源氏物語解体新書
〜視覚と嗅覚の深淵な世界から〜
上田 裕一・上田 英代
第1章 鏡よ!鏡! 世界で一番美しい人は誰? 白雪姫の世界から | ||||||
(1)一番美しいと決めるのは誰? | ||||||
鏡に向かって美しい妃が誰が一番美しいかと尋ねている姿はウォルトディズニーのアニメ映画を見たものなら鮮明に記憶していることだろう。戦後間もなく白黒からカラーに代わってのディズニー特有の色彩豊かなかわいい多くのキャラクターは魅力的であった。その中にあって冷たく残酷な継母の美貌に対するひときわ強い執着が見事に描かれていた。白雪姫の物語はディズニー版白雪姫が本筋となってしまった。
だがその内容はグリム童話の原作とは重要な点で異なっている。
原作は
いったん出来上がった作品は、真の内容から離れてイメージが出来上がり、後続の読者に影響を与えていく。イメージを持って読んだその読者はイメージをさらに強固なイメージにしていくことが往々にしてある。内容とイメージとの関係をまず、短い物語である白雪姫を前提として検討し、源氏物語ではいかようであったかを検討していく。源氏物語は紫式部が作って以来、日本文学において重要なウエイトを持っている。いや持たされているのではないか。
白雪姫の物語は、ディズニーのアニメ映画によってイメージが出来上がったと言ってよいであろう。綺麗な物語である。白雪姫と王子様の素敵な結婚で、めでたしめでたしとなっている。だが本当にそうであろうか、グリム童話を今の子供たちにそのまま読み聞かせていいのだろうか。おかしな、または恐ろしい部分が混在していないであろうか?
「世にも恐ろしい童話『世にも恐ろしいグリム童話』」 2000年日本 増井壮一では
@ヘンゼルとグレーテル A青ひげ B灰かぶり(シンデレラ)を取り上げている。
「大人もぞっとする初版『グリム童話』」 由良弥生 三笠書房 2002-10 では
I.ヘンゼルとグレーテル II.トゥルーデおばさん III.長靴をはいた猫 IV.わがままな子ども V.灰かぶり(シンデレラ)VI.千匹皮 VII.赤ずきん VIII.ガチョウ番の娘 IX.兄と妹
が検討されているが、両著書とも『白雪姫』がない。
白雪姫の物語はいいイメージができ上がっているからであろう。
綺麗に出来上がったディズニーのアニメ映画で継母の最後はどうなったのか?御存じであろうか?
7人の小人たちに追われて雷に打たれて崖から落ちて亡くなっているのだ。だがその死は当然の報いであろうか?継母は確かに白雪姫を2回にわたって殺そうとした。その方法は直接手を下したわけではない。初回の猟師を介しての殺人は成功せずだから殺人犯ではない殺人未遂でしかも直接手をくだして殺してはいない、死亡すれば共同正犯で最高では死刑だが現在の裁きでは禁固刑でそれも終生ではないはずである。その後は直接行動する、首を絞める、櫛をさす、毒リンゴを食べさす。あまりにも幼稚である。さらに美を目的としているのだから殺すよりももっと適切な方法があったのではないか。結果的に殺せなかったにもかかわらず妃は嵐の中を必死で逃げ回り、最後は小人たちが直接人為的に手を下すのではなく、雷という天の裁きをもって亡くなる。
そればかりではない、従来から指摘されているが白雪姫は何歳だったのか。女性美を世界的に競う美人コンテストは18歳以上であるが、そのイメージが出来上がっている今の読者はそのイメージに引っ張られて、その程度の年齢と漠然とイメージしてしまう。ところが白雪姫はまだ12才にもならない少女なのだ。つまり読者は文章をきちんと読んでいないのだ。イメージで読んでいるので、年齢的にも王子様との結婚はめでたしめでたしとなってしまう。日本の法律でも親が認めれば女性は16歳、認めない時は18歳以上で結婚が認められる。12歳という年齢はつまり違反行為のみならず、青少年保護法に淫猥として逮捕されてしまうではないか。
ディズニーの白雪姫は大人に近いきれいな女性で胸もふっくらとしている。イメージが出来上がっている時は書かれているにもかかわらず、読み飛ばして自らのイメージに合わせて書かれた内容を忘却して納得する。
もう一度、ストーリーをネット上で確認してみよう(Wikipedia)。
『白雪姫』は、ドイツのヘッセン州の民話で後に、グリム兄弟の『グリム童話』Kinder und Hausmarchen (KHM) に、KHM 53 として収載された。エーレンベルク稿(1810年手稿)、初版本(1812・15年版)で1857年が最終稿である。
初版では、白雪姫を殺そうとし、又最後に焼けた靴を履かされて殺されたのは、継母では無く実の母であったとされる。実母だったら、白雪姫の残酷な仕打ちは実母殺しとなる。また母親も同様卑劣な母親となってしまう。殺し方と相まって残酷すぎておとぎ話にはならない。
初版本では実母で
現在では、美男子の記録ができる。写真、映画、ビデオなどなどで集められ、繰り返し見比べることが可能である。日本人の美男子は昭和初期は長谷川一夫であったが現在はいかがであろうか。
スターたちのランキングもあろう。恋人にしたいランキングもあろう(この類は女性のお嫁さんにしたいランキングのほうが一般的だが)。美意識は民族・国柄によっても違うはずだが世界ランキングもある。聞くところではエスキモー民族は美人には入れられない日本人のリンゴほっぺの顔を好むという。また、評価する人たちの年代によってもことなる。となると、光源氏の時代では自らを認識できなかったが、認識できる時代になった現代では対象が広くなりすぎてランキングをつけられなくなってしまった。やっぱり鏡の精が絶対者として評価判断を下さない限り順位は決まらない。
つまり、光源氏を絶世の美男子としているだけである。
1.本文の洗い出し
それでは、源氏物語の本文に光源氏の容姿を述べている内容を全て検討してみよう。本人の自覚・自意識と周囲の賛美に分けられるだろうか?(古典総合研究所語彙検索-源氏物語「新編日本古典文学全集」)
桐壺
@-018-10 世になくきよらなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。
@-018-13 参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御容貌なり。
@-021-04 この皇子のおよすけ
@-021-05 もておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えた
@-021-06 まふを、
@-037-07 月日経て若宮参りたまひぬ。いとどこの世
@-037-08 のものならずきよらにおよすけたまへれば、
@-037-09 いとゆゆしう思したり。
@-039-01 いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべき
@-039-02 さまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女御子たち二と
@-039-03 ころ、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞ
@-039-04 なかりける。
@-044-09 にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御
@-044-10 容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげな
@-044-11 るを、世の人光る君と聞こゆ。
@-045-08 角髪結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむ
@-045-09 こと惜しげなり、大蔵卿くら人仕うまつる。いときよらなる
@-045-10 御髪をそぐほど心苦しげなるを、上は、御息所の見ましかば
@-045-11 と思し出づるに、たへがたきを心づよく念じかへさせたまふ。
@-046-04 あさましううつくしげさ添ひたまへり。
@-050-07 光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつり
@-050-08 けるとぞ言ひ伝へたるとなむ。
帚木
@-091-12 おしなべたらぬ若人どもに、戯れ言などのたまひつつ、暑
@-091-13 さに乱れたまへる御ありさまを、見るかひありと思ひきこえ
@-098-03 (小君)「廂にぞ大殿籠りぬる。
@-098-04 音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる、げにこそめで
@-098-05 たかりけれ」とみそかに言ふ。
@-109-02 ひて、うちとけたる御答へも聞こえず。ほのかなりし御けは
@-109-03 ひありさまは、げになべてにやはと、思ひ出できこえぬには
@-113-03 たはらに臥せたまへり。若くなつかしき御ありさまをうれし
@-113-04 くめでたしと思ひたれば、つれなき人よりはなかなかあはれ
@-113-05 に思さるとぞ。
空蝉
@-139-08 おし拭ひたまへる袖の匂ひも、いとところせきまで薫り満ち
@-139-09 たるに、げによに思へば、おしなべたらぬ人の御宿世ぞかし
夕顔
@-147-12 色々乱れたるを、過ぎがてにやすらひたまへるさま、げにた
@-147-13 ぐひなし。
@-148-15 ほしきにや、この御光を見たてまつるあたりは、ほどほどに
@-149-01 つけて、わがかなしと思ふむすめを仕うまつらせばやと願ひ、
@-149-02 もしは口惜しからずと思ふ姉妹など持たる人は、いやしきに
@-149-03 ても、なほこの御あたりにさぶらはせんと思ひよらぬはなか
@-149-04 りけり。
若紫
@-209-05 しきさまを人や見つらむ」とて簾おろしつ。(僧都)「この世に
@-209-06 ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたま
@-209-07 はんや。世を棄てたる法師の心地にも、いみじう世の愁へ忘
@-209-08 れ、齢のぶる人の御ありさまなり。
紅葉賀
@-312-06 女御、かくめでたきにつけても、ただならず思して、「神な
@-312-07 ど空にめでつべき容貌かな。うたてゆゆし」とのたまふを、
@-312-08 若き女房などは、心憂しと耳とどめけり。
@-313-09 あなかしこ」とある御返り、目もあやなりし御さま容貌に、
@-313-10 見たまひ忍ばれずやありけむ、
@-314-06 かす。一日の源氏の御夕影ゆゆしう思されて、御誦経など所
@-314-07 どころにせさせたまふを、聞く人もことわりとあはれがりき
@-314-08 こゆるに、春宮の女御は、「あながちなり」と憎みきこえた
@-314-09 まふ。
@-314-15 吹きまよひ、色々に散りかふ木の葉の中より、青海波のかか
@-315-01 やき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉い
@-315-02 たう散りすきて、顔のにほひにけおされたる心地すれば、御
@-315-03 前なる菊を折りて左大将さしかへたまふ。日暮れかかるほど
@-315-06 して、今日はまたなき手を尽くしたる入綾のほど、そぞろ寒
@-315-07 くこの世のことともおぼえず。
@-324-08 一院ばかり、さては藤壼の三条宮にぞ参りたまへる。「今日
@-324-09 はまたことにも見えたまふかな。ねびたまふままに、ゆゆし
@-324-10 きまでなりまさりたまふ御ありさまかな」と、人々めできこ
葵
A-025-15 式部卿宮、桟敷にてぞ見たまひける。いとまばゆきまでね
A-026-01 びゆく人の容貌かな、神などは目もこそとめたまへ、とゆゆ
A-026-02 しく思したり。
賢木
A-121-07 車の内にて、藤の御袂にやつれたまへれば、ことに見えたま
A-121-08 はねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべか
A-121-09 めり。
明石
A-234-12 のかに見たてまつるより、老忘れ齢のぶる心地して、笑みさ
A-234-13 かえて、まづ住吉の神をかつがつ拝みたてまつる。月日の光
A-234-14 を手に得たてまつりたる心地して、営み仕うまつることこと
A-234-15 わりなり。
A-238-13 君と言ひあはせて嘆く。正身は、おしなべての人だにめやす
A-238-14 きは見えぬ世界に、世にはかかる人もおはしけりと見たてま
A-238-15 つりしにつけて、身のほど知られて、いとはるかにぞ思ひき
A-239-01 こえける。親たちのかく思ひあつかふを聞くにも、似げなき
A-239-02 ことかなと思ふに、ただなるよりはものあはれなり。
朝顔
A-471-05 なきたまひて、(女五の宮)「いときよらにねびまさりたまひにけ
A-471-06 るかな。童にものしたまへりしを見たてまつりそめし時、世
A-471-07 にかかる光の出でおはしたることと驚かれはべりしを、時々
A-471-08 見たてまつるごとに、ゆゆしくおぼえはべりてなむ。内裏の
A-471-09 上なむいとよく似たてまつらせたまへると人々聞こゆるを、
A-471-10 さりとも劣りたまへらむとこそ推しはかりはべれ」と、なが
A-471-11 ながと聞こえたまへば、ことにかくさし向かひて人のほめぬ
A-471-12 わざかなと、をかし
A-471-13 く思す。
A-490-06 雪のいたう降り積もりたる上に、今も散り
A-490-07 つつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕
A-490-08 暮に、人の御容貌も光りまさりて見ゆ。
少女
B-071-04 帝は赤色の御衣奉れり。召しありて太政大臣参りたまふ。同
B-071-05 じ赤色を着たまへれば、いよいよ一つものとかかやきて見え
B-071-06 まがはせたまふ。
玉鬘
B-129-02 昔、光る源氏などいふ名は聞きわたりたて
B-129-03 まつりしかど、年ごろのうひうひしさに、
B-129-04 さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳
B-129-05 の綻びよりはつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞお
B-129-06 ぼゆるや。
B-130-03 てすこし寄す。(源氏)「面なの人や」とすこし笑ひたまふ。げ
B-130-04 にとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。
初音
B-152-08 かしうめでたく聞こゆ。何ごとも、さしいらへしたまふ御光
B-152-09 にはやされて、色をも音をもますけぢめ、ことになん分かれ
B-152-10 ける。
野分
B-266-07 て、見たてまつりたまふ。親ともおぼえず、若くきよげにな
B-266-08 まめきて、いみじき御容貌の盛りなり。
行幸
B-291-09 らにたぐひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざま
B-291-10 は、別物とも見えたまはぬを、思ひなしのいますこしいつか
B-291-11 しう、かたじけなくめでたきなり。さは、かかるたぐひはお
B-291-12 はしがたかりけり。
真木柱
B-364-15 つかしきほどに萎えたる御装束に、容貌も、かの並びなき御
B-365-01 光にこそ圧さるれど、いとあざやかに男々しきさまして、た
B-365-02 だ人と見えず、心恥づかしげなり。
藤裏葉
B-436-14 方は、父大臣にもまさりざまにこそあめれ。かれはただいと
B-436-15 切になまめかしう愛敬づきて、見るに笑ましく、世の中忘る
B-437-01 る心地ぞしたまふ、公ざまは、すこしたはれて、あざれたる
B-437-02 方なりし、ことわりぞかし。
B-444-02 すき御あはひと思さる。御子とも見えず、すこしが兄ばかり
B-444-03 と見えたまふ。別々にては、同じ顔を移しとりたると見ゆる
B-444-04 を、御前にては、さまざま、あなめでたと見えたまへり。大
B-444-05 臣は、薄き御直衣、白き御衣の唐めきたるが、紋けざやかに
B-444-06 艶々と透きたるを奉りて、なほ尽きせずあてになまめかしう
B-444-07 おはします。宰相殿は、すこし色深き御直衣に、丁子染の焦
B-444-08 がるるまで染める、白き綾のなつかしきを着たまへる、こと
B-444-09 さらめきて艶に見ゆ。
若菜下
C-221-09 つを、よろづに言ひこしらへて、(柏木)「まことは、さばかり
C-221-10 世になき御ありさまを見たてまつり馴れたまへる御心に、数
C-221-11 にもあらずあやしきなれ姿を、うちとけて御覧ぜられむとは、
C-221-12 さらに思ひかけぬことなり。
柏木
C-340-01 ちものものしうそぞろかにぞ見えたまひける。(女房)「かの大
C-340-02 殿は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬づきた
C-340-03 まへることの並びなきなり。これは男々しうはなやかに、あ
C-340-04 なきよらとふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」とうちさ
C-340-05 さめきて、「同じうは、かやうにても出で入りたまはましか
C-340-06 ば」など、人々言ふめり。
夕霧(夕霧の美貌)
C-471-14 さまもしたまはず、鬼神も罪ゆるしつべく、あざやかにもの
C-471-15 清げに若う盛りににほひを散らしたまへり、もの思ひ知らぬ
C-472-01 若人のほどに、はた、
C-472-02 おはせず、かたほな
C-472-03 るところなうねびと
C-472-04 とのほりたまへることわりぞかし、女にて、などかめでざら
C-472-05 む、鏡を見ても、などかおごらざらむ、とわが御子ながらも
C-472-06 思す。
幻
C-550-01 その日ぞ出でゐたまへる。御容貌、昔の御光にもまた多く
C-550-02 添ひて、ありがたくめでたく見えたまふを、この古りぬる齢
C-550-03 の僧は、あいなう涙もとどめざりけり。
紫式部は夫宣孝を亡くしたとき
「かずならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり」
と詠んでいるから、もっと光源氏の内面に迫っていいはずである。しかし
ながら光源氏の内面描写は少ない。
他者から見た描写が殆どで、光源氏が自覚しているとは言い難い。それに対する自分の感想なども述べられていない。つまり自分の美しさがわからない、それなのに自分から見れば過剰とも言える賛辞なのであるから当然疑念が湧いてくる。そしてライバルの頭中将を見ると美しく見える。自分を鏡で見ると、自然に振舞っている容姿ではなく注視している部分であり、彼を見れば見るほど疑念は深まる。
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