源氏物語解体新書

〜視覚と嗅覚の深淵な世界から〜

上田 裕一・上田 英代

第2章 光源氏の女性関係

(1)王朝時代の性関係の重さ

 持てる持てない、美人かブスかなどなどは時代によって変わってきている。昔は白粉と口紅と髪型がであったがギャン黒、小悪魔的化粧がはやり、着ているものもスカート、ショウートパンツ、ミディ、パンタロン、ズボンなどなど外見的要素が広がってきている。 男が女性を客観的に評価できるものではない。今の基準がそのまま平安時代に通じるとは思えない。とすれば虚心坦懐に時代時代を感じとって行くことが必要だ。  その点で、『やまとなでしこの性愛史――古代から近代へーー和田好子 ミネルバ書房 2014-08-30』は日本人の性・愛を生活に根ざしてその変遷を明らかにしている。 著者は1929年生まれだから、『はじめに』で
 昭和前期、ことに敗戦以前、日本の女性は貞操が堅い、独身の間処女の純潔を守り、結婚後は夫一人を守るといわれていた。じっさい当時はそういう女性が多かった。社会の規制が厳しかったので、まじめで善良な人ほどよくそれに適応し、守ろうと努めたのである。
 結婚の自由は法的になかった。明治に制定された旧憲法では、家長の許可がなくては結婚できない。若い男女に交際の機会は与えられず、恋愛は悪事であった。 結婚は親の薦めるまま、一、二回の見合いで取り決められ、何度か見合いを繰り返すことさえ非難された。
 女性の婚期はごく短く、一七、八歳から二三歳まで。二二歳は二並びといって縁起がよくないとされ、二三歳を過ぎればもう「嫁き遅れ」で、二一歳までが勝負であった。そうして結婚したが最後、離婚は非常な不名誉で、夫と別れて実家に戻った女性は、「出戻り」という差別語で悪口を言われた。
 働く女性は「職業婦人」と呼ばれたが、それもー種の差別語で、「働かなければならな い不幸な女」というニュアンスで使われていた。女性の生きる道は結婚して、いわゆる良 妻賢母になるのが理想であり、それ以外にはなかったといってよい。

と性と愛が抑圧されて育ったが
 こうした時代に青春を過ごした女性も、現在かなり生き残っている。彼女たちのある者は、自由恋愛を許された今の若者をうらやみ、またある者は「男女関係が乱れている」と非難している。
 と性と愛が自由気ままになっていることに戸惑っている世代である。 だが、
  戦時中の女学生時代、選択授業で「枕草子」を習ったのが契機となり、日本の古典文学に親しむようになった。明けても暮れても「古事記」、「万葉集」、「伊勢物語」、「枕草子」と解りもしないのにその世界に浸りきっていたものである。戦後はまた能狂言に凝って、能楽堂に通い詰めたりした。  そうしているうちに、古典文学に登場する女性たちの恋愛や結婚が、だいぶわれわれ世代とは異なっていることに気付き、自分も縛られていた明治憲法時代の厳しい?制は、もっと古い昔には存在しなかったのではないか、という疑問を久しく袍き続けてきた。 一0年ほど前から、その疑問を解決すべく関連書をあたり始めたが、驚くほど自由で あった日本女性の性と結婚の?史を知るにつれ、・・・女が自由であった時代、男も自由で 、今よりおそらく幸福だったろうということである。女性蔑?とされるー夫多妻制も、一夫一婦制の現代から想像するようなものではなく、それなりのよさを持っていたのだと思う。  とにかく日本の男女関係の伝統はうまくできていた。日本人はたいへん利口で人聞性を抑圧せず、性愛や結婚をじつに自然な形で規定してきたのである。それがなぜ、いつ?からあんなに不自由になってしまったのか> この分野ではまったく無名の著者であるにもかかわらず、私なりに解釈を試みた。
と。その第二章で平安時代は多妻制度を生きる女たちとしてその時代の性愛を論じている。

(2)谷崎潤一郎の「にくまれ口」(昭和40年婦人公論)への反論

 和田好子氏は先の著書の冒頭、P37で
源氏物語の現代語訳を完成させた谷崎潤一郎が昭和40年婦人公論に書いた「にくまれ口」と題するエッセイを紹介している。彼はその中で、
「源氏物語」の主人公源氏の君という男が、不実で軽薄で口ばかりうまく、どうにも好感の持てない人間だというのである。谷崎は、帚木、空蝉、夕顔など初めの巻々で 「当時特別に大切な人(藤壺)を心に思っていたはずである。(中略)そういうお方のことばかりが心に懸かっているという一方で、空蝉や軒端の荻や夕顔などに手を出すというのからして理解しかねるが、それはまあ許すとしても、ほんの偶然のめぐり合わせでゆくりなく縁を結んだ女どもを捉えて、『年頃思いつづけていました』とか、『死ぬほど焦がれていた』とかいうようなお上手をいうのは許し難い。(中略)そんなことが冗談にも言えるとすれば、それは藤壺というものを甚だしく侮辱することになる。源氏物語の作者は光源氏をこの上もなく贔屓して、理想的の男性に仕立て上げているつもりらしいが、どうも源氏という男にはこういう変に如才ないところのあるのが私には気に喰わない」 と言っている。
それに対して、著者は谷崎の随筆に見る昭和の恋愛観と平安期の恋愛観の違いとして論陣を張っている。
男が女の財力に頼る時代であるとか、三人の妻を持てば儲かるとか、口説く能力が男の甲斐性と続け、古代の大王が日本統一に際して、各地の豪族の姫と結婚し、巫女として姫を祀る地方神を服従させるという、宗教的政策を取ったこと、多くの姫を妻としたので、彼女たちに対して取るべき態度が大王の道徳として望まれたことが『いろごのみーー恋の道徳の理想』として成熟したとする国文学者西村亨を引用し、恋の道徳の理想として『いろごのみ』を捉え  紫式部は一代前の、「いろごのみ」というすばらしい男のタイプをしっかり書き残そうとしたのではないだろうか と結論つけている。
この他、谷崎潤一郎に対する反論は
それぞれの時代の人間のものの考え方、生活の状況の細部までも復元を試み、理解することが必要、・・谷崎のように、現代人の意識に引き寄せて考えることはなくなっている
として
 多妻制下の光源氏の言動はなんともおかしな、理解不可能なものと見えたのであろう
と軽くいなした上に
 王朝時代には、性行為もお世辞のうちというくらいなもので、現代のように愛の存在を重く問われるような重大事ではなかった。当時の恋愛はちょっと歌のやりとりなどしてすぐねてしまう。・・性行為そのものについては、男女とも別段の道徳的責任はなく、そこまで含んで口説くのは不徳義でもなんでもないのだ。P46
と断言している。
 ここまでくると、母に似た父桐壺帝の妻藤壺との不倫とその不義の子冷泉帝のことも王朝時代では普通のこととなり物語性もなくなってしまう。贔屓の引き倒しの逆で源氏物語の全否定になってしまう。藤壺の悩み、空蝉の嘆き、再度の夜這いの拒否、さらには雨夜の品定めすら浮き上がってしまう。谷崎の疑問に時代錯誤のレッテルを貼って根こそぎ不問に付していいものであろうか?
 源氏の色好み振りを語り手は折にふれ「悪いお癖で」といったふうに非難している。作者がそう思っていたに相違ない。しかし「源氏」・「伊勢」はともにいろごのみの賞賛談、顕彰談ではある。P52

 「しかし」以降の判断は本文検討なしの思い込みで行われている。
 本文からまとめられた従来の年立でも(源氏物語辞典より)
桐壺
  源氏3歳の夏:母他界
   8歳 :5歳上の藤壺入内、光の君とかがやくひの宮と賞賛
   12歳 :源氏元服、密かに藤壺を慕う
若紫
  18歳 :藤壺に無理やりあう 性行為不明
     :藤壺懐妊3ヶ月
紅葉の賀
  19歳 :2月10日余藤壺出産
      :7月藤壺立后、源氏宰相

  22歳 :源氏春宮の後見
賢木
  24歳 :源氏、藤壺に忍び拒否される
     :藤壺出家を決意し、12月10日余落飾

となっており、藤壺の悩みや、後悔も、再度の拒否から出家(春宮を守るための苦渋の決断)と展開しており、天皇家にあっては時代継承の重圧もあり市中の単なる色事では済まされない。
 付け加えるなら、若菜の巻で、女三宮への柏木の思慕は不倫へ発展し、それに対し源氏は強烈な当てつけを行い柏木は病となり重態、不義の子薫出生後まもなく他界するという筋立てに見られる如く、賞賛談・顕彰談とはかけ離れた内容である。

(3)光源氏が関係した姫君の名称

 源氏物語で姫君の名称を誰がつけたかの論証も必要であるが、成立当初から現在までその名称はほぼ固定されている。その名称をまともに解釈すると光源氏は心底もてているか疑問になってくる。藤壺との不倫は次節で扱うのでここでは第2巻「帚木」から始める。
1.聞き置き給える娘=帚木:遠くにあって実物の女として感じられない
2.空蝉:蝉の脱皮した殻(空蝉)を抱いている
3.軒端の荻:母屋から離れている中心的ではない女
4.夕顔:遊女性もあり、誰の女か不明だったが結果的に頭の中将の女
5.六条御息所:源氏の浮気相手を呪い殺すほど嫉妬心の強い女
6.朝顔:そっと咲く花のように時に出てくる
7.源典待:年を忘れてフガフガと言い寄る女で頭の中将と奪い合う女
8.末摘花:落ちぼれたアカバナの不細工女
The last lady whom anybody picked up なんて摘んではイケない女
9.若紫:まだ子供のうちにさらって手篭めにした子供
10.朧月夜:われは何事も許される身ぞとアルコールに任せて関係した女
  確かに血筋は良いけれど「明月」ではないし、ボヤケテいる女
11.葵の上:
12.花散里:父帝の女で落ちぶれて花はもう終わりですよ、最後のあがきの輝きならまだしもの女。
13.明石の君:都を離れた元受領階級の明石の入道の財力があってのこと
などなど。
 特にひどい名称の第一番は「末摘花」である。最後に摘む花は結果的に「摘んではいけない花」、つまり摘んではいけない女と性関係を持たせている。そして「空蝉」。抜け殻を抱かせている。「花散里」もだ。しかも、あまりにもそれらの女の状態・状況をドンピシャに表現しているのには舌を巻く。「軒端の荻」も母屋の花ではなくわびしい。「朧月夜」も名月ではないボヤーとしている。表面はもてもての源氏の印象を与え、名前で否定しているとしか思えない。紫式部に何か意図があったはずである。


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