35巻 若菜(下) 


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      二ごころたれ先づもちてさびしくも悲
      しき世をば作り初めけん  (晶子)
 小侍従が書いて来たことは道理に違いないがまた露骨なひどい言葉だとも衛門督には思われ た。しかももう浅薄な女房などの口先だけの言葉で心が慰められるものとは思われないのであ る。こんな人を中へ置かずに一言でも直接恋しい方と問答のできることは望めないのであろう かと苦しんでいた。限りない尊敬の念を持っている六条院に穢辱を加えるに等しい欲望をこう して衛門督が抱くようになった。
 三月の終わる日には高官も若い殿上役人たちも皆六条院へ参った。気不精になっている衛門 督はこのことを皆といっしょにするのもおっくうなのであったが、恋しい方のおいでになる所 の花でも見れば気の慰みになるかもしれぬと思って出て行った。賭弓の競技が御所で二月にあ りそうでなかった上に、三月は帝の母后の御忌月でだめであるのを残念がっている人たちは、 六条院で弓の遊びが催されることを聞き伝えて例のように集まって来た。左右の大将は院の御 養女の婿であり、御子息であったから列席するのがむろんで、そのために左右の近衛府の中将 に競技の参加者が多くなり、小弓という定めであったが、大弓の巧者な人も来ていたために、 呼び出されてそれらの手合わせもあった。殿上役人でも弓の芸のできる者は皆左右に分かれて 勝ちを争いながら夕ベに至った。春が終わる日の霞の下にあわただしく吹く夕風に桜の散りか
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う庭がだれの心をも引き立てて、大将たちをはじめ、すでに酔っている高官たちが、
 「奥のかたがたからお出しになった懸賞品が皆平凡な品でないのを、技術の専門家にだけ取 らせてしまうのはよろしくない。少し純真な下手者も競争にはいりましょう」
 などと言って庭へ下りた。この時にも衛門督がめいったふうでじっとしているのがその原因 を正確ではないにしても想像のできる大将の目について、困ったことである。不祥事が起こっ てくるのではないかと不安を感じだし、自分までも一つの物思いのできた気がした。この二人 は非常に仲がよいのである。大将のために衛門督が妻の兄であるというばかりでなく、古くか らの友情が互いにあって睦まじい青年たちであるから、一方がなんらかの煩悶にとらえられて いるのを、今一人が見てはかわいそうで堪えられがたくなるのである。衛門督自身も院のお顔 を見ては恐怖に似たものを感じて、恥ずかしくなり、誤った考えにとらわれていることはわが 心ながら許すべきことでない、少しのことにも人を不快にさせ、人から批難を受けることはす まいと決心している自分ではないか、ましてこれほどおそれおおいことはないではないかと心 を鞭うっている人が、また慰められたくなって、せめてあの時に見た猫でも自分は得たい、人 間の心の悩みが告げられる相手ではないが、寂しい自分はせめてその猫を馴つけてそばに置き たいとこんな気持ちになった衛門督は、気違いじみた熱を持って、どうかしてその猫を盗み出 したいと思うのであるが、それすらも困難なことではあった。
 衛門督は妹の女御の所へ行って話すことで悩ましい心を紛らせようと試みた。貴女らしい慎 しみ深さを多く備えた女御は、話し合っている時にも、兄の衛門督に顔を見せるようなことは
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なかった。同胞ですらわれわれはこうして慣らされているのであるが、思いがけないお顔を外 にいる者へ宮のお見せになったことは不思議なことであると、衛門督もさすがに第三者になっ て考えれば肯定できないこととは思われるのであるが、熱愛を持つ人に対してはそれを欠点と は見なされないのである。衛門督は東宮へ伺候して、むろん御兄弟でいらせられるのであるか ら似ておいでになるに違いないと思って、お顔を熱心にお見上げするのであったが、東宮はは なやかな愛嬌などはお持ちにならぬが、高貴の方だけにある上品に艶なお顔をしておいでにな った。帝のお飼いになる猫の幾疋かの同胞があちらこちらに分かれて行っている一つが東宮の 御猫にもなっていて、かわいい姿で歩いているのを見ても、衛門督には恋しい方の猫が思い出 されて、
 「六条院の姫宮の御殿におりますのはよい猫でございます。珍しい顔でして感じがよろしい のでございます。私はちょっと拝見することができました」
 こんなことを申し上げた。東宮は猫が非常にお好きであらせられるために、くわしくお尋ね になった。
 「支那の猫でございまして、こちらの産のものとは変わっておりました。皆同じように思え ば同じようなものでございますが、性質の優しい人馴れた猫と申すものはよろしいものでござ います」
 こんなふうに宮がお心をお動かしになるようにばかり衛門督は申すのであった。
 あとで東宮は淑景舎の方の手から所望をおさせになったために、女三の宮から唐猫が献上さ
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れた。噂されたとおりに美しい猫であると言って、東宮の御殿の人々はかわいがっているので あったが、衛門督は東宮は確かに興味をお持ちになってお取り寄せになりそうであると観察し ていたことであったから、猫のことを知りたく思って幾日かののちにまた参った。まだ子供で あった時から朱雀院が特別にお愛しになってお手もとでお使いになった衛門督であって、院が 山の寺へおはいりになってからは東宮へもよく伺って敬意を表していた。琴など御教授をしな がら、衛門督は、
 「お猫がまたたくさんまいりましたね。どれでしょう、私の知人は」
 と言いながらその猫を見つけた。非常に愛らしく思われて衛門督は手でなでていた。宮は、
 「実際容貌のよい猫だね。けれど私には馴つかないよ。人見知りをする猫なのだね。しかし、 これまで私の飼っている猫だってたいしてこれには劣っていないよ」
 とこの猫のことを仰せられた。
 「猫は人を好ききらいなどあまりせぬものでございますが、しかし賢い猫にはそんな知恵が あるかもしれません」
 などと衛門督は申して、また、
 「これ以上のがおそばに幾つもいるのでございましたら、これはしばらく私にお預からせく ださい」
 こんなお願いをした。心の中では愚かしい行為をするものであるという気もしているのであ る。
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 結局衛門督は望みどおりに女三の宮の猫を得ることができて、夜などもそばへ寝させた。夜 が明けると猫を愛撫するのに時を費やす衛門督であった。人馴つきの悪い猫も衛門督にはよく 馴れて、どうかすると着物の裾へまつわりに来たり、身体をこの人に寄せて眠りに来たりする ようになって、衛門督はこの猫を心からかわいがるようになった。物思いをしながら顔をなが め入っている横で、にょうにょうとかわいい声で鳴くのを撫でながら、愛におごる小さき者よ と衛門督はほほえまれた。
 「恋ひわぶる人の形見と手ならせば汝よ何とて鳴く音なるらん
 これも前生の約束なんだろうか」
 顔を見ながらこう言うと、いよいよ猫は愛らしく鳴くのを懐中に入れて衛門督は物思いをし ていた。女房などは、
 「おかしいことですね。にわかに猫を御寵愛されるではありませんか。ああしたものには無 関心だった方がね」
 と不審がってささやくのであった。東宮からお取りもどしの仰せがあって、衛門督はお返し をしないのである。お預かりのものを取り込んで自身の友にしていた。
 左大将夫人の玉鬘の尚侍は真実の兄弟に対するよりも右大将に多く兄弟の愛を持っていた。 才気のあるはなやかな性質の人で、源大将の訪問を受ける時にも睦まじいふうに取り扱って、 昔のとおりに親しく語ってくれるため、大将も淑景舎の方が羞恥を少なくして打ち解けようと
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する気持ちのないようなのに比べて、風変わりな兄弟愛の満足がこの人から得られるのであっ た。左大将は月日に添えて玉鬘を重んじていった。もう前夫人は断然離別してしまって尚侍が 唯一の夫人であった。この夫人から生まれたのは男の子ばかりであるため、左大将はそれだけ を物足らず思い、真木柱の姫君を引き取って手もとへ置きたがっているのであるが、祖父の式 部卿の宮が御同意をあそばさない。
 「せめてこの姫君にだけは人から譏られない結婚を自分がさせてやりたい」
 と言っておいでになる。帝は御伯父のこの宮に深い御愛情をお持ちになって、宮から奏上さ れることにお背きになることはおできにならないふうであった。もとからはなやかな御生活を しておいでになって、六条院、太政大臣家に続いての権勢の見える所で、世間の信望も得てお いでになった。左大将も第一人者たる将来が約束されている人であったから、式部卿の宮の御 孫女、左大将の長女である姫君を人は重く見ているのである。求婚者がいろいろな人の手を通 じて来てすでに多数に及んでいるが、宮はまだだれを婿にと選定されるふうもなかった。かれ にその気があればと宮が心でお思いになる衛門督は猫ほどにも心を惹かぬのかまったくの知ら ず顔であった。左大将の前夫人は今も病的な、陰気な暮らしを続けて、若い貴女のために朗ら かな雰囲気を作ろうとする努力もしてくれないために、姫君は寂しがって、人づてに聞く継母 の生活ぶりにあこがれを持っていた。こうした明るい娘なのである。
 兵部卿の宮は今も御独身で、熱心にお望みになった相手は皆ほかへ取られておしまいになる 結果になって、世間体も恥ずかしくお思いになるのであったが、この姫君に興味をお感じにな
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り、縁談をお申し入れになると、式部卿の宮は、
 「私はそう信じているのだ。大事に思う娘は宮仕えに出すことを第一として、続いては宮た ちと結婚させることがいいとね。普通の官吏と結婚させるのを頼もしいことのように思って親 たちが娘の幸福のためにそれを願うのは卑しい態度だ」
 とお言いになって、あまり求婚期間の悩みもおさせにならずに御同意になった。兵部卿の宮 はこの無造作な決まり方を物足らぬようにもお思いになったが、軽蔑しがたい相手であったか ら、ずるずる延ばしで話の解消をお待ちになることもおできにならないで、通って行くように おなりになった。式部卿の宮はこの婿の宮を大事にあそばすのであった。宮は幾人もの女王を お持ちになって、その宮仕え、結婚の結果によって苦労をされることの多かったのに懲りてお いでになるはずであるが、最愛の御孫女のためにまたこうした婿かしずきをお始めになったの である。
 「母親は時がたつにしたがって病的な女になろし、父親はそちらの意志には従わない子だと 言ってそまつに見ている姫君だからかわいそうでならぬ」
 などとお言いになって、新夫婦の居間の装飾まで御自身で手を下してなされたり、またお指 図をされたりもするのであった。兵部卿の宮はお亡くしになった先夫人をばかり恋しがってお いでになって、その人に似た新婦を得たいと願っておいでになったために、この姫君を、悪く はないが似た所がないと御覧になったせいか、通っておいでになるのにおっくうなふうをお見 せになった。式部卿の宮は失望あそばした。病人である母君も気分の常態になっている時には
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この娘の思うようでない結婚を歎いて、いよいよ人生をいやなものにきめてしまった。父親の 左大将もこの話を聞いて、自分のあやぶんだとおりの結果になったではないか、多情者の宮様 であるからと思って、初めから自分が賛成しなかった婿であったから困ったことであると歎い ていた。玉鬘夫人は宮のお情けの薄さを継娘の不幸として聞いていながら、自分がもし結婚を してそうした目にあっていたなら、六条院の人々へも、実父の家族へも不名誉なことになるの であったと思った。そして左大将の妻になった運命を悲しむ気もなくなり、継娘に限りなく同 情した。その自分の処女時代にも兵部卿の宮を良人にしようとは少しも思わなかった。ただあ れだけの情熱を運んでくだすった方が、左大将と平凡な夫婦になってしまったことを軽蔑して おいでにならないかとそれ以来恥ずかしく思っていたのであると玉鬘夫人は思い、その宮が継 娘の婿におなりになって、自分のことをどう聞いておいでになるであろうと思うと晴れがまし いような気もするのであった。この夫人からも新婚した姫君の衣裳その他の世話をした。前夫 人がどう恨んでいるかというようなことは知らぬふうにして、長男、次男を中にして好意を寄 せる尚侍に前夫人は友情をすら覚えているのであるが、式部卿の宮家には大夫人という性質の 曲がった人が一人いて、この人は常にだれのことも憎んで、罵言をやめないのである。
 「親王がたというものは一人だけの奥さんを大事になさるということで、派手な生活のでき ない補いにもなろうというものだのに」
 と陰口をするのが兵部卿の宮のお耳にはいった時、不愉快なことを聞く、自分に最愛の妻が あった時代にも他との恋愛の遊戯はやめなかった自分も、こうまではひどい恨み言葉は聞かな
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いでいたとお思いになって、いっそう亡き夫人を恋しく思召すことばかりがつのって、自邸で 寂しく物思いをしておいでになる日が多かった。そうはいうものの二年もその状態で続いて来 た今では、ただそれだけの淡い関係の夫婦として済んで行った。
 歳月が重なり、帝が即位をあそばされてから十八年になった。
 「将来の天子になる子のないことで自分には人生が寂しい。せめて気楽な身の上になって自 分の愛する人たちと始終出逢うこともできるようにして、私人として楽しい生活がしてみた い」
 以前からよくこう帝は仰せられたのであったが、重く御病気をあそばされた時ににわかに譲 位を行なわせられた。世人は盛りの御代をお捨てあそばされることを残念がって歎いたが、東 宮ももう大人になっておいでになったから、お変わりになっても特別変わったこともなかった。 ゆるぎない大御代と見えた。太政大臣は関白職の辞表を出して自邸を出なかった。
 「人生の頼みがたさから賢明な帝王さえ御位をお去りになろのであるから、老境に達した自 分が挂冠するのに惜しい気持ちなどは少しもない」
 と言っていたに違いない。左大将が右大臣になって関白の仕事もした。御母君の女御は新帝 の御代を待たずに亡くなっていたから、后の位にお上されになっても、それはもう物の背面の ことになって寂しく見えた。六条の女御のお生みした今上第一の皇子が東宮におなりになった。 そうなるはずのことはだれも知っていたが、目前にそれが現われてみればまた一家の幸福さに 驚きもされるのであった。右大将が大納言を兼ねて順序のままに左大将に移り、この人も幸福
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に見えた。六条院は御譲位になった冷泉院に御後嗣のないのを御心の中では遺憾に思召された。 実は新東宮だって六条院の御血統なのだが、冷泉院の御在位中には御煩悶もなくて過ごされた ほど、例の密通の秘密は隠しおおされたが、そのかわりにこの御系統が末まで続かぬように運 命づけられておしまいになったのを六条院は寂しくお思いになったが、御口外あそばすことで もないのでただお心で味けなくお感じになるだけであった。東宮の御母女御は皇子たちが多く お生まれになって帝の御寵はますます深くなるばかりであった。またも王氏の人が后にお立ち になることになっていることで、今度で三代にもなっていたから何かと飽き足らぬらしい世論 があるのをお知りになった時、冷泉院の中宮は以前もこうした場合に六条院の強い御支持があ って、自分の后の位は定ったのであると過去を回想あそばしてますます院の恩をお感じになっ た。
 冷泉院の帝は御期待あそばされたとおりに、御窮屈なお思いもなしに御幸などもおできにな ることになって、あちらこちらと御遊幸あそばされて、今日の御境遇ほどお楽しいものはない ようにお見受けされるのであった。帝は六条院においでになる御妹の姫宮に深い関心をお持ち になったし、世間がその方に払う尊敬も大きいのであるが、なお紫夫人以上の夫人として六条 院の御寵を受けておいでになるのではなかった。年月のたつにしたがって女王と宮の御中にこ まやかな友情が生じて、六条院の中は理想的な穏やかな空気に満たされているが、紫夫人は、
 「もう私はこうした出入りの多い住居から退きまして、静かな信仰生活がしたいと思います。 人生とはこんなものということも経験してしまったような年齢にもなっているのですもの、も
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う尼になることを許してくださいませんか」
 と、時々まじめに院へお話しするのであるが、
 「もってのほかですよ。そんな恨めしいことをあなたは思うのですか。それは私自身が実行 したいことなのだが、あなたがあとに残って寂しく思ったり、私といっしょにいる時と違った 世間の態度を悲しく感じたりすることになってはという気がかりがあるために現状のままでい るだけなのですよ。それでもいつか私の実行の日が来るでしょう、あなたはそのあとのことに なさい」
 などとばかり院はお言いになって、夫人の志を妨げておいでになった。女御は今も女王を真 実の母として敬愛していて、明石夫人は隠れた女御の後見をするだけの人になって謙遜さを失 わないでいることは、かえって将来のために頼もしく思われた。尼君もうれし泣きの涙を流す 日が多くて、目もふきただれて幸福な老婆の見本になっていた。
 住吉の神への願果たしを思い立って参詣する女御は、以前に入道から送って来てあった箱を あけて、神へ約した条件を調べてみたが、それにはかなり大がかりなことを多く書き立ててあ った。年々の春秋の神楽とともに必ず長久隆運の祈りをすることなどは、今日の女御の境遇に なっていなければ実行のできぬことであった。ただ走り書きにした文章にも入道の学問と素養 が見え、仏も神も聞き入れるであろうことが明らかに知られた。どうしてそんな世捨て人の心 にこんな望みの楼閣が建てられたのであろうと、子孫への愛の深さが思われもし、神や仏に済 まぬ気もされた。並みの人ではなくてしばらく自分の祖父になってこの世へ姿を現わしただけ
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の、功徳を積んた昔の聖僧ではなかったかなどと思われ、女御に明石の入道を畏敬する心が起 こった。今度はまだ女御の行なうことにはせずに、六条院の参詣におつれになる形式で京を立 ったのであった。
 須磨明石時代に神へお約しになったことは次々に果たされたのであるが、その以後もまた長 く幸運が続き、一門子孫の繁栄を御覧になることによっても神の冥助は忘られずに六条院は紫 の女王も伴って御参詣あそばされるのであって、はなやかな一行である。簡素を旨として国の 煩いになることはお避けになったのであるが、この御身分であってはある所までは必ず備えら れねばならぬ旅の形式があって、自然に大きなことにもなった。公卿も二人の大臣以外は全部 供奉した。神前の舞い人は各衛府の次将たちの中の容貌のよいのを、さらに背丈をそろえてと られたのであった。落選して歎く風流公子もあった。奏楽者も石清水や賀茂の臨時祭に使われ る専門家がより整えられたのであるが、ほかから二人加えられたのは近衛府の中で音楽の上手 として有名になっている人であった。また神楽のほうを受け持つ人も多数に行った。宮中、院、 東宮の殿上役人が皆御命令によって供奉の中にいるのも無数にあった。華奢を尽くした高官た ちの馬、鞍、馬添い侍、随身、小侍の服装までもきらびやかな行列であった。院の御車には紫 夫人と女御をいっしょに乗せておいでになって、次の車には明石夫人とその母の尼とが目だた ぬふうに乗っていた。それには古い知り合いの女御の乳母が陪乗したのである。女房たちの車 は夫人付きの者のが五台、女御のが五台、明石夫人に属したのが三台で、それぞれに違った派 手な味のある飾りと服装が人目に立った。明石の尼君がいっしょに来たのは、
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 「今度の参詣に尼君を優遇して同伴しよう。老人の心に満足ができるほどにして」
 と院がお言い出しになったのであって、はじめ明石夫人は、
 「今度は院と女王様が主になっての御参詣なんですから、あなたなどが混じっておいでにな っては私の立場も苦しくなりますからね、女御さんがもう一段御出世をなすったあとで、その 時に私たちだけでお参りをいたしましょう」
 と言って、尼君をとどめていたのであるが、老人はそれまで長命で生きておられる自信もな く心細がってそっと一行に加わって来たのである。運命の寵児であることがしかるべきことと 思われる女王や女御よりも、明石の母と娘の前生の善果がこの日ほどあざやかに見えたことも なかった。
 十月の二十日のことであったから、中の忌垣に這う葛の葉も色づく時で、松原の下の雑木の 紅葉が美しくて波の音だけ秋であるともいわれない浜のながめであった。本格的な支那楽高麗 楽よりも東遊びの音楽のほうがこんな時にはぴったりと、人の心にも波の音にも合っているよ うであった。高い梢で鳴る松風の下で吹く笛の音もほかの場所で聞く音とは変わって身にしみ、 松風が琴に合わせる拍子は鼓を打ってするよりも柔らかでそして寂しくおもしろかった。伶人 の着けた小忌衣竹の模様と松の緑が混じり、挿頭の造花は秋の草花といっしょになったように 見えるが、「求の子」の曲が終わりに近づいた時に、若い高官たちが正装の袍の肩を脱いで舞 の場へ加わった。黒の上着の下から臙脂、紅紫の下襲の袖をにわかに出し、それからまた下の 袙の赤い袂の見えるそれらの人の姿を通り雨が少しぬらした時には、松原であることも忘れて
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紅葉のいろいろが散りかかるように思われた。その派手な姿に白くほおけた荻の穂を挿してほ んの舞の一節だけを見せてはいったのがきわめておもしろかった。
 院は昔を追憶しておいでになった。中途で不幸な日のあったことも目の前のことのように思 われて、それについては語る人もお持ちにならぬ院は、関白を退いた太政大臣を恋しく思召さ れた。車へお帰りになった院は第二の車へ、
  たれかまた心を知りて住吉の神代を経たる松にこと問ふ
 という歌を懐中紙に書いたのを持たせておやりになった。尼君は心を打たれたように萎れて しまった。今日のはなやかな光景を見るにつけても、明石を源氏のお立ちになったころの歎か わしかったこと、女御が幼児であったころにした悲しい思いが追想されて、運命に恵まれてい ることを知った。そしてまた山へはいった良人も恋しく思われて涙のこぼれる気持ちをおさえ て、
  住の江を生けるかひある渚とは年ふるあまも今日や知るらん
 と書いた。お返事がおそくなっては見苦しいと思い、感じたままの歌をもってしたのである。
  昔こそ先づ忘られね住吉の神のしるしを見るにつけても
 とまた独言もしていた。一行は終夜を歌舞に明かしたのである。二十日の月の明りではるか
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に白く海が見え渡り、霜が厚く置いて松原の昨日とは変わった色にも寒さが感じられて、快く 身にしむ社前の朝ぼらけであった。自邸での遊びには馴れていても、あまり外の見物に出るこ とを好まなかった紫の女王は京の外の旅もはじめての経験であったし、すべてのことが興味深 く思われた。
  住の江の松に夜深く置く霜は神の懸けたる木綿かづらかも
 紫夫人の作である。小野篁の「比良の山さへ」と歌った雪の朝を思って見ると、奉った祭り を神が嘉納された証の霜とも思われて頼もしいのであった。
 女御、
  神人の手に取り持たる榊葉に木綿かけ添ふる深き夜の霜
 中務の君、
  祝子が木綿うち紛ひ置く霜は実にいちじるき神のしるしか
 そのほかの人々からも多くの歌は詠まれたが、書いておく必要がないと思って筆者は省いた。 こんな場合の歌は文学者らしくしている男の人たちの作も、平生よりできの悪いのが普通で、 松の千歳から解放されて心の琴線に触れるようなものはないからである。
 朝の光がさし上るころにいよいよ霜は深くなって、夜通し飲んだ酒のために神楽の面のよう
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になった自身の顔も知らずに、もう篝火も消えかかっている社前で、まだ万歳万歳と榊を振っ て祝い合っている。この祝福は必ず院の御一族の上に形となって現われるであろうとますます はなばなしく未来が想像されるのであった。非常におもしろくて千夜の時のあれと望まれた一 夜がむぞうさに明けていったのを見て、若い人たちは渚の帰る波のようにここを去らねばなら ぬことを残念がった。はるばると長い列になって置かれた車の、垂れ絹の風に開く中から見え る女衣装は花の錦を松原に張ったようであったが、男の人たちの位階によって変わった色の正 装をして、美しい膳部を院の御車へ運び続けるのが布衣たちには非常にうらやましく見られた。 明石の尼君の分も浅香の折敷に鈍色の紙を敷いて精進物で、院の御家族並みに運ばれるのを見 ては、
 「すばらしい運を持った女というものだね」
 などと彼らは仲間で言い合った。おいでになった時は神前へささげられる、持ち運びの面倒 な物を守る人数も多くて、途中の見物も十分におできにならなかったのであったが、帰途は自 由なおもしろい旅をされた。この楽しい旅行に山へはいりきりになった入道を与らせることの できなかったことを院は物足らず思召されたが、それまでは無理なことであろう。実際老入道 がこの一行に加わっているとしたら見苦しいことでなかったであろうか。その人の思い上がっ た空想がことごとく実現されたのであるから、だれも心は高く持つべきであると教訓をされた ようである。いろいろな話題になって明石の人たちがうらやまれ、幸福な人のことを明石の尼 君という言葉もはやった。太政大臣家の近江の君は双六の勝負の賽を振る前には、
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 「明石の尼様、明石の尼様」
 と呪文を唱えた。
 法皇は仏勤めに精進あそばされて、政治のことなどには何の干渉もあそばさない。春秋の 行幸をお迎えになる時にだけ昔の御生活がお心の上に姿を現わすこともあるのであった。女三 の宮をなお気がかりに思召されて、六条院は形式上の保護者と見て、内部からの保護を帝にお 託しになった。それで女三の宮は二品の位にお上げられになって、得させられる封戸の数も多 くなり、いよいよはなやかなお身の上になったわけである。紫夫人は一方の夫人の宮がこんな ふうに年月に添えて勢力の増大していくのに対して、自分はただ院の御愛情だけを力にして今 の所は負け目がないとしても、そのお志というものも遂には衰えるであろう、そうした寂しい 時にあわない前に今のうちに善処したいとは常に思っていることであったが、あまりに賢がる ふうに思われてはという遠慮をして口へたびたびは出さないのである。院は法皇だけでなく帝 までが関心をお持ちになるということがおそれおおく思召されて、冷淡にする噂を立てさすま いというお心から、今ではあちらへおいでになることと、こちらにおられることとがちょうど 半々ほどになっていた。道理なこととは思いながらもかねて思ったとおりの寂しい日の来始め たことに女王は悲しまれたが、表面は冷静に以前のとおりにしていた。東宮に次いでお生まれ になった女一の宮を紫夫人は手もとへお置きしてお育て申し上げていた。そのお世話の楽しさ に院のお留守の夜の寂しさも慰められているのであった。御孫の宮はどの方をも皆非常にかわ いく夫人は思っているのである。花散里夫人は紫夫人も明石夫人も御孫宮がたのお世話に没頭
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しているのがうらやましくて、左大将の典侍に生ませた若君を懇望して手もとへ迎えたのを愛 して育てていた。美しい子でりこうなこの孫君を院もおかわいがりになった。院は御子の数が 少ないように見られた方であるが、こうして広く繁栄する御孫たちによって満足をしておいで になるようである。右大臣が院を尊敬して親しくお仕えすることは昔以上で、玉鬘ももう中年 の夫人になり、何かの時には六条院へ訪ねて来て紫夫人にも逢って話し合うほかにも親しみ深 い往来が始終あった。姫宮だけは今日もなお少女のようなたよりなさで、また若々しさでおい でになった。もう宮廷の人になりきってしまった女御に気づかいがなくおなりになった院は、 この姫宮を幼い娘のように思召して、この方の教育に力を傾けておいでになるのであった。
 朱雀院の法皇はもう御命数も少なくなったように心細くばかり思召されるのであるが、この 世のことなどはもう顧みないことにしたいとお考えになりながらも、女三の宮にだけはもう一 度お逢いあそばされたかった。このまま亡くなって心の残るのはよろしくないことであるから、 たいそうにはせず宮が訪ねておいでになることをお言いやりになった。院も、
 「ごもっともなことですよ。こんな仰せがなくともこちらから進んでお伺いをなさらなけれ ばならないのに、ましてこうまでお待ちになっておられるのだから、実行しないではお気の毒 ですよ」
 とお言いになり、機会をどんなふうにして作ろうかと考えておいでになった。何でもなくそ っと伺候をするようなことはみすぼらしくてよろしくない。法皇をお喜ばせかたがた外見の整 ったことがさせたいとお思いになるのである。来年法皇は五十におなりになるのであったから、
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若菜の賀を姫宮から奉らせようかと院はお思いつきになって、それに付帯した法会の布施にお 出しになる法服の仕度をおさせになり、すべて精進でされる御宴会の用意であるから普通のこ とと変わって、苦心の払われることを今からお指図になっていた。昔から音楽がことにお好き な方であったから、舞の人、楽の人にすぐれたのを選定しようとしておいでになった。右大臣 家の下の二人の子、大将の子を典侍腹のも加えて三人、そのほかの御孫も七歳以上の皆殿上勤 めをさせておいでになった。それらと、兵部卿の宮のまだ元服前の王子、そのほかの親王がた の子息、御親戚の子供たちを多く院はお選びになった。殿上人たちの舞い手も容貌がよくて芸 のすぐれたのを選りととのえて多くの曲の用意ができた。非常な晴れな場合と思ってその人た ちは稽古を励むために師匠になる専門家たちは、舞のほうのも楽のほうのも繁忙をきわめてい た。女三の宮は琴の稽古を御父の院のお手もとでしておいでになったのであるが、まだ少女時 代に六条院へお移りになったために、どんなふうにその芸はなったかと法皇は不安に思召して、
 「こちらへ来られた時に宮の琴の音が聞きたい。あの芸だけは仕上げたことと思うが」
 と言っておいでになることが宮中へも聞こえて、
 「そう言われるのは決して平凡なお手並みでない芸に違いない。一所懸命に法皇の所へ来て お弾きになるのを自分も聞きたいものだ」
 などと仰せられたということがまた六条院へ伝わって来た。院は、
 「今までも何かの場合に自分からも教えているが、質はすぐれているがまだたいした芸にな っていないのを、何心なくお伺いされた時に、ぜひ弾けと仰せになった場合に、恥ずかしい結
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果を生むことになってはならない」
 とお言いになって、それから女三の宮に熱心な琴の教授をお始めになった。変わったものを 二、三曲、また大曲の長いのが四季の気候によって変わる音、寒い時と空気の暖かい時によっ ての弾き方を変えねばならぬことなどの特別な奥義をお教えになるのであったが、初めはたよ りないふうであったものの、お心によくはいってきて上手におなりになった。昼は人の出入り の物音の多さに妨げられて、絃を揺すったり、おさえて変わる音の繊細な味を研究おさせにな るのに不便なために、夜になってから静かに教うべきであるとお言いになって、女王の了解を お求めになって院はずっと宮の御殿のほうへお泊まりきりになり、朝夕のお稽古の世話をあそ ばされた。女御にも女王にも琴はお教えにならなかったのであったから、このお稽古の時に珍 しい秘曲もお弾きになるのであろうことを予期して、女御も得ることの困難なお暇をようやく しばらく得て帰邸したのであった。もう皇子を二人お持ちしているのであるが、また妊娠して 五月ほどになっていたから、神事の多い季節は御遠慮したいと言ってお暇を願って来たのであ る。
 十一月が過ぎるともどるようにと宮中からの御催促が急であるのもさしおいて、このごろの 楽の音のおもしろさに女御は六条院を去りがたいのであった。なぜ自分には教えていただけな かったのかと院を恨めしくお思いもしていた。普通と変わって冬の月を最もお好みになる院は、 雪のある月夜にふさわしい琴の曲をお弾きになって、女房の中の楽才のあるのに他に楽器で合 奏をさせたりして楽しんでおいでになった。
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 年末などはことに対の女王が忙しくていっさいの心配りのほかに、女御、宮たちのための春 の仕度に追われて、
 「春ののどかな気分になった夕方などにこの琴の音をよくお聞きしたい」
 などと言っていたが年も変わった。
 年の初めにまず帝からのはなやかな御賀を法皇はお受けになることになっていて、差し合っ てはよろしくないと院は思召し、少したった二月の十幾日のころと姫宮の奉られる賀の日をお 定めになり、楽の人、舞い手は始終六条院へ来てその下稽古を熱心にする日が多かった。
 「対の女王がいつもお聞きしたがっているあなたの琴と、その人たちの十三絃や琵琶を一度 合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度よ り純真なものを持っていませんよ。私はたいした音楽者ではないが、すべての芸に通じておき たいと思って、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大 家たちにも教えを乞うたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるのはなかった。 その時代よりもまた現在では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。 琴などはまして稽古をする者がなくなったということですからあなただけ弾ける人はあまりな いでしょう」
 と院がお言いになると、宮は無邪気に微笑んで、自分の芸がこんなにも認められるようにな ったかと喜んでおいでになった。もう二十一、二でおありになるのであるが、幼稚な所が抜け ないで、そして見たお姿だけは美しかった。
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 「長くお目にかからないでおいでになるのだから、大人になってりっぱになったと認めてい ただけるようにしてお目にかからなければいけませんよ」
 と事に触れて院は教えておいでになるのであった。実際こうした良人がおいでにならなけれ ば外間のいろいろな噂にさえされる方であったかもしれぬと女房たちは思っていた。
 一月の二十日過ぎにはもうよほど春めいてぬるい微風が吹き、六条院の庭の梅も盛りになっ ていった。そのほかの花も木も明日の約されたような力が見えて、杜は霞み渡っていた。
 「二月になってからでは賀宴の仕度で混雑するであろうし、こちらだけですることもその時 の下調べのように思われるのも不快だから、今のうちがよい、あちらで会をなさい」
 と院はお言いになって女王を寝殿のほうへお誘いになった。供をしたいという希望者は多か ったが、寝殿の人と知り合いになっている以外の人は残された。少し年はいっている人たちで あるがりっぱな女房たちだけが夫人に添って行った。童女は顔のいい子が四人ついて行った。 朱色の上に桜の色の汗袗を着せ、下には薄色の厚織の袙、浮き模様のある表袴、肌には槌の打 ち目のきれいなのをつけさせ、身の姿態も優美なのが選ばれたわけであった。女御の座敷のほ うも春の新しい装飾がしわたされてあって、華奢を尽くした女房たちの姿はめざましいもので あった。童女は臙脂の色の汗袗に、支那綾の表袴で、袙は山吹色の支那錦のそろいの姿であっ た。明石夫人の童女は目だたせないような服装をさせて、紅梅色を着た者が二人、桜の色が二 人で、下は皆青色を濃淡にした袙で、これも打ち目のでき上がりのよいものを下につけさせて あった。姫宮のほうでも女御や夫人たちの集まる日であったから、童女の服装はことによくさ
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せてお置きになった。青丹の色の服に、柳の色の汗袗で、赤紫の袙などは普通の好みであった が、なんとなく気高く感ぜられることは疑いもなかった。縁側に近い座敷の襖子をはずして、 貴女たちの席は几帳を隔てにしてあった。中央の室には院の御座が作られてある。今日の拍子 合わせの笛の役には子供を呼ぼうとお言いになって、右大臣家の三男で玉鬘夫人の生んだ上の ほうの子が笙の役をして、左大将の長男に横笛の役を命じ縁側へ置かれてあった。演奏者の茵 が皆敷かれて、その席へ院の御秘蔵の楽器が紺錦の袋などから出されて配られた。明石夫人は 琵琶、紫の女王には和琴、女御は箏の十三絃である。宮はまだ名楽器などはお扱いにくいであ ろうと、平生弾いておいでになるので調子を院がお弾き試みになったのをお配らせになった。 院は、
 「箏の琴は絃がゆるむわけではないが、他の楽器と合わせる時に琴柱の場所が動きやすいも のなのだから、初めからその心得でいなければならないが、女の力では十分締めることがむず かしいであろうから、やはりこれは大将に頼まなければなるまい。それに拍子を受け持ってい る少年たちもあまり小さくて信用のできない点もあるから」
 とお笑いになりながら、
 「大将にこちらへ」
 とお呼び出しになるのを聞いて、夫人たちは恥ずかしく思っていた。明石夫人以外は皆院の 御弟子なのであるから、院も大将が聞いて難のないようにとできばえを祈っておいでになった。 女御は平生から陛下の前で他の人と合奏も仕馴れているからだいじょうぶ落ち着いた演奏はで
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きるであろうが、和琴というものはむずかしい物でなく、きまったことがないだけ創作的の才 が必要なのを、女の弾き手はもてあましはせぬか、春の絃楽は皆しっくり他に合ってゆかねば ならぬものであるが、和琴がうまくいっしょになってゆかぬようなことはないかとも損な弾き 手に同情もしておいでになった。
 左大将は晴れがましくて、音楽会のいかなる場合に立ち合うよりも気のつかわれるふうで、 きれいな直衣を薫香の香のよく染んだ衣服に重ねて、なおも袖をたきしめることを忘れずに整 った身姿のこの人が現われて来たころはもう日が暮れていた。感じのよい早春の黄昏の空の下 に梅の花は旧年に見た雪ほどたわわに咲いていた。ゆるやかな風の通り通うごとに御簾の中の 薫香の香も梅花の匂いを助けるように吹き迷って鶯を誘うかと見えた。御簾の下のほうから箏 の琴のさきのほうを少しお出しになって、院が、
 「失礼だがこの絃の締まりぐあいをよく見て調音をしてほしい。他人に来てもらうことので きない場合だから」
 とお言いになると、大将はうやうやしく琴を受け取って、一越調の音に発の絃の標準の柱を 置き全体を弾き試みることはせずにそのまま返そうとするのを院は御覧になって、
 「調子をつけるだけの一弾きは気どらずにすべきだよ」
 と院がお言いになった。
 「今日の会に私がいささかでも音を混ぜますようなだいそれた自信は持っておりません」 大将は遠慮してこう言う。
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 「もっともだけれども、女だけの音楽に引きさがった、逃げたと言われるのは不名誉だろ う」
 院はお笑いになった。で大将は調子をかき合わせて、それだけで御簾の中へ入れた。院の御 孫にあたる小さい人たちが美しい直衣姿をして吹き合わせる笛の音はまだ幼稚ではあるが、有 望な未来の思われる響きであった。かき合わせが済んでいよいよ合奏になったが、どれもおも しろく思われた中に、琵琶はすぐれた名手であることが思われ、神さびた撥使いで澄み切った 音をたてていた。大将は和琴に特別な関心を持っていたが、それはなつかしい、柔らかな、愛 嬌のある爪音で、逆にかく時の音が珍しくはなやかで、大家のもったいらしくして弾くのに少 しも劣らない派手な音は、和琴にもこうした弾き方があるかと大将の心は驚かされた。深く精 進を積んだ跡がよく現われたことによって院は安心をあそばされて夫人をうれしくお思いにな った。十三絃の琴は他の楽器の音の合い間合い間に繊細な響きをもたらすのが特色であって、 女御の爪音はその中にもきわめて美しく艶に聞こえた。琴は他に比べては洗練の足らぬ芸と思 われたが、お若い稽古盛りの年ごろの方であったから、確かな弾き方はされて、ほかの楽器と 交響する音もよくて、上達されたものであると大将も思った。この人が拍子を取って歌を歌っ た。院も時々扇を鳴らしてお加えになるお声が昔よりもまたおもしろく思われた。少し無技巧 的におなりになったようである。大将も美音の人で、夜のふけてゆくにしたがって音楽三昧の 境地が作られていった。月がややおそく出るころであったから、燈籠が庭のそこここにともさ れた。院が宮の席をおのぞきになると、人よりも小柄なお姿は衣服だけが美しく重なっている
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ように見えた。はなやかなお顔ではなくて、ただ貴族らしいお美しさが備わり、二月二十日ご ろの柳の枝がわずかな芽の緑を見せているようで、鶯の羽風にも乱れていくかと思われた。桜 の色の細長を着ておいでになるのであるが、髪は右からも左からもこぼれかかってそれも柳の 糸のようである。これこそ最上の女の姿というものであろうと院はおながめになるのであった が、女御には同じような艶な姿に今一段光る美の添って見える所があって、身のとりなしに気 品のあるのは、咲きこぼれた藤の花が春から夏に続いて咲いているころの、他に並ぶもののな い優越した朝ぼらけの趣であると院は御覧になった。この人は身ごもっていて、それがもうか なりに月が重なって悩ましいころであったから、済んだあとでは琴を前へ押しやって苦しそう に脇息へよりかかっているのであるが、背の高くない身体を少し伸ばすようにして、普通の大 きさの脇息へ寄っているのが気の毒で、低いのを作り与えたい気もされて憐まれた。紅梅の上 着の上にはらはらと髪のかかった灯かげの姿の美しい横に、紫夫人が見えた。これは紅紫かと 思われる濃い色の小袿に薄臙脂の細長を重ねた裾に余ってゆるやかにたまった髪がみごとで、 大きさもいい加減な姿で、あたりがこの人の美から放射される光で満ちているような女王は、 花にたとえて桜といってもまだあたらないほどの容色なのである。こんな人たちの中に混じっ て明石夫人は当然見劣りするはずであるが、そうとも思われぬだけの美容のある人で、聡明ら しい品のよさが見えた。柳の色の厚織物の細長に下へ萌葱かと思われる小袿を着て、薄物の簡 単な裳をつけて卑下した姿も感じがよくて侮ずらわしくは少しも見えなかった。青地の高麗錦 の縁を取った敷き物の中央にもすわらずに琵琶を抱いて、きれいに持った撥の尖を絃の上に置
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いているのは、音を聞く以上に美しい感じの受けられることであって、五月の橘の花も実もつ いた折り枝が思われた。いずれもつつましくしているらしい内のものの気配に大将の心は惹か れるばかりであった。紫の女王の美は昔の野分の夕べよりもさらに加わっているに違いないと 思うと、ただその一事だけで胸がとどろきやまない。女三の宮に対しては運命が今少し自分に 親切であったなら、自身のものとしてこの方を見ることができたのであったと思うと、自身の 臆病さも口惜しかった。朱雀院からはたびたびそのお気持ちを示され、それとなく仰せになっ たこともあったのであるがと思いながらも、よく隙の見えることを知っていては女王に惹かれ たほど心は動きもしないのであった。女王とはだれも想像ができぬほど遠い間隔のある所に置 かれている大将は、その忘れがたい感情などは別として、せめて自分の持つ好意だけでも紫の 女王に認めてもらうだけを望んでできないのを考えては煩悶しているのである。あるまじい心 などはいだいていない、その思いを抑制することはできる人である。
 夜がふけてゆくらしい冷ややかさが風に感ぜられて臥待月が上り始めた。
 「たよりない春の朧月夜だ。秋のよさというのもまたこうした夜の音楽と虫の音がいっしょ に立ち上ってゆく時にあるものだね」
 と院は大将に向かってお言いになった。
 「秋の明るい月夜には、音楽でも何の響きでも澄み通って聞こえますが、あまりきれいに作 り合わせたような空とか、草花の露の色とかは、専念に深く音楽を味わわせなくなる気もいた します。やはり春のたよりない雲の間から朧な月が出ますほどの夜に、静かな笛の音などの上
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ってゆくのを聞きますほうが、音楽そのものを楽しむのにはよいかと思われます。女は春を憐 むという言葉がございますがもっともなことと思われます。すべてのものの調子がしっくり合 うのは春の夕方に限るように考えられますが」
 と大将が言うと、
 「それは断定的には言えないことだ。古人でさえ決めかねたことなのだから、末世のわれわ れの力で正しい批判のできるわけもない。ただ音楽のほうでは秋の律の曲を、春の呂の曲の下 に置かれていることだけは今君が言ったような理由があるからだろう」
 院はこう仰せられた。また、
 「どう思うかね。現在の優秀な音楽家とされている人たちの、宮中などのお催しなどの場合 に演奏を命ぜられる人のを聴いても名人だと思われるのは少なくなったようだが、先輩につい てよく研究をしようとするような熱心が足りないのかね。今日のような女ばかりの音楽の会に 交じっても、格別きわだつと思われる人があるようにも思われない。しかしそれは近年の私が どこへも行かずに一所に引きこもっていて、鑑識が悪く偏してしまったのかもしれないが、と にかく感激を覚えさせられる音楽者のいないのは残念だ。どんな芸事も演ぜられる場所によっ ては平生と違ったできばえを見せるものであるが、最も晴れの場所の宮中でのこのごろの音楽 の遊びに選び出される人たちに、この女性たちのを比べて劣っていると思う点があるかね」
 「それを申し上げたいと思ったのでございますが、しかし頭の悪い私はでたらめを申すこと になるかもしれません。今の世間の者は昔の音楽の盛んな時を知らないからでもありますか衛
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門督の和琴、兵部卿の宮様の琵琶などを激賞いたします。私どもも妙技とはしておりますが、 今晩の皆様の御演奏には驚愕いたしました。はじめはたいしたお遊びでもあるまいと軽く考え ていたためにいっそう感激が大きいのでございましょうか。歌の役はまことに気がさして勤め にくうございました。和琴は太政大臣によってだけすべての楽音を率いるような巧妙な音のた つものと思っておりまして、その境地へは一歩も他の者がはいれないものと思われるむずかし い芸でございますが、今晩のはまた特別なものでございました。結構でした」
 大将はほめた。
 「そんな最大級な言葉でほめられるほどのものではないのだが」
 得意な御微笑が院のお顔に現われた。
 「私にはまずできそこねの弟子はないようだね。琵琶だけは私に骨を折らせた弟子の芸では ないがすぐれたものであったはずだ。意外なところで私の発見した天性の弾き手なのだよ。ず いぶん感心したものだが、そのころよりはまた進歩したようだ」
 こうして皆御自身の功にしてお言いになるのを聞いていて、女房たちなどは肱を互いに突き 合わせたりして笑っていた。
 「すべての芸というものは習い始めると奥の深さがわかって、自分で満足のできるだけを習 得することはとうていできないものなのだが、しかしそれだけの熱を芸に持つ人が今は少ない から、少しでも稽古を積んだことに自身で満足して、それで済ませていくのだが、琴というも のだけはちょっと手がつけられないものなのだよ。この芸をきわめれば天地も動かすことがで
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き、鬼神の心も柔らげ、悲境にいた者も楽しみを受け、貧しい人も出世ができて、富貴な身の 上になり、世の中の尊敬を受けるようなことも例のあることなのだ。この芸の伝わった初めの 間は、これを学ぶ人は皆長く外国へ行っていて、あらゆる困難に打ち勝って、上達しようとし たものだが、そうまでして成功したものの数はわずかだったのだ。実際すぐれた琴の音は月や 星の座を変えさせることもあったし、その時季でなしに霜や雪を降らせたり、黒雲が湧き出し たり、雷鳴がそのためにしたりしたことも昔はあったのだよ。だれも音楽のうちの最高のもの と知っていても、完全にその芸を習いおおせるものが少なかったし、末世にはなるし、今残っ ているのは昔のほんとうのものの断片だけの価値のものかとも思われる。それでもまだ鬼神が 耳をとどめるものになっている琴の稽古をなまじいにして、上達はできずにかえっていろいろ な不幸な終わりを見たりする人があるものだから、琴の稽古をする者は不吉を招くというよう な迷信もできて、近ごろではこの面倒な芸を習う人が少なくなったということだね。遺憾なこ とだ。琴がなくては世の中の音楽が根本の音を持たないものになるのだからね。すべての物は 衰えかけると早い速力で退化する一方なんだから、そんな中で一人の人間だけが熱心にその芸 に志して、高麗、支那と渡り歩いて家族も何も顧みない者になってしまうのも狂的だから、そ れほどはしないでも、この芸がどんなものであるかを知りうるだけのことを私はしたいと思っ て、一曲でも十分に習いうることは困難なものとしても、これにはむずかしい無数の曲目のあ るものなのだから、若くて音楽熱の盛んな年ごろの私は世の中にあるだけの琴の譜を調べたり、 あちらから来ているものは皆手もとへ取り寄せて、それによって研究をしたが、しまいには私
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以上の力のある先生というものもなくなって不便だったものの、独学で勉強をしたが、それで も古人の芸に及ぶものでは少しもなかったのだからね。ましてこれからは心細いものになるだ ろうとこの芸について私は悲しんでいる」
 などと院のお語りになるのを聞いていて大将は自身をふがいなく恥ずかしく思った。
 「今上の親王が御成人になれば、それまで生きているかどうかおぼつかないことだが、その 時に私の習いえただけの琴の芸をお授けしようと願っている。二の宮は今からそうした天分を 持たれるようだから」
 このお言葉を明石夫人は自身の名誉であるように涙ぐんで側聞きをしていたのであった。
 女御は箏を紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、和琴を院がお弾きになる ことになって、第二の合奏は柔らかい気分の派手なものになって、催馬楽の葛城が歌われた。 院が繰り返しの所々で声をお添えになるのが非常に全体を美しいものにした。月の高く上る時 間になり、梅花の美もあざやかになってきた。十三絃の箏の音は、女御のは可憐で女らしく、 母の明石夫人に似た揺の音が深く澄んだ響きをたてたが、女王のはそれとは変わってゆるやか な気分が出て、聴き手の心に酔いを覚えるほどの愛嬌があり、才のひらめきの添ったものであ った。合奏の末段になって呂の調子が律になる所の掻き合わせがいっせいにはなやかになり、 琴は五つの調べの中の五六の絃のはじき方をおもしろく宮はお弾きになって、少しも未熟と思 われる点がなく、よく澄んで聞こえた。春と秋その他のあらゆる場合に変化させねばならぬ弾 法の使いこなしようを院がお教えになったのを誤たずによく会得して弾いておいでになるのに、
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院は誇りをお覚えになった。小さい御孫たちが熱心に笛の役を勤めたのをかわいく院は思召し て、
 「眠くなっただろうのに、今晩の合奏はそう長くしないはずでわずかな予定だったのがつい 感興にまかせて長く続けていて、それも楽音で時間を知るほどの敏感がなく、思わずおそくな って、思いやりのないことをした」
 とお言いになり、笙の笛を吹いた子に酒杯をお差しになり、御服を脱いでお与えになるので あった。横笛の子には紫夫人のほうから厚織物の細長に袴などを添えて、あまり目だたせぬ纏 頭が出された。大将には姫宮の御簾の中から酒器が出されて、宮の御装束一そろいが纏頭にさ れた。
 「変ですね。まず先生に御褒美をお出しにならないで。私は失望した」
 院がこう冗談をお言いになると、宮の几帳の下からお贈り物の笛が出た。院は笑いながらお 受け取りになるのであったが、それは非常によい高麗笛であった。少しお吹きになると、もう 退出し始めていた人たちの中で大将が立ちどまって、子息の持っていた横笛を取ってよい音に 吹き合わせるのが、至芸と思われるこの音を院はうれしくお聞きになり、これもまた自分の弟 子であったと満足されたのであった。
 大将は子供をいっしょに車へ乗せて月夜の道を帰って行ったが、いつまでも第二回のおりの 箏の音が耳についていて、遣る瀬なく恋しかった。この人の妻は祖母の宮のお教えを受けてい たといっても、まだよくも心にはいらぬうちに父の家へ引き取られ、十三絃もはんぱな稽古に
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なってしまったのであるから、良人の前では恥じて少しも弾かないのである。すべておおまか に外見をかまわず暮らしていて、あとへあとへ生まれる子供の世話に追われているのであるか ら、大将は若い妻の感じのよさなどは少しも受け取りえない良人なのである。しかも嫉妬はし て、腹をたてなどする時に天真燗漫な所の見える無邪気な夫人なのであった。
 院は対のほうへお帰りになり、紫夫人はあとに残って女三の宮とお話などをして、明け方に 去ったが、昼近くなるまで寝室を出なかった。
 「宮は上手になられたようではありませんか。あの琴をどう聞きましたか」
 と院は夫人へお話しかけになった。
 「初めごろ、あちらでなさいますのを、聞いておりました時は、まだそうおできになるとは 伺いませんでしたが、非常に御上達なさいましたね。ごもっともですわね、先生がそればかり に没頭していらっしゃったのですものね」
 「そうですね、手を取りながら教えるのだからこんな確かな教授法はなかったわけですね。 あなたにも教えるつもりでいたが、あれは面倒で時間のかかる稽古ですからね、つい実行がで きなかったのだが、院の陛下も琴だけの稽古はさせているだろうと言っておられるということ を聞くと、お気の毒で、せめてそれくらいのことは保護者に選ばれたものの義務としてしなけ ればならないかという気になって、やり始めた先生なのですよ」
 などと仰せられるついでに、
 「小さかったころのあなたを手もとへ置いて、理想的に育て上げたいとは思ったものの、そ
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のころの私にはひまな時間が少なくて、特別なものの先生になってあげることもできなかった し、近年はまたいろいろなことが次から次へと私を駆使して、よく世話もしてあげなかった琴 のできのよかったことで私は光栄を感じましたよ。大将が非常に感心しているのを見たことも うれしくてなりませんでしたよ」
 ともおほめになった。そうした芸術的な能力も豊かである上に、今は一方で祖母の義務を御 孫の宮たちのために忠実に尽くしていて、家庭の実務をとることにも力の不足は少しも見せな い夫人であることを院はお思いになり、こうまで完全な人というものは短命に終わるようなこ ともあるのであると、そんな不安をお覚えになった。多くの女性を御覧になった院が、これほ どにも物の整った人は断じてほかにないときめておいでになる紫の女王であった。夫人は今年 が三十七であった。同棲あそばされてからの長い時間を院は追懐あそばしながら、
 「祈祷のようなことを半生の年よりもたくさんさせて今年は無理をしないようにあなたは慎 むのですね。私がそうしたことは常に気をつけてさせなければならないのだが、ほかのことに 紛れてうっかりとしている場合もあるだろうから、あなた自身で考えて、ああしたいというよ うないくぶん大きな仏事の催しでもあれば、言ってくれればいくらでも用意をさせますよ。北 山の僧都がなくなっておしまいになったことは惜しいことだ。親戚とせずに言ってもりっぱな 宗教家でしたがね」
 ともお言いになった。また、
 「私は生まれた初めからすでにたいそうに扱われる運命を持っていたし、今日になって得て
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いる名誉も物質的のしあわせも珍しいほどの人間ともいってよいが、また一方ではだれよりも 多くの悲しみを見て来た人とも言えるのです。母や祖母と早く別れたことに始まって、いろい ろな悲しいことが私のまわりにはありましたよ。それが罪業を軽くしたことになって、こうし て思いのほか長生きもできるのだと思いますよ。あなたは私とあの別居時代のにがい経験をし てからはもう物思いも煩悶もなかったろうと思われる。お后と言われる人、ましてそれ以下の 宮廷の人には人との競争意識でみずから苦しまない人はないのですよ。親の家にいるままのよ うにして今日まで来たあなたのような気楽はだれにもないものなのですよ。この点だけではあ なたがだれよりも幸福だったということがわかりますか。思いがけなく姫宮をこちらへお迎え しなければならないことになってからは、少しの不愉快はあるでしょうがね、それによって私 の愛はいっそう深まっているのだが、あなたは自身のことだからわかっていないかもしれない。 しかし物わかりのいい人だから理解していてくれるかもしれないと頼みにしていますよ」
 と院がお言いになると、
 「お言葉のように、ほかから見ますれば私としては過分な身の上になっているのですが、心 には悲しみばかりがふえてまいります。それを少なくしていただきたいと神仏にはただそれを 私は祈っているのですよ」
 言いたいことをおさえてこれだけを言った女王に貴女らしい美しさが見えた。
 「ほんとうは私はもう長く生きていられない気がしているのでございますよ。この厄年まで もまだ知らない顔でこのままでいますことは悪いことと知っています。以前からお願いしてい
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ることですから、許していただけましたら尼になります」
 とも夫人は言った。
 「それはもってのほかのことですよ。あなたが尼になってしまったあとの私の人生はどんな につまらないものになるだろう。平凡に暮らしてはいるようなものの、あなたと睦まじくして 生きているということよりよいことはないと私は信じているのです。あなただけをどんなに私 が愛しているかということを、これからの長い時間に見ようと思ってください」
 院がこうお言いになるのを、またもいつもの慰め言葉で自分の信仰にはいる道をおはばみに なると聞いて、夫人の涙ぐんでいるのを院は憐れにお思いになって、いろいろな話をし出して 紛らせようとおつとめになるのであった。
 「そうおおぜいではありませんが、私の接触した比較的優秀な女性について言ってみると、 女は何よりも性質が善良で落ち着いた考えのある人が一等だと思われるが、それがなかなか望 んで見いだせないものなのですよ。大将の母とは少年時代に結婚をして、尊重すべき妻だとは 思っていましたが、仲をよくすることができずに、隔てのあるままで終わったのを、今思うと 気の毒で堪えられないし、残念なことをしたと後悔もしていながら、また自分だけが悪いので もなかったと一方では考えられもするのですよ。りっぱな貴婦人であったことは間違いのない ことで、なんらの欠点はなかったが、ただあまりに整然とととのったのが堅い感じを受けさせ てね。少し賢過ぎるといっていいような人で、話で聞けば頼もしいが、妻にしては面倒な気の するというような女性でしたよ。中宮の母君の御息所は、高い見識の備わった才女の例には思
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い出される人だが、恋人としてはきわめて扱いにくい性格でしたよ。怨むのが当然だと一通り は思われることでも、その人はそのままそのことを忘れずに思いつめて深く恨むのですから、 相手は苦しくてならなかった。自己を高く評価させないではおかないという自尊心が年じゅう 付きまつわっているような気がして、そんな場合に自分は気に入らない男になるかもしれない と、あまりに見栄を張り過ぎるような私になって、そして自然に遠のいて縁が絶えたのですよ。 私が無二無三に進み寄ってあるまじい名の立つ結果を引き起こしたその人の真価を知っている だけなお捨ててしまったのが済まないことに思われて、せめて中宮にはよくお尽くししたいと、 それも前生の約束だったのでしょうが、こうして子にしてお世話を申していることで、あの世 からも私を見直しているでしょうよ。今も昔も浮わついた心から人のために気の毒な結果を生 むことの多い私ですよ」
 なお幾人かの女の上を院はお語りになった。
 「女御のあの後見役はたいしたものではあるまいと軽く見てかかった相手ですが、それが心 の底の底までは見られないほどの深い所のある女でしたからね。うわべは素直らしく柔順には 見えながら、自己を守る堅さが何かの場合に見える怜悧なたちなのですよ」
 と院がお言いになると、
 「ほかの方は見ないのですからわかりませんけれど、あの方にはおりおりお目にかかってい ますが、聡明で聡明で御自身の感情を少しもお見せにならないのに比べて、だれにも友情を押 しつける私をあの方はどう御覧になっていらっしゃるかときまりが悪くてね。しかしとにもか
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くにも女御は私をいいようにだけ解釈してくださるだろうと思っています」
 夫人にとってはねたましく思われた人であった明石夫人をさえこんなに寛大な心で見るよう になったのも、女御を愛する心の深いからであろうと院はうれしく思召した。
 「あなたは恨む心もある人だが思いやりもあるから私をそう困らせませんね。たくさんな女 の中であなたの真似のできる人はない。あまりにりっぱ過ぎるわけですね」
 微笑して院はこうお言いになる。
 夕方になってから、
 「宮がよくお弾きになったお祝いを言ってあげよう」
 と言って、院は寝殿へお出かけになった。自分があるために苦しんでいる人がほかにあるこ となどは念頭になくて、お若々しく宮は琴の稽古を夢中になってしておいでになった。
 「もう琴は休ませておやりなさい。それに先生をよく歓待なさらなければならないでしょう。 苦しい骨折りのかいがあって安心してよいできでしたよ」
 と院はお言いになって、楽器は押しやって寝ておしまいになった。
 対のほうでは寝殿泊まりのこうした晩の習慣で女王は長く起きていて女房たちに小説を読ま せて聞いたりしていた。人生を写した小説の中にも多情な男、幾人も恋人を作る人を相手に持 って、絶えず煩悶する女が書かれてあっても、しまいには二人だけの落ち着いた生活が営まれ ることに皆なっているようであるが、自分はどうだろう、晩年になってまで一人の妻にはなれ ずにいるではないか、院のお言葉のように自分は運命に恵まれているのかもしれぬが、だれも
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最も堪えがたいこととする苦痛に一生付きまとわれていなければならぬのであろうか、情けな いことであるなどと思い続けて、夫人は夜がふけてから寝室へはいったのであるが、夜明け方 から病になって、はなはだしく胸が痛んた。女房が心配して院へ申し上げようと言っているの を、
 「そんなことをしては済みませんよ」
 と夫人はとめて、非常な苦痛を忍んで朝を待った。発熱までもして夫人の容体は悪いのであ るが、院が早くお帰りにならないのをお促しすることもなしにいるうち、女御のほうから夫人 へ手紙を持たせて来た使いに、病気のことを女房が伝えたために、驚いた女御から院へお知ら せをしたために、胸を騒がせながら院が帰っておいでになると、夫人は苦しそうなふうで寝て いた。
 「どんな気持ちですか」
 とお言いになり、手を夜着の下に入れてごらんになると非常に夫人の身体は熱い。昨日話し 合われた厄年のことも思われて、院は恐ろしく思召されるのであった。粥などを作って持って 来たが夫人は見ることすらもいやがった。院は終日病床にお付き添いになって看護をしておい でになった。ちょっとした菓子なども口にせず起き上がらないまま幾日かたった。どうなるこ とかと院は御心配になって祈祷を数知らずお始めさせになった。僧を呼び寄せて加持などもさ せておいでになった。どこが特に悪いともなく夫人は非常に苦しがるのである。胸の痛みの 時々起こるおりなども堪えがたそうな苦しみが見えた。いろいろな養生もまじないもするがき
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きめは見えない。重い病気をしていても時さえたてばなおる見込みのあるのは頼もしいが、こ の病人は心細くばかり見えるのを院は悲しがっておいでになった。もうほかのことをお考えに なる余裕がないために、法皇の賀のことも中止の状態になった。法皇の御寺からも夫人の病を ねんごろにお見舞いになる御使いがたびたび来た。
 夫人の病気は同じ状態のままで二月も終わった。院は言い尽くせぬほどの心痛をしておいで になって、試みに場所を変えさせたらとお考えになって、二条の院へ病女王をお移しになった。 六条院の人々は皆大厄難が来たように、悲しんでいる。冷泉院も御心痛あそばされた。この夫 人にもしものことがあれば六条院は必ず出家を遂げられるであろうことは予想されることであ ったから、大将なども誠心誠意夫人の病気回復をはかるために奔走しているのであった。院が 仰せられる祈祷のほかに大将は自身の志での祈祷もさせていた。少し知覚の働く時などに夫人 は、
 「お願いしていますことをあなたはお拒みになるのですもの」
 と、院をお恨みした。力の及ばぬ死別にあうことよりも、生きながら自分から遠く離れて行 かせるようなことを見ては、片時も生きるに堪えない気があそばされる院は、
 「昔から私のほうが出家のあこがれを多く持っていながら、あなたが取り残されて寂しく暮 らすことを思うのは、堪えられないことなので、こうしてまだ俗世界に残っているのに、逆に あなたが私を捨てようと思うのですか」
 こんなにばかりお言いになって御同意をあそばされないのが悪いのか、夫人の病体は頼み少
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なく衰弱していった。もう臨終かと思われることも多いためにまた尼にさせようかとも院はお 惑いになるのであった。こんなことで女三の宮のほうへは仮の訪問すらあそばされなかった。 どこでも楽器はしまい込まれて、六条院の人々は皆二条のほうへ集まって行った。このお邸は 火の消えたようであった。ただ夫人たちだけが残っているのであるが、これを見れば六条院の はなやかさは紫の女王一人のために現出されていたことのように思われた。女御も二条の院の ほうへ来て御父子で看護をされた。
 「あなたは普通のお身体でないのですから、物怪の徘徊する私の病室などにはおいでになら ないで、早く御所へお帰りなさいね」
 と、病苦の中でも夫人は心配して言うのであった。若宮のおかわいらしいのを見ても夫人は 非常に泣くのであった。
 「大きくおなりになるのを拝見できないのが悲しい。お忘れになるでしょう」
 などと言うのを聞く女御も悲しかった。
 「そんな縁起でもないことを思ってはいけませんよ。悪いようでもそんなことにはならない だろうと思う自身の性格で運命も支配していくことになりますからね。狭い心を持つ者は出世 をしても寛大な気持ちでいられないものだから失敗する。善良な、おおような人は自然に長命 を得ることになる例もたくさんあるのだから、あなたなどにそんな悲しいことは起こってきま せんよ」
 などと院はお慰めになるのであった。神仏にも夫人の善良さ、罪の軽さを告げて目に見えぬ
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加護を祈らせておいでになるのである。修法をする阿闍梨たち、夜居の僧などは院の御心痛の はなはだしさを拝見することの心苦しさに一心をこめて皆祈った。少し快い日が間に五、六日 あって、また悪いというような容体で、幾月も夫人は病床を離れることができなかったから、 やはり助かりがたい命なのかと院はお歎きになった。物怪で人に移されて現われるものもない。 どこが悪いということもなくて日に添えて夫人は衰弱していくのであったから、院は悲しくば かり思召されて、いっさいほかのことはお思いになれなかった。
 あの衛門督は中納言になっていた。衛門督の官も兼ねたままである。当代の天子の御信任を 受けてはなやかな勢力のついてくるにつけても、失恋の苦を忘れかねて、女三の宮の姉君の二 の宮と結婚をした。これは低い更衣腹の内親王であったから、心安い気がして格別の尊敬を妻 に払う必要もないと思って、院からお引き受けをしたのである。普通の人に比べてはすぐれた 女性ではおありになったが初めから心に沁んだ人に変えるだけの愛情は衛門督に起こらなかっ た。ただ人目に不都合でないだけの良人の義務を尽くしているに過ぎないのであった。今も以 前の恋の続きにその方のことを聞き出す道具に使っている女三の宮の小侍従という女は、宮の 侍従の乳母の娘なのである。その乳母の姉が衛門督の乳母であったから、この人は少年のころ から宮のお噂を聞いていた。お美しいこと、父帝が溺愛しておいでになることなどを始終聞か されていたのがこの恋の萌芽になったのである。
 六条院が病夫人と二条の院へお移りになっていて、ひまであろうことを思って小侍従を衛門 督は自邸へ迎えて、熱心に話すのはまたそのことについてであった。
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 「昔から命にもかかわるほどの恋をしていて、しかも都合のよいあなたという手蔓を持って いて、宮様の御様子も聞くことができ、私の煩悶していることも相当にお伝えしてもらってい るはずなのだが、少しも見るに足る効果がないから残念でならない。あなたが恨めしくなるよ。 法皇様さえも、宮様が幾人もの妻の中の一人におなりになって、第一の愛妻はほかの方である というわけで、一人お寝みになる夜が多く、つれづれに暮らしておいでになるのをお聞きにな って、御後悔をあそばしたふうで、結婚をさせるのであったら普通人の忠実な良人を宮のため に選ぶべきだったとお言いになり、女二の宮はかえって幸福で将来が頼もしく見えるではない かと仰せられたということを私は聞いて、お気の毒にも、残念にも思って煩悶しないではいら れないではないか。私の宮さんも御姉妹ではあるが、それはそれだけの方としておくのだよ」
 と衛門督が歎息をしてみせると、小侍従は、
 「まあもったいない。それはそれとしてお置きになって、また何をどうしようというのでし ょう」
 ととがめた。衛門督は微笑を見せて、
 「まあ世の中のことは皆そうしたもので、表も裏もあるものなのだよ。私が三の宮さんの熱 心な求婚者であったことは、法皇様も陛下もよく御承知で、陛下はその時代に十分見込みはあ りそうだよ、とも仰せられたものなのだが、もう少しの御好意が不足していたわけだと私は思 っている」
 などと言う。
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 「それはだめですよ。むずかしいことですよ。運命もありますし、六条院様が求婚者になっ て現われておいでになっては、どの競争者だって勝ち味はないと思いますけれど、あなただけ はたいへんな御自信があったのですね。近ごろになりましてこそ御官服の色が濃くおなりにな ったようでございますがね」
 こんなふうにまくし立てる小侍従の攻撃にはかなわないことを衛門督は思った。
 「もう昔のことは言わないよ。ただね、このごろのようなまたとない好機会にせめてお居間 の近くへまで行って、私の苦しんでいる心を少しだけお話しさせてくれることを計らってくれ ないか。もったいない欲念などは見ていてごらん、もういっさい起こさないことにあきらめて いるのだから、いいだろう」
 「それ以上のもったいない欲心がありますかしら。恐ろしい望みをお起こしになったもので すね、私は出てまいらなければよかった」
 強硬に小侍従は拒む。
 「ひどいことを言うものではないよ。たいそうらしく何を言うのだ。后といっても恋愛問題 をかつてお起こしになった人もないわけではないよ。まして宮中のことではなしさ、ほかから は結構なお身の上に見られておいでになっても、口惜しいこともあれでは多かろうじゃないか。 法皇様からはどのお子様よりも大事がられて御成人なすって、今は同じだけの御身分でない方 と同等の一人の夫人で、しかも最愛の方としてはお扱われにならないというくわしいことを私 は知っているのだよ。人は無常の世界にいるのだから、君が宮の御幸福をこうして守ろうとし
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ていることが皆むだなことになるかもしれないからね。私に冷酷なことを言っておかないほう がいいよ」
 「人ほど大事がられない奥様だとお言いになって、それをあなたの力でよくしていただける というのですか。六条院様と宮様は普通の夫婦というのでもありませんよ。保護者もなく一人 でおいでになりますよりはという思召しで親代わりにお頼みになったのですもの。院がお引き 受けになりましたのもその気持ちでなすったことですもの、つまらないことを言って、結局は 宮様を悪くあなたはおっしゃるのですね」
 ついには腹をたててしまった小侍従の機嫌を衛門督はとっていた。
 「ほんとうのことを言えば、あのまれな美貌の六条院様を良人にお持ちになる宮様に、お目 にかかって自身が好意を持たれようとは考えても何もいないのだよ。ただ一言を物越しに私が お話しするだけのことで、宮様の尊厳をそこねることはないじゃないか。神や仏にでも思って いることを言って咎や罰を受けはしないじゃないか」
 こう言って衛門督は絶対に不浄なことは行なわないという誓いまでも立てて、ひそかに御訪 問をするだけの手引きを頼むのを、初めのうちは強硬にあるまじいことであると小侍従は突き はねていたが、もともとあさはかな若い女房であるから、こうまでも思い込むものかと、熱心 な頼みに動かされて、
 「もしそんなことによいような隙が見つかりましたら御案内いたしましょう。院がおいでに ならぬ晩はお几帳のまわりに女房がたくさんいます。お帳台には必ずだれかが一人お付きして
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いるのですから、どんな時にそうしたよいおりがあるものでしょうかね」
 と困ったように言いながら小侍従は帰って行った。
 どうだろう、どうだろうと毎日のように衛門督から責めて来られる小侍従は困りながらしま いにある隙のある日を見つけて衛門督へ知らせてやった。督は喜びながら目だたぬふうを作っ て小侍従を訪ねて行った。衛門督自身もこの行動の正しくないことは知っているのであるが、 物越しの御様子に触れては物思いがいっそうつのるはずの明日までは考えずに、ただほのかに 宮のお召し物の褄先の重なりを見るにすぎなかったかつての春の夕べばかりを幻に見る心を慰 めるためには、接近して行って自身の胸中をお伝えして、それからは一行の文のお返事を得る ことにもなればというほどの考えで、宮が憐んでくださるかもしれぬというはかない希望をい だいている衛門督でしかなかった。これは四月十幾日のことである。明日は賀茂の斎院の御禊 のある日で、御姉妹の斎院のために儀装車に乗せてお出しになる十二人の女房があって、その 選にあたった若い女房とか、童女とかが、縫い物をしたり、化粧をしたりしている一方では、 自身らどうしで明日の見物に出ようとする者もあって、仕度に大騒ぎをしていて、宮のお居間 のほうにいる女房の少ない時で、おそばにいるはずの按察使の君も時々通って来る源中将が無 理に部屋のほうへ呼び寄せたので、この小侍従だけがお付きしているのであった。よいおりで あると思って、静かに小侍従はお帳台の中の東の端へ衛門督の席を作ってやった。これは乱暴 な計らいである。宮は何心もなく寝ておいでになったのであるが、男が近づいて来た気配をお 感じになって、院がおいでになったのかとお思いになると、その男はかしこまった様子を見せ
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て、帳台の床の上から宮を下へ抱きおろそうとしたから、夢の中でものに襲われているのかと お思いになって、しいてその者を見ようとあそばすと、それは男であるが院とは違った男であ った。これまで聞いたこともおありにならぬような話を、その男はくどくどと語った。宮は気 味悪くお思いになって、女房をお呼びになったが、お居間にはだれもいなかったからお声を聞 きつけて寄って来る者もない。宮はお慄い出しになって、水のような冷たい汗もお身体に流し ておいでになる。失心したようなこの姿が非常に御可憐であった。
 「私はつまらぬ者ですが、それほどお憎まれするのが至当だとは思われません。昔からもっ たいない恋を私はいだいておりましたが、結局そのままにしておけば闇の中で始末もできたの ですが、あなた様をお望み申すことを発言いたしましたために、院のお耳にはいり、その際は もってのほかのこととも院は仰せられませんでした。それも私の地位の低さにあなた様を他へ お渡しする結果になりました時、私の心に受けました打撃はどんなに大きかったでしょう。も うただ今になってはかいのないことを知っておりまして、こうした行動に出ますことは慎んで いたのですが、どれほどこの失恋の悲しみは私の心に深く食い入っていたのか、年月がたてば たつほど口惜しく恨めしい思いがつのっていくばかりで、恐ろしいことも考えるようになりま した。またあなた様を思う心もそれとともに深くなるばかりでございました。私はもう感情を 抑制することができなくなりまして、こんな恥ずかしい姿であるまじい所へもまいりましたが、 一方では非常に思いやりのないことを自責しているのですから、これ以上の無礼はいたしませ ん」
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 こんな言葉をお聞きになることによって、宮は衛門督であることをお悟りになった。非常に 不愉快にお感じにもなったし、怖ろしくもまた思召されもして少しのお返辞もあそばさない。
 「あなた様がこうした冷ややかなお扱いをなさいますのはごもっともですが、しかしこんな ことは世間に例のないことではないのでございますよ。あまりに御同情の欠けたふうをお見せ になれば、私は情けなさに取り乱してどんなことをするかもしれません。かわいそうだとだけ 言ってください。そのお言葉を聞いて私は立ち去ります」
 とも、手を変え品を変え宮のお心を動かそうとして説く衛門督であった。想像しただけでは 非常な尊厳さが御身を包んでいて、目前で恋の言葉などは申し上げられないもののように思わ れ、熱情の一端だけをお知らせし、その他の無礼を犯すことなどは思いも寄らぬことにしてい た督であったにかかわらず、それほど高貴な女性とも思われない、たぐいもない柔らかさと可 憐な美しさがすべてであるような方を目に見てからは、衛門督の欲望はおさえられぬものにな り、どこへでも宮を盗み出して行って夫婦になり、自分もそれとともに世間を捨てよう、世間 から捨てられてもよいと思うようになった。
 少し眠ったかと思うと衛門督は夢に自分の愛している猫の鳴いている声を聞いた。それは宮 へお返ししようと思ってつれて来ていたのであったことを思い出して、よけいなことをしたも のだと思った時に目がさめた。この時にはじめて衛門督は自身の行為を悟ったのである。が宮 はあさましい過失をして罪に堕ちたことで悲しみにおぼれておいでになるのを見て、
 「こうなりましたことによりましても、前生の縁がどんなに深かったかを悟ってくださいま
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せ。私の犯した罪ですが、私自身も知らぬ力がさせたのです」
 不意に猫が端を引き上げた御簾の中に宮のおいでになった春の夕べのことも衛門督は言い出 した。そんなことがこの悲しい罪に堕ちる因をなしたのかと思召すと、宮は御自身の運命を悲 しくばかり思召されるのであった。もう六条院にはお目にかかれないことをしてしまった自分 であるとお思いになることは、非常に悲しく心細くて、子供らしくお泣きになるのを、もった いなくも憐れにも思って、自分の悲しみと同時に恋人の悲しむのを見るのは堪えがたい気のす る督であった。夜が明けていきそうなのであるが、帰って行けそうにも男は思われない。
 「どうすればよいのでしょう。私を非常にお憎みになっていますから、もうこれきり逢って くださらないことも想像されますが、ただ一言を聞かせてくださいませんか」
 宮はいろいろとこの男からお言われになるのもうるさく、苦しくて、ものなどは言おうとし てもお口へ出ない。
 「何だか気味が悪くさえなりましたよ。こんな間柄というものがあるでしょうか」 男は恨めしいふうである。
 「私のお願いすることはだめなのでしょう。私は自殺してもいい気にもとからなっているの ですが、やはりあなたに心が残って生きていましたものの、もうこれで今夜限りで死ぬ命にな ったかと思いますと、多少の悲しみはございますよ。少しでも私を愛してくださるお心ができ ましたら、これに命を代えるのだと満足して死ねます」
 と言って、衛門督は宮をお抱きして帳台を出た。隅の室の屏風を引き拡げ蔭を作っておいて、
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妻戸をあけると、渡殿の南の戸がまだ昨夜はいった時のままにあいてあるのを見つけ、渡殿の 一室へ宮をおおろしした。まだ外は夜明け前のうす闇であったが、ほのかにお顔を見ようとす る心で、静かに格子をあげた。
 「あまりにあなたが冷淡でいらっしゃるために、私の常識というものはすっかりなくされて しまいました。少し落ち着かせてやろうと思召すのでしたら、かわいそうだとだけのお言葉を かけてください」
 衛門督が威嚇するように言うのを、宮は無礼だとお思いになって、何かとがめる言葉を口か ら出したく思召したが、ただ慄えられるばかりで、どこまでも少女らしいお姿と見えた。ずん ずん明るくなっていく。あわただしい気になっていながら、男は、
 「理由のありそうな夢の話も申し上げたかったのですけれど、あくまで私をお憎みになりま すのもお恨めしくてよしますが、どんなに深い因縁のある二人であるかをお悟りになることも あなたにあるでしょう」
 と言って出て行こうとする男の気持ちに、この初夏の朝も秋のもの悲しさに過ぎたものが覚 えられた。
  おきて行く空も知られぬ明けぐれにいづくの露のかかる袖なり
 宮のお袖を引いて督のこう言った時、宮のお心はいよいよ帰って行きそうな様子に楽になっ て、
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  あけぐれの空にうき身は消えななん夢なりけりと見てもやむべく
 とはかなそうにお言いになる声も、若々しく美しいのを聞きさしたままのようにして、出て 行く男は魂だけ離れてあとに残るもののような気がした。
 夫人の宮の所へは行かずに、父の太政大臣家へそっと衛門督は来たのであった。夢と言って よいほどのはかない逢う瀬が、なおありうることとは思えないとともに、夢の中に見た猫の姿 も恋しく思い出された。大きな過失を自分はしてしまったものである。生きていることがまぶ しく思われる自分になったと恐ろしく、恥ずかしく思って、督はずっとそのまま家に引きこも っていた。
 恋人の宮のためにも済まないことであるし、自身としてもやましい罪人になってしまったこ とは取り返しのつかねことであると思うと、自由に外へ出て行ってよい自分とは思われなかっ たのである。陛下の寵姫を盗みたてまつるようなことをしても、これほどの熱情で愛している 相手であったなら、処罰を快く受けるだけで、このやましさはないはずである。そうした咎は 受けないであろうが、六条院が憎悪の目で自分を御覧になることを想像することは非常な恐ろ しい、恥ずかしいことであると衛門督は思っていた。
 貴女と言っても少し蓮葉な心が内にあって、表面が才女らしくもあり、無邪気でもあるよう な見かけとは違った人は誘惑にもかかりやすく、無理な恋の会合を相手としめし合わせてする ことにもなりやすいのであるが、女三の宮は深さもないお心ではあるが、臆病一方な性質から、
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もう秘密を人に発見されてしまったようにも恐ろしがりもし、恥じもしておいでになって、明 るいほうへいざって出ることすらおできにならぬまでになっておいでになって、悲しい運命を 負った自分であるともお悟りになったであろうと思われる。宮が御病気のようであるという知 らせをお受けになって、六条院は、はなはだしく悲しんでおいでになる夫人の病気のほかに、 またそうした心痛すべきことが起こったかと驚いて見舞いにおいでになったが、宮は別にどこ がお悪いというふうにも見えなかった。ただ非常に恥ずかしそうにして、そしてめいっておい でになった。院のお目を避けるようにばかりして、下を向いておいでになるのを、久しく訪ね なかった自分を恨めしく思っているのであろうと、院のお目にそれが憐れにも、いたいたしい ようにも映って、紫夫人の容体などをお話しになり、
 「もうだめになるのでしょう。最後になって冷淡に思わせてやりたくないと考えるものです から付いていっているのですよ。少女時代から始終そばに置いて世話をした妻ですから、捨て ておけない気もして、こんなに幾月もほかのことは放擲したふうで付ききりで看護もしていま すが、またその時期が来ればあなたによく思ってもらえる私になるでしょう」
 などとお言いになるのを、宮は聞いておいでになって、あの罪は気ぶりにもご存じないこと を、お気の毒なことのようにも、済まないことのようにもお思いになって、人知れず泣きたい 気持ちでおいでになった。
 衛門督の恋はあのことがあって以来、ますますつのるばかりで、はげしい煩悶を日夜してい た。賀茂祭りの日などは見物に出る公達がおおぜいで来て誘い出そうとするのであったが、病
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気であるように見せて寝室を出ずに物思いを続けていた。夫人の女二の宮には敬意を払うふう に見せながらも、打ち解けた良人らしい愛は見せないのである。督は夫人の宮のそばでつれづ れな時間をつぶしながらも心細く世の中を思っているのであった。童女が持っている葵を見て、
  悔しくもつみをかしける葵草神の許せる挿頭ならぬに
 こんな歌が口ずさまれた。後悔とともに恋の炎はますます立ちぼるようなわけである。 町々から聞こえてくる見物車の音も遠い世界のことのように聞きながら、退屈に苦しんでもい るのであった。女二の宮も衛門督の態度の誠意のなさをお感じになって、それは何がどうとは おわかりにならないのであるが、御自尊心が傷つけられているようで、物思わしくばかり思召 された。女房などは皆祭りの見物に出て人少なな昼に、寂しそうな表情をあそばして十三絃の 琴を、なつかしい音に弾いておいでになる宮は、さすがに高貴な方らしいお美しさと艶な趣は 備わってお見えになるのであるが、ただもう少しの運が足りなかったのだと衛門督は自身のこ とを思っていた。
  もろかづら落ち葉を何に拾ひけん名は睦まじき挿頭なれども
 こんな歌をむだ書きにしていた。もったいないことである。
 院はまれにお訪ねになった宮の所からすぐに帰ることを気の毒にお思いになり、泊まってお いでになったが、病夫人を気づかわしくばかり思っておいでになる所へ使いが来て、急に息が
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絶えたと知らせた。院はいっさいの世界が暗くなったようなお気持ちで二条の院へ帰ってお行 きになるのであったが、車の速度さえもどかしく思っておいでになると、二条の院に近い大路 はもう立ち騒ぐ人で満たされていた。邸内からは泣き声が多く聞こえて、大きな不祥事のある ことは覆いがたく見えた。夢中で家へおはいりになったが、
 「この二、三日は少しお快いようでございましたのに、にわかに絶息をあそばしたのでござ います」
 こんな報告をした女房らが、自分たちも、いっしょに死なせてほしいと泣きむせぶ様子も悲 しかった。もう祈祷の壇は壊たれて、僧たちもきわめて親しい人たちだけが残ってもそのほか のは仕事じまいをして出て行くのに忙しいふうを見せている。こうしてもう最愛の妻の命は人 力も法力も施しがたい終わりになったのかと、院はたとえようもない悲しみをお覚えになった。
 「しかしこれは物怪の所業だろうと思われる。あまりに取り乱して泣くものでない」
 と院は泣く女房たちを制して、またまた幾つかの大願をお立てになった。そしてすぐれた修 験の僧をお集めになり、
 「これが定まった命数でも、しばらくその期をゆるめていただきたい、不動尊は人の終わり にしばらく命を返す約束を衆生にしてくだすった。それに自分たちはおすがりする。それだけ の命なりとも夫人にお授けください」
 こう僧たちは言って、頭から黒煙を立てると言われるとおりの熱誠をこめて祈っていた。院 も互いにただ一目だけ見合わす瞬間が与えられたい、最後の時に見合わせることのできなかっ
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た残念さ悲しさから長く救われたいと言ってお歎きになる御様子を見ては、とうていこの夫人 のあとにお生き残りになることはむずかしかろうと思われて、そのことをまた人々の歎くこと も想像するにかたくない。
 この院の夫人への大きな愛が御仏を動かしたのか、これまで少しも現われてこなかった物怪 が、小さい子供に憑って来て、大声を出し始めたのと同時に夫人の呼吸は通ってきた。院はう れしくも思召され、また不安でならぬようにも思召された。物怪は僧たちにおさえられながら 言う、
 「皆ここから遠慮をするがよい。院お一人のお耳へ申し上げたいことがある。私の霊を長く 法力で苦しめておいでになったのが無情な恨めしいことですから、懲らしめを見せようと思い ましたが、さすがに御自身の命も危険なことになるまで悲しまれるのを見ては、今こそ私は物 怪であっても、昔の恋が残っているために出て来る私なのですから、あなたの悲しみは見過ご せないで姿を現わしました。私は姿など見せたくなかったのだけれど」
 と物怪は叫んだ。髪を顔に振りかけて泣く様子は、昔一度御覧になった覚えのある物怪であ った。その当時と同じ無気味さがお心に湧いてくるのも恐ろしい前兆のようにお思われになっ て、その子供の手を院はお捉えになって、前へおすわらせになり、あさましい姿はできるだけ 人に見させまいとお努めになった。
 「ほんとうにその人なのか。悪い狐などが故人を傷つけるためにでたらめを言ってくること があるから、確かなことを言うがいい。他人の知らぬことで私にだけ合点のゆくことを何か言
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ってみるがいい。そうすれば少しは信じてもいい」
 院がこうお言いになると、物怪はほろほろと涙を流しながら、悲しそうに泣いた。
 「わが身こそあらぬさまなれそれながら空おぼれする君は君なり
 恨めしい、恨めしい」
 と泣き叫びながらもさすがに羞恥を見せるふうが昔の物怪に違う所もなかった。嘘でないこ とからかえってうとましい気がよけいにして情けなくお思われになるので、ものを多く言わす まいと院はされた。
 「中宮に尽くしてくださいますことはうれしい、ありがたいこととはあの世からも見ており ますが、あの世界の人になっては子の愛というものを以前ほど深くは感じないのですか、恨め しいとお思いしたあなたへの執着だけがこんなふうにもなって残っています。その恨みの中で も、生きていますころにほかの人よりも軽くお扱いになったことよりも、夫婦のお話の中で私 を悪くお言いになったことが私をくやしくさせました。もう私は死んでいるのですから、私が 悪くってもあなたはよくとりなして言ってくだすっていいではありませんか。そうお恨みした だけで、こんな身になっていますと大形な表示にもなったのです。奥様を深く恨んでいません が、法の護りが強くて近づけないので反抗してみただけです。あなたのお声もほのかに承るこ とができましたからもういいのです。私の罪の軽くなるような方法を講じてください。修法、 読経の声は私にとって苦しい焔になってまつわってくるだけです。尊い仏の慈悲の声に接した
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いのですが、それを聞くことのできないのは悲しゅうございます。中宮にもこのことをお話し くださいませ。後宮の生活をするうちに人を嫉妬するような心を起こしてはならない、斎宮を お勤めになった間の罪を御仏に許していただけるだけの善根を必ずなさい、あの世で苦しむこ とをよく考えなければならないとね」
 などと言うが、物怪に向かってお話しになることもきまり悪くお思いになって、物怪がまた 出ぬように法の力で封じこめておいて、病夫人を他の室へお移しになった。
 紫夫人が死んだという噂がもう世間に伝わって弔詞を述べに来る人たちのあるのを不吉なこ とに院はお思いになった。今日の祭りの帰りの行列を見物に出ていた高官たちが、帰宅する途 中でその噂を聞いて、
 「たいへんなことだ。生きがいのあった幸福な女性が光を隠される日だから小雨も降り出し たのだ」
 などと解釈を下す人もあった。また、
 「あまりに何もかもそろった人というものは短命なものなのだ。『何をさくらに』(待てとい ふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし)という歌のように、そうした人が長生 きしておれば、一方で不幸に甘んじていなければならぬ人も多くできるわけだ。二品の宮が院 の御寵愛を一身にお集めになる日もこれで来るだろう。あまりにお気の毒なふうだったから ね」
 などとも言う人があった。衛門督は引きこもっていた昨日の退屈さに懲りて今日は弟の左大
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弁、参議などの車の奥に乗って見物に出ていた町で、人の言い合っている噂が耳にはいった時 に、この人は一種変わった胸騒ぎがした。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」(何か浮き世に 久しかるべき)などとも口ずさみながら同車の人々とともに二条の院へ参った。まだ確かでな いことであるから、形式を病気見舞いにして行ったのであるが、女房の泣き騒いでいる時であ ったから、真実であったかとさらに驚かれた。ちょうど式部卿の宮がお駈けつけになった時で、 萎れたふうで宮は内へおはいりになった。押し寄せて来た多数の見舞い客の挨拶はまだことご とくは取り次ぎきれずに、家従たちの忙しがっている所へ左大将が涙をふきながら出て来た。
 「どんなふうでいらっしゃるのですか。不吉なことを言う人があるのを私たちは信じること ができないで伺ったのです。ただ長い御疾患を御心配申し上げて参ったのです」
 などと衛門督は言った。
 「重態のままで長く病んでおられたのですが、今朝の夜明けに絶息されたのは、それは物怪 のせいだったのです。ようやく呼吸が通うようになったと言って皆一安心しましたが、まだ頼 もしくは思われないのですからね。気の毒でね」
 と言う大将には実際今まで泣き続けていたという様子が残っていた。目も少しは腫れていた。 衛門督は自身のだいそれた心から、大将が親しむこともなかった継母のことでこうまで悲しむ のは不思議なことであると目をつけた。こんなふうに高官らも見舞いに集まって来たことをお 聞きになって、院からの御挨拶が伝えられた。
 「重い病人に急変が来たように見えましたために女房らが泣き騒ぎをいたしましたので、私
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自身もつい心の平静をなくしているおりからですから、またほかの日に改めて御好意に対する お礼を申しましょう」
 院のお言葉というだけで、もう衛門督の胸は騒ぎ立っていたのである。こうした混雑紛れで なくては自分の来られない場所であることを知っているのであるから腹ぎたないふるまいであ る。
 蘇生したのちをまだ恐ろしいことに院はお思いになって、夫人のためにもろもろの法力の加 護をお求めになった。生霊で現われた時さえも恐ろしかった物怪が、今度は死霊になっている のであるから、宗教画に描かれてある恐ろしい形相も想像されて、気味悪く、情けなく思召さ れた院は、中宮のお世話をされることもこの時だけは気の進まぬことに思召されたが、しかし その人には限らず女というものは皆同じように、人間の深い罪の原因を作るものであるから、 人生のすべてがいやなものに思われるとお考えになり、あれは他人がだれも聞かぬ夫婦の間の 話の中にただ少し言ったことに過ぎなかったのにと、そんなことをお思い出しになると、いよ いよ愛欲世界がうるさくお考えられになるのであった。ぜひ尼になりたいと夫人が望むので、 頭の頂の髪を少し取って、五戒だけをお受けさせになった。戒師が完全に仏の戒めを守る誓い を、仏前で尊い言葉で述べる時に、院は体面もお忘れになり、夫人に寄り添って涙を拭いつつ 夫人とともに仏を念じておいでになったのを見ると、聡明な貴人も御愛妻の病に仏へおすがり になる心は凡人に変わらないことがわかった。どんな方法を講じて夫人の病を救い、長く生命 を保たせようかと夜昼お歎きになるために、院のお顔にも少し痩せが見えるようになった。五
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月などはまして気候が悪くて病夫人の容体がさわやいでいくとも見えなかったが、以前よりは 少しいいようであった。しかもまだ苦しい日々が時々夫人にあった。院は物怪の罪を救うため に、日ごとに法華経一巻ずつを供養させておいでになった。そのほか何かと宗教的な営みを多 くあそばされた。病床のかたわらで不断の読経もさせておいでになるのであって、声のいい僧 を選んでそれにはあてておありになった。一度現われて以来おりおり出て物怪は悲しそうなこ とを言うのであって、全然退いては行かないのである。暑い夏の日になっていよいよ病夫人の 衰弱ははげしくなるばかりであるのを院は歎き続けておいでになった。病に弱っていながらも 院のこの御様子を夫人は心苦しく思い、自分の死ぬことは何でもないがこんなにお悲しみにな るのを知りながら死んでしまうのは思いやりのないことであろうから、その点で自分はまだ生 きるように努めねばならぬと、こんな気が起こったころから、米湯なども少しずつは取ること になったせいか、六月になってからは時々頭を上げて見ることもできるようになった。珍しく うれしくお思いになりながら、なお院は御不安で六条院へかりそめに行って御覧になることも なかった。
 姫宮はあの事件があってから煩悶を続けておいでになるうちに、お身体が常態でなくなって 行った。御病気のようにお見えになるが、それほどたいしたことではないのである。六月にな ってからはお食慾が減退してお顔色も悪くおやつれが見えるようになった。衛門督は思いあま る時々に夢のように忍んで来た。宮のお心には今も愛情が生じているのではおありにならない のである。罪をお恐れになるばかりでなく、風采も地位もそれはこれに匹敵する価値のない人
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であることはむろんであったし、気どって風流男がる表面を見て、一般人からは好もしい美男 という評判は受けていても、少女時代から光源氏を良人に与えられておいでになった宮が、比 較して御覧になっては、それほど価値に思われる顔でもないのであるから、無礼者であるとい う御意識以外の何ものもない相手のために、妊娠をあそばされたというのはお気の毒な宿命で ある。気のついた乳母たちは、
 「たまにしかおいでにならないで、そしてまたこんなふうに重荷を宮様へお負わせになる」
 と院をお恨みしていた。寝んでおいでになることをお知りになって、院は訪ねようとあそば された。
 夫人は暑い時分を清くしていたいと思い、髪を洗ってやや爽快なふうになっていた。そして そのまままた横になっていたのであるから、早くかわかず、まだぬれている髪は少しのもつれ もなく清らかにゆらゆらと、病む麗人に添っていた。青みを帯びた白い顔は美しくてすきとお るような皮膚つきである。虫のもぬけのようにたよりない。しかも長く捨てて置かれた二条の 院は女王の美の輝きで狭げにさえ見えた。昨日今日になって人ごこちが夫人に帰ってきたこと によって院内が活気づいてにわかに流れも木草も繕われだした。そうした庭をながめても、そ れが夏の終わりの景色であるのに病臥していた間の月日の長さが思われた。池は涼しそうで蓮 の花が多く咲き、蓮葉は青々として露がきらきら玉のように光っているのを、院が、
 「あれを御覧なさい。自分だけが爽快がっている露のようじゃありませんか」
 とお言いになるので、夫人は起き上がって、さらに庭を見た。こんな姿を見ることが珍しく
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て、
 「こうしてあなたを見ることのできるのは夢のようだ。悲しくて私自身さえも今死ぬかと思 われた時が何度となくあったのだから」
 と、院が目に涙を浮かべてお言いになるのを聞くと、夫人も身にしむように思われて、
  消え留まるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを
 と言った。
  契りおかんこの世ならでも蓮の葉に玉ゐる露の心隔つな
 これは院のお歌である。六条院へはお気が進まないのであるが、宮中の聞こえと法皇への御 同情から、宮の床についておられる知らせを受けていながら、いっしょに住むほうの妻の大病 の気づかわしさから訪ねて行くこともあまりしなかったのであるから、女王の病のこんなふう に少しよい間にしばらくあちらの家へ行っていようという心におなりになって院はお出かけに なった。
 宮は心の鬼に院の前へ出ておいでになることが恥ずかしく晴れがましくて、ものをお言いに なる返辞もよくされないのを長い絶え間にこの子供らしい人もさすがに恨んでいるのであろう と院は心苦しくお思いになり、慰めることにかかっておいでになった。お世話役の女房をお呼 び出しになり、宮の御不快の経過などを院がお聞きになると、それは妊娠の徴候があってのこ
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 とであるという答えをした。
 「今になって全く珍しいことが起こってきたね」
 とだけ院はお言いになったが、お心の中では長くそばにいる人たちの中にもそうしたことは ないのであるから、不祥なことがこちらで起こっているのではないかというような疑いをお覚 えになりながら、それをくわしく聞こうとはされないで、ただ悪阻に悩む人の若い可憐な姿に 愛を覚えておいでになった。やっと思い立っておいでになったのであるから、すぐにお帰りに なることもできず、二、三日おいでになる間にも、二条の院の女王の容体ばかりがお気づかわ れになって、そのほうへ手紙ばかりを書き送っておいでになった。
 「あんなにもしばらくの間にお言いになる感情がたまるのですかね。宮様をとうとうお気の 毒な方様とお見上げする時が来ましたよ」
 などと宮の御過失などは知らぬ人たちが言う。秘密に携わっている小侍従は院の御滞留の間 を無事に過ごしうるかと胸をとどろかせていた。
 衛門督は院が六条のほうへ来ておいでになることを聞くと、だいそれた嫉妬を起こして、自 己の恋のはげしさをさらに書き送る気になって手紙をよこした。院が暫時対のほうへ行ってお いでになる時で、だれも宮のお居間にいない様子を見て、小侍従はそれを宮にお見せした。
 「いやなものを読めというのね。私はまた気分が悪くなってきているのに」
 こう言って、宮はそのまま横におなりになった。
 「この端書きがあまりに身にしむ文章なんでございますもの」
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 小侍従は衛門督の手紙を拡げた。ほかの女房たちが近づいて来た気配を聞いて、手でお几帳 を宮のおそばへ引き寄せて小侍従は去った。宮のお胸がいっそうとどろいている所へ院までも 帰っておいでになったために、手紙をよくお隠しになる間がなくて、敷き物の下へはさんでお 置きになった。二条の院へ今夜になれば行こうと院はお思いになり、そのことを宮へお言いに なるのであった。
 「あなたはたいしたことがないようですから、あちらはまだあまりにたよりないようなのを 見捨てておくように思われても、今さらかわいそうですから、また見に行ってやろうと思いま す。中傷する者があっても、あなたは私を信じておいでなさいよ。また忠実な良人になる日が 必ずありますよ」
 これまではこんな時にも、子供めいた冗談などをお言いになって、朗らかにしている方なの であったが、非常にめいっておしまいになり、院のほうへ顔を向けようともされないのを、内 にいだく嫉妬の影がさしているとばかり院はお思いになった。昼の座敷でしばらくお寝入りに なったかと思うと、蜩の啼く声でお目がさめてしまった。
 「ではあまり暗くならぬうちに出かけよう」
 と言いながら院がお召しかえをしておいでになると、
 「『月待ちて』(夕暮れは道たどたどし月待ちて云久)とも言いますのに」
 若々しいふうで宮がこうお言いになるのが憎く思われるはずもない。せめて月が出るころま ででもいてほしいとお思いになるのかと心苦しくて、院はそのまま仕度をおやめになった。
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  夕露に袖濡らせとやひぐらしの鳴くを聞きつつ起きて行くらん
 幼稚なお心の実感をそのままな歌もおかわいくて、院は膝をおかがめになって、
 「苦しい私だ」
 と歎息をあそばされた。
  待つ里もいかが聞くらんかたがたに心騒がすひぐらしの声
 などと躊躇をあそばしながら、無情だと思われることが心苦しくてなお一泊してお行きにな ることにあそばされた。さすがにお心は落ち着かずに、物思いの起こる御様子で晩饗はお取り にならずに菓子だけを召し上がった。
 まだ朝涼の間に帰ろうとして院は早くお起きになった。
 「昨日の扇をどこかへ失ってしまって、代わりのこれは風がぬるくていけない」
 とお言いになりながら、昨日のうたた寝に扇をお置きになった場所へ行ってごらんになった が、立ち止まって目をお配りになると、敷き物のある一所の端が少し縒れたようになっている 下から、薄緑の薄様の紙に書いた手紙の巻いたのがのぞいていた。何心なく引き出して御覧に なると、それは男の手で書かれたものであった。紙の匂いなどの艶な感じのするもので、骨を 折った巧妙な字で書かれてあった。二重ねにこまごまと書いたのをよく御覧になると、それは 紛れもない衛門督の手跡であった。院のお座の所で鏡をあけてお見せしている女房は御自分の
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御用の手紙を見ておいでになるものと思っていたが、小侍従がそれを見た時、手紙が昨日の色 であることに気がついた。胸がぶつぶつと鳴り出した。粥などを召し上がる院のほうを小侍従 はもう見ることもできなかった。まさかそうではあるまい、そんな運命の悪戯が不意に行なわ れてよいものか、宮はお隠しになったはずであると小侍従は努めて思おうとしている。宮は何 もお知りにならずになお眠っておいでになるのである。こんな物を取り散らしておいて、それ を自分でない他人が発見すればどうなることであろうとお思いになると、その人が軽蔑されて、 これであるから始終自分はあぶながっていたのである。あさはかな性格はついに堕落を招くに 至ったのであると院は解釈された。
 お帰りになったので、女房たちがあらかた宮のお居間から去った時に、小侍従が来て、
 「昨日の物はどうなさいました。今朝院が読んでいらっしゃいましたお手紙の色がよく似て おりましたが」
 と宮へ申し上げた。はっとお思いになって宮はただ涙だけが流れに流れる御様子である。お かわいそうではあるがふがいない方であると小侍従は見ていた。
 「どこへお置きになったのでございますか。あの時だれかが参ったものですから、秘密があ りそうに思われますまいと、それほどのことは何でもなかったのですが、よいことをしており ませんと心がとがめまして、私は退いて行ったのでございますが、院がお座敷へお帰りになり ましたまでにはちょっと時間があったのでございますもの、お隠しあそばしたろうと安心をし ておりました」
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 「それはね、私が読んでいた時にはいっていらっしゃったものだから、どこへしまうことも できずに下へはさんでおいたのをそのまま忘れたの」
 こう伺った小侍従は、この場合の気持ちをどう表現すればよいかも知らなかった。そこへ行 って見たが手紙のあるはずもない。
 「たいへんでございますね。あちらも非常に恐れておいでになりまして、毛筋ほどでも院の お耳にはいることがあったら申し訳がないと言っておいでになりましたのに、すぐもうこんな ことができたではございませんか。全体御幼稚で、男性に対して何の警戒もあそばさなかった ものですから、長い年月をかけた恋とは申しながら、こうまで進んだ関係になろうとはあちら も考えておいでにならなかったことでございますよ。だれのためにもお気の毒なことをなさい ましたね」
 と無遠慮に小侍従は言う。お若い御主人を気安く思って礼儀なしになっているのであろう。 宮はお返辞もあそばさないで泣き入っておいでになった。御気分がお悪いばかりのようでなく、 少しも物を召し上がらないのを見て、
 「こんなにもお苦しそうでいらっしゃるのに、それを捨ててお置きになって、もうすっかり 快くなっておいでになる奥様の御介抱を一所懸命になさらなければならないとはね」
 と乳母たちは恨めしがった。
 院はお帰りになってから、まだ不審のお晴れにもならぬ今朝の手紙をよく調べて御覧になっ た。女房のうちであの中納言に似た字を書く女があるのではないかという疑いさえお持ちにな
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ったのであるが、言葉づかいは明らかに男性であって、他の者の書くはずのないことが内容に なってもいた。昔からの恋がようやく遂げられたのではあるが、なお苦しい思いに悩み続けて いることが、文学的に見ておもしろく書かれてあって、同情は惹くが、こんな関係で書きかわ す手紙には人目に触れた時の用意がかねてなければならぬはずで、露骨に一目瞭然に秘密を人 が悟るようなことはすべきでないものをと、院はお思いになり、りっぱな男ではあるが、こう した関係の女への手紙の書き方を知らない、落ち散ることも思って、昔の日の自分はこれに類 する場合も文章は簡単にして書き紛らしたものであるが、そこまでの細心な注意はできないも のらしいと、衛門督を軽蔑あそばされるのであった。それにしても宮を今後どうお扱いすれば よいであろうか、妊娠もそうした不純な恋の結果だったのである。情けないことである。人か ら言われたことでもなく、直接に証拠も見ながら、以前どおりにあの人を愛することは、自分 のことながら不可能らしい。一時的の情人として初めから重くなどは思っていない相手さえ、 ほかの愛人を持っていることを知っては不愉快でならぬものであるが、これはそうした相手で もない自分の妻である。無礼な男である。お上の後宮と恋の過失に陥る者は昔からあったが、 それとこれとは問題が違う。宮仕えは男女とも一人の君主にお仕えするのであって、同輩と見 る心から友情が恋となって不始末を起こす結果も作られるのである。女御や更衣といってもよ い人格の人ばかりがいるわけではないから、浮き名を流す者はあっても、破綻を見せない間は 宮仕えを辞しもせずしていて、批難すべきことも起こったであろうが、自分の宮に対する態度 は第一の妻としてのみ待遇してきたではないか、心ではより多く愛する人をもさしおいて、最
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大級の愛撫を加えていた自分を裏切っておしまいになるようなことと、そんなことは同日に論 ずべきでない、これは罪深いことではないかと反感のお起こりになる院でおありになった。侍 している君主のほうでもただ一通りの後宮の女性と御覧になるだけで、御愛情に接することも ないような不幸な人に、異性の持つ友情が恋愛にも進んでゆけば、あるまじいこととは知りな がらも、苦しむ男に一言の慰めくらいは書き送ることになり、相互の間に恋愛が成長してしま う結果を見るような間柄で犯す罪には十分同情してよい点もあるが、自分のことながらも、あ の男くらいに比べて思い劣りされるほどの無価値な者でないと思うがと、院は宮を飽き足らず お思いになるのであったが、またこの問題はほかへ知らせてはならぬと思うことで御煩悶もさ れた。父帝もこんなふうに自分の犯した罪を知っておいでになって知らず顔をお作りになった のではなかろうか、考えてみれば恐ろしい自分の過失であったと、御自身の過去が念頭に浮か んできた時、恋愛問題で人を批難することは自分にできないのであると思召された。
 素知らぬふりはしておいでになるが、物思わしいふうは他からもうかがわれて、夫人は危い 命を取りとめた自分をお憐みになる心から、こちらへはお帰りになったものの、六条院の宮を お思いになると心苦しくてならぬ煩悶がお起こりになるのであろうと解釈していた。
 「私はもう恢復してしまったのでございますのに、宮様のお加減のお悪い時にお帰りになっ てお気の毒でございます」
 「そう。少し悪い御様子だけれど、たいしたことでないのだから安心して帰って来たのです よ。宮中からはたびたび御使いがあったそうだ。今日もお手紙をいただいたとかいうことです。
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法皇の特別なお頼みを受けておられるので、お上もそんなにまで御関心をお持ちになるのです ね。私が冷淡であればあちらへもこちらへも御心配をかけて済まない」
 院が歎息をされると、
 「宮中への御遠慮よりも、宮様御自身が恨めしくお思いになるほうがあなたの御苦痛でしょ う。宮様はそれほどでなくてもおそばの者が必ずいろいろなことを言うでしょうから、私の立 場が苦しゅうございます」
 などと女王は言う。
 「私の愛しているあなたにとって、あちらのことは迷惑千万に違いないが、それをあなたは 許して、つまらない者の感情をまで思いやってくれる寛大な愛に比べて、私のはただお上が悪 くお思いにならないかという点だけで苦労をしているのは、あさはかな愛の持ち主というべき ですね」
 微笑をしてお言い紛らわしになる。
 「六条院へはあなたが快くなった時にいっしょに帰ればいいのですよ。宮の御訪問をするの もそれからあとのことです」
 そうきめておいでになるように仰せられた。
 「私は静かな独棲みというものもしてみとうございますから、あちらへおいでになって、宮 様のお心のお慰みになりますまでずっといらっしゃい」
 夫人からこんな勧めを聞いておいでになるうちに日数がたった。
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 院のおいでにならぬ間の長いことで今までは院をお恨みにもなった宮でおありになるが、今 はその一部を自身の罪がしからしめているのであるということをお知りになって、しまいに法 皇のお耳へもはいったならどう思召すことであろうと、生きておいでになることすらも恐ろし くばかりお思われになるのであった。お逢いしたいとしきりに衛門督は言ってくるが、小侍従 は面倒な事件になりそうなのを恐れて、こんなことがあったと緑の手紙のことを書いてやった。 衛門督は驚いて、いつの間にそうしたことができたのであろう、月日の重なるうちにはいろい ろな秘密が外へ洩れるかもしれぬと思うだけでも恐ろしくて、罪を見る目が空にできた気がし ていたのに、ましてそれほど確かな証拠が院のお手にはいったということは何たる不幸であろ うと恥ずかしくもったいなくすまない気がして、朝涼も夕涼もまだ少ないこのごろながらも身 に冷たさのしみ渡るもののある気がして、たとえようもない悲しみを感じた。長い歳月の間、 まじめな御用の時も、遊びの催しにもお身近の者として離れず侍してきて、だれよりも多く愛 顧を賜わった院の、なつかしいお優しさを思うと、無礼な者としてお憎しみを受けることにな っては、自分は御前で顔の向けようもない。そうかといって、すっかりお出入りをせぬことに なれば人が怪しむことであろうし、院をばさらに御不快にすることになろうと煩悶する衛門督 は、健康もそこねてしまい、御所へ出仕もしなかった。大罪の犯人とされるわけはないが、も う自分の一生はこれでだめであるという気のすることによって、このことを予想しないわけで もなかったではないかと、あやまった大道に踏み入った最初の自分が恨めしくてならなかった。 だいたい御身分相当な奥深い感じなどの見いだせなかった最初の御簾の隙間も、しかるべきこ
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とではない。大将も軽々しいと思ったことはあの時の表情にも見えたなどと、こんなことも今 さら思い合わせたりした。しいてその人から離れたいと願う心から欠点を捜すのかもしれない。 どんなに貴人といっても、おおようで、気持ちの柔らかい一方な人は世間のこともわからず、 侍女というものに警戒をしなければならぬこともお知りにならないで、取り返しのつかぬあや まちを御自身のためにも作り、人にも罪を犯させる結果になったと思い、衛門督の心は、宮の お気の毒なことを思いやって堪えがたい苦悶をするのであった。
 宮が可憐な姿で悪阻に悩んでおいでになるのが院のお目に浮かんで、心苦しく哀れにお思わ れになった。良人としての愛は消えたように思っておいでになっても、恨めしいのと並行して 恋しさもおさえがたくおなりになり、六条院へおいでになった。お顔を御覧になると胸苦しく ばかりおなりになる院でおありになった。祈祷を寺々へ命じてさせてもおいでになるのである。 表面のお扱いでは以前と何も変わっていない。かえって御優遇をあそばされるようにも見える のであるが、夫掃としてお親しみになることはそれ以来断えてしまった。人目を紛らすために 御同室にお寝みになりながら、院がお一人で煩悶をしておいでになるのを御覧になる宮のお心 は苦しかった。秘密を知ったともお言いにならぬ院でおありになったが、女宮は御自身で罪人 らしく萎縮しておいでになるのも幼稚な御態度である。こんなふうの人であるから不祥事も起 こったのであろう。貴女らしいとはいってもあまりに柔らかな性質は頼もしくないものである とお考えになると、いろいろの人の上がお気がかりになった。女御があまりに柔軟な様子であ ることは、この宮における衛門督のような恋をする男があるとすれば、その目に触れた以上精
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神を取り乱して大過失を引き起こすに至るかもしれぬ、女性のこうした柔らかい一方である人 は、軽侮してよいという心を異性に呼ぶのか、刹那的に不良な行為をさせてしまうものである と、院はこんなこともお思いになった。右大臣夫人がそれという世話を受ける人もなくて、幼 年時代から苦労をしながら才も見識もあって、自分なども義父らしくはしながらも、恋人に擬 しておさえがたい情念を内に包んでいたのを、かどだたず気がつかぬふうに退け続けて、右大 臣が軽佻な女房の手引きでしいて結婚を遂げた時にも、自身は単なる受難者であることを、そ れ以後の態度で明らかにして、親や身内の意志で成立した夫婦の形を作らせたことなどは、今 思ってみてもきわめてりっぱなことであったと、玉鬘のこともこのふがいない人に比べてお思 われになった。深い宿縁があって夫婦になった人であるから、離婚をしようとは考えないが、 品行問題で世評の立つことになれば、それにしたがって知らず知らず多少の侮蔑を自分は加え ることになるであろう。あまりにも実質に伴わない尊敬をしてきたと、以前からのことを思っ てもごらんになった。
 院は二条の朧月夜の尚侍になお心を惹かれておいでになるのであったが、女三の宮の事件に よって、後ろ暗い行動はすべきでないという教訓を得たようにお思いになって、その人の弱さ にさえ反感に似たようなものをお覚えになった。尚侍が以前から希望していたとおりに尼にな ったことをお聞きになった時には、さすがに残念な気がされてすぐに手紙をお書きになった。 その場合に臨んで、されてよい予報のなかったことをお恨みになる言葉がつづられてあった。
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  あまの世をよそに聞かめや須磨の浦に藻塩垂れしもたれならなくに
 人世の無常さを味わい尽くしながらも、今日まで出家を実行しえない私を、あなたはどんな
 に冷淡になっておいでになってもさすがに回向の人数の中にはお入れくださるであろうと、
 頼みにされるところもあります。
 などという長いお文であった。早くからの志であったが、六条院がお引きとめになるために、 それでない表面の理由は別として、尚侍は尼になるのを躊躇するところがあったのでさえある から、このお手紙を見て青春時代から今日までの二人のつながりの深さも今さらに思われて身 にしむ尚侍であった。返事はもう今後書きかわすことのない終わりのものとして心をこめて書 いた尚侍の手跡が美しかった。
 無常は私だけが体験から知ったものと思っておりましたが、しおくれたと仰せになりますこ
 とで、こんなにも思われます。
  あま船にいかがは思ひおくれけん明石の浦にいさりせし君
 回向には、この世のすぐれた方として決してあなた様を洩らしはいたしません。
 これが内容である。濃い鈍色の紙に書かれて、樒の枝につけてあるのは、そうした人のだれ もすることであっても、達筆で書かれた字に今も十分のおもしろみがあった。この日は二条の 院においでになったので、夫人にも、もう実際の恋愛などは遠く終わった相手のことであった
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から、院はお見せになった。
 「こんなふうに侮辱されたのが残念だ。どんな目にあっても平気なように思われて恥ずかし い。恋愛的な交際ではなしに、友人として同程度の趣味を解する人で、仲よくできる異性はこ の人と斎院だけが私に残されていたのだが、今はもう尼になってしまわれた。ことに斎院など は尼僧の勤めをする一方の人になっておしまいになった。多くの女性を見てきているが、高い 見識をお持ちになって、しかもなつかしい匂いの備わっているような点であの方に及ぶ人はな かった。女を教育するのはむずかしいものですよ。夫婦になる宿命というものは、目に見えな いもので、親の力でどうしようもないものだから、結婚するまでの女の子の教育に親は十分力 を尽くすべきだと思う。私は娘を一人しか持たなくてその責任の少ないのがうれしい。まだ若 くて人生のよくわからなかったころは、子の少ないことが寂しく思われもしたものですがね。 まあ孫の内親王をよくお育てしておあげなさい。女御はまだ大人になりきらないで宮廷へはい ってしまったのだから、すべてがいまだに不完全なものだろうと思われる。姫宮の教育は最高 の女性を作り上げる覚悟で、微瑕もない方にして、一生を御独身でお暮らしになってもあぶな げのない素養をつけたいものですね。結婚をすることになっている普通の家の娘はまた良人さ えりっぱであれば、それに助けられてゆくこともできますがね」
 などと院がお言いになると、
 「りっぱなお世話はできませんでも、生きています間は姫宮のおためになりたい心でござい ますが、健康がこんなのではね」
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 と答えて夫人は心細いふうにわが身を思い、自由に信仰生活へはいることのできた人々をう らやましく思った。
 「尚侍の所は尼装束などもまだよくととのっていないことだろうから、早く私から贈りたい と思うが、袈裟などというものはどんなふうにしてこしらえるものだろう。あなたがだれかに 命じて縫わせてください。一そろいは六条の東の人にしてもらいましょう。あまりに法服らし くなっては見た感じもいやだろうから、その点を考慮して作るのですね」
 と院はお言いになった。青鈍色の一そろいを夫人は新尼君のために手もとで作らせた。院は 御所付きの工匠をお呼び寄せになって、尼用の手道具の製作を命じたりしておいでになった。 座蒲団、上敷、屏風、几帳などのこともすぐれた品々の用意をさせておいでになった。
 紫夫人の大病のために法皇の賀宴も延びて秋ということになっていたが、八月は左大将の忌 月で音楽のほうをこの人が受け持つのに不便だと思われたし、九月はまた院の太后のお崩れに なった月で、それもだめ、十月にはと六条院は思っておいでになったが、女三の宮の御健康が すぐれないためにまた延びた。衛門督の夫人になっておいでになる宮はその月に参入された。
 舅の太政大臣が力を入れて豪奢な賀宴がささげられたのである。病気で引きこもっていた衛 門督もその時はじめて外出をしたのであった。しかもそのあとはまた以前にかえって、病床に 親しむ督であった。女三の宮も御煩悶ばかりをあそばされるせいか、月が重なるにつれてます ますお身体がお苦しいふうに見えた。院は恨めしいお気持ちはあっても、可憐な姿をして病ん でおいでになる宮を御覧になっては、どうなるのであろうと不安を覚えてお歎きになることが
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多かった。祈祷をおさせになることで御多忙でもあった。法皇も宮の御妊娠のことをお聞きに なって、かわいく想像をあそばされ、逢いたく思召された。長く六条院は二条の院のほうに別 れておいでになって、お訪ねになることもまれまれであると申し上げた人も以前あったことに よって、御妊娠がただ事の結果でなくはないのであるまいかとふとこんなことを思召すとお胸 が鳴るのでもあった。人生のことが今さら皆お恨めしくて、紫夫人の病気のころは院があちら にばかり行っておいでになったのを、もっともなこととはいえ、思いやりのないこととして聞 いておいでになったが、夫人の病後も院の御訪問はまれになったというのは、その間に不祥な ことが起こったのではあるまいか。宮が自発的に堕落の傾向をおとりになったのではなく、軽 薄な女房の仕業などで不快な事件があったのではなかろうか、宮廷における男女の間は清潔な 交際で終始しなければならないものであるのに、その中にさえ醜聞を作る者があるのであるか らと、こんなことまでも御想像あそばされるのは、いっさいをお捨てになった御心境にもなお 御子をお思いになる愛情だけは影を残しているからである。法皇が愛のこもったお手紙を宮へ お書きになったのを、六条院も来ておいでになる時で拝見されたのであった。
 用事もないものですから無沙汰をしているうちに月日がたつということもこの世の悲しみで
 す。あなたが普通でない身体になって健康もそこねているということをくわしく聞きました
 が、今はどうですか。世の中が寂しくなるような運命に出あっても、忍んでお暮らしなさい。
 恨めしがる様子をお見せになったり、妬みを告げたりすることは上品なものではありません。
 などと訓しておありになるのである。院はお気の毒で、心苦しくて、宮に秘密のあることな
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どはお知りあそばされずに、自分の不誠意とばかり解釈しておいでになるのであろうとお思い になって、
 「お返事はどうお書きになりますか。心苦しいお手紙で私はつらい気がしますよ。あなたに どんなことがあっても、人に変わった様子は見せまいと私は努めているのですよ。だれがいろ いろなことを申し上げたのだろう」
 とお言いになると、恥じて顔をおそむけになる宮のお姿が可憐であった。顔がすっかり痩せ て物思いに疲れておいでになるのが上品に美しい。
 「あなたの幼稚な性質を知っておいでになって、こんなにもお言いになるのだと、私は他の ことと思い合わせてごもっともだと思われる点がありますよ。それで今後も危なかしく思われ てならない。こんなふうに言ってしまおうとは思わなかったことですが、院が私を頼みがいな く思召すだろうと思うことが苦痛ですからね。あなただけにでも私が軽薄な者でないことを認 めてほしいと思うのですよ。深く物をお考えにならないで、人のいいかげんな言葉にお動きに なるあなたには、私のほんとうの愛が浅いものに見えもするでしょうし、またあなたとは年齢 の差のはなはだしい良人を軽蔑したくもなるでしょうけれど、私としてそれを残念に思わない わけはありませんが、院の御在世中だけは、これを幸福な道としてお選びになったことですか ら、老いた良人をもあまり無視するようなことはお慎みになるがいいのですよ。昔から願って いる出家の志望も、自分よりは幼稚な宗教心しか持つまいと思っていた女の人たちが先に実行 するのを傍観しているのも、私自身がこの世の欲を捨てえないのではなくて、出家をあそばす
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際にはあなたをお託しになった院のお志に感激した心が、すぐまた続いてあなたを捨てて行く ような行動を取らせなかったのですよ。以前は気がかりに思われた人も今ではもう出家の絆に ならないだけになっているのです。女御だってどうなるか知りませんが、皇子たちがお殖えに もなってゆくのですから、後宮の地位などは問題にさえせねば苦労のない立場を得られること だけはできると私も見ておけます。そのほかの人たちは成り行きのままで、私といっしょに出 家をしてしまってももういいほどの年齢になっているとこのごろでは思われます。院ももう長 くはおいでにならないでしょう。以前よりいっそうお身体が弱くおなりになって、心細い御様 子でいらっしゃるとのことですから、今になって悪い名などをお耳に入れて御心配をかけては いけませんよ。この世は何でもありませんが、来世のお妨げになることをしてはあなたの罪も 大きくなりますよ」
 そのことと露骨にお言いにならないのであるが、しみじみとお説きになるために、宮は涙ば かりがこぼれて、知らず知らずめいり込んでおしまいになったのを御覧になる院も、お泣きに なって、
 「他の人がこうしたことを言うのを、聞く必要もない老人の理窟だと思った私だが、いつの まにかそれを言うほうの人に私がなっている。よけいなことを言う老人だとお思いになってい っそういやになるでしょう」
 ともお言いになって、硯を引き寄せて御自身で墨をおすりになり、紙をお選りになりなどし て、お返事を書かせようとされるのであるが、宮は手も慄えてお書きになれない。あの濃厚な
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言葉の盛られてあった衛門督の手紙の返事はこんなに渋らずに書かれたであろうとお思いにな ると、また反感が起こるのでもおありになったが、それでも院は言葉などを口授してお書かせ になった。
 「お伺いになることはこんなことで今月もだめでしたね。それに新婚者の女二の宮が派手な 御賀をおささげになった時に、老人の妻であるあなたが競争的に出て行くのは遠慮すべきだと 思いましたよ。十一月はあなたのお母様の忌月でしょう。十二月はあまりに押しつまってよろ しくないし、あなたの身体も見苦しくなるだろうから、久しぶりにお姿を御覧に入れるのはい かがかと思いますが、しかしそうそう延ばしてよいことでありませんからね、あまり物思いを しないようにして、朗らかな心になって、痩せたお顔のなおるようにまずなさい」
 などとお言いになって、さすがにかわいくは思召すのであった。
 衛門督をどんな催し事にも必要な人物としてお招きになって御相談相手に今まではあそばす 院でおありになったが、今度の法皇の賀に限って何の仰せもない。人が不審がるであろうとは お思いになるのであるが、その人が来てはずかしめられた老人である自分の見られることも不 快であるし、自分が彼を見ては平静で心がありえなくなるかもしれぬと院はお思いになって、 もう幾月も参殿しない人を、なぜかとお尋ねになることもないのである。ただの人たちは衛門 督が病気続きであったし、六条院にもまた音楽その他のお催しの全くない年であるからと解釈 していたが、左大将だけは何か理由のあることに違いない、多感多情な男であるから、自分が 推測していたあの恋で自制の力を失うようなことがあったのではないかとは見ていても、まだ
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これほど不祥なことが暴露してしまったとは想像しなかった。
 十二月になった。十幾日と法皇の御賀の日が定められて六条院の中は用意に忙しくなった。 二条の院の夫人はまだそのまま帰らずにいたが、御賀の試楽があるのに興味を覚えてもどって きた。女御も実家にいた。今度のお産でお生まれになったのもまた男宮であった。次々に皆か わいい宮様を夫人はお世話することに生きがいを覚えていた。試楽の日は右大臣夫人も六条院 へ来た。左大将は東北の御殿でそれ以前にすでに毎日監督する舞曲の練習をさせていたから、 花散里夫人は試楽の見物には出て来なかった。衛門督をこの試楽の日に除外するのは惜しく物 足らぬことであると院はお思いになったし、それ以上にまた人の不審を引くことをお恐れにも なって、来るようにと使いをお向けになったが、病の重いことを申して督は出て来ようとしな かった。病気といっても何という名のある病をしているのでもないわけであるが、やましく思 う点があるのであろうと、心苦しく思召して、特使をさえもおやりになって招こうとあそばさ れた。父の大臣も、
 「なぜ御辞退をしたかね。何か含むことでもあるように院がお思いになるだろうに。大病と いうのではないのだから、無理をしても参ったほうがよい」
 と勧めていたところへ再度のお使いが来たのであったから、つらい気持ちをいだきながら参 った。それはまだ他の高官などの集まって来ない時分であった。これまでのようにお座敷の御 簾の中へ衛門督をお入れになって、院御自身はまた一つの御簾を隔てた奥のお居間においでに なった。噂のとおりに非常に痩せて顔色が悪かった。平生もはなやかな派手な美しさは弟たち
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のほうに多くて、この人は深く落ち着いた静かな風采によさのあった人であるが今日はことに におとなしい身のとりなしで侍している姿を、内親王の配偶者として見ても相応らしい男であ るが、その関係の正しくないのが不快だ、憎悪を覚えずにはおられないのであると院は思召し たが、さりげなくしておいでになった。
 「機会がなくてあなたにも長く逢いませんでしたね。長く病人の介抱をしていて何の余裕も なくてね、前からここへ来ておいでになる宮が、院の賀に法事をして差し上げたいと言ってお られたのが、いろいろな故障で滞っていてね、今年も暮れになったので、これ以上延ばすこと もできず、以前に計画したとおりのことはととのわないが、形だけでも精進のお祝い膳を差し 上げる運びになって、賀宴などというとたいそうだが、親戚の子供たちの数がたくさんにもな っているのだから、それだけでも御覧に入れようと思って舞の稽古などをさせ始めたものだか ら、せめてそれだけでもうまくゆくようにと思って、拍子が合うか試してみるのですが、指導 をしていただくのに、だれがよいかともよく考える間がなくてあなたに御面倒を見てもらうの がよいときめて、長くおいでもなかったお恨みも捨てたわけですよ」
 とお言いになる院の御様子に、昔と変わった所もないのであるが、衛門督は羞恥を感じて自 身ながらも顔色が変わっている気がして、急にお返辞ができないのであった。
 「長らく奥様がたが御病気をしておいでになりますことを承っておりまして、御心配を申し 上げながら、前からございました脚気がしきりに出てまいりまして、歩行が困難でございまし たために御所へ上がることができませんで、すっかり世の中から隔離されましたような寂しい
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生活をいたしておりました。院がおめでたい年に達せられますので、年来の御交誼に対してま ずお祝いを申し上げなければと父が申しておりましたが、関白を拝辞しました自分が表だって 出ることよりも、地位は低くとも中納言の私が主催するのが妥当であると父は考えるようにな りまして、私の誠意をお目にかくべきだと勧められましたものですから、病体をおしてあちら へはお伺いいたしたのでございます。いよいよお寂しい静かな御生活のように拝見いたしまし たあちらの御様子では、はなやかな賀宴をお持ち込みあそばすようなことは恐縮なされるだけ ではないかと拝察されまして、こちら様の御質素な御計画はかえって御満足になることかと存 ぜられます」
 と衛門督が申すと、華奢を尽くしてお目にかけたという前日の賀宴を女二の宮の関係でした とは言わずに、父のためにしたと話すのに心の鍛錬のできていることがうかがわれると院は思 召された。
 「私の所でやらせていただくことはこのとおりに簡単なことであるのを見て、一概に悪く言 う人もあるであろうと思っていたが、理解のあるお言葉を聞いて、さすがにとあなたにはいよ いよ敬意が払われる。大将は役人としては少しは経験ができたようでも、そうした繊細な観察 をすることなどは、得意でもないだろうがいっこうだめですよ。法皇はあらゆる芸術に通じて おいでになるが、その中でも最も音楽の御造詣が深いから、それらに遠ざかっておいでになる 御出家後といえども院が御覧になるのだと思うと晴れがましいのですよ。あの大将といっしょ に、舞い手になる子供へ、心得べきことをよく注意しておいてくれたまえ。専門家の師匠とい
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うものは自身の芸には偉くても融通のきかないものだから」
 などとお命じになるなつかしい味のある院の御様子をうれしく拝しながらもまた衛門督は恥 ずかしく、きまり悪く思われて、言葉少なにしていて少しも早く御前を立って行きたいと願わ れる心から、以前のように細かい話しぶりは見せずにいるうち、ようやく願いどおりにここを 去るによい時を見つけた。東北の御殿で大将が掛りになって十分に用意してあった舞い手と楽 人の衣装などが、また衛門督の意見によって加えられるものもできた、その道には深く通じて いる衛門督であったから。今日は試楽の日なのであるが、これだけを見物するのにとどまる夫 人たちも多いため、目美しくして見せるのに、賀の当日の舞い人の衣装は、明るい白橡に紅紫 の下襲を着るはずであったが、今日は青い色を上に臙脂を重ねさせた。今日の楽人三十人は白 襲であった。南東の釣殿へ続いた廊の室を奏楽室にして、山の南のほうから舞い人が前庭へ現 われて来る間は「仙遊霞」という楽が奏されていた。ちらちらと雪が降って、もう隣へ近づい た春を見せて梅の微笑む枝が見える林泉の趣は感じのよいものであった。
 縁側に近い御簾の中に院のお席があって、そこにはただ式部卿の宮が御同席され、右大臣の 陪覧する座があっただけである。以下の高官たちは皆縁側に席をして、そこには形式を省いた 饗応の物が出されてあった。右大臣の四男と、左大将の三男、それに兵部卿の宮の御幼年の王 子お二人の四人立ちで万歳楽が舞われるのであるが、皆小さい姿でかわいかった。四人とも皆 高い貴族の子供たちで風貌が凡庸でない。皆にいたわれながら小公子たちは登場した。また大 将の典侍腹の二男と、式部卿の宮の御長男でもとは兵衛督であって今は源中納言となっている
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人の子のこの二人が「皇じょう」、右大臣の三男が「陵王」、大将の長男の「落蹲」のほかにも 「太平楽」「喜春楽」などの舞曲も若い公達が演じた。日が暮れてしまうと御前の御簾は巻き 上げられて、音楽にも舞にもおもしろみが加わってゆく。かわいい姿の御孫の公達は秘伝を惜 しまずそれぞれの師匠が教えた芸に、よい遺伝からの才気の加味された舞をだれもだれもおも しろく見せるのを、皆かわいく院は思召した。老いた高官たちは皆落涙をしていた。式部卿の 宮も御孫の芸にお鼻の色も変わるほど感動されたのであった。六条院が、
 「年のゆくにしたがって酔い泣きをすることがますます烈しくなってゆく。衛門督のおかし そうに笑っておられるのが恥ずかしい。歳月はさかさまに進むものではないからね。あなたが たでも老いはのがれられないのですよ」
 と言ってその人の顔を御覧になる。だれよりもまじめに堅くなっていて、偽りでなく身体の 具合も悪く思われ、おもしろいことも目にとまらぬ気持ちになっている衛門督を、お名ざしに なり、酔態に託してこう仰せられるのは戯れらしくはあったが、その人ははっと胸がとどろい て、めぐって来た杯は手に取ってもただ少ししか飲まないのを、院は見とがめになって、御座 からたびたび侍者に酒を持たせておつかわしになり、おしいになるのを、困りながら辞退する 取りなしなども、平凡な人とは見えず感じよく院はお思いになった。身心の苦痛に堪えられな くなって衛門督はまだ宴の終わらぬうちに辞して帰ったが、悪酔いからさめることのできない のは、院を目のあたり見て罪の自責に苦しんだために逆上したのであろうが、それほど臆病な 自分ではなかったはずであるがと悲しんだ。一時的な酒精の毒ではなくてそのまま衛門督は寝
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ついて重い容体になった。衛門督の父母がよそに置いてあるのが不安になり、自邸へつれもど すことにしたのを、夫人の宮の悲しがっておいでになるのがまた衛門督には苦しく思われた。 何事もなかった間は、衛門督自身も、宮をお愛しする情熱のありなしすら忘れているほどの良 人であったが、もうこの世での別れかもしれぬと予感される今日の心には、宮をお残しして行 くことが悲しくて、未亡人の寂しい人におさせするのが堪えられない苦痛に思われ、またもっ たいなくも思われ歎かれるのであった。宮の御母の御息所も非常に悲しんだ。
 「世間の慣いでは親は親として、御夫婦というものはどんな時にもごいっしょにおいでにな ることになっています。あちらへ移っておしまいになって、御回復なさるまで別々においでに なるのは、宮様のためにおかわいそうなことですから、せめてもうしばらくの間こちらで養生 をなさいませ」
 この人が病床との隔てに几帳だけを置いて看護をしているのである。
 「ごもっともです。私ごとき者と結婚をしてくださいました宮様のためには、せめて私が長 生きをして相当な地位を得るように努力せねばならぬと心がけてはいたのですが、こんな病人 になってしまいましては、私の愛がどれほどのものであったかを宮様にわかっていただけない で終わるかと思いますことで、もう命の助からぬような気のしますうちでも、死なれぬ気がす るのです」
 などと泣き合っていて、迎えようとするのに、すぐに移っても来ないのを母の夫人は気づか わしがって、
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 「そんな場合に、どうして親の所へ来ようとあなたは思ってくれないのだろう。私が病気を する時には、おおぜいの子供の中でも特にあなたがそばにいてほしく、またいてくれれば頼も しくてうれしいのだのに、いつまでもなぜそちらにあなたはいる」
 こんなことを使いに言わせて来るのにももっともなところがあって、衛門督は母へ同情をせ ずにはおられないのであった。
 「私がいちばん初めに生まれたためなのでしょうが、大事にされていまして、こんなになっ てもまだ母はかわいがりまして、しばらくの間でも逢わずにいることを苦しがるのですから、 もう頼み少ない病状になっている際に、母の逢いたがる心を満足させないのは未来の世までの 罪になるだろうと思われますから、とにかく病床をあちらへ移します。もういよいよ危篤にな ったというしらせがありましたら、そっと大臣邸へおいでなさい。必ずもう一度お目にかかり ましょう。ぼんやりとした性質なものですから、気もつかずにあなたを不愉快におさせしたよ うな場合もあったであろうと思われますのが残念でなりません。こんなに短命で終わろうとは 思いませんで、長い将来に誠意をくんでいただける日が必ずあるもののように思って安心して いました」
 と、衛門督は宮に申して、泣く泣く父の家へ移って行った。宮はあとに思いこがれておいで になった。大臣家では病人の扱いに大騒ぎをして、祈祷やその他に全力を尽くすのであった。 病は最悪という容態でもない。ただ食慾がひどく減退して、もうこちらへ来てからは果物をさ え取ろうとしなかった。教養の足りた優秀な高官と見られている人が、こんなふうに頼み少な
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い容体になっていることを世間は惜しんで、見舞いを申し入れに来ぬ人もない。宮中からも法 皇の御所からもしばしばお見舞いの御使いが来て、衛門督の病状を御心痛あそばされているの を見ても、両親は悲しくばかり思われた。六条院も非常に残念に思召して、たびたび懇切なお 見舞いの手紙を大臣へ下された。左大将はまして仲のよい友人であったから、病床へもよく訪 ねて来て、衛門督をいたましがっていた。
 法皇の御賀は二十五日になった。現在での花形の高官が重い病気をしてその一家一族の人た ちが愁いに沈んでいる時に決行されるのは寂しいことのように院はお思いになったが、月々に 支障があって延びてきたことであったし、ぜひ今年じゅうにせねばならぬことでもあったから、 やむをえぬことだったのである。院は姫宮の心情を哀れにお思いになっていた。かねての計画 のように五十か寺での御誦経が最初にあって、法皇のおいであそばされる寺でも大日如来の御 祈りが行なわれた。


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