
 というのであった。乳母の、
 「そのとおりに申し上げました」
 という言葉を使いが聞いて来た。平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀院がどうお 思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと 院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでお いでになった。夫人も、
 「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」
 と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになっ
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て、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手で はあったが、筆を選んで白い紙へ、
  中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝のあは雪
 と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、
 「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」
 とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い 服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪が ほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で鶯が近いところの紅梅の梢 で鳴くのがお耳にはいって、「袖こそ匂へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ 啼く)と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き人れながら、御簾を掲げて外を見てお いでになる姿は、ゆめにも院などという御位の方とは見えぬ若々しさである。寝殿から来るお 返事が手間どるふうであったから、院は居室のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せに なった。
 「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこの香があればその他の花は 皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
 「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛り にほかのものと比較したらどうでしょうかしら」
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 などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。紅い薄様に包まれたお文が目にたつので 院ははっとお思いになった。幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。この人に隔て心は ないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身分に対して済まないと院はお思いになるの であるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せても よいというようにお拡げになった文を、女王は横目に見ながら横たわっていた。
  はかなくて上の空にぞ消えぬべき風に漂ふ春のあは雪
 文字は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるが と目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった。他の女性のことであれば批評 的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、
 「あなたは安心していてよいとお思いなさいよ」
 とだけ夫人に言っておいでになった。
 今日は昼間に宮のほうへおいでになった。特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさ に、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、なんといっても 幸福な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろうと、こんな ことを思う者もあった。姫宮は可憐で、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でも ない無邪気な少女で、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持ってお いでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない。人見知りをせぬ子供のようで
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あつかいやすい気を院はお覚えになった。朱雀院は重い学問のほうは奥を究めておいでになる と言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、 どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったかと院は残念な気もあそばさ れたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった。院のお言いになるままになってなよな よとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいに なって、自発的には何もおできにならぬらしい。昔の自分であれば厭気のさしてしまう相手で あろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡な ものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、これを すら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろ うとお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王の価値が今になってよくお わかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずには おられなかった、ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばら くして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。 なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。
 朱雀院はそのうちに御寺へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙を たびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、自分がどう思う かと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくだされば よいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりで
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ならぬ御様子が見えるお文であった。紫夫人へもお手紙があった。
 幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないも
 のとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないので
 すから。
  そむきにしこの世に残る心こそ入る山みちの絆なりけれ
 親の心の闇を隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
 というのであった。院も御覧になって、
 「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」
 こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。
 「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」
 と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じた だけを、
  そむく世のうしろめたくばさりがたき絆を強ひてかけなはなれそ
 こんな歌にして書いた。女の装束に細長衣を添えた纏頭をお使いへ出した。女王の書いたお 返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、 一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。
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 御出家の際に悲しがった女御、更衣は院が御寺へお移りになることによって、いよいよ散り 散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった。尚侍はお崩れになった 皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召された のに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた。
 尼になりたい希望を前尚侍は持っていたが、この際それを実行するのは、人を慕って出家を することで、悟った人のすることでないと院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の 仏像の製作を急がせておいでになった。
 六条院はこの朧月夜の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋 をしておいでになり、どんな機会にまた逢うことができよう、今一度は逢って、その時の血の にじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評の はばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い傷手を負わせたあの騒動をお思い になると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、朱雀院ともお 別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を惹いて、お逢いになりたくてな らないのであった。あるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、 忘れえぬ熱情をお洩らしになることがたびたびになった。もう青春の男女のように、危険がる 必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した。昔に増してあらゆる点の完成されつつあ る跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の 逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。その女の兄である前和泉守
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をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた。
 「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが 話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾を得るようにしてくれれば、私はそっと訪ねて 行く。今はもう絶対にそんなこともできない身の上になっている私が、そうしようと思うのだ から、あちらでも秘密にしていただけるだろうと安心はしている」
 そのお話を中納言の君から聞いた時に、尚侍は、
 「それは必要のない会見よ。私はもうあの時のような幼稚な心で人生を見ていない。昔から 真実の欠けた愛しか私には持ってくださらなかった方の御誘惑などに今さらかからない。お気 の毒な御生活に法皇様をお置きして、あの方とする昔の話など私にはない。お言葉どおり秘密 にはするとしても私自身の心に恥ずかしいことではないか」
 と歎息して、なおそういうことは思いもよらぬことであるというお返事ばかりをしていた。 すべてのものを無視して、苦しい中で愛し合った二人ではないか、出家をあそばされた院に対 してやましいことではあるが、かつてなかったことではない関係なのだから、今になって清浄 がっても昔の浮き名をあの人が取り返すことはできないのだと、こう院はお思いになって、に わかにこの和泉守を案内役として朧月夜の尚侍の二条の宮を訪ねる決心を院はあそばされたの であった。夫人の女王へは、
 「東の院にいる常陸の宮の女王がずっと病気をしておられるのですが、ここの取り込みに紛 れて見舞ってあげなかったのがかわいそうなのだが、昼間は人目に立ってよろしくないから夜
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になってから出かけてみようと思います。だれにも知らせないことだからそのつもりにしてお くのですよ」
 と、お言いになって、院は外出の化粧におかかりになったが、ただ事とは思われなかった。 平生はそんなにしてお行きになる所ではないのであるから夫人は不審をいだいたが、思い合わ されることもないではないのを、女三の宮がおいでになってからは、以前のように思うことを すぐに言う習慣も女王は改めていて、素知らぬふうを作っているのであった。
 この日は寝殿へもお行きにならないでただ手紙をお書きかわしになっただけである。熱心に 薫香の香を袖につけて、院は日の暮れるのを待っておいでになった。そしてきわめて親しい人 を四、五人だけおつれになり、昔の微行に用いられた簡単な網代車でお出かけになった。
 六条院のおいでになったことが伝えられると、
 「どうしてでしょう。私のお返事をどう聞き違えて申し上げたのだろう」
 尚侍は機嫌を悪くしたが、
 「いいかげんな口実を作りましてお帰しいたすことなどはもったいないことでございましょ う」
 と中納言の君は言って、無理な計らいまでして院を座敷へ御案内してしまった。院は見舞い の挨拶などをお取り次がせになったあとで、
 「ただここに近い所へまで出てくだすって、物越しでもお話しくださいませんか。今日はも う昔のような不都合なことをする心を持っていませんから」
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 こう切に仰せられるので、尚侍はひどく歎息をしながら膝行て出た。だからこの人は軽率な のであると、満足を感じながらも院は批評をしておいでになった。これは二人にとって絶えて 久しい場面であった。遠い世の思い出が女の心によみがえらないことでもないのである。東の 対であった。東南の端の座敷に院はおいでになって、隣室の尚侍のいる所との間の襖子には懸 金がしてあった。
 「何だか若者としての御待遇を受けているようで、これでは心が落ち着かないではありませ んか。あれからどれだけの年月、日は幾つたつということまでも忘れない私としては、あなた のこの冷たさが恨めしく思われてなりませんよ」
 と、院はお恨みになった。夜はふけにふけてゆく。池の鴛鴦の声などが哀れに聞こえて、し めっぽく人けの少ない宮の中の空気が身にお感じられになり、人生はこんなに早く変わってし まうものかと昔の栄華の跡の邸がお思われになると、女の心を動かそうとして嘘泣きをした平 仲ではなくて真実の涙のこぼれるのをお覚えになった。昔に変わってあせらず老成なふうに恋 を説きながら、
 「これはいつまでもこのままにしておくことになるのですか」
 と言って、襖子を引き動かしたまうのであった。
  年月を中に隔てて逢坂のさもせきがたく落つる涙か
 院がこうお言いになっても、
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  涙のみせきとめがたき清水にて行き逢ふ道は早く絶えにき
 というようなかけ離れた返辞を女はするにすぎなかったが、昔を思ってはだれが原因になっ てこの方は遠い国に漂泊っておいでになったか、一人で罪をお負いになったこの方に、冷たい 賢がった女にだけなって逢っていて済むだろうかと朧月夜の尚侍の心は弱く傾いていった。も とから重厚な所の少ない性質のこの人は、源氏の君から離れていた年月の間昔の軽率を後悔し ていたし、清算のできた気にもなっていたのであるが、昔のとおりなような夜が眼前に現われ てきて、その時と今の間にあった時がにわかに短縮された気のするままに、初めの態度は取り 続けられなくなった。
 やはり最も艶な貴女としてなお若やかな尚侍を院は御覧になることができたのであった。世 に対し、人に対してはばかる煩悶が見えて歎息をしがちな尚侍を、今初めて得た恋人よりも珍 しくお思いになり、海のような愛の湧くのを院はお覚えになった。夜の明けていくのが惜しま れて院は帰って行く気が起こらない。朝ぼらけの艶な空からは小鳥の声がうららかに聞こえて きた。花は皆散った春の暮れで、浅緑にかすんだ庭の木立ちをおながめになって、この家で昔 藤花の宴があったのはちょうどこのころのことであったと院はみずからお言いになったことか ら、昔と今の間の長いことも考えられ、青春の日が恋しく、現在のことが身に沁んでお思われ になった。中納言の君がお見送りをするために妻戸をあけてすわっている所へ、いったん外へ おいでになった院が帰って来られて、
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 「この藤と私は深い因縁のある気がする。どんなにこの花は私の心を惹くか知っていますか。 私はここを去って行くことができないよ」
 こうお私語になったままで、なお花をながめて立ち去ろうとはなされないのであった。山か ら出た日のはなやかな光が院のお姿にさして目もくらむほどお美しい。この昔にもまさった御 風采を長く見ることのできなかった尚侍が見て、心の動いていかないわけはないのである。過 失のあったあとでは後宮に侍してはいても、表だった后の位には上れない運命を負った自分の ために、姉君の皇太后はどんなに御苦労をなすったことか、あの事件を起こして永久にぬぐえ ない悪名までも取るにいたった因縁の深い源氏の君であるなどとも尚侍は思っていた。名残の 尽きぬ会見はこれきりのことにさせたくないことではあるが、今日の六条院が恋の微行などを 続いて軽々しくあそばされるものでもないと思われた。院はこの邸における人目も恐ろしく思 召されたし、日が昇っていくのにせきたてられるお気持ちも覚えておいでになった。廊の戸口 の下へ車が着けられて、供の人たちもひそかなお促し声もたてた。院は庭にいた者に長くしだ れた藤の花を一枝お折らせになった。
  沈みしも忘れぬものを懲りずまに身も投げつべき宿の藤波
 と歌いながら院はお悩ましいふうで戸口によりかかっておいでになるのを、中納言の君はお 気の毒に思っていた。尚侍は再び作られた関係を恥じて思い乱れているのであったが、やはり 恋しく思う心はどうすることもできないのである。
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  身を投げん淵もまことの淵ならで懸けじやさらに懲りずまの波
 と女は言った。青年がするような行動を院は御自身も肯定できなくお思いになるのであるが、 女の情熱の冷却してはいないことがうれしくて、またの会合を遂げうるようによく語っておゆ きになった。昔も多くの中のすぐれた志で愛しておいでになりながら、やむなくお別れになっ た仲に、この一夜があったあとのお心はその人へ強くお惹かれにならぬわけもない。
 院は非常に静かに忍んで自室へおはいりになった。こうした女の所からのお帰り姿を見て、 相手は尚侍あたりであろうと、夫人には想像されるのであったが、気のつかぬふうをしていた。 かえって妬みを表へ出すことよりもこれを院は苦しくお思いになって、なぜこうまで妻を冷淡 にあつかったのであろうと歎息がされ、以前にまさった熱情をもって永久に変わらぬ愛を語ろ うとあそばされるのに言葉を尽くしておいでになった。尚侍との間に復活させた情事は洩らす べき性質のものではないのであるが、音のこともくわしく知っている女王であったから、今度 のことも真実のことまではお言いにならなかったが、
 「物越しでやっと逢ってもらっただけでは心が残ってならない。人目を上手に繕ってもう一 度だけは逢いたい人だ」
 とくらいにお話しになった。女王は笑って、
 「お若返りにばかりなりますわね。昔を今にまた新しくお加えになっては、いよいよ私の影 は薄くばかりなります」
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 と言いながらも、涙ぐんだ目をしているのが可憐であった。
 「いつもそんなふうに、寂しそうにばかりあなたがするから、私はたまらなく苦しくなる。 もっと荒削りに、私を打つとか捻るとかして懲らしてくれたらどうですか。あなたにそうした 水くさい態度をとらせるようには暮らして来なかったはずだが、妙にあなたは変わってしまい ましたね」
 などとも言って、機嫌をお取りになるうちには前夜の真相も打ちあけて話しておしまいにな ることになった。姫宮のほうへお出かけにならずに、夫人をなだめるのに終日かかっておいで になった。それを宮は何ともお思いにならないのであるが、乳母たちだけは不快がっていろい ろと言っていた。嫉妬をお持ちになる傾向が宮にもあれば院はまして苦しい立場になるのであ るが、おっとりとした少女の宮を、人形のように気楽にお扱いになることはできるのであった。
 東宮へ上がっておいでになる桐壼の方は退出を長く東宮がお許しにならぬので、姫君時代の 自由が恋しく思われる若い心にはこれを苦しくばかり思うのであった。夏ごろになっては健康 もすぐれなくなったのであるが、なおも帰るお許しがないので困っていた。これは妊娠であっ たのである。まだ十四、五の小さい人であったから、この徴候を見てだれもだれも危険がった。 やっとのことでお許しが下がって帰邸することになった。女三の宮のおいでになる寝殿の東側 になった座敷のほうに桐壼の方の一時の住居が設けられたのである。明石夫人も共に六条院へ 帰った。光る未来のある桐壼の方の身に添って進退する実母夫人は幸運に恵まれた人と見えた。 紫夫人はそちらへ行って桐壼の方に逢おうとして、
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 「このついでに中の戸を通りまして姫宮へ御挨拶をいたしましょう。前からそう思っていた のですが機会がなかったのですもの。わざわざ伺うのもきまりが悪かったのですが、こんな時 だと自然なことに見えていいと思います」
 と院へ御相談をした。院は微笑をされながら、
 「結構ですよ。まだ子供なのですから、よくいろんなことを教えておあげなさい」
 と御同意をあそばされた。宮様よりも明石夫人という聡明な女に逢うことで夫人は晴れがま しく思い、髪も洗い、粧いに念を入れた女王の美はこれに準じてよい人もないであろうと思わ れた。
 院は宮のほうへおいでになって、
 「今日の夕方対のほうにいる人が淑景舎を訪ねに来るついでにここへも来て、あなたと御交 際の道を開きたいように言っていましたから、お許しになって話してごらんなさい。善良な性 質の人ですよ。また若々しくてあなたの遊び相手もできそうですよ」
 とお語りになった。
 「恥ずかしいでしょうね。どんなお話をすればいいのでしょうね」
 とおおように宮は言っておられる。
 「人にする返辞は先方の話次第で出てくるものです。ただ好意を持ってお逢いにならないで はいけませんよ」
 院はこまごまと御注意をされた。院は御両妻の間が平和であるように祈っておいでになるの
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である。あまりにたあいのない子供らしさを紫の女王に発見されることは、御自身としても恥 ずかしいことにお思いになるのであるが、夫人が望んでいることをとめるのもよろしくないと お考えになったのである。
 紫の女王は内親王である良人の一人の妻の所へ伺候することになった自分を憐んだ。二十年 同棲した自分より上の夫人は六条院にあってはならないのであるが、少女時代から養われて来 たために、自分は軽侮してよいものと見られて、良人は高貴な新妻をお迎えしたものであろう と思うと寂しかった。手習いに字を書く時も、棄婦の歌、閨怨の歌が多く筆に上ることによっ て、自分はこうした物思いをしているのかとみずから驚く女王であった。院は自室のほうへお 帰りになった。あちらで女三の宮、桐壼の方などを御覧になって、それぞれ異なった美貌に目 を楽しませておいでになったあとで、始終見馴れておいでになる夫人の美から受ける刺激は弱 いはずで、それに比べてきわだつ感じをお受けになることもなかろうと思われるが、なお第一 の嬋妍たる美人はこれであると院はこの時驚歎しておいでになった。気高さ、貴女らしさが十 分備わった上にはなやかで明るく愛嬌があって、艶な姿の盛りと見えた。去年より今年は美し く昨日より今日が珍しく見えて、飽くことも見て倦むことも知らぬ人であった。どうしてこん なに欠点なく生まれた人だろうかと院はお思いになった。手習いに書いた紙を夫人が硯の下へ 隠したのを、院はお見つけになって引き出してお読みになった。字は専門家風に上手なのでは なく、貴女らしい美しさを多く含んだものである。
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  身に近く秋や来ぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり
と書かれてある所へ院のお目はとまった。
  水鳥の青羽は色も変はらぬを萩の下こそけしきことなれ
 など横へ書き添えておいでになった。何かの場合ごとに今日の夫人の襖悩する心の端は見え ても、さりげなくおさえている心持ちに院は感謝しておいでになるのであった。今夜はどちら とも離れていてよい暇な時であったから、朧月夜の君の二条邸へ院は微行でお出かけになった。 あるまじいことであるとお思い返しになろうとしても、おさえきれぬ気持ちがあったのである。
 東宮の淑景舎の方は実母よりも紫夫人を慕っていた。美しく成人した継娘を女王は真実の親 に変わらぬ心で愛した。なつかしく語り合ったあとで中の戸をあけて、宮のお座敷へ行き、は じめて女三の宮に御面会した。ただ少女とお見えになるだけの宮様に女王は好感が持たれて、 軽い気持ちにもなり年長の人らしく、保護者らしいふうにものを言って、宮の母君と自身の血 の続きを語ろうとして、中納言の乳母というのをそばへ呼んで言った。
 「さかのぼって言いますとそうなのですね。私の父の宮とお母様は御兄弟なのです。ですか らもったいないことですが親しく思召していただきたいと申し上げたかったのですが、機会が ございませんでね。これからはお心安く思召して、私どもの住んでおりますほうへもお遊びに おいでくださいまして、気のつきませんことがございまして、御注意をいただけましたらうれ
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しく存じます」
 中納言の乳母が、
 「お母様にもお死に別れになりますし、院の陛下は御出家をあそばしますし、お一人ぼっち のお心細い宮様ですから、御親切なお言葉をいただきますことは、この上なく幸福に思召すか と存ぜられます。法皇様も宮様があなた様を御信頼あそばして御保護の願えますようにとの思 召しがおありあそばすらしく存じ上げました。私どももそのお言葉を承ってまいったのでござ います」
 などと言った。
 「もったいないお手紙をあちらからくださいました時から、どうかしてお力にならなければ と心がけてはいるのでございますが、何と申しても私が賢くなくて」
 とあたたかい気持ちを女王は見せて、姉が年少の妹に対するふうで、宮のお気に入りそうな 絵の話をしたり、雛遊びはいつまでもやめられないものであるとかいうことを若やかに語って いるのを、宮は御覧になって、院のお言葉のように、若々しい気立ての優しい人であると少女 らしいお心にお思いになり、打ち解けておしまいになった。
 これ以来手紙が通うようになって、友情が二人の夫人の間に成長していった。書信でする遊 び事もなされた。世間はこうした高貴な家庭の中のことを話題にしたがるもので、初めごろは、
 「対の奥様はなんといっても以前ほどの御寵愛にあっていられなくなるであろう。少しは院 の御情が薄らぐはずだ」
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 こんなふうにも言ったものであるが、実際は以前に増して院がお愛しになる様子の見えるこ とで、またそれについて宮へ御同情を寄せるような口ぶりでなされる噂が伝えられたものであ るが、こんなふうに寝殿の宮も対の夫人も睦まじくなられたのであるからもう問題にしようが ないのであった。
 十月に紫夫人は院の四十の賀のために嵯峨の御堂で薬師仏の供養をすることになった。たい そうになることは院がとめておいでになったから、目だたせない準備をしたのであった。それ でも仏像、経箱、経巻の包みなどのりっぱさは極楽も想像されるばかりである。そうした最勝 王経、金剛、般若、寿命経などの読まれる頼もしい賀の営みであった。高官が多く参列した。 御堂のあたりの嵯峨野の秋のながめの美しさに半分は心が惹かれて集まった人なのであろうが、 その日は霜枯れの野原を通る馬や車を無数に見ることができた。盛んな誦経の申し込みが各夫 人からもあった。二十三日が仏事の最後の日で、六条院は狭いまでに夫人らが集まって住んで いるため、女王には自身だけの家のように思わわる二条の院で賀の饗宴を開くことにしてあっ た。賀の席上で奉る院のお服類をはじめとして当日用の仕度はすべて紫夫人の手でととのえら れているのであったが、花散里夫人や、明石夫人なども分担したいと言い出して手つだいをし た。二条の院の対の屋を今は女房らの部屋などにも使わせることにしていたのであるが、それ を片づけて殿上役人、五位の官人、院付きの人々の接待所にあてた。寝殿の離れ座敷を式場に して、螺鈿の椅子を院の御ために設けてあった。西の座敷に衣裳の卓を十二置き、夏冬の服、 夜着などの積まれたそれらの上を紫の綾で覆うてあるのも目に快かった。中の品物の見えない
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のも感じがいいのである。椅子の前には置き物の卓が二つあって、支那の羅の裾ぼかしの覆い がしてある。挿頭の台は沈の木の飾り脚の物で、蒔絵の金の鳥が銀の枝にとまっていた。これ は東宮の桐壼の方が受け持ったので、明石夫人の手から調製させたものであるからきわめて高 雅であった。御座の後ろの四つの屏風は式部卿の宮がお受け持ちになったもので、非常にりっ ぱなものだった。絵は例の四季の風景であるが、泉や滝の描き方に新しい味があった。北側の 壁に添って置き棚が二つ据えられ、小物の並べてあることは定った形式である。南側の座敷に 高官、左右の大臣、式部卿の宮をはじめとして親王がたのお席があった。舞台の左右に奏楽者 の天幕ができ、庭の西と東には料理の箱詰めが八十、纏頭用の品のはいった唐櫃を四十並べて あった。午後二時に楽人たちが参入した。万歳楽、皇じょうなどが舞われ、日の暮れ時に高麗楽の 乱声があって、また続いて落蹲の舞われたのも目馴れず珍らしい見物であったが、終わりに近 づいた時に、権中納言と、右衛門督が出て短い舞をしたあとで紅葉の中へはいって行ったのを 陪観者は興味深く思った。昔の朱雀院の行幸に青海波が絶妙の技であったのを覚えている人た ちは、源氏の君と当時の頭中将のようにこの若い二人の高官がすぐれた後継者として現われて きたことを言い、世間から尊敬されていることも、りっぱさも美しさも昔の二人の貴公子に劣 らず、官位などはその時の父君たち以上にも進んでいることなどを年齢までも数えながら語っ て、やはり前生の善果がある家の子息たちであると両家を祝福した。六条院も涙ぐまれるほど 身にしむ追憶がおありになった。夜になって楽人たちの退散していく時に紫の夫人付きの家職 の長が下役たちを従えて出て、纏頭品の箱から一つずつ出して皆へ頒った。白い纏頭の服を皆
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が肩にかけて山ぎわから池の岸を通って行くのをはるかに見ては鶴の列かと思われた。席上で の音楽が始まっておもしろい夜の宴になった。楽器は東宮の御手から皆呈供されたのである。 朱雀院からお譲られになった琵琶、帝からお賜わりになった十三絃の琴などは六条院のために お馴染の深い音色を出して、何につけても昔の宮廷がお思われになる方であったから、またさ まざまの恋しい昔の夢をお描かせした。入道の宮がおいでになったなら四十の御賀も自分が主 催して行なったことであろう。今になっては何を志としてお見せすることができよう、すべて 不可能なことになったと院は御歎息をあそばした。女院をお失いになったことは何の上にも添 う特殊な光の消えたことであると帝も寂しく思召すのであって、せめて六条院だけを最高の地 位に据えたいというお望みも実現されないことを始終残念に思召す帝であったが、今年は四十 の賀に託して六条院へ行幸をあそばされたい思召しであった。しかしそれも冗費は国家のため お慎みになるようにと六条院からの御進言があっておできにならぬためにくやしく思召すばか りであった。
 十二月の二十日過ぎに中宮が宮中から退出しておいでになって、六条院の四十歳の残りの日 のための祈祷に、奈艮の七大寺へ布四千反を頒ってお納めになった。また京の四十寺へ絹四百 疋を布施にあそばされた。養父の院の深い愛を受けながら、お報いすることは何一つできなか った自分とともに、御父の前皇太子、母御息所の感謝しておられる志も、せめてこの際に現わ したいと中宮は思召したのであるが、宮中からの賀の御沙汰を院が御辞退されたあとであった から、大仰になることは皆おやめになった。
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 「四十の賀というものは、先例を考えますと、それがあったあとをなお長く生きていられる 人は少ないのですから、今度は内輪のことにしてこの次の賀をしていただく場合にお志を受け ましょう」
 と六条院は言っておいでになったのであるが、やはりこれは半公式の賀宴で派手になった。 六条院の中宮のお住居の町の寝殿が式場になっていて、前にお受けになった幾つかの賀の式に 変わらぬ行き届いた設けがされてあった。高官への纏頭はお后の大饗宴の日の品々に準じて下 された。親王がたには特に女の装束、非参議の四位、殿上役人などには白い細長衣一領、それ 以下へは巻いた絹を賜わった。院のためにととのえられた御衣服は限りもなくみごとなもので、 そのほかに国宝とされている石帯、御剣を奉らせたもうたのである。この二品などは宮の御父 の前皇太子の御遺品で、歴史的なものだったから院のお喜びは深かった。古い時代の名器、美 術品が皆集まったような賀宴になったのであった。昔の小説も贈り物をすることを最も善事の ように書き立ててあるが、面倒で筆者にはいちいち書けない。
 帝は六条院へ好意をお見せになろうとした賀宴をやむをえず御中止になったかわりに、その ころ病気のため右大将を辞した人のあとへ、中納言をにわかに抜擢しておすえになった。院も お礼の御挨拶をあそばされたが、それは、
 「突然の御恩命はあまりに過分なお取り扱いで、若い彼が職に堪えますかどうか疑問にいた しております」
 こんな謙遜なお言葉であった。
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 帝はこの右大将を表面の主催者として院の四十の賀の最後の宴を北東の町の花散里夫人の 住居に設けられた。派手になることを院は避けようとされたのであったが、宮中の御内命によ って行なわれるこの賀宴は、すべて正式どおりに略したところのないすばらしいものになった。 幾つかの宴席の料理の仕度などは内廷からされた。屯食の用意などはお指図を受けて頭中将が 皆したのである。親王お五方、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、参議五人、これだけが 参列して、御所の殿上役人、東宮、院の殿上人もほとんど皆集まって参っていた。院のお席の 物、その室に備えられた道具類は太政大臣が聖旨を奉じて最高の技術者に製作させた物であっ た、そしてお言葉を受けてこの大臣もお式の場へ臨んだ。院はこれにもお驚きになって恐縮の 意を表されながら式の座へお着きになった。中央の室に南面された院のお席に向き合って太政 大臣の座があった。きれいで、りっぱによく肥っていて、位人臣をきわめた貫禄の見える男盛 りと見えた。院はまだ若い源氏の君とお見えになるのであった。四つの屏風には帝の御筆蹟が 貼られてあった。薄地の支那綾に高雅な下絵のあるものである。四季の彩色絵よりもこのお屏 風はりっぱに見えた。帝の御字は輝くばかりおみごとで、目もくらむかと思いなしも添って思 われた。置き物の台、弾き物、吹き物の楽器は蔵人所から給せられたのである。右大将の勢力 も強大になっていたため今日の式のはなやかさはすぐれたものに思われた。四十匹の馬が左馬 寮、右馬寮、六衛府の官人らによって次々に引かれて出た。おそれ多いお贈り物である。その うち夜になった。例の万歳楽、賀皇恩などという舞を、形式的にだけ舞わせたあとで、お座敷 の音楽のおもしろい場が開かれた。太政大臣という音楽の達者が臨場していることにだれもだ
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れも興奮しているのである。琵琶は例によって兵部卿の宮、院は琴、太政大臣は和琴であった。 久しくお聞きにならぬせいか和琴の調べを絶妙のものとしてお聞きになる院は、御自身も琴を 熱心にお弾きあそばされたのである。いかなる時にも聞きえなかった妙音も出た。またも昔の 話が出て、子息の縁組みその他のことで昔に増した濃い親戚関係を持つことにおなりになった 二人は、睦まじく酒杯をお重ねになった。おもしろさも頂天に達した気がされて、酔い泣きを されるのもこのかたがたであった。お贈り物には、すぐれた名器の和琴を一つ、それに大臣の 好む高麗笛を添え、また紫檀の箱一つには唐本と日本の草書の書かれた本などを入れて、院は 帰ろうとする大臣の車へお積ませになった。馬を院方の人が受け取った時に右馬寮の人々は高 麗楽を奏した。六衛府の官人たちへの纏頭は大将が出した。質素に質素にとして目だつことは おやめになったのであるが、宮中、東宮、朱雀院、后の宮、このかたがたとの関係が深くて、 自然にはなやかさの作られる六条院は、こんな際に最も光る家と見えた。院には大将だけがお 一人息子で、ほかに男子のないことは寂しい気もされることであったが、その一人の子が万人 にすぐれた器量を持ち、君主の御覚えがめでたく、幸運の人というにほかならぬことが証しさ れていくにつけて、この人の母である夫人と、伊勢の御息所との双方の自尊心が強くて苦しく 競い合った時代に次いで、中宮とこの大将が双方とも、院の大きい愛のもとでりっぱなかたが たになられたことが思わせられる。この日大将から院へ奉った衣服類は花散里夫人が引き受け て作ったのである。纏頭の物は皆三条の若夫人の手でできたようであった。六条院のはなやか な催し事もよそのことに聞いていた花散里夫人には、こうした生きがいのある働きをする日は
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あることかと思われたものであるが、大将の母儀になっていることによって光栄が分かたれた のである。
 新年になった。六条院では淑景舎の方の産期が近づいたために不断の読経が元日から始めら れていた。諸社、諸寺でも数知れぬ祈祷をさせておいでになるのである。院は昔の葵夫人が出 産のあとで死んだことで懲りておいでになって、恐ろしいものと子を産むことを感じておいで になり、紫夫人に出産のなかったことは物足らぬお気持ちもしながらまたうれしくお思われに もなるのであったから、まだ少女といってよいほどの身体で、その女の大厄を突破せねばなら ぬ御女のことを、早くから御心配になっていたが、二月ごろからは寝ついてしまうほどにも苦 しくなったふうであるのを院も女王も不安がられないはずもない。陰陽師どもは場所を変えて 謹慎をせねばならぬと進言するので、院外の離れた家へ移すのは気がかりに思召され、明石夫 人の北の町の一つの対の屋へ淑景舎の病室は移されることになった。こちらはただ大きい対の 屋が二つと、そのほかは廊にして廻らせた座敷ばかりの建物であったから、廊座敷に祈祷の壇 が幾つも築かれ、評判のよい祈祷僧は皆集められて祈っていた。明石夫人は桐壼の方が平らか に出産されるか否かで自身の運命も決まることと信じていて、一所懸命な看護をしていた。明 石入道の尼夫人はもうぼけた老婆になっているはずである。姫君に接近のできることを夢のよ うな幸福と思って、移って間もなくこの人がそばへ出てくるようになった。もう幾年か明石夫 人は姫君に付き添っているのであるが、桐壼の方の生まれてきた当時の事情などはまだ正確に 話してなかった。それを老尼はうれしさのあまりに病室へ来ては涙まじりに、昔の話を身じま
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いをしながら姫君へ語るのであった。初めの間は無気味な老婆であると姫君は思って、顔ばか り見つめているのを常としたが、実母にそうした母親があるということは何かの時に聞いたこ ともあったのを思い出してからは好意を持つようになった。明石で生まれた時のこと、また院 がその海岸へ移って来ておいでになったころの様子などを尼君は言う、
 「京へお帰りになりました時、一家の者はこれで御縁が切れてしまうのかとひどく悲しんだ ものでございますがね、お生まれになったお姫様が暗い運命から私たちを救い上げてくだすっ たのでございますから、ありがたいことと御恩を思っております」
 はらはらと涙をこぼしている。そんな哀れな昔の話をこの尼さんが聞かせてくれなければ、 自分はただ疑ってみるだけで、真相は何もわからずにしまったかもしれぬと思って桐壼の方は 泣いた。心のうちでは、自分の身の上は決して欠け目ないものとは言えなかったのを、養母の 夫人の愛にみがかれて十分な尊敬も受ける院の御女ともなりえたのである、思い上がった心で 東宮の後宮に侍していても、他の人たちを自分に劣ったもののように見たりしてきたのは過失 である、表面に出して言わないでも、世間の人は自分のその態度を譏ったことであろうと反省 もされるようになった。実母は少し劣った家の出であるとは知っていても、生まれたのはそう した遠い田舎の家であったなどとは思いも寄らぬことだったのである。おおように育てられ過 ぎたせいだったかもしれぬが、自身の今まで知らぬとは不思議なことのように思われるのであ った。祖父である入道が現在では人間離れのした仙人のような生活をしているということも若 い心には悲しかった。姫君がにわかにいろいろな物思いを胸に持って、寂しい顔をしている時
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に明石夫人が出て来た。昼の加持にあちらこちらから手つだいの者や僧が来て騒いでいるのを、 この人は今まで監督していたのであるが、来てみると姫君のそばには他の者がいずに尼君だけ が得意な気分を見せて近くにすわっていた。
 「体裁が悪うございますよ。短い几帳で身体をお隠しになってお付きしていらっしゃればい いのに、風が吹いていますからお座敷の外から人がのぞけば、あなたはお医者のような恰好で おそばに出ているのですから恥ずかしい。こんなふうにしておいでになってはね」
 などと明石は片腹痛がっていた。品のよいとりなしでこうしているのであると尼君自身は信 じているのであるが、もう耳もあまり聞こえなくて、娘の言葉も、
 「ああよろしいよ」
 などと言っていいかげんに聞いているのである。六十五、六である。しゃんとした尼姿で上 品ではあるが、目を赤く泣きはらしているのを見ては、古い時代、つまり源氏の君の明石の浜 を去ったころによくこうであったことが思い出されて夫人ははっとした。
 「間違いの多い昔話などを申していたのでしょう。怪しくなりました記憶から取り出します 話には荒唐無稽な夢のようなこともあるのでございますよ」
 と、微笑を作りながら夫人のながめる姫君は、艶にきれいな顔をしていて、しかも平生より はめいったふうが見えた。自身の子ながらももったいなく思われるこの人の心を、傷つけるよ うな話を自身の母がして煩悶をしているのではないか、お后の位にもこの人の上る時を待って 過去の真実を知らせようとしていたのであるが、現在はまだ若いこの人でも、昔話から母の自
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分をうとましく思うことはあるまいが、この人自身の悲観することにはなろうと明石夫人は憐 んだ。加持が済んで僧たちの去ったあとで、夫人は近く寄って菓子などを勧め、
 「少しでも召し上がれ」
 と心苦しいふうに姫君を扱っていた。尼君はりっぱな美しい桐壼の方に視線をやっては感激 の涙を流していた。顔全体に笑みを作って、口は見苦しく大きくなっているが、目は流れ出す 涙で悲しい相になっていた。困るというように明石は目くばせをするが、気のつかないふうを している。
 「老いの波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまをたれか咎めん
 昔の聖代にも老齢者は罪されないことになっていたのでございますよ」
 と尼君は言った。硯箱に入れてあった紙に、
  しほたるるあまを波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋を
 こんな歌を姫君は書いた。明石も堪えがたくなって泣いた。
  世を捨てて明石の浦に住む人も心の闇は晴るけしもせじ
 などと言って、この場の悲しい空気の密度をより濃くすまいとした。姫君は祖父に別れた朝 のことなどを、心には忘れていても、夢の中だけにも見たいのが見えぬのは残念であると思っ
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た。
 三月の十幾日に桐壼の方は安産した。その時まではあぶないことのようにして、多くの祈祷 が神仏にささげられていたのであるが、たいした苦しみもなく、しかも男宮をお生みしたので あったから、この上の幸福もないようで院のお心も落ち着いた。こちらは蔭の場所のようにな っていた所で、ただ風流な座敷が幾つも作られてある建物では、いかめしい今後続いてあるは ずの産養の式などに不便であって、老尼君のためにだけはうれしいことと見えても、外見へは 不都合であるために、南の町へ産屋を移す計画ができていた。紫の女王も出て来た。白い服装 をして母らしく若宮をお抱きしている姫君はかわいく見えた。紫夫人は自身に経験のないこと であったし、他の人の場合にもこうした産屋などに立ち合ったことはなかったから、幼い宮を 珍しくおかわいく思うふうが見えた。まだあぶないように思われるほどの小さい方を女王は始 終手に抱いているので、ほんとうの祖母である明石夫人は、養祖母に任せきりにして、産湯の 仕度などにばかりかかっていた。東宮宣下の際の宣旨拝受の役を勤めた典侍がお湯をお使わせ するのであった。迎え湯を盥へ注ぎ人れる役を明石の勤めるのも気の毒で淑景舎の方の生母が この人であることは知らないこともない東宮がたの女房たちは目をとめて、どこかに欠点でも ある人なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高い明石の姿はこの人たちに畏敬 の念を起こさせて、未来の天子の御外祖母たる因縁を身に備えて生まれた人に違いないという ようなことも思わせた。お湯殿の式のくわしい記事は省略する。
 六日めに以前の南の町の御殿へ桐壼の方は移った。七日の夜には宮中からのお産養があった。
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朱雀院が世捨て人の御境遇へおはいりになったために、そのお代わりにあそばされたことであ ったらしい。宮中から頭の弁が宣旨で来て、この日の派手な祝宴を管理した。纏頭の品々は中 宮のお志で慣例以上の物が出された。親王がた、諸大臣家からもわれもわれもとはなやかな御 祝い品の来るお産屋であった。この際の祝宴については、いつも華奢に流れることは遠慮した いとお言いになる院も、あまりお止めにはならなかったために、目もくらむほどのお産養の日 が続き、ぼんやりとしていた筆者にその際の洗練された細かな物好みで製作されたおのおのの 式の賀品などのことによく気がつかなかった。
 院は若宮をお抱きになって、
 「大将が幾人も持った子を今まで見せないのを恨めしく思っていたが、こんなかわいい方が 授かった」
 と愛しておいでになるのはごもっともなことである。毎日物が引き伸ばされるように若宮は 大きくおなりになるのであった。乳母などは新しい人をお見つけになることは当分されずに、 これまでの六条院の女房の中から、身柄も性質もよい人ばかりを選んでお付けになった。明石 夫人が聡明で、気高い、おおような心を持っていながら、ある場合に卑下することを忘れずに、 自身が表に出ようとすることのない態度のとれることについてはほめない人はなかった。紫夫 人は顔をあらわに見せて話すようなことは今までこの人となかったのであるが、今度はよく睦 まじく話して、過去においては長く僭越な競争者であると見ていた人に好意を持ちうるように なり、若宮を愛する気持ちの交流があたたかい友情までも覚えさすことになった。女王は子供
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好きであったから、天児の人形などを自身で縫ったりしている時はことさら若々しく見えた。 日夜を若宮のために心をつかう紫夫人であった。明石の老尼は、若宮を満足できるほど拝見す ることのできないのを残念に思っていた。しかしそれがかえって幸いであったかもしれぬ、な おしばらくでもそばでお愛し申し上げるような時間が許されたものであれば、あとの恋しい思 いで尼は死んだかもしれないから。
 明石の入道も姫君の出産の報を得て、人間離れのした心にも非常にうれしく思われて、
 「もうこれでこの世と別な境地へ自分の心を置くことができる」
 と弟子どもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨の奥の郡 に人も通いがたい深い山のある所を選定して、最後のこもり場所としてあったものの、少しま だ不安な点が残していく世にあって、なおそこへは移らなかった山の草庵へ、もう今後の子孫 の運は仏神にお頼みするばかりであるとして入道は行ってしまうのであった。近年はもう京の 家族も順調に行っていることに安心して、使いを出してみることもなかったのである。京から 使いが送られた時にだけ短いたよりを尼君へ書いて来た。入道はいよいよ明石を立つ時に、娘 の明石夫人へ手紙を書いた。
 この幾年間はあなたと同じ世界にいながらすでに他界で生存するもののような気持ちでたい
 したことのない限りはおたよりを聞こうともしませんでした。仮名書きの物を読むのは目に
 時間がかかり、念仏を怠ることになり、無益であるとしたのです。またこちらのたよりもあ
 げませんでしたが、承ると姫君が東宮の後宮へはいられ、そして男宮をお生み申されたそう
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 で、私は深くおよろこびを申し上げる。その理由はみじめな僧の身で今さら名利を思うので
 はありません。過去の私は恩愛の念から離れることができず、六時の勤行をいたしながらも、
 仏に願うことはただあなたに関することで、自身の浄土往生の願いは第二にしていましたが、
 初めから言えば、あなたが生まれてくる年の二月の某日の夜の夢に、こんなことを見たので
 す、私自身は須弥山を右の手にささげているのです。その山の左右から月と日の光がさして
 あたりを照らしています。私には山の陰影が落ちて光のさしてくることはないのです。私は
 その山を広い海の上に浮かべて置いて、自身は小さい船に乗って西のほうをさして行くので
 終わったのです。その夢のさめた朝から私の心にはある自信ができたのですが、何によって
 そうした夢に象徴されたような幸福に近づきうるかという見当がつかなかったところ、ちょ
 うどそのころから母の胎に妊まれたのがあなたです。普通の書物にも仏典にも夢を信じてよ
 いことが多く書かれてありますから、無力な親でいてあなたをたいせつなものにして育てて
 いましたが、そのために物質的に不足なことのないようにと京の生活をやめて地方官の中へ
 はいったのです。ここでまた私の身の上に悪いことが起こり、しまいに土着して出家の人に
 なり、あなたは姫君をお生みになったそのころのことは知っておいでになるとおりです。そ
 の時代に私は多くの願を立てていましたが、皆神仏のお容れになることになり、あなたは幸
 福な人になられました。姫君が国の母の御位をお占めになった暁には住吉の神をはじめとし
 て仏様への願果たしをなさるようにと申しておきます。私の大願がかなった今では、はるか
 に西方の十万億の道を隔てた世界の、九階級の中の上の仏の座が得られることも信じられま
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 す。今から蓮華をお持ちになる迎えの仏にお逢いする夕べまでを私は水草の清い山にはいっ
 てお勤めをしています。
  光いでん暁近くなりにけり今ぞ見しよの夢語りする
 そして日づけがある。またあとへ、
 私の命の終わる月日もお知りになる必要はありません。人が古い習慣で親のために着る喪服
 などもあなたはお着けにならないでお置きなさい。人間の私の子ではなく、別な生命を受け
 ているものとお思いになって、私のためにはただ人の功徳になることをなさればよろしい。
 この世の愉楽をわが物としておいでになる時にも後世のことを忘れぬようになさい。私の志
 す世界へ行っておれば必ずまた逢うことができるのです。娑婆のかなたの岸も再会の得られ
 る期の現われてくることを思っておいでなさい。
 こう書いて終わってあった。また入道が住吉の社へ奉った多くの願文を集めて入れた沈の木 の箱の封じものも添えてあった。尼君への手紙は細かなことは言わずに、ただ、
 この月の十四日に今までの家を離れて深山へはいります。つまらぬわが身を熊狼に施します。
 あなたはなお生きていて幸いの花の美しく咲く日におあいなさい。光明の中の世界でまた逢
 いましょう。
 と書かれただけのものであった。読んだあとで尼君は使いの僧に入道のことを聞いた。
 「お手紙をお書きになりましてから三日めに庵を結んでおかれました奥山へお移りになった
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のでございます。私どもはお見送りに山の麓へまで参ったのですが、そこから皆をお帰しにな りまして、あちらへは僧を一人と少年を一人だけお供にしてお行きになりました。御出家をな さいました時を悲しみの終わりかと思いましたが、悲しいことはそれで済まなかったのでござ います。以前から仏勤めをなさいますひまひまに、お身体を楽になさいましてはお弾きになり ました琴と琵琶を持ってよこさせになりまして、仏前でお暇乞いにお弾きになりましたあとで、 楽器を御堂へ寄進されました。そのほかのいろいろな物も御堂へ御寄付なさいまして、余りの 分をお弟子の六十幾人、それは親しくお仕えした人数ですが、それへお分けになり、なお残り ました分を京の御財産へおつけになりました。いっさいをこんなふうに清算なさいまして深山 の雲霞の中に紛れておはいりになりましたあとのわれわれ弟子どもはどんなに悲しんでいるか しれません」
 と播磨の僧は言った。これも少年侍として京からついて行った者で、今は老法師で主に取り 残された悲哀を顔に見せている。仏の御弟子で堅い信仰を持ちながらこの人さえ主を失った歎 きから脱しうることができないのであるから、まして尼君の歎きは並み並みのことでなかった。
 明石夫人はたいてい南の町のほうへばかり行っていたが、明石の使いが入道の手紙をもたら したことを尼君が報らせて来たため、そっと北の町へ帰って来た。この人は自重していて少し のことによって軽々しく往来することはしないのであるが、悲しいたよりがあったというので 忍びやかに出て来たのである。見ると尼君は非常に悲しいふうをしてすわっていた。燈を近く へ寄せさせて夫人は手紙を読んでみると、自身からもとどめがたい涙が流れた。他人にとって
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は何でもないことも子としては忘れがたい思い出になる昔のことが多くて、常に恋しくばかり 思われた父は、こうして自分たちから永久に去ったのかと思うと、どうしようもない深い悲し みに落ちるばかりであった。この夢の話によって、自分に不相応な未来を期待して、人並みの 幸福を受けさせずに苦しめる父であるようにある時代の自分が恨んだのも、一つの夢を頼みに した父であったからであると、はじめて理解のできた気もした。少したって尼君は、
 「あなたがあったために輝かしい光栄にも私は浴していますが、またあなたのためにどれほ どの苦労を心でしたことか。たいしたことのない家の子ではあっても、生まれた京を捨てて 田舎へ行ったころも不運な私だと思われましたがね。あとになって生きながら別れなければな らぬとは予想せずに、同じ蓮華の上へ生まれて行く時まで変わらぬ夫婦でいようとも互いに思 って、愛の生活には満足して年月を送ったのですが、にわかにあなたの境遇が変わって、私も それといっしょに捨てた世の中へ帰り、あなたがたが幸福に恵まれるのを目に見ては喜びなが らも、一方では別れ別れになっている寂しさ、たよりなさを常に思って悲しんでいましたが、 とうとう遠く隔たったままでお別れしてしまったのが残念に思われます。若い時代のあの方も 人並みな処世法はおとりにならずに、風変わりな人だったが、縁あって若い時から愛し合った 二人の中には深い信頼があったものですよ。どうしてこの世の中でいながら逢うことのできな い所へあの方は行っておしまいなすったのだろう」
 と言って泣いた。夫人も非常に泣いた。
 「こうお言いになっても、すばらしい将来などというものが私にあるものですか。価値のな
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い私がどうなりうるものでもないのですから、私を愛してくだすったお父様にお目にかかるこ ともできずにいるこの悲しみにそれは代えられるほどのものと思われませんが、私たちは幸福 な姫君をこの世にあらしめるために、悲しい思いも科せられているものと思うよりほかはあり ません。そんなふうにして山へおはいりになっては、無常のこの世ですもの、知らぬまにおか くれになるようなことになっては悲しゅうございますね」
 とも言い、夜通し尼君と入道の話をしていた。
 「昨日は私のあちらにいますのを院が見ていらっしゃったのですから、にわかに消えたよう にこちらへ来ていましては、軽率に思召すでしょう。私自身のためにはどうでもよろしゅうご ざいますが、姫君に累を及ぼすのがおかわいそうで自由な行動ができませんから」
 こう言って夫人は夜明けに南の町へ行くのであった。
 「若宮はいかがでいらっしゃいますか。お目にかかることはできないものですかね」
 このことでも尼君は泣いた。
 「そのうち拝見ができますよ。姫君もあなたを愛しておいでになって、時々あなたのことを お話しになりますよ。院もよく何かの時に、自分らの希望が実現されていくものなら、そんな ことを不安に思っては済まないが、なるべくは尼君を生きさせておいてみせたいと仰せになり ますよ。御希望とはどんなことでしょう」
 と夫人が言うと、尼君は急に笑顔になって、
 「だから私達の運命というものは常識で考えられない珍しいものなのですよ」
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 とよろこぶ。手紙の箱を女房に持たせて明石は淑景舎の方の所へ帰った。
 東宮から早く参るようにという御催促のしきりにあるのを、
 「ごもっともですわね。若宮様もいらっしゃるのですもの、どんなに早くお逢いあそばした いでしょう」
 と紫夫人も言って、院は若宮を東宮へお上らせする用意をしておいでになった。桐壼の方は 退出のお許しが容易に得られなかったのに懲りて、この機会に今しばらく実家の人になってい たい気持ちでいるのである。小さい身体で女の大難を経てきたのであったから、少し顔が痩せ 細って非常に艶な姿になっていた。
 「はっきりとなさいませんから、もう少しこちらで御養生をなさいますほうがいいと思いま す」
 と言うのは明石夫人の意見であった。
 「少し細られたこの姿をお目にかけるのはかえってまたよい結果のあるものなのだ」
 などと院は言っておいでになるのである。明石は紫の女王などが対へ帰ったあとの静かな夕 方に、姫君のそばへ来て、文書のはいった沈の木箱を見せ、入道のことを語るのであった。
 「すべてのことが成り終わりますまでは、こんな物をお目にかけないほうがいいのかもしれ ませんが、人の命は無常なものでございますからね。何も御承知にならぬうちに私が亡くなり ますことがありましても、必ずしも臨終にあなた様のおいでがいただける身の上でもございま せんから、とにかく健在なうちにこうしたこともお聞かせしておくほうがよいと存じまして、
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それに字が悪くて読みにくいものでございますがこの手紙もお見せすることにいたしましたか ら、御覧なさいませ。この箱の中の願文はお居間の置き棚などへしまってお置きになりまして、 何をなさることも可能な時がまいりましたら、これに書かれてございます神様などへ入道がい たしました願のお酬いをなすってくださいませ。他人にはお話をなさらないほうがよろしゅう ございます。私はもうあなたのお身の上で何が不安ということもなくなったのでございますか ら、尼になりたい気がしきりにいたすのでございまして、長くお世話を申し上げることはでき ないでございましょう。あなたは対のお母様の御恩をお忘れになってはいけませんよ。ありが たい方でございます。拝見いたしまして、ああしたりっぱな人格の方は必ず命も長くお恵まれ になるだろうと思っております。あなたとごいっしょにおりますことはあなたの幸福でないと 私が思いまして、はじめて女王様にあなたをお譲り申し上げました時には、これほどまでの愛 をあなたにお持ちになることは想像できませんで、それ以後もただ世間並みのよいといわれる 継母ぐらいのことと思いましたが、あの方の御愛情はそんなものではありませんでした。あの 方にお任せいたしますほど安心なことはないとよく私はわかったのでございます」
 などと明石は淑景舎に言った。姫君は涙ぐんで聞いていた。実母に対しても打ち解けたふう ができず、おとなしくものの多く言われない姫君なのである。入道の手紙は若い心に無気味な こわい気のされるようなことが、古檀紙の分厚い黄色がかった、それでも薫物の香の染んだの へ五、六枚に書かれてあるのを、姫君は身にしむふうで読んでいて額髪が涙にぬれていく様子 が艶であった。
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 院は女三の宮のお座敷のほうにおいでになったのであるが、中の戸をあけてにわかにこちら へお見えになったのを知って、明石夫人は急なことで姫君の前に出された文書類を隠すことが できず、几帳を少し前のほうへ引き寄せ、自身もその蔭へ姿を隠してしまった。
 「若宮が私の足音でお目ざめになりませんでしたか。しばらくでも見ずにいては恋しいもの だから」
 と院がお言いになっても姫君は黙っているのを見て、明石が、
 「対へおつれになったのでございます」
 と言った。
 「けしからんね、若宮をわが物顔にして懐中からお放ししないのだから。始終自身の着物を ぬらして脱ぎかえているのですよ。軽々しく宮様をあちらへおやりするようなことはよろしく ない。こちらへ拝見に来ればいいではないか」
 「思いやりのないことを仰せになります。内親王様であってもあの女王様に御養育おされに なるのがふさわしいことと存じられますのに、まして男宮様は、そんなに尊貴でおありあそば しても、あちこちおつれ申すほどのことが何でございましょう。御冗談にでも女王様のことを そんなふうにおっしゃってはよろしくございません」
 明石夫人はこう抗弁した。院はお笑いになって、
 「ではもうあなたがたにお任せきりにすべきだね。このごろはだれからも私は冷淡に扱われ る。今のようなたしなめを言ったりする人もある。そうじゃありませんか、こんなに顔を隠し
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ていて、私を悪くばかり」
 と、お言いになって、几帳を横へお引きになると、明石は清い顔をして中の柱に品よくより かかっているのであった。先刻の箱もあわてて隠すのが恥ずかしく思われてそのままにしてあ った。
 「何の箱ですか。恋する男が長い歌を詠んで封じて来たもののような気がする」
 院がこうお言いになると、
 「いやな御想像でございますね。御自身がお若返りになりましたので、私どもさえまで承っ たこともないような御冗談をこのごろは伺います」
 と明石は言って微笑を見せていたが、悲しそうな様子は瞭然とわかるのであったから、不思 議にお思いになるふうのあるのに困って、明石が言った。
 「あの明石の岩窟から、そっとよこしました経巻とか、まだお酬いのできておりません願文 の残りとかなのでございますが、姫君にも昔のことをお話しする時があれば、これもお目にか けたらどうかと申してもまいっているのでございますが、ただ今はまだそうしたものを御覧な さいます時期でもないのでございますから、お手をおつけになりません」
 お聞きになって、娘と母に悲しい表情の見えるのももっともであるとお思いになった。
 「あれ以後ますます深い信仰の道を歩んでおいでになることであろう。長命をされて長い間 のお勤めが仏にできたのだから結構だね。世間で有名になっている高僧という者もよく観察し てみると、俗臭のない者は少なくて、賢い点には尊敬の念も払われるが、私には飽き足らず思
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われる所がある、あの人だけはりっぱな僧だと私にも思われる。僧がらずにいながら、心持ち はこの世界以上の世界と交渉しているふうに見えた人ですよ。今ではまして係累もなくなって、 超然としておられるだろうあの人が想像される。手軽な身分であればそっと行って逢いたい人 だ」
 院はこうお言いになった。
 「ただ今はもうあの家も捨てまして、鳥の声もせぬ山へはいったそうでございます」
 「ではその際に書き残されたものなのだね。あなたからもたよりはしていますか。尼さんは どんなに悲しんでおいでになるだろう。親子の仲とはまた違った深い愛情が夫婦の仲にはある ものだからね」
 院も涙ぐんでおいでになった。
 「あれからのちいろいろな経験をし、いろいろな種類の人にも逢ったが、昔のあの人ほど心 を惹く人物はなくて、私にも恋しく思われる人なのだから、そんなことがあれば夫婦であった 尼君の心はいたむことだろう」
 ともお言いになる院に、入道の夢の話をお思い合わせになることがあろうもしれぬと明石夫 人はその手紙を取り出した。
 「変わった梵字とか申すような字はこれに似ておりますが読みにくい字で書かれましたもの でも御参考になることが混じっているようでございますからお目にかけます。昔の別れにもも う今日のあることを申しておりまして、あきらめたつもりでおりましても、やはりまた悲しゅ
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うございます」
 と言い、感じの悪くない程度に泣いた。院は手にお取りになって、
 「りっぱじゃありませんか。老いぼけてなどいないいい字だ。どんな芸にも達しておられて、 尊敬さるべき人なのだが、処世の術だけはうまくゆかなかった人だね。あの人の祖父の大臣は 賢明な政治家だったのが、ある一つのことで失敗をされたために、その報いで子孫が栄えない などと言う人もあったが、女系をもってすれば繁栄でないとは言われなくなったのも、あの人 の信仰が御仏を動かしたといってよいことですね」
 などと言い、涙をぬぐいながら読んでおいでになったが、夢の話の所はことに院の御注意を 惹いた。常人の行ないができずに、むやみに思い上がった望みを持つ男であると人の批難を受 け、自分なども非常識に狂気じみて結婚を強要する人だと疑って思っていたことも、姫君が生 まれてきたことで、前生の因縁がかくあった間柄であると認めたのであるが、なおそれ以外の 未来にどんな望みを入道が持っているかは知らずにいたが、これで見れば初めから君王の母が その家から出る確信があったらしい。冤罪を蒙って漂泊してまわる運命を自分が負ったことも、 この姫君が明石で生まれるためなのであった。神仏にかけた願はどんなものであったのであろ うと、心で拝をなされながらその箱を院はお取りになった。
 「これといっしょにあなたに見せておきたいものもありますから、またそのうち私からもお 話しすることにしよう」
 と院は姫君へお言いになった。そのついでに、
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 「もうあなたは自分の生まれてきた事情を明らかに知ることができたでしょうが、あちらの お母様の好意をおろそかに思ってはなりませんよ。真実の親子、肉身の仲でなくて、他人が少 しでも愛してくれ、親切にしてくれるのはありがたいことだと思わなければならない。まして 実母があなたのそばへ来たあとまでも初めどおりにあなたを愛することが変わらずに、あなた に幸福があるようにとばかりあの人は願っています。昔からある継母話のように、表面だけを 賢そうにして継子の世話をする、それはまあよいと見られている母親も、また曲がった心で娘 を苦しめている母親も、娘のほうで善意にばかりものを解釈して信頼してやれば、こんな人を 憎んでは罪になるという気がして反省するのがありますし、またよい性格の人であれば、継娘 に気に入らぬ所はあっても、母として信頼される立場になっては、いつとなく最初の態度を変 えるのもあるでしょう。何でもないことに難くせをつけ、愛の皆無な思いやりのない継母でと うてい娘のほうから近づけないのもあるでしょう。私はそうたくさん女の人を知っているので はないが、とにかく私の知っている人で、生まれもよく、婦人としての見識も備わった人で、 またそれぞれの長所を持った人でも、自分の娘を託しうる人をその中から選び出すのは困難で す。真に心の癖のないよい女性は対のお母様以外にありません。これこそ善良な女性というべ きだと私は信じている。善良といっても単にお人よしの締まりのない人は頼みになりません」
 と訓えておいでになるのを聞いていて、紫夫人の偉さが明石にうなずかれた。
 「あなただけはその訳もわかる人なのだから、仲よくしてこの方のお世話もいっしょにして ください」
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 とまた小声で明石へお言いになった。
 「ただ今まで仰せにはなりませんが女王様の御好意がよくわかるものでございますから、毎 度そのことをお話しいたしております。私を失礼な女と思召すのでございましたら、この方を これほどにお愛しにもならないでございましょうが、自分で片腹痛く存じますまでに私を御同 等な人のようにお扱いくださいますから、私は恐縮いたすばかりでございます。何の価値もな い私などが亡くなりもしませずいつまでも姫君のおそばにおりますのは、世間の聞こえもよろ しくないことと御遠慮がされますのを、女王様の御好意でどうやら邪魔者らしくなくしていら れます」
 と明石が言うと、
 「あなたに尽くす心などはないだろうが、姫君を母として愛する心を今になって分けてもら いたいために譲るところがあるのでしょう。あなたもまた実母の権利を主張なさらないから双 方の間が円満にいって、私はこれほど安心のできることはない。ちょっとしたことにもあさは かな邪推などする人が一人でもあれば周囲の人は迷惑するものですからね。あなたがたには欠 点がないから私は苦心をすることもない」
 この院のお言葉を聞いて、明石は謙遜をしてよかったと思った。院は対のほうへお帰りにな った。
 「ますます女王様に御愛情が傾くようですね。実際だれよりもすぐれた、あらゆるものを具 足した方なのですから、ごもっともだとわれわれでさえ思うというのは幸福な方ですね。宮様
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を表面だけりっぱなお扱いをなすっても、あちらにおいでになることが多いのですもの、もっ たいないことともいわれます。御身分から申しても宮様が一段上の方なのですもの」
 などと姫君に語りながらも、明石はいささか自信を持つことができるのであった。それは姫 君を持っていることにおいてである。高貴な方でさえ飽き足らぬ待遇を受けておいでになる夫 人の中の一人で、薄い院の御愛情などをとやかく自分などは思うべきでないと、そのことでは あきらめができていて、明石の心に悲しく思われるのは深い山へはいった父の入道のことだけ であった。尼君も終わりの文に書かれた良人の一言を頼みにして、未来の世を考えながらも物 思わしくしていた。
 源大将は女三の宮をあるいは得られたかもしれぬ立場にいた人であったから、六条院に来て おいでになるのを無関心でいることもできなかった。院の御子としてその御殿へ近づく機会も あって、それとなく観察しているのであったが、ただ若々しくおおようなという点だけのよさ がある方のようで、壮麗な六条院の本殿へお住ませになって、今後の例になるまで派手な御待 遇をしておいでになっても、それだけの貴女たる価値のありなしをこの人には疑われた。女房 なども落ち着いた年齢の人は少なく、若い美人風、派手な騒ぎをするようなのが数も知れぬほ どお付きしていて、歓楽的な空気の横溢しているお住居であったから、そんな中に内気なおと なしい人が混じって物思いをしていても軽佻に騒ぐ仲間に引かれて、それも同じように朗らか なふうをしていたり、毎日幼稚なお遊びの相手ばかりをしている童女の教養なさなどを院は気 持ちよくは思召さなかったが、一つの趣味の目でものを見ようとされぬ方であったから、それ
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はそれとして許して見ておいでになって、御干渉もあそばさなかった。夫人になられた宮に対 してだけはよくお教えになるのであったから、以前よりは少しごりっぱな方らしくおなりにな った。そんなことが外聞にも知れてくるのを大将は見て、すぐれた人の少ない世だ、紫の女王 がこんなに長い間ごいっしょにおられても、だれにもどんなふうな、どんな女性であるという 想像もさせない重々しさがあって、静かに深みのある女であることを願って、またさすがに明 朗な態度をとり、他を軽侮せず自身の自尊心を傷つけない用意があると思い、何年かの前に野 分の夕べに見た面影が忘れがたかった。自身の夫人を愛する心は変わらなかったが、その人は 相手にしがいのある優越した女性でなかった。恋人を妻にしたあとの安心した気持ちと、その 人ばかりを見ている目の倦怠さで、父君が異なった幾人の夫人を集めておいでになる六条院の 生活がうらやましくて、だれも皆自分の妻よりも相手にしておもしろい人のように思われてな らないのである。その中で姫宮は御身分からいっても最も若い思い上がった大将などには興味 の惹かれる御存在ではあったが、表面をお飾りになるだけの愛情以外の何ものもないような院 の御待遇がこの人によくわかっていて、あるまじい心を起こしたというでもなしに、お顔の見 られる時があればよいとは願っていた。右衛門督も始終六条院へ参っている人であった。この 宮を山の帝がどんなにお愛しあそばしたかもくわしく知っていて、御婿選びの時以来この宮に 好意を持ち、この求婚者には院の帝も決してもってのほかのこととは仰せられなかったという 報は得たのでありながら、宮は六条院へ入嫁されたのを残念に思い、心も傷つけられたほどに 苦しんで、今でも衛門督は恋を捨てていなかった。そのころから心安くなった女房によって、
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宮の御様子を聞くのをはかない慰めにしていたのである。
 「やはり対の夫人とは御競争がおできにならないようだ」
 と世間の人の噂するのが耳にはいる時、もったいなくても自分の妻に得ておれば、そうした 物思いはおさせしなかったはずである。二人とない六条院のようなりっぱな男で自分はないの であるがと、こんなことを言って、始終心安くなっている小侍従という宮の女房を煽動するよ うなことを言い、無常の世であるから、御出家のお志の深い院が御遁世になる場合もあったな ら、自分は女三の宮を得たいと絶えず思っている右衛門督であった。
 三月ごろの空のうららかな日に、六条院へ兵部卿の宮がおいでになり、衛門督もお訪ねして 来た。院はすぐに出てお逢いになった。
 「ひまな私の所などはこの時節などが最も退屈で、気を紛らすことができずに困っていまし たよ。どこも皆無事平穏なのですね。今日はどうして暮らしたらいいだろう」
 などと院はお言いになって、また、
 「今朝大将が来ていたのだがどこにいるだろう。慰めに小弓でも射させたく思っている時に ちょうどそれのできる人たちもまた来ていたようだったが、もう皆出て行ったのだろうか」
 近侍にこうお聞きになった。大将は東の町の庭で蹴鞠をさせて見ているという報告をお聞き になって、
 「乱暴な遊びのようだけれど、見た目に爽快なものでおもしろい」
 とお言いになり、
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 「こちらへ来るように」
 と、院が大将を呼びにおやりになると、すぐに庭で蹴鞠をしていた人たちはこちらへ来た。 若い公達が多かった。
 「鞠もこちらへ持って来ましたか。だれとだれがあちらへ来ているのか」
 大将の所にいた官人たちの名があげられ、
 「それもこちらへ来させましょうか」
 と大将は父君へ申した。寝殿の東側になった座敷には桐壼の方がいたのであるが、若宮をお 伴いして東宮へ参ったあとで、そこは空き間になっていて静かだった。蹴鞠の人たちは流水を 避けて競技によい場所を求めて皆庭へ出た。太政大臣家の公達は頭弁などという成年者も兵衛 佐、太夫の君などという少年上がりの人も混じって来ているが、他に比べて皆風采がきれいで あった。時間がたち日暮れになるまで、この競技に適して風も出ないよい日だと皆言って庭上 の遊びは続いていたが、頭弁も闘志がおさえられなくなったらしくその中へ出て行った。
 「文官の誇りにする弁さえ傍観していられないのだから、高官になっていても若い衛府の人 などはおとなしくしている必要もない。私の青春時代にもそうしたことの仲間にはいりえない のが残念に思われたものだ。しかし軽々しく人を見せるね、この遊びは」
 院がお勧めになるので、大将も衛門督も皆出て、美しい桜の蔭を行き歩いていたこの夕方の 庭のながめはおもしろかった。あまり静かでないこの遊戯であるが、乱暴な運動とは見えない のも所がら人柄によるものなのであろう。趣のある庭の木立ちのかすんだ中に花の木が多く、
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若葉の梢はまだ少ない。遊び気分の多いものであって、鞠の上げようのよし悪しを競って、わ れ劣らじとする人ばかりであったが、本気でもなく出て混じった衛門督の足もとに及ぶ者はな かった。顔がきれいで風采の艶なこの人は十分身の取りなしに注意して鞠を蹴り出すのであっ たが、自然にその姿の乱れるのも美しかった。正面の階段の前にあたった桜の木蔭で、だれも 花のことなどは忘れて競技に熱中しているのを、院も兵部卿の宮も隅の所の欄干によりかかっ て見ておいでになった。それぞれ特長のある巧みさを見せて勝負はなお進んでいったから、高 官たちまでも今日はたしなみを正しくしてはおられぬように、冠の額を少し上へ押し上げたり などしていた。大将も官位の上でいえば軽率なふるまいをすることになるが、目で見た感じは だれよりも若く美しくて、桜の色の直衣の少し柔らかに着馴らされたのをつけて、指貫の裾の ふくらんだのを少し引き上げた姿は軽々しい形態でなかった。雪のような落花が散りかかるの を見上げて、萎れた枝を少し手に折った大将は、階段の中ほどへすわって休息をした。衛門督 が続いて休みに来ながら、
 「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
 などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着き のない若い女房たちが、あちらこちらの御簾のきわによって、透き影に見えるのも、端のほう から見えるのも皆その人たちの派手な色の褄袖口ばかりであった。暮れゆく春への手向けの幣 の袋かと見える。几帳などは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配があまりにもよく外 へ知れるのである。
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 支那産の猫の小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾の下 から出ようとする時、猫の勢いに怖れて横へ寄り、後ろへ退こうとする女房の衣ずれの音がや かましいほど外へ聞こえた。この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につ ながれていて、その綱が几帳の裾などにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするため に、御簾の横があらわに斜に上がったのを、すぐに直そうとする人がない。そこの柱の所にい た女房などもただあわてるだけでおじけ上がっている。几帳より少し奥の所に袿姿で立ってい る人があった。階段のある正面から一つ西になった間の東の端であったから、あらわにその人 の姿は外から見られた。紅梅襲なのか、濃い色と淡い色をたくさん重ねて着たのがはなやかで、 着物の裾は草紙の重なった端のように見えた。桜の色の厚織物の細長らしいものを表着にして いた。裾まであざやかに黒い髪の毛は糸をよって掛けたようになびいて、その裾のきれいに切 りそろえられてあるのが美しい。身丈に七、八寸余った長さである。着物の裾の重なりばかり が量高くて、その人は小柄なほっそりとした人らしい。この姿も髪のかかった横顔も非常に上 品な美人であった。夕明りで見るのであるからこまごまとした所はわからなくて、後ろにはも う闇が続いているようなのが飽き足らず思われた。鞠に夢中でいる若公達が桜の散るのにも頓 着していぬふうな庭を見ることに身が入って、女房たちはまだ端の上がった御簾に気がつかな いらしい。猫のあまりに鳴く声を聞いて、その人の見返った顔に余裕のある気持ちの見える佳 人であるのを、衛門督は庭にいて発見したのである。大将は簾が上がって中の見えるのを片腹 痛く思ったが、自身が直しに寄って行くのも軽率らしく思われることであったから、注意を与
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えるために咳払いをすると、立っていた人は静かに奥へはいった。そうはさせながら大将自身 も美しい人の隠れてしまったのは物足らなかったのであるが、そのうち猫の綱は直されて御簾 も下りたのを見て、大将は思わず歎息の声を洩らした。ましてその人に見入っていた衛門督の 胸は何かでふきがれた気がして、あれはだれであろう、女房姿でない袿であったのによって思 うのでなくて、人と混同すべくもない容姿から見当のほぼつく人を、なおだれであろうか確か に知りたく思った。素知らぬ顔を大将は作っていたが、自分の見た人を衛門督の目にも見ぬは ずはないと思って、その貴女をお気の毒に思った。何ともしがたい恋しく苦しい心の慰めに、 大将は猫を招き寄せて、抱き上げるとこの猫にはよい薫香の香が染んでいて、かわいい声で鳴 くのにもなんとなく見た人に似た感じがするというのも多情多感というものであろう。
 院がこの若い二人の高官のいるほうを御覧になって、
 「高官たちの席があまりに軽々しい。こちらへおいでなさい」
 とお言いになって、対のほうの南の座敷へおはいりになったので人々も皆従って行った。兵 部卿の宮はまた室の中へ院とごいっしょに席を移してお落ち着きになった。高官らもごいっし ょである。殿上役人たちは敷き物を得て縁側の座に着いた。饗応というふうでなく椿餅、梨、 蜜柑などが箱の蓋に載せて出されてあったのを、若い人たちは戯れながら食べていた。乾物類 の肴でお座敷の人々へは酒杯が勧められた。衛門督はじっと思い入ったふうをしていて、とも すれば庭の桜へ目をやった。大将はあの場を共に見た人であったから、衛門督が作っている幻 の何であるかがわかる気もするのであった。軽々しくあまりな端近へ出ておられたものである
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と大将は姫宮をお思いした。あれだけの方がなされることでもないのであるがと思われてくる にしたがって、今まで不可解であったことに合点のゆく気もした。そんな欠点がおありになる ために、世間でたいした方のようにいう割合に院の御愛情が薄いという理由が発見されたので ある。貴女らしいお慎みが足らず、無邪気であることは可憐なものだが、その人の良人になっ ては安心のできないことであろうと軽侮する念も起こった。衛門督は道義も何も思わぬ盲目的 な情熱に燃えていた。思いも寄らぬ物の間からほのかながらも確かにその方を見ることができ たのも、自分の長い間の恋の祈りが神仏に受け入れられた結果であろうと、こんな解釈をしな がらも、ただそれが瞬間のことであったのを残念がった。
 院は座中の人に昔の話をいろいろあそばして、
 「太政大臣は私の相手で勝負をよく争われたものだが、蹴鞠の技術だけはとうてい自分が敵 することのできぬ巧さがおありになった。親のすべてが子に現われてくるものではなかろうが、 やはり芸の道だけは不思議によく伝わるものだね。あなたの今日のできばえはたいしたものだ った」
 と衛門督へお言いになると、微笑を見せて
 「他の点では父祖を恥ずかしめるような私でございますが、遺伝の蹴鞠の芸だけで後世へ名 を残すことになりましたらそれで無事かもしれません」
 と言った。
 「何も悪くはない。どんなことでも人に出抜けたことは書いておいて後世へ伝うべきだか
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ら」
 などと冗談をお言いになる院の御様子の若々しくて、またお美しいのを衛門督は見て、自分 は何によってこの方をおいて宮のお心を自分へ向けることができようと院と自身を比較しても みたが、何からも優越したものを見いだされないのをついに知り、衛門督は寂しい心になって 六条院を退出した。大将も帰りを共にして衛門督と車中で話し合った。
 「春の日の退屈を紛らわすのには六条院へ伺うのがいちばんよいことですね。また今日のよ うなひまの出来た時分、桜の散らぬ間にもう一度来るようにおっしゃっていましたから、春を 惜しみがてらにこの月のうちにもう一度、その時は小弓をお供にお持たせになっていらっしゃ い」
 と大将は言うのであった。道の別れ目までこうして同車して行くのであったが、衛門督は女 三の宮のお噂ばかりがしたくて、
 「院は今でも平生のお住居は対のほうに決めていらっしゃるようですね。宮様はどんな気持 ちでいられるだろう。朱雀院様が御秘蔵になすった方が、第一の寵を他の夫人に譲って、しか も同じ家におられるかと思うとお気の毒ですね」
 こんな無遠慮なことを言い出すと、
 「そんな失礼なことを院はなさいませんよ。対の夫人は普通にお婚りになったのでなく、御 自身でお育てになった方だという事実から、少し違った親しみがおありになるだけでしょう。 宮様を何事の上にでも第一夫人として立てておられますよ」
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 と大将は否定した。
 「そんなことはまあ言わないでお置きなさい。私は皆聞いて知っていますよ。とてもお気の 毒な御様子でおられる時があるのだと言いますよ。光輝ある院の姫君がそれですよ。もったい ない気のするのが当然じゃありませんか。
  いかなれば花に木伝ふ鶯の桜を分きてねぐらとはせぬ
 春の鳥でいながらねえ。私には合点のいかないことですよ」
 とも言う。穏当でないたとえをこの人はする、こんな乱暴なことを言うようになったのは、 自分が想像したとおりに姫君を見た友が恋を覚えたものに違いないと大将は思った。
 「深山木に塒定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき
 あなたは誤解の上に立脚してお言いになるのだ」
 と反対して言ったが、興奮している右衛門督とこの問題を語ることは避くべきであると思い、 あとはほかの話に紛らして別れた。
 衛門督はまだ太政大臣家の東の対に独身で暮らしているのである。結婚にある理想を持って いて長くこうして来たのであるが、時には非常に寂しく心細く思うこともあるものの、自分ほ どの者に思うことのかなわないことはないという自信を多分に持って、そうした寂寥感は心か ら追っているのであった。それがこの日の夕べからは頭が痛み出し、堪えがたい煩悶をいだく
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ようになった。どんな時にまたあれだけの機会がつかめるであろう、どんなことも目だたずに 済む階級の恋人であれば、その人の謹慎日とか、自分の方角除けとか、巧みな策略を作って、 居所へうかがい寄ることもできるのであるが、これは言葉にも言われぬほどの深窓に隠れた貴 女なのであるから、どんな手段でも自分はこれほど愛する心をその人に告げるだけのこともで きようとは思われないと衛門督は思うと胸が痛く苦しくなるあまりに、いつも書く小侍従への 手紙を書いて送った。
 この間は春風に浮かされまして御園のうちへ参りましたが、どんなにその時の私がまた御心
 証を悪くしたことかと悲しまれます。その夕方から私は病気になりまして、続いて今も病床
 にぼんやりと物思いをしております。
 などと書かれてあって、
  よそにみて折らぬ歎きはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ
 という歌も添っていた。宮のお姿を衛門督が見たことなどは知らない小侍従であったから、 ただいつもの物思いという言葉と同じ意味に解した。宮のお居間に女房たちもあまり出ていな いのを見て、小侍従は衛門督の手紙を持って参った。
 「この人がこの手紙にもございますように、今日までもまだあなた様をお思いすることばか りを書いてまいりますので困ります。あまりに気の毒な様子を見せられますと、私まで頭がど うかしてしまいそうで、どんな問違った手引きなどをいたすかしれません」
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 小侍従は笑いながらこう言うのであった。
 「いやなことを言う人ね、おまえは」
 無心なふうにそうお言いになって、宮は小侍従の拡げた手紙をお読みになった。「見ずもあ らず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書いてある所 を御覧になった時に、蹴鞠の日の御簾の端の上がっていたことを思い出すことがおできになり、 お顔が赤くなった。院が何度も、
 「大将に見られないようになさい。あまりにあなたは幼稚にできていらっしゃるから、うっ かりとしていてのぞかれることもあるでしょうから」
 こうお誡めになったのをお思い出しになり、大将からあの時のことが言われた時、院から自 分はどんなにお叱りを受けることであろうと、手紙の主が見たことなどは問題にもあそばさず に、それを心配あそばしたのは幼いお心の宮様である。平生よりもものをお言いにならず黙っ ておしまいになったのを見て、小侍従はつぎほのない気がしたし、この上しいて申し上げてよ いことでもなかったから、そっと手紙を持って行った。そして忍んで返事を書いた。
 この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑をしていらっしゃると思って いたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。
  今さらに色にな出でそ山桜及ばぬ枝に思ひかけきと
 むだなことはおよしなさいませ。
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 こんな手紙である。


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