40巻 御 法


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      なほ春のましろき花と見ゆれどもとも
      に死ぬまで悲しかりけり   (晶子)
 紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終煩っていた。たいした悪い 容体になるのではなかったが、すぐれない、同じような不健康さが一年余りも続いた今では目 に立って弱々しい姿になったことで、院は非常に心痛をしておいでになった。しばらくでもこ の人の死んだあとのこの世にいるのは悲しいことであろうと知っておいでになったし、夫人自 身も人生の幸福には不足を感じるところとてもなく、気がかりな思いの残る子もない人なので あるから、こまやかに思い合った過去を持っていて自分の先に欠けてしまうことは、院をどん なに不幸なお心持ちにすることであろうという点だけを心の中で物哀れに感じているのであっ た。未来の世のためにと思って夫人は功徳になることを多くしながらも、やはり出家して今後 しばらくでも命のある間は仏勤めを十分にしたいということを始終院へお話しして、夫人は許 しを得たがっているのであるが、院は御同意をあそばさなかった。それは院御自身にも出家は 希望していられることなのであるが、夫人が熱心にそうしたいと言っている時に、御自身もい っしょにそれを断行しようかというお心もないではないものの、いったん仏道にはいった以上 は、仮にもこの世を顧みることはしたくないというお考えで、未来の世では一つの蓮華の上に 安住しようと約束しておいでになる御夫婦であっても、この世での出家後の生活は全然区別を
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立てたものにせねばならぬという御本意から、こうして病弱な身体になってしまった夫人と、 離れておしまいになることは気がかりで、悟道にはいった新生活も内から破れていくことを院 は恐れて躊躇をしておいでになるのである。結局は深い考えもなく簡単に出家してしまう人よ りも、道にはいることが遅れるわけである。院の同意されぬのを見ぬ顔にして尼になってしま うことも見苦しいことであるし、自分の心にも満足のできぬことであろうからと思って、この 点で夫人は院をお恨めしく思った。また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりも した。以前から自身の願果たしのために書かせてあった千部の法華経の供養を夫人はこの際す ることとした。自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。七僧の法服をは じめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭にする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあっ た。そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。 内輸事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこ れほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏 道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を 饗応する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好 意で世話をした。宮中、東宮、院の后の宮、中宮をはじめとして、法事へ諸家からの誦経の寄 進、捧げ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会に志を現わしたいと願わない 世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部 の経巻等を夫人が仕度したかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したので
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ある。花散里夫人、明石夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。そ れは寝殿の西の内蔵であった。北側の部屋に各夫人の席を襖子だけの隔てで設けてあった。
 三月の十日であったから花の真盛りである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏 のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる 機縁を得そうであった。薪こる(法華経はいかにして得し薪こり菜摘み水汲みかくしてぞ得 し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れ なものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女 王は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。
  惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなんことの悲しさ
 夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から譲られること であろうと思って、明石はそれに触れなかった。
  薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき
 経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。朝ぼらけの靄の間にはいろい ろの花の木がなお女王の心を春に惹きとどめようと絢燗の美を競っていたし春の小鳥のさえず りも笛の声に劣らぬ気がして、身にしむこともおもしろさもきわまるかと思われるころに、 「陵王」が舞われて、殿上の貴紳たちが舞い人へ肩から脱いで与える纏頭の衣服の色彩なども
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この朝はただ美しくばかり思われた。親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸 を惜しまずこの場で見せて遊んだ。上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命 の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。
 昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。これまでこうしたお りごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの容貌や風采にも、その芸 にも逢うことが今日で終わるのかというようなことばかりが思われる夫人であったから、平生 は注意の払われない顔も目にとまって、少しのことにも物哀れな気持ちが誘われて来賓席を夫 人は見渡しているのであった。まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつ ちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであ ろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。 宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。花散 里夫人の所へ、
  絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
 と書いて紫の女王は送った。
  結びおく契りは絶えじおほかたの残り少なき御法なりとも
 これは返事である。供養に続いて不断の読経、懺法などもこの二条の院で院はおさせになる
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のであった。祈祷は常におさせになっていたが、たいした効果も見えないために、わざわざ遠 い寺々などでさせることにもお計らいになった。
 夏になると夫人は暑気のためにも死ぬようになることが多かった。病名も定まらぬ程度のも のであるが、ただ衰弱がひどかった。堪えがたい苦しみをするというのでもない。女房たちの 心にも、どうおなりになるのであろう、このまま危篤になっておしまいになるのではなかろう かという不安が生じてきて、惜しく悲しくばかりそれらの人々も思って歎いていた。こんなふ うであったから院は中宮を御所から二条の院へ退出おさせになった。当分東の対にお住みにな るはずであったから、いったんこの西の対へおはいりになることにより、お迎えの儀式なども 定例どおりにしていながらも、この宮のますますお栄えになる未来の日までを見ずに終わるか というように夫人は悲しんだ。お供をして来た役人たちの姓名の披露される時にも、だれがい る、かれも来ていると、女王は深く耳にとまる気がした。高官たちも多数に来ていたのである。 しばらくぶりに、実母子以上の愛情が相互にある二人の女性はしめやかに語り合っておいでに なった。院がはいっておいでになったが、
 「今夜は巣を追われた鳥のようでかわいそうな私はどこかで寝ることにしよう」
 と言って、他の室へ行っておしまいになった。起きていた夫人の姿を御覧になったことがお うれしそうであったが、それはしいてよいように見てみずから慰めておいでになるのにすぎな いのである。
 「離れた所では、こちらからあちらへ歩いてお帰りになることがたいへんですし、私もまた
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あちらへ上がることはもうできなくなっていますから」
 と夫人は言っていて、中宮はしばらくこの病室のあるほうの対におとどまりになることにな った。明石夫人もこちらへ来てしんみりとした会話が日々かわされた。女王の心の中では頼み たく、言っておきたく思うことが幾つかあったが、賢そうに死後のことを今から言うように取 られるのを恥じて、そうした問題には触れないのであった。ただ人生のはかなさをおおように、 言葉少なに、しかも軽々しくはなしに話すのが、露骨に死期の近いことを言うよりもどんなに 心細い気持ちでいるかを思わせた。女王は孫である宮たちを見ても、
 「あなたがたがどうおなりになるだろうと、将来が見たいような気がしましたのも、私のよ うにつまらない者でいながら、知らず知らず命を惜しんでいたわけでしょうか」
 こんなことを言って涙ぐむその顔が非常に美しかった。なぜそんなふうにばかり感ぜられる のであろうとお思いになって、中宮はお泣きになった。遺言のようにはせず話の中などで時々、
 「長く私に仕えてくれました人たちの中で、たいした身寄りのないようなかわいそうなだれ だれなどを、私がいなくなりましたあとで、あなたから気をつけてやってください」
 などというほどにしか死後のことは言わないのである。
 病室で読経の始められる日になってから中宮は東の対へお移りになった。三の宮は幾人もの 宮様がたの中にことに愛らしいお姿でそばへ遊びにおいでになるのを、病苦の薄らいだ時など に女王は前へおすわらせして、女房たちの聞いていないのを見ると、
 「私がいなくなりましたら、あなたは思い出してくださるでしょうね」
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 などと言うのであったが、宮は、
 「恋しいでしょう。私は御所の陛下よりも中宮様よりもお祖母様が好きなんだ。いらっしゃ らなくなったら私は悲しいでしょうよ」
 とお言いになって、目をこすって涙を紛らしておいでになる宮のお姿のおかわいいために、 夫人は微笑をして見ているのであったが、目からは涙がこぼれた。
 「あなたが大人におなりになったら、ここへお住みになって、この対の前の紅梅と桜とは花 の時分に十分愛しておながめなさいね。時々はまた仏様へもお供えになってね」
 と言うと、宮はおうなずきになりながら、夫人の顔を見守っておいでになったが、涙が落ち そうになったので、立ってお行きになった。手もとでお育てしたために夫人はこの宮と姫君に お別れすることをことに悲しく思っていた。
 ようやく秋が来て京の中も涼しくなると、紫夫人の病気も少し快くなったようには見えるの であるが、どうかするとまたもとのような容体にかえるのであった。まだ身にしむほどの秋風 が吹くのではないが、しめっぽく曇る心をばかり持って夫人は日を送った。中宮は御所へおは いりにならず、もう少しここにおいでになるほうがよいことになるでしょうと女王はお言いし たいのであるが、死期を予感しているように賢がって聞こえぬかと恥ずかしく思われもしたし、 御所からの御催促の御使いのひっきりなしに来ることに御遠慮がされもして、おとどめするこ とも申さないでいるうちに、夫人がもう東の対へ出て来ることができないために、宮のほうか らそちらへ行こうと中宮が仰せられた。
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 失礼であると思い心苦しく思いながらも、お目にかからないでいることも悲しくて、西の対 へ宮のお居間を設けさせて、夫人はなつかしい宮をお迎えしたのであった。夫人は非常に痩せ てしまったが、かえってこれが上品で、最も艶な姿になったように思われた。これまであまり にはなやかであった盛りの時は、花などに比べて見られたものであるが、今は限りもない美の 域に達して比較するものはもう地上になかった。その人が人生をはかなく、心細く思っている 様子は、見るものの心をまでなんとなく悲しいものにさせた。
 風がすごく吹く日の夕方に、前の庭をながめるために、夫人は起きて脇息によりかかってい るのを、おりからおいでになった院が御覧になって、
 「今日はそんなに起きていられるのですね。宮がおいでになる時にだけ気分が晴れやかにな るようですね」
 とお言いになった。わずかに小康を得ているだけのことにも喜んでおいでになる院のお気持 ちが、夫人には心苦しくて、この命がいよいよ終わった時にはどれほどお悲しみになるであろ うと思うと物哀れになって、
  おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露
 と言った。そのとおりに折れ返った萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を比べた のであったし、時もまた秋風の立っている悲しい夕べであったから、
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  ややもせば消えを争ふ露の世に後れ先きだつ程へずもがな
 とお言いになる院は、涙をお隠しになる余裕もないふうでおありになった。宮は、
  秋風にしばし留まらぬ露の世をたれか草葉の上とのみ見ん
 とお告げになるのであった。美貌の二女性が最も親しい家族として一堂に会することが快心 のことであるにつけても、こうして千年を過ごす方法はないかと院はお思われになるのであっ たが、命は何の力でもとどめがたいものであるのは悲しい事実である。
 「もうあちらへおいでなさいね。私は気分が悪くなってまいりました。病中と申してもあま り失礼ですから」
 といって、女王は几帳を引き寄せて横になるのであったが、平生に超えて心細い様子である ために、どんな気持ちがするのかと不安に思召して、宮は手をおとらえになって泣く泣く母君 を見ておいでになったが、あの最後の歌の露が消えてゆくように終焉の迫ってきたことが明ら かになったので、誦経の使いが寺々へ数も知らずつかわされ、院内は騒ぎ立った。以前も一度 こんなふうになった夫人が蘇生した例のあることによって、物怪のすることかと院はお疑いに なって、夜通しさまざまのことを試みさせられたが、かいもなくて翌朝の未明にまったくこと 切れてしまった。
 宮もお居間にお帰りにならぬままで臨終に立ち会えたことを、うれしくも悲しくも思召した。
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御良人も御娘も、これを人生の常としてだれも経験していることとはお思いになれないで、言 語に絶した悲しみ方をしておいでになるのである。二条の院の中は絶望して心を取り乱した人 ばかりになった。院はお心の静めようもないふうで、大将を几帳のそばへお呼び寄せになって、
 「もうだめになったことは確かなようだ。長く希望していた出家のことをこの際に遂げさせ てやらないのは惨酷なように思われるが、加持に来ていた僧たちも読経の僧たちも皆すること をやめて帰ったとしても、少しは残っているのもあろうから、この世の利益はもう必要がなく なった今では冥土のお手引きに仏をお願いすることにして、髪を切って尼にすることをそのだ れかにさせてくれ。相当な僧ではだれが残っているか」
 こうお言いになる御様子にも、自制しておいでになるのであろうが、御血色もまったくない ようで、涙がとまらず流れているお顔を、ごもっともなことであると大将は悲しく見た。
 「物怪などが周囲の者を驚かすために、そうしたことをすることもあるのですが、絶望の御 状態とはそうしたわけではないのでございましょうか。それでございましたら、ただ今承りま したことは結構なことでございまして、一日一夜でも道におはいりになっただけのことは報い られるでしょうが、しかしもうまったくお亡くなりになったのでございましたら、死後のお髪 の形を変えますだけのことがあの世の光にはならないでしょう。そして眼で見る遺族たちの悲 しみだけが増大することになるだけのことでございますから、私はいかがかと存じます」
 と大将は言って、忌中をこの院でこもり続けようとする志のある僧たちの中から人選して念 仏をさせることを命じたりすることなども皆この人がした。今日までだいそれた恋の心をいだ
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くというのではなかったが、どんな時にまたあの野分の夕べに隙見を遂げた程度にでも、また 美しい継母が見られるのであろう、声すらも聞かれぬ運命で自分は終わるのであろうかという あこがれだけは念頭から去らなかったものであるが、声だけは永遠に聞かせてもらえない宿命 であったとしても、遺骸になった人にせよもう一度見る機会は今この時以外にあるわけもない と夕霧は思うと、声も立てて泣かれてしまうのであった。
 あるだけの女房は皆泣き騒いでいるのを、
 「少し静かに、しばらく静かに」
 と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとし はじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、灯を近くへ寄せてうかがうと、麗人の女 王は遺骸になってなお美しくきれいで、その顔を大将がのぞいていても隠そうとする心はもう 残っていなかった。院は、
 「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわ かるではないか」
 こうお言いになって、袖で顔をおさえておいでになるのを見ては、大将もしきりに涙がこぼ れて、目も見えないのを、しいて引きあけて、遺骸をながめることをしたがかえって悲しみは 増してくるばかりで、気も失うのではないかと夕霧はみずから思った。横にむぞうさになびけ た髪が豊かで、清らかで、少しのもつれもなくつやつやとして美しい。明るい灯のもとに顔の 色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働
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いているのよりも、己をあやぶむことも、他を疑うこともない純粋なふうで寝ている美女の魅 力は大きかった。少々の欠点があってもなお夕霧の心は恍惚としていたであろうが、見れば見 るほど故人の美貌の完全であることが認識されるばかりであったから、この自分を離れてしま うような気持ちのする心はそのままこの遺骸にとどまってしまうのではないかというような奇 妙なことも夕霧は思った。
 長く仕えていた女房の中に意識の確かにあるような者はない状態であったから、院は非常に 悲しい気持ちをしいておしずめになって、遺骸の始末などをあそばすのであった。昔も愛人や 妻の死におあいになった経験はおありになっても、まだこんなことまでも手ずから世話あそば されたことはなかったから、自身としては空前絶後の悲しみであると見ておいでになるのであ った。紫の女王の遺骸はその日のうちに納棺された。どれほど愛すればとて遺骸は遺骸として 葬送せねばならぬのが人生の悲しい掟であった。
 はるばると広い野にあいた場所がないほどにも葬送の人の集まったいかめしい儀式であった が、送られた人ははかない煙になって間もなく立ち昇ってしまった。当然のことではあるがこ れをも人々は悲しんだ。空を歩いているような気持ちで院は人によりかかって足を運んでおい でになるのを見ては、あの高貴な御身分でと低級な頭のものさえも御同情して泣かない者はな かった。遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に彷徨しているような気持ちになってい て、車から転び落ちそうに見えるのを従者たちは扱いかねていた。昔、大将の母君の葵夫人の 葬送の夜明けのことを院は思い出しておいでになったが、その時はなお月の形が明瞭に見えた
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御記憶があった。今は心も目も暗闇のうちのような気のあそばされる院でおありになった。女 王は十四日に薨去したのであって、これは十五日の夜明けのことである。
 はなやかな日が上って、野原一面に置き渡した露がすみずみまできらめく所をお通りになり ながら、院はいっそうこの時人生というものをいとわしく悲しく思召して、残った自分の命と いっても、もう長くは保ちえられるものではないであろうから、こうした苦しみを見る時に、 昔からの希望であった出家も遂げたいとしきりにお思われになるのであったが、気の弱さを史 上に残すことが顧慮されて、当分はこのままで忍ぶほかはないと御決心はあそばされても、な お胸の悲しみはせき上がってくるのであった。
 夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはな く、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御悲歎をもっともなことであると御同情をして見な がら、いろいろと、お慰めの言葉を尽くしていた。
 風が野分ふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができ た人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに、また麗人の終わりの姿を 見て夢のようであったことも人知れず忍んでいると非常に悲しくなるのを、人目に怪しまれま いとする紛らわしには、阿弥陀仏、阿弥陀仏と唱えて数珠の緒を繰ることをした。涙の玉も混 ぜてである。
  いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えし明け暗れの夢
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 この夢の酔いごこちは永遠の悲しみの澱を大将の胸に残したようである。りっぱな僧たちを 集めて忌籠りの念仏をさせることは普通であるが、なおそのほかに法華経をも院がお読ませに なっているのも両様の悲哀を招く声のように聞こえた。
 寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送ってお いでになった。一生を回顧してごらんになると、鏡に写る容貌をはじめとして恵まれた人物と して世に登場したことは確かであるが、幼年時代からすでに人生の無常を悟らせられるような ことが次々周囲に起こって、これによって仏道へはいれと仏の促すのをしいて知らぬふうに世 の中から離脱することのできなかったために、過去にも未来にもこんなことがあろうとは思わ れぬ大なる悲しみを体験させられることになった、これほど悲しみのしずめがたい心を持って いる間は、仏の道にもはいることは不可能であろうとみずからおあやぶまれになる院は、この 心持ちを少しゆるやかにされたいと阿弥陀仏を念じておいでになった。
 忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使 いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭から除けられ てよいわけではあるが、さすがに悲しみにぼけたふうには人から見られたくない、こうした一 生の末になって妻を失った悲しみに堪えないで入道したという名の残ることだけははばかって おいでになるために、見えぬ拘束を受けて自由に出家のおできにならぬこともこのごろの悲し みに添った一つの悲しみになった。
 太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような
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不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送り した。昔大将の母君が亡くなったのも秋のこのごろのことであったと思い出して、大臣は当時 の悲しみもまた心の中に湧き出してくるのであったが、その時に妹の死を惜しんだ人たちも多 くすでに故人になっている、先立つということも、後れるということもたいした差のない時間 のことではないかなどと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。息子 の蔵人少将を使いにして六条院へ手紙を持たせてあげた。人生の悲しみをいろいろと言って、 古い親友をお慰めする長い文章の書かれてある端のほうに、
  古への秋さへ今のここちして濡れにし袖に露ぞ置き添ふ
 という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる 時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れ てくる涙の中で返事をお書きになるのであった。
  露けさは昔今とも思ほえずおほかた秋の世こそつらけれ
 悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性 格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、たびたび厚意のある御慰問を受け ているといって、悦びの言葉などもお書き加えになるのをお忘れにならなかった。
 薄墨色を着ると葵夫人の死んだ時にお歌いになったその喪服よりも、今度は少し濃い色のを
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着て悲しみを示された。
 どんな幸運に恵まれていても、理由のない世間の嫉妬を受けることがあるものであるし、ま たその人自身にも驕慢な心ができてそのために人の苦しめられる人もあるのであるが、紫の女 王という人は不思議なほどの人気があって、何につけても渇仰され、ほめられる唯一の瑕のな い珠のような存在であり、善良な貴女であったのであるから、たいした関係のない世間一般の 人たちまでも今年の秋は虫の声にも、風の音にも、また得がたいこの世の宝を失った悲しみに 誘われて、涙を落とさない者はないのである。ましてほのかにでも女王を見たことのある人た ちにとって、女王を失った悲しみはとうてい忘られるものではなかった。女王が親しく手もと に使っていた女房たちで、たとい少しの間にもせよ夫人に後れて生き残っている命を恨めしい と思って尼になる者もあった。尼になってまだ満足ができずに遠く世と離れた田舎へ住居を移 そうとする者もあった。
 冷泉院の后の宮も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きに なった奥に、
  枯れはつる野べをうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん
 はじめてわかった気もいたします。
 とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもなが めておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人
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この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流 れ続けるためにお筆が進まなかった。
  昇りにし雲井ながらも返り見よわれ飽きはてぬ常ならぬ世に
 お返事をお書き了えになったあとでもなお院は見えぬものに見入っておいでになった。
 お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認め になる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。仏像をお据えになった前に少数 の女房だけを侍らせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょ にいたく思召した最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒 である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世の人とおなりに なるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇しておい でになるのはよくないことかもしれない。
 夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない 院に代わって大将がすべて指図をしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考 えられになる日も多かったが、結局四十九日の忌の明けるのを御覧になることになったかと院 は夢のように思召した。中宮なども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。


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